月のない夜 終わらないダンスを

薊野ざわり

文字の大きさ
上 下
25 / 34

#24

しおりを挟む
 目蓋を軽く持ち上げたら、白っぽい天井に明かりが灯っていた。喉がからからで、体が重い。頭痛と目眩がひどい。

「ああ、起きたのか」

 まどろんでいるとドアが開いて、聞き覚えのある声がした。レオだ。
 上半身を起こすのをレオが手伝ってくれる。
 見覚えのない、小さな部屋だ。あるのは、古いタンスと、机と椅子、装飾品のたぐいは出窓に置かれたガラスが曇った花瓶とそのなかの野花だけ。

「ここは?」
「女子寄宿舎だ」

 レースのカーテンの向こうに、ほとんど糸のような月が見えた。まだ、夜だ。わたしの視線に気づいたのだろう。水を注いだコップをレオが差し出してくれる。

「お前、丸一日眠っていたぞ。何度か便所には行ったんだが、覚えてないか」

 長い夢を見ていた気がする。古くて、映画のような現実感がない夢。なのに、「彼」に自分がよく同調する夢。

 そこでわたしは気づいた。夢のストーリーは全て覚えているというのに、なぜか彼の顔が思い出せない。

「私は今から行くところがある。ここには結界もあるし、お前はゆっくり休め」
「どこへ? 昨日、あれからどうなったの?」

 レオが視線を逸らした。
 いまいち記憶がはっきりしない。天井から床に落ちたときまではぼんやり覚えているのだが。
 はっとして、手で自分の腹をまさぐった。無傷。たしかに、あの天使に二箇所も刺されたはずなのに。

「アルホフだ。お前の怪我の箇所を共有して、それを引き受けたんだろう」
「そんなテクニックもあるの。……ということは、お腹の一部がユリアンのものなの? ちょっとぞっとしないわ」

 見た目には、とくに変化はない。
 だが、ユリアンの一部が体内にある。だからあの夢を――?

「どうした、難しい顔して」
「レオ、紙とペンはない?」

 差し出されたメモ帳に、ボールペンで文字を書きつづった。

「これ、誰か知っている?」
「Luther(ルター)? 知り合いか?」
「ううん、ちょっと」

 ルター。学校の歴史授業でその名前を聞いていた。堕落した教会に抗議書をたたきつけた人。大学の教授だったかしら。
 ロレンツォの著書にも幾度か出てきた。彼のおかげで客観的な信仰から主観的な信仰への民衆意識の移行がなされた。堕落した教会を捨て、内なる確かな信仰こそが求められる時代を切り開いたのだ。

 夢の中の「彼」は、ルターとの対談を心待ちにしていた。長年煩悶していた心中の影との戦いに、光明をもたらしてくれると信じて。

「……レオってさ、ユリアンを倒したらどうするの?」

 着替えているレオに問いかけると、彼は虚を突かれたようにぽかんとした。

「どうって……。あまり考えたことはなかったな。どうした、イノリ」
「永遠に生きていたいとか思う?」
「いや。そう積極的な執着はないな」
「じゃあ、狭間の者と同化しちゃう?」
「それはごめんだな。できれば、この体をマルツィアとして土に還してやりたい」

 レオの口調はしみじみしていて、穏やかだったが、強い気持ちが感じられた。もしかして、マルツィアは、レオにとって大事な人だったんじゃないだろうか。

「……そっか」
「イノリ? どうした」

 レオは心配げにわたしの顔を覗き込んできた。何を言い出すのだという顔だ。無理もない。わたし自身、何故こんなことを口走っているのか、よくわからない。けれど、口は止まらない。

「わたし、狭間の者と同化して、自分の存在がなくなっちゃうって聞いて、すごくそれが嫌だった。きちんと自分として死にたいって。でも、それって死にたいっていうんじゃなくて、存在がなくなることが嫌だっていう意味で――存在しなくなるって、どういうことだろうって思って」
「……すまん、よくわからないのだが」

 レオは真面目な顔で首をかしげている。
 一方わたしは、パズルのピースがはまっていく手ごたえを感じていた。あの夢はヒントだ。わたしは話しながら、答えを整理している。

「生きているから、ただこの物質界にあるから、存在しているってことになるのかな。誰も知らない、誰にも関わらずに生きていたら、存在しないと同じなんじゃないかな」
「まだ具合悪いようだ。少し休め」

 掛け布団を引き上げようとするレオの腕を手で止めて、わたしは床に降りた。

「大丈夫。ユリアンの宿題が終わったのよ。それだけ。それで、ユリアンはどこへ?」
「知らん。おそらくどこかへ潜伏しているのだろう。あいつらが今日は静かだ」

 たしかに、明日は新月だというのに、静かだった。
 着替えながら昨日の顛末を聞くと、玉突き事故は死亡したドライバーの余所見が原因ということにされそうだとか。他に説明しようがないだろう。怪物を見たなんて言えば、医者を薦められる。周囲の人の怪物を見たという証言は、火災と凄惨な事故で起きた集団ヒステリー、そしてその幻影だという見解にまとまりそうだとか。

