吸い魔狂の館

振矢 留以洲

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第1章

第1話

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「いいか、もうすぐ暗くなる。そうしたら玄関の扉を開けて入っていくんだ。何か金目のものがあったら、取ってくるんだ。そうしたら俺達はもうお前をいじめることはないから」
 鬼兵は、進治の胸倉をつかみながら言った。鬼兵は喜平であるが、進治の記憶の中には鬼兵として焼き付いている。猿吐死と足付尾は、鬼兵の後ろで、ニヤニヤしながら立っている。猿吐死の名前は里志であるが、猿吐死として、足付尾の名は、達夫であるが、足付尾として進治の記憶の中に焼き付いている。
「ほら暗くなってきた。さっさと行くんだ」
 鬼兵は、進治の胸倉を掴んでいた手を離すと同時に、もう一方の手で、進治を突き飛ばした。突き飛ばされて、よろめき倒れそうになった身体を必死に両足で支えた。数歩よろめきながら歩いた後、どうにか持ちこたえることができた。
「いいか、俺達はここでずっと見張っているからな。裏口からこっそり抜け出ようとしても無理だからな」
 いかにも豪邸であることを誇るかのように、塀と門扉が進治の面前に立ちはだかっていた。鍵の掛かっていない門扉は、長年だれも開けたことのないことを証明するかのように厚い埃に覆われていた。門扉を開ける時、錆びれた金属音が鳴り響いた。埃に塗れた指から埃を払いながら開かれた門扉の間を通って行った。
 広大な前庭の中を門扉から玄関まで石畳の通路が轢かれていた。玄関まで辿り着くのに気の遠くなるような時間が経過したように進治には思えた。進治は玄関前で立ち止まると、後ろを振り向いた。可成り薄暗くなってきた。門扉から数メートル離れたところに三人の影が朧に浮かんでいた。
 玄関の扉はいかにも豪邸屋敷というような扉であった。扉に張り付いている埃は、長年扉が開けられなかったことを物語っていた。
 扉の取っ手に手を触れると、分厚い埃の膜が進治の指にまとわり付いた。取っ手が反応する音と同時に観音開きの扉が開く鈍い音がした。扉の動きと同時に埃が煙のように漂った。
 開かれた扉を通って中に足を踏み入れると、大理石が敷き詰められた広いホールがあり、壁の所々にあるランプが淡い灯りを放った。大理石の床は厚い埃で覆われていた。ランプを覆っていた厚い埃はランプの淡い灯りをより一層淡い灯りにしていた。
 ホールに足を踏み入れると、大理石の床を覆っていた厚い埃の膜は靴底から逃げるようにして爪先から踵までを覆った。左右の靴が埃で覆われた後、左右の足を交互に持ち上げ振るうと、埃が薄暗がりのなかで煙のように舞い上がった。
 扉が動く鈍い音の後に、扉の閉まる鋭い音がホール内で響いた。外からの微かな薄明かりは閉じられた扉によって完全に閉め出されて、ホール内は壁のランプからの薄明かりのみになった。
 ホールから階段が見えた。階段をのぼっていくと、吹き抜けの二階廊下へと行けることが一目瞭然で分かった。ホールから吹き抜けの二階廊下が見えた。廊下の壁にもランプがいくつか備え付けてあり、薄明かりの光を放っていた。廊下の壁には部屋に通じる扉がいくつか見えた。扉と扉の間の壁には数枚の肖像画が掛かっていた。薄明かりのなかで肖像画であることは分かるが、顔の細密な所は判別できなかった。
 階段はスベリ止めとともに一段一段絨毯が敷き詰められていたが、厚い埃の膜で覆われていた。一段一段階段を踏むごとに、靴底から埃が吹き上がり、二階廊下まで舞い上がっていった。豪奢な絨毯が敷かれた廊下の床は厚い埃の膜で覆われていた。床を踏み鳴らす度に靴底から埃が舞い上がり、すでに廊下一体に漂っていた埃をさらに濃厚なものにしていった。
 階段からあがってから最初の扉から次の扉までの間の壁に三枚の絵が掛かっていた。ホールから見た時、肖像画であることは分かったが、それ以上のことは分からなかった。三枚の絵の前に立った時、二階廊下の壁に備え付けられていたランプの薄明かりが、明かりを増して絵をよりはっきりと照らし出した。厚い埃の膜に覆われていた肖像画は、厚い埃の膜を通して微かな影形を見せていたが、少しずつ様相を表し始めた。
 ひんやりとした空気が一瞬の内に廊下を流れたかと思うと、冷風と温風の入り混じったような居心地の悪い微風が吹いてきた。絵を覆っていた厚い埃の膜がずれ落ちるようにして床に落ちた。やっと鎮まり始めていた埃の煙が再び廊下全体に充満した。
 充満していた埃の煙が鎮まっていくと同時に絵の実体が少しずつ姿を表し始めた。二階の廊下上で充満していた埃のほとんどが床に落ちた時、3枚の肖像画が煌々と明るくなったランプの灯に照らされて三人の顔をはっきりと映し出した。その三人の顔を見た瞬間、進治は思わず驚きの声をあげてしまった。鬼兵と猿吐死と足付尾のニヤリと笑っている顔であった。
 三枚の絵の先には扉を挟んで、大きな鏡が掛かっていた。その鏡は黄金色の額縁に収められており、ランプの光に照らされて、眩しく輝いていた。
 鏡の前に立った時、鏡ではなくガラスの表面カバーの額縁に収められた絵であると思った。というのはその鏡と思われたものの正面に立っている進治が映ってなかったからである。玄関の扉の上の壁の部分を写実したものであると思った。しかし絵ではなかった。玄関扉の上の壁に張り付いていた厚い埃のずれ落ちていくのを映していたのだ。鏡であることは確かであると思うしかなかった。しかしそこには進治は映っていなかった。玄関扉の方を見ると確かに扉の上の壁の部分を映していた。扉の上の壁に張り付いていた厚い埃の膜がまさに下に向かってずれ落ちているところであった。鏡はその映像をまさに映していたのであった。進治は自分の手足から胴まで、鏡を使わずに見られる自分の身体の部分を見た。確かに眼で直接見えるが、鏡には映っていない。
 進治は今自分が体験していることを考えようにも、ちょっと考えようとしただけでも、身震いした。今自分の目の前にある鏡は進治だけを映していなかったのである。しかし、進治以外のものは、全く普通の鏡と同じように映していたのである。
 そのことを除けばかなり高価な鏡であることは間違いなさそうであった。鏡を壁から取り外そうと両手をかけた瞬間、進治の全身が雷に撃たれたかのように痺れを感じた。

