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休眠を訴える目蓋を懸命に持ち上げて、眼前の金髪男を睨んだ。ユリアンはシャワーを浴びて満足したようで、ソファに寝そべって爪を切っている。
「それで」
「それで?」
「説明もしないつもり? あの女の人はいったい何なの、いきなり刃物振り回すなんて。正気の沙汰じゃないわ」
「ああ、あいつ。オレのストーカー。もう九百年もオレのケツを追い回している」
「どうせあなたが彼女を怒らせるようなことしたんでしょ、騙したりとか、口では言えないような卑劣な真似を」
冷たい視線をユリアンに送った。
「失礼だなあんた」
「正直に教えて、あなた彼女に何したの?」
「彼女? ……ああそういうこと。あいつ男だぜ」
「……元男性? 心が女性だったの?」
「大事なイチモツは無くしちまったようだが男だ。精神はな。あいつは今までああして、何度も他人の体を乗っ取ってオレに食らいついてきた。前に散々痛めつけてやったから、再起不能になった器を取り替えたんだろ。総とっかえだと感覚が馴染むのに時間が掛かるからな。今日のぬるい攻め手はそのせいだろ」
「そんなこと出来るの」
片方の口の端をあげて、ユリアンが肯じた。
「ちょっと待って。頭痛いわ。どういうこと? あの人が狭間の者だってことはわかる。でも、器を取り替えるって?」
「別の人間と同化するんだよ。肉体は自分のを捨てて、相手のを採用し、逆に自我は手放さない。つまり、相手の意識を食っちまうってことだ。狭間の者が対の者にしようとすることを、対象を代えてやるだけだ」
「それって、その人の精神を殺すってことじゃない」
「まさにその通り」
「……信じられない。殺人と同じじゃない。そうまでしてあなたを追う理由って」
「使命感」
「理解できないわ。あなたが今までで会った十三人生き残りの一人が彼? ワケアリの、今も生き残っているただ一人?」
「あいつは神に誓ってオレを取り逃すことは出来ないんだよ。そのために何回も器を換えて追いすがる。
オレは、数少ないお仲間を消しちまうのも忍びないから、適当に相手して泳がせてるんだ」
狭間の者は肉体的ダメージに強い。部位を失ったり、即死するような怪我でもなければ、ダメージを受ける瞬間に共有状態になって境界を消し、体の組織の破壊される部分をある程度減らすことができる。
破壊された箇所も、回復力を上回らなければ、いずれは回復していく。
だが行動不能になったり致命傷を負うことだってある。そのとき、他者と同化するのだ。動かない自分の体は脱ぎ捨てて。
ユリアンはそう語った。
背筋が寒くなった。自分の体を簡単に、服のように脱ぎ捨てられるのか。同化する相手の心を食らいつくすのはどういう気分なんだろう。共有しているときは、相手の記憶や考えもシェアできる。快楽殺人者でもなければ、その重荷に耐えられるとは思えない。罪悪感で死んでしまう。
狭間の者はそういう存在なのか。自分と他者との境目が、そしてそれに対する執着が希薄になっていく。精神的にも境界が曖昧になってしまうもの? そうでなければ、そんなことできはしない。
それだけじゃない。美女の瞳にあった赤い輪。
器を換えても印は残るのだろう。永遠について回る呪いの刻印。どうしたらこの印を消せるのだろう。狭間の者という運命から。
「さて、明日はゆっくりローマ観光と行くか。ソファ借りるぞ」
ユリアンはブランケットを被って頭の後ろで手を組んだ。
「……どした?」
反応がないのが心配になったか。彼は腹筋の力だけで上半身を起こし、テーブルを挟んで座っているわたしの顔をのぞき込んできた。
わたしの目の前にヘーゼルの瞳があり、中性的な美しい顔があった。
(この顔も別の誰かのものだったの?)
