吸い魔狂の館

振矢 留以洲

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第1章

第7話

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 瑞瑠が異変を感じるようになったのは、高校に入学して一月経ってからのことであった。それは通学途上の電車のなかで始まった。最初の頃は殆ど気づかなかったと言うか、気に留めていなかった。
 毎朝、電車のなかで見かける男性に気づくようになった。二十代くらいの男性で、どこでも見かけるような特に目立った所のない青年という感じであった。ただ毎日スーツ姿であった。それで会社員で、通勤時間帯が瑞瑠の通学時間帯とたまたま合っていて、偶然いつも同じ車両に乗り合わせているだけのことだと思っていた。
 瑞瑠は高校に入学してからの、一月あまりの間、どの車両に乗ろうかということは殆ど意識していなかった。いつも同じ車両に乗り合わせていることに気づくようになり、まさかと思いながら、毎日乗る車両を変えてみることにした。
 瑞瑠が意識して、毎日乗る車両を変えたその週のことであるが、その男性は一日も外れることなく瑞瑠が乗る車両に乗り合わせていた。ただそれだけのことであったら、異変とは思わなかっただろう。瑞瑠にそう思わせたのは、その男性がいつも瑞瑠のすぐ隣にいたということである。
 否が応でもその男性を観察せざるえなくなった。容姿はいたって平凡な特徴のないものであった。ただその場で一度きり偶然に出会っただけのことであったら、記憶の断片にその影さえ殆ど残らなかっただろう。
 その男性を毎日観察せざる得なくなった故に、記憶の中に鮮明に残ることとなったのは、彼の服装に関することであった。彼は毎日スーツ姿であった。ただそれだけであったら記憶の中に鮮明に残ることはなかっただろう。
 彼は毎日スーツを変えていた。たとえ毎日スーツを変えていたとしてもダークスーツであったら鮮明に印象に残ることはなかっただろう。それが毎日違う色のスーツを着てくるのであった。ビジネス用に着るスーツとしてはどうかなという派手な色や模様のスーツであった。ネクタイもそのスーツに合わせるように派手な色模様のものに毎日変えるのであった。
 瑞瑠はこのことから来る嫌悪感に耐えられなくなってきた。そしてそのことを両親に相談することにした。
 両親と相談した結果、瑞瑠の母親がしばらくの間、車で学校まで送り迎えをすることとなった。
 それから、一月ほどが経過した。両親と話し合う中でそろそろ電車通学に戻っても良いのではないかと言うことになった。瑞瑠の両親は共働きで、母親は事務員として会社勤めであった。彼女は今回のことを会社に説明して、瑞瑠の登下校に合わせて時間休暇を取ってきた。
 一月ぶりに瑞瑠は、通学時の電車に乗った。その日の朝は、言い知れぬ緊張感に悩まされることとなった。どの車両に乗るか、前もって決めていたが、いざ実際乗る時になって体中が震えた。ホームから電車が来るのが見えた時、一旦引き返そうかと思ったが、勇気を振り絞って、その時立っているホームの位置で列車が入ってくるのを待った。
 電車の扉が開かれ、乗り込んだ後直ぐに周りを見たが、彼の姿は見えなかった。ホット安堵の息を周りに聞こえるくらいの音を立てていたことを瑞瑠は自分でも分かった。
その週は、彼の姿を列車で見ることなく過ぎていった。
 翌週もその翌週も、その男性の姿を列車内で見ることなしに過ぎていった。その内にその男性のことは、瑞瑠の記憶の中から殆ど消えていきつつあった。たまに何もすることがなく、ただぼんやりと考えている時に、ふとその記憶の断片が、微かに脳裏をよぎる程度であった。
 入学後直ぐに入部していた吹奏楽部の放課後の練習にも出られるようになっていた。全国高校生吹奏楽コンクールの地方予選の練習のため、放課後の練習も普段よりも遅くまで行うようになってきた。瑞瑠は1年生でありながら、卓越した技能により、レギュラー出演することになっていた。トランペットとコルネット奏者として出場することになっていた。
 全国高校生吹奏楽地方予選の日を間近に控えて、直近の日で当日会場に使われるホールで、練習をすることとなった。そのホールは無限吹団のコンサートが行われたところでもあった。
 ホールでの練習は熱の入ったものとなり、コンクールのために普段よりも遅くまで延びている練習よりも更に遅くなってしまった。日が延びてきたとは言え、練習が終わって、ホールから出た時はあたりはもう暗くなっていた。
 練習の後楽しそうに語りながら、大通り沿いの歩道を歩くグループの中に、瑞瑠も最初いたのだが、時計を見て突然焦りを感じた。どうしても次の列車に乗らなければならなかった。瑞瑠の自宅の最寄りの駅前にあるアンティーク店が閉まってしまうのである。母の誕生プレゼントに以前から購入しようと思っていたものがあったのである。
 皆にさよならを言って、近道を通ることにした。広大な空き地がまだ空き地のままであった。瑞瑠はその空き地を通り抜けて駅に直行することにした。空き地の再開発計画はまだ進んでおらずまだ空き地のままであった。何の明かりもなく暗いなかを通って行かなかればならなかった。中学の時にその空き地で起こった事件については瑞瑠の記憶の中に何も残っていなかった。ただ駅への近道であるということだけが記憶の中に残っていた。
 暗闇の中をスマホのライトを照らしながら進んでいった。広大な空き地の中ほどまで進んでいった時、瑞瑠は異変に気がついた。暗闇の中で人影が薄っすらと浮かんできた。一人や二人の人影ではなかった。はっきりと聞き取ることは出来なかったが、卑猥な内容の言葉が瑞瑠に向けて語られていることは分かった。
 瑞瑠は踵を返して、歩道の方に向かって走り出した。数メートル程走ったところで躓いてしまった。地面に頭を打つことは避けることができたが、尻もちを突いてしまった。何人もの男から発せられる猥雑な会話が彼女に向かって近づいてきた。瑞瑠は立ち上がろうとしたが、片足が痙攣して酷い痛みを感じた。絶体絶命であった。
 突然男たちの会話が止み、足音が空き地の奥の暗闇の方に向きを変えていった。足音は暗闇の奥の方へと消えていった。
 顔を上げると、瑞瑠に向けて手が差し伸べられていた。手を差し伸べている青年の顔は見覚えがあった。以前電車の中でいつも瑞瑠の近くにいた派手なスーツ姿の青年であった。
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