上 下
2 / 4

その2

しおりを挟む
 ふと、覚醒したのは、きしっきしっという小さな足音を聞いた気がしたからだ。
 慣れない枕のせいか、首が痛い。ゆっくり目を開け身体を起こし、私は耳を澄ませた。外の雨風はいよいよ強く、雨戸ががたがたと大きな音を立てて揺れている。その音にかき消され、小さな足音はもう聞こえなかった。むしろ、先程のそれは、聞き間違いだったのかもしれないと考えた。

 今は何時ころなのだろう。雨戸がぴったりしまったこの部屋では、外の光は入ってこない。この雨風では、そもそも太陽は出ていないかもしれない。しかし、喉の渇きや腹具合からして、まだ夜は明けてないような気がした。

 もう一度、高すぎる枕に横向きに頭をあずけ、目をつぶろうとして――きしりとかすかな音を聞いた。聞き間違い、ではないようだ。

 そっと布団を抜け出して、襖を開ける。廊下の角を、橙色の灯りがすうっと曲がっていくのが見えた。灯りは遠ざかり、廊下には暗闇が満ちる。
 
 お鷹か、弓香か。あちらは玄関の方で、厠は逆側だ。となると、なにか用事があって、外にものを取りに行くとか?
 外の雨風の強さを考えると、それは危険だし、重労働に思えた。ここは、男の私が出るべきではないだろうか。恩を返したいという気持ちもある。
 
 寝間着にと借りた浴衣の前を直しながら、部屋を出て、私は灯りを追いかけた。
 
「ですから、反対いたしましたのに」

 厳しいお鷹の声が聞こえ、私ははっと足を止めた。角の向こうに、人の気配があった。揉め事のにおいに、私はその場で壁に張り付くようにして、静かにした。
 続いて聞こえたのは、苦笑まじりの弓香の声だ。
 
「そうは言ってもね、お鷹。放り出してしまえば、あの人はこの嵐の中、凍え死んでいたかもしれないのよ。私がお慰めすればよいだけだから、そんなことを言わないで。あの人は悪くないわ」
「軽く考えてはいけませんよ。ああいう輩を不用意に神域に近づけて、逆鱗に触れれば、この地はまた土砂に埋もれることになるのです。そうなれば、何人が死ぬか。やはり、あの旅人は放り出すべきでした」
「もう遅いわ」
「いえ、遅くはありません。今、あの部屋で呑気に寝息を立てているあの男の首を差し出せば、もしかしたら」

 物騒な話が聞こえてきて、私は息を飲んだ。
 ここに訪れ、玄関でお鷹の返答を待つ間に振り返って見た、あの地面に落ちた白い縄の存在を突然思い出す。もしかしたら、ここは踏み込んではいけない場所だったのではないだろうか。……おそらくは、そうなのだろう。

「お鷹、およしなさい」
 
 ぴしゃんと、老女の言葉を遮り嗜めたのは、弓香だ。
 しばらく緊張した沈黙が続いていたが、やがて足音が再び聞こえだし、玄関の開閉音が聞こえた。そろりと顔を出した私は、廊下の先に誰もいないことを確認し、安堵の息をついた。
 
 どうするべきなのだろう。このままここにいるのは危険なのではないだろうか。
 弓香はともかく、お鷹にとって私は招かれざる客でしかない。しかも、お鷹は私の首を――あれはただの物騒な比喩であるという可能性を考えたいが、楽観視していいものなのだろうか。
 
 身の危険を不安に思うと同時に、弓香が心配でもあった。善意で私を助けてくれた彼女が、なにかしら負担を強いられていることは確かだ。謝罪して済むことであればいいが。あるいは、私がなにかすれば彼女の負担が軽くなるのであれば、ぜひそうしたい。
 たとえば、早急にここを出ていくとか。
 もちろん、この嵐の中峠を下るのは自殺行為だとしても、……なにかほかに方法はあるかもしれない。
 