肯定されるのが怖い。
首を傾げるユリアンから目を逸らして、ベッドにもぐりこんだ。
腹の立つことに、わたしが息を殺している間に、ソファのほうから豪快ないびきが聞こえてきた。うるさくて、眠れやしない。
しかたなく開いたチャンの本は、ちょうど佳境で、これから主人公がオルレアンの乙女の処刑の場に向かうところだった。
チャンならではの静かなモノローグが哀愁を誘う。
戦に駆り立てられた、神の声を聞く聖なる乙女を軸に成り立っているお話で、主人公は政治を行う立場にある慎重な男だ。
乙女の犠牲を政治の駆け引きに利用しなければならない自分を嘆き、そうしていながら十分すぎるほど己の役割を理解している男の話。
常なら涙を流し、夢中になってつづられた文字を目で追うだろうに、今晩に限ってはそうならなかった。
指でページをぱらぱらとめくっては、物思いに沈み――そうしているうちにいつの間にか、眠り込んでしまった。
◆
翌朝、起きると既にユリアンの姿はなかった。なにか一言くらい残せばいいのに。
憮然としたまま、身支度を整え、廊下に出た。クラウディオの部屋は右隣だ。左隣の部屋の前には、警官の姿があった。ユリアンを張っているんだろう。
ノックしてしばらく待ったが、返事がない。クラウディオは低血圧なので、朝に弱い。朝食をとも思ったが、せっかくの休日なのだし、ゆっくり眠ったほうがいいだろう。
(散歩でもしよう……)
仕方なく、空きっ腹を抱えてホテルを後にした。
◆
よく晴れて、散歩にはもってこいの天気だった。昨日の騒ぎのせいで警官がうろうろしているのが、視界の端っこにちらちらするけど、気がつかないふりをしてその横を通り過ぎる。
スペイン広場に出ると、朝だからか、まだほとんどのお店が閉まっていた。
ちょっと古い外装のショーウィンドウの前を通過して、公園を目指す。
たどり着いた公園には、わたしと同じように散歩を楽しむ老人や、ジョギングをしている人、ベンチで眠っている人など思っていたよりにぎわっていた。
緑鮮やかな木立の下を歩けば、ゆったりとした時間に心が洗われる。
小さい頃は、よくこんな道をお父さんと歩いたっけ。
懐かしさと同時に、胸を刺すものがある。あわてて、お父さんの面影を記憶の隅に追いやった。あの事件からずっと、思い出すと胸がつぶれそうになるから、極力両親のことは思い出さないようにしていた。
それなのに、ふとしたはずみに思い出してしまう。
空を仰ぐと、夏の太陽が燦々と光を降り注いでいる。
わたしは、同じローマの空の下に、つい数ヶ月前まで住んでいた。それがとても遠い昔のことのように思えるのはどうしてだろう。
ふと、視線を感じ、立ち止まった。目だけでそちらを見る。
同じくらいの歳の女の子が、びっくりした顔でこちらを見ている。明るい茶色の髪の毛に、それよりも更に明るい茶色の目。すらっとした手足に、つんとした鼻先。
髪型が変わっていたものの、同学級にいた子だと、すぐにわかった。
化け物でも見たような目でわたしを見ていた彼女は、凍りついたように動かない。わたしも、金縛りにあったように、動けないでいた。
じっと見つめ合っていたのが、どのくらいの時間だったか、わからない。
女の子の後ろから追いかけてきた、姉らしき少し年上の女性が声をかけ、彼女ははっとなって踵を返した。
言葉を交わすことなく、邂逅は終わった。
わたしのこと、覚えていたんだ。なんとも言えない気持ちになって、大きくため息をつく。
あのクラスには、わたしのことを覚えている人なんか、いやしないだろうと思っていた。きっと、ニュースでわたしの両親が殺されたことを知って、ようやくわたしのことを認識したんだろうと思う。
そのくらい、わたしは学校で存在感のない人間だった。
全てのクラスメイトと、今この公園で行き交う人達と同じような距離感を保っていた。
イタリアに移住して以来、友達が何年も、ひとりもいないわたしを心配して、両親はいろいろな場所に連れて行ってくれた。
『イノリがいつも一緒に行ってくれるから楽しくていいわ。パパと二人じゃ息が詰まるもの』
お母さんはそう言ってくれていたけれど、本当は一人ぼっちなわたしを、なんとかして積極的・社交的にしようと頑張っていたんだと思う。
それに真の意味では応えられず、申し訳なかったな。