「もう出てきたみたいだよ。早すぎないか」
 玄関の扉が開くと同時に、人影が見えた。玄関の方をじっと見つめながら鬼兵が呟いた。猿吐死と足付尾は何も言わずに鬼兵が見ている方を見ていた。玄関から門扉に近づくにつれて、人影が進治であることが明らかになってきた。鬼兵の近くまで来た時、鬼兵は異変に気がついた。進治の眼が暗闇の中で少しずつ輝き始めたのである。一瞬躊躇ったが、鬼兵は口を開いた。
「どういうことだい。俺達をなめてるのか。何も持ってこないで。どうりで早いと思ったよ」
 鬼兵が進治の胸倉を掴もうと右手をのばした瞬間、進治の眼が強烈に輝き同時に体全体が輝いて、周囲が明るくなった。鬼兵の身体が数メートルくらいの高さまで浮き上がった。鬼平は進治の身体が輝いている間、宙に浮いていた。進治の身体の輝きが消えて、再び暗闇が訪れた時、宙に浮かんでいた鬼平は地面に鈍い音を立てて落ちた。何度か躓きよろめいた後立ち上がってやっと姿勢を保ったが、急に体全体が震えだした。進治を一瞥した後、鬼平は逃げるようにしてその場を立ち去っていった。呆然としてその場に立ち尽くしていた猿吐死と足付尾は、鬼平の後を追うようにしてその場を立ち去って行った。
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