 私は玄関の戸を少しだけ開け、そろりと外を見た。大風、大雨。夜も明けてない。家の外壁に沿って、ゆっくり動く灯りが視認できた。きっと弓香とお鷹だ。裏に回るらしい。
 この嵐の中、外へ行くということは、それが急ぎで後回しにできない用だということにほかならない。弓香の言っていた「お慰めする」ということに関係があるのではないだろうか。彼女は巫女かなにかで、神事でも行うのかもしれない。
 
 雨風から目を庇うため、顔の前に手を掲げ、私は灯りを追いかけた。
 
 大きな屋敷を回り込んでたどり着いた裏庭には、紫陽花が咲き乱れていた。淡く咲いたまるい花がゆさゆさと風に揺られている。灯りが、そのなかを突っ切って行く。ぼんやり照らしだされた弓香の姿が遠目に見えた。雨のせいではっきりはしないが、彼女は顔を合わせたときと違って、真っ白な着物に着替えていた。その後ろを小柄なお鷹が続く。風に吹かれた紫陽花が、まるで弓香に向かってお辞儀するように、あるいは手招きするように揺れている。
 
 彼女たちは、紫陽花の向こうにある、山の斜面に開いた洞穴に消えた。あまり大きな穴ではない。人ふたり、並んで通れるかどうかというところだ。穴の上には、雨水で湿って周囲の泥を吸った、しめ縄らしきものがぶら下がっている。
 
 灯りが見えなくなったのを確認し、私も後を追いかけた。体中を打ち据える雨風から逃れるようにして。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

1分で読める!ビックリもゾクっも味わえるショートショートシリーズ

安恒 亮
ホラー
ゾクっもあり、ちょっとびっくりな風刺的なオチあり、奇抜なショートショート集です。思いつき次第更新していきます。(少しでもいいなと思っていただければ、お気に入り登録.感想お願いします。)

同窓会

sgru3
ホラー
初めての方もそうでない方も、改めまして「sgru3」です。 今作品「同窓会」は「自己紹介作品」として、数々のサイトにて掲載歴がある作品です。 「いじめ」をテーマとした短編のホラー作品です。 もう15年は内容をほとんど変えていない作品ですが、自己紹介作品として今でも愛用している作品です。 拙い部分も当時のままですが、よければ一読してみてください。 ※この作品はフィクションであり、登場する人物名・団体名は全て架空のものです。

ツギハギドール

広茂実理
ホラー
※グロ系統描写あります。苦手な方はご注意を 憧れてやまない同級生の死―― 目の前で大事な友人を失った少女、斉藤初は、希望のない日々を過ごしていた。 彼女の心の拠り所はたった一つ……可愛らしい姿のプリンセスドールで。そのドールは、失われた同級生にそっくりだった。 そんなある日、友人の死に関わった人物が、無残な姿で命を落とす。一見事故かと思われた遺体のそばには、謎のドールが発見され、世間では亡くなった少女の呪いとして騒がれる始末。 命を落として尚も引き合いに出され、侮辱されるのか――我慢がならなかった斉藤初は、独自に事件を調査することを決意するが―― 事故か自殺か他殺か。ドールの目撃情報とはいったい。本当に呪いが存在するのか。 ミステリーxサイコxサスペンスxホラーストーリー。

「釘」

いちどめし
ホラー
週末に語られる、ある呪いの話。 あなたは大丈夫ですか?

ぐちょべちょラ/惨酷の定義

握夢(グーム)
ホラー
意識が戻った時に記憶が無かった。動けない。目も見えない。 ただいえることは、おれは、……喰われていた!? なぜこんなことになったのか。―――そしておれは一体何者なんだ!? 15分で読める、ミステリーテイストの強い、怖さ&残酷描写が軽めのライトホラーです。

人形撃

雪水
ホラー
人形って怖いよね。 珈琲の匂いのする思い出が最近行き詰まり気味なので息抜きで書きます

満月の姫と狐

サクラ
ホラー
満月の日に出会う陰陽師の女の子と美しい狐の少年、二人の運命は!女の子は!悪いあやかしを払うけれど!強いあやかしを払うことになり!重症をおうけがは治って再び挑戦するがこんどは狐の少年に助けられる!

吸収

玉城真紀
ホラー
この世には説明がつかない事が沢山ある。その中の一つ「胎児」に焦点を当ててみよう。

処理中です...