『イノリは静かだからね、きっとみんなあなたの素敵なところに、まだ気づいてないだけなの』
単純に、わたしがみんなに合わせるのが辛くて、ついていけなかっただけなのに、……一緒に暮らしていたんだから、わたしがそういう子なんだって気づいていただろうに、お母さんもお父さんも、もっとちゃんと友達を作りなさいだなんて、押し付けたりはしなかった。頭ごなしに否定したり、無理なアドヴァイスもなかった。
それが余計に辛くて、――カーニバルの日は、このまま仮面に紛れて消えちゃおうかなと思ったんだ。
わたしなんて、いてもいなくても変わらない。誰もわたしのこと、気づいてない。いないものとして扱っている。仮面をつけて、仮面の人たちの群れに紛れて消えちゃえば、唯一わたしを知っている両親たちだって、見失うにちがいない。
そうしてすっと消えちゃえば――。
(ああ、そんなふうに思っていたから、わたし、だったのね)
ダリオの言葉を引き金に、疑問に思っていたことの結論が出た。
どうして、わたしが? だから、わたしが。
消えるのは、わたしでよかったのに、どうしてお父さんとお母さんが。優しさと気遣いを重荷に感じることはあったが、大好きな両親だった。
目をぎゅっとつぶって、押し寄せる感情の波をどうにかやりすごす。
まぶたの裏に、両親の笑顔が浮かんで、ぐんにゃり歪んだ。涙とともに溢れてきたのは、理不尽さに対する悲しみと怒りだ。
だいたい、そもそもなんなのよ。
ひとの両親を殺しただけでは飽き足らず、ずっとストーカー行為をしてくるし、ユリアンなんてわけのわからない迷惑男を呼び寄せるし、せっかくのローマ旅もそれをきっかけにぐちゃぐちゃにされるし。
うんざりだわ。たくさんだわ。もういい加減にして。
ポケットに突っ込んでいたスマートフォンが振動した。クラウディオからの不在着信だ。
コールバックして、呼び出し音を聞きながら踵を返した。眦の涙は、ぐいっと袖口で拭う。
ホテルに帰って、ご飯を食べて、サングエに帰ったら少し休んでルーチェで働く。代わり映えのない毎日を、クラウディオと過ごして、年老いてそのうち死ぬ。
別に友達がいなくたって、裕福な生活ができなくたっていい。わたしは両親が大事にしてくれたわたしの人生を、噛み締めながら全うしたいだけ。
邪魔される筋合いはないし、邪魔するなら全力で抵抗してやる。
「もしもし、クラウディオ? おはよう」
朝の澄んだ風が、ざっと木立を揺らした。わたしの声は、きっといつもより明るい。
「それで」
「それで?」
「説明もしないつもり? あの女の人はいったい何なの、いきなり刃物振り回すなんて。正気の沙汰じゃないわ」
「ああ、あいつ。オレのストーカー。もう九百年もオレのケツを追い回している」
「どうせあなたが彼女を怒らせるようなことしたんでしょ、騙したりとか、口では言えないような卑劣な真似を」
冷たい視線をユリアンに送った。
「失礼だなあんた」
「正直に教えて、あなた彼女に何したの?」
「彼女? ……ああそういうこと。あいつ男だぜ」
「……元男性? 心が女性だったの?」
「大事なイチモツは無くしちまったようだが男だ。精神はな。あいつは今までああして、何度も他人の体を乗っ取ってオレに食らいついてきた。前に散々痛めつけてやったから、再起不能になった器を取り替えたんだろ。総とっかえだと感覚が馴染むのに時間が掛かるからな。今日のぬるい攻め手はそのせいだろ」
「そんなこと出来るの」
片方の口の端をあげて、ユリアンが肯じた。
「ちょっと待って。頭痛いわ。どういうこと? あの人が狭間の者だってことはわかる。でも、器を取り替えるって?」
「別の人間と同化するんだよ。肉体は自分のを捨てて、相手のを採用し、逆に自我は手放さない。つまり、相手の意識を食っちまうってことだ。狭間の者が対の者にしようとすることを、対象を代えてやるだけだ」
「それって、その人の精神を殺すってことじゃない」
「まさにその通り」
「……信じられない。殺人と同じじゃない。そうまでしてあなたを追う理由って」
「使命感」
「理解できないわ。あなたが今までで会った十三人生き残りの一人が彼? ワケアリの、今も生き残っているただ一人?」
「あいつは神に誓ってオレを取り逃すことは出来ないんだよ。そのために何回も器を換えて追いすがる。