 遺体安置所の方は、遺体泥棒の犯人グループと警官が激しく争い、警官側に死人が出たが犯人は依然逃走中とのこと。
 現場の状態を見れば、そんな普通の銃撃戦でできるような破壊の痕ではないとわかろうものだが、さすがのサングエの警察とはいえ、化け物に襲われましたと報告したら、トップを含めて全員の首がすげ替えられかねないと思ったのかもしれない。……隠蔽体質だな。

「そういえば、クラウディオは?」

 何気なく問うと、ジャケットに袖を通していたレオの肩が揺れた。

「レオ?」

 レオは沈鬱な顔で、わたしに上着を放ると言った。

「彼は――」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママが呼んでいる

杏樹まじゅ
ホラー
鐘が鳴る。夜が来る。──ママが彼らを呼んでいる。 京都の大学に通う九条マコト(くじょうまこと)と恋人の新田ヒナ(あらたひな)は或る日、所属するオカルトサークルの仲間と、島根にあるという小さな寒村、真理弥村(まりやむら)に向かう。隠れキリシタンの末裔が暮らすというその村には百年前まで、教会に人身御供を捧げていたという伝承があるのだった。その時、教会の鐘が大きな音を立てて鳴り響く。そして二人は目撃する。彼らを待ち受ける、村の「夜」の姿を──。

菅原龍馬の怖い話

菅原龍馬
ホラー
これは、私が実際に体験した話しと、知人から聞いた怖い話である。

ガマンできない小鶴は今日も甘くとろける蜜を吸う

松ノ木るな
ホラー
遠き日に、小国の主の末姫・小鶴は何者かにかどわかされ、変わり果てた姿となって発見された。 付きの者・次郎がその墓前で、自分が目を離したばかりにと悔むさなかに、視界に飛び込んできたのは、墓に巻きつく白い蛇、そして、水をついばむ優美な白鶴。 再びこの世に生を受けた次郎──雪路は、前身が小鶴であった令嬢、里梨と再会を果たす。 愛くるしい姿かたちで現世に還り来たこの里梨嬢は、白きものに授けられた強大な力を携えていた。 それはきっと彼女自身の魂を慰めるために──そう信じ、雪路は彼女の手となり足となり 心を込めて日々仕えている。 今日も彼女は不可思議な力で“獲物”を探し当てたと言いだして──……

鎌倉呪具師の回収録~使霊の箱~

平本りこ
ホラー
――恐ろしきは怨霊か、それとも。 土蔵珠子はある日突然、婚約者と勤め先、住んでいた家を同時に失った。 六年前、母に先立たれた珠子にとって、二度目の大きな裏切りだった。 けれど、悲嘆にくれてばかりもいられない。珠子には頼れる親戚もいないのだ。 住む場所だけはどうにかしなければと思うが、職も保証人もないので物件探しは難航し、なんとか借りることのできたのは、鎌倉にあるおんぼろアパートだ。 いわくつき物件のご多分に漏れず、入居初日の晩、稲光が差し込む窓越しに、珠子は恐ろしいものを見てしまう。 それは、古風な小袖を纏い焼けただれた女性の姿であった。 時を同じくして、呪具師一族の末裔である大江間諭が珠子の部屋の隣に越して来る。 呪具とは、鎌倉時代から続く大江間という一族が神秘の力を織り合わせて作り出した、超常現象を引き起こす道具のことである。 諭は日本中に散らばってしまった危険な呪具を回収するため、怨霊の気配が漂うおんぼろアパートにやってきたのだった。 ひょんなことから、霊を成仏させるために強力することになった珠子と諭。やがて、珠子には、残留思念を読む異能があることがわかる。けれどそれは生まれつきのものではなく、どうやら珠子は後天的に、生身の「呪具」になってしまったようなのだ。 さらに、諭が追っている呪具には珠子の母親の死と関連があることがわかってきて……。 ※毎日17:40更新 最終章は3月29日に4エピソード同時更新です

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

File■■ 【厳選■ch怖い話】むしごさまをよぶ  

雨音
ホラー
むしごさま。 それは■■の■■。 蟲にくわれないように ※ちゃんねる知識は曖昧あやふやなものです。ご容赦くださいませ。

はる、うららかに

木曜日午前
ホラー
どうかお願いします。もう私にはわからないのです。 誰か助けてください。 悲痛な叫びと共に並べられたのは、筆者である高宮雪乃の手記と、いくつかの資料。 彼女の生まれ故郷である二鹿村と、彼女の同窓たちについて。 『同級生が投稿した画像』 『赤の他人のつぶやき』 『雑誌のインタビュー』 様々に残された資料の数々は全て、筆者の曖昧な中学生時代の記憶へと繋がっていく。 眩しい春の光に包まれた世界に立つ、思い出せない『誰か』。 すべてが絡み合い、高宮を故郷へと導いていく。 春が訪れ散りゆく桜の下、辿り着いた先は――。 「またね」 春は麗らかに訪れ、この恐怖は大きく花咲く。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

処理中です...