オレは、数少ないお仲間を消しちまうのも忍びないから、適当に相手して泳がせてるんだ」
狭間の者は肉体的ダメージに強い。部位を失ったり、即死するような怪我でもなければ、ダメージを受ける瞬間に共有状態になって境界を消し、体の組織の破壊される部分をある程度減らすことができる。
破壊された箇所も、回復力を上回らなければ、いずれは回復していく。
だが行動不能になったり致命傷を負うことだってある。そのとき、他者と同化するのだ。動かない自分の体は脱ぎ捨てて。
ユリアンはそう語った。
背筋が寒くなった。自分の体を簡単に、服のように脱ぎ捨てられるのか。同化する相手の心を食らいつくすのはどういう気分なんだろう。共有しているときは、相手の記憶や考えもシェアできる。快楽殺人者でもなければ、その重荷に耐えられるとは思えない。罪悪感で死んでしまう。
狭間の者はそういう存在なのか。自分と他者との境目が、そしてそれに対する執着が希薄になっていく。精神的にも境界が曖昧になってしまうもの? そうでなければ、そんなことできはしない。
それだけじゃない。美女の瞳にあった赤い輪。
器を換えても印は残るのだろう。永遠について回る呪いの刻印。どうしたらこの印を消せるのだろう。狭間の者という運命から。
「さて、明日はゆっくりローマ観光と行くか。ソファ借りるぞ」
ユリアンはブランケットを被って頭の後ろで手を組んだ。
「……どした?」
反応がないのが心配になったか。彼は腹筋の力だけで上半身を起こし、テーブルを挟んで座っているわたしの顔をのぞき込んできた。
わたしの目の前にヘーゼルの瞳があり、中性的な美しい顔があった。
(この顔も別の誰かのものだったの?)
肯定されるのが怖い。
首を傾げるユリアンから目を逸らして、ベッドにもぐりこんだ。
腹の立つことに、わたしが息を殺している間に、ソファのほうから豪快ないびきが聞こえてきた。うるさくて、眠れやしない。
しかたなく開いたチャンの本は、ちょうど佳境で、これから主人公がオルレアンの乙女の処刑の場に向かうところだった。
チャンならではの静かなモノローグが哀愁を誘う。
戦に駆り立てられた、神の声を聞く聖なる乙女を軸に成り立っているお話で、主人公は政治を行う立場にある慎重な男だ。
乙女の犠牲を政治の駆け引きに利用しなければならない自分を嘆き、そうしていながら十分すぎるほど己の役割を理解している男の話。
常なら涙を流し、夢中になってつづられた文字を目で追うだろうに、今晩に限ってはそうならなかった。
指でページをぱらぱらとめくっては、物思いに沈み――そうしているうちにいつの間にか、眠り込んでしまった。
◆
翌朝、起きると既にユリアンの姿はなかった。なにか一言くらい残せばいいのに。
憮然としたまま、身支度を整え、廊下に出た。クラウディオの部屋は右隣だ。左隣の部屋の前には、警官の姿があった。ユリアンを張っているんだろう。
ノックしてしばらく待ったが、返事がない。クラウディオは低血圧なので、朝に弱い。朝食をとも思ったが、せっかくの休日なのだし、ゆっくり眠ったほうがいいだろう。
(散歩でもしよう……)
仕方なく、空きっ腹を抱えてホテルを後にした。
◆
よく晴れて、散歩にはもってこいの天気だった。昨日の騒ぎのせいで警官がうろうろしているのが、視界の端っこにちらちらするけど、気がつかないふりをしてその横を通り過ぎる。
スペイン広場に出ると、朝だからか、まだほとんどのお店が閉まっていた。
ちょっと古い外装のショーウィンドウの前を通過して、公園を目指す。
たどり着いた公園には、わたしと同じように散歩を楽しむ老人や、ジョギングをしている人、ベンチで眠っている人など思っていたよりにぎわっていた。
緑鮮やかな木立の下を歩けば、ゆったりとした時間に心が洗われる。
小さい頃は、よくこんな道をお父さんと歩いたっけ。
懐かしさと同時に、胸を刺すものがある。あわてて、お父さんの面影を記憶の隅に追いやった。あの事件からずっと、思い出すと胸がつぶれそうになるから、極力両親のことは思い出さないようにしていた。
それなのに、ふとしたはずみに思い出してしまう。
空を仰ぐと、夏の太陽が燦々と光を降り注いでいる。
わたしは、同じローマの空の下に、つい数ヶ月前まで住んでいた。それがとても遠い昔のことのように思えるのはどうしてだろう。
ふと、視線を感じ、立ち止まった。目だけでそちらを見る。
同じくらいの歳の女の子が、びっくりした顔でこちらを見ている。明るい茶色の髪の毛に、それよりも更に明るい茶色の目。すらっとした手足に、つんとした鼻先。
髪型が変わっていたものの、同学級にいた子だと、すぐにわかった。
化け物でも見たような目でわたしを見ていた彼女は、凍りついたように動かない。わたしも、金縛りにあったように、動けないでいた。
じっと見つめ合っていたのが、どのくらいの時間だったか、わからない。
女の子の後ろから追いかけてきた、姉らしき少し年上の女性が声をかけ、彼女ははっとなって踵を返した。
言葉を交わすことなく、邂逅は終わった。
わたしのこと、覚えていたんだ。なんとも言えない気持ちになって、大きくため息をつく。
あのクラスには、わたしのことを覚えている人なんか、いやしないだろうと思っていた。きっと、ニュースでわたしの両親が殺されたことを知って、ようやくわたしのことを認識したんだろうと思う。
そのくらい、わたしは学校で存在感のない人間だった。
全てのクラスメイトと、今この公園で行き交う人達と同じような距離感を保っていた。
イタリアに移住して以来、友達が何年も、ひとりもいないわたしを心配して、両親はいろいろな場所に連れて行ってくれた。
『イノリがいつも一緒に行ってくれるから楽しくていいわ。パパと二人じゃ息が詰まるもの』
お母さんはそう言ってくれていたけれど、本当は一人ぼっちなわたしを、なんとかして積極的・社交的にしようと頑張っていたんだと思う。
それに真の意味では応えられず、申し訳なかったな。
『イノリは静かだからね、きっとみんなあなたの素敵なところに、まだ気づいてないだけなの』
単純に、わたしがみんなに合わせるのが辛くて、ついていけなかっただけなのに、……一緒に暮らしていたんだから、わたしがそういう子なんだって気づいていただろうに、お母さんもお父さんも、もっとちゃんと友達を作りなさいだなんて、押し付けたりはしなかった。頭ごなしに否定したり、無理なアドヴァイスもなかった。
それが余計に辛くて、――カーニバルの日は、このまま仮面に紛れて消えちゃおうかなと思ったんだ。
わたしなんて、いてもいなくても変わらない。誰もわたしのこと、気づいてない。いないものとして扱っている。仮面をつけて、仮面の人たちの群れに紛れて消えちゃえば、唯一わたしを知っている両親たちだって、見失うにちがいない。
そうしてすっと消えちゃえば――。
(ああ、そんなふうに思っていたから、わたし、だったのね)
ダリオの言葉を引き金に、疑問に思っていたことの結論が出た。
どうして、わたしが? だから、わたしが。
消えるのは、わたしでよかったのに、どうしてお父さんとお母さんが。優しさと気遣いを重荷に感じることはあったが、大好きな両親だった。
目をぎゅっとつぶって、押し寄せる感情の波をどうにかやりすごす。
まぶたの裏に、両親の笑顔が浮かんで、ぐんにゃり歪んだ。涙とともに溢れてきたのは、理不尽さに対する悲しみと怒りだ。
だいたい、そもそもなんなのよ。
ひとの両親を殺しただけでは飽き足らず、ずっとストーカー行為をしてくるし、ユリアンなんてわけのわからない迷惑男を呼び寄せるし、せっかくのローマ旅もそれをきっかけにぐちゃぐちゃにされるし。
うんざりだわ。たくさんだわ。もういい加減にして。
ポケットに突っ込んでいたスマートフォンが振動した。クラウディオからの不在着信だ。
コールバックして、呼び出し音を聞きながら踵を返した。眦の涙は、ぐいっと袖口で拭う。
ホテルに帰って、ご飯を食べて、サングエに帰ったら少し休んでルーチェで働く。代わり映えのない毎日を、クラウディオと過ごして、年老いてそのうち死ぬ。
別に友達がいなくたって、裕福な生活ができなくたっていい。わたしは両親が大事にしてくれたわたしの人生を、噛み締めながら全うしたいだけ。
邪魔される筋合いはないし、邪魔するなら全力で抵抗してやる。
「もしもし、クラウディオ? おはよう」
朝の澄んだ風が、ざっと木立を揺らした。わたしの声は、きっといつもより明るい。
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