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 記者たちがさかんに焚くフラッシュから匿われると、すぐさま武装した警官達がわたしの周りを取り囲んだ。

 頭から被った毛布を胸の前で摘んで抑えているが、その手が馬鹿みたいに震えていた。ちっとも体が温まらない。

 不躾な問いも、好奇の目も、何もかもが、冷えた肌に刺さる。こんなに人に注目されたことなんて初めてで、どうしたらいいかわからない。保護されたと言われても、実際は警察が事件の重要参考人を逃さないように確保しただけ。胡散臭い東洋人の小娘に、親身になって話を聞いてくれる人はいなかったし、わたしもそれを望まなかった。

 誰か連絡できる人、と警察官に聞かれても、わたしには身よりもなければ友人もいない。

 そうして呆けていたわたしの前に、彼は現れた。
 刈り込んだ髪の毛の下で、猟犬みたいな引き締まった顔が、今は悲しげだった。
 昔、一度、母が仕事の関係で彼を家に招待したことがあったのを思い出す。名前は思い出せなかったが、その灰色の目は覚えている。
 彼は体を屈め込んで、視線を合わせたわたしの頭を、子供にするように軽く叩いた。

「君を助けたい」

 どう言ったらいいのだろう。
 気のきいた言葉は浮かばない。わかっているのは、今のちっぽけな言葉の方が、銃を持って周りを囲む警官達より何万倍も頼もしく感じられたという事だけ。
 優しく頬を撫でられると、二月の気温に凍っていた涙が融けだして、頬をぬらした。



「イノリ、起きるんだ。着いたぞ」

 肩を揺すられ、意識が急浮上する。
 目を瞬かせると、運転手に代金を支払っているクラウディオの姿があった。
 寝ぼけた目をこすりながら、車窓の外を見るといつもとは違う街並みが広がっていた。

(ああ、そうだローマに着いたんだっけ)

 荷物を受け取って、歩道に降り立つ。
 スペイン広場からタクシーで一時間ほどの、市街地。外観のそろった建物が道の左右に並んでいる。このあたりはまだお店やオフィスがあるけれど、あと少し歩けば住宅の方が多くなる。
 街をぐるり見回して、
「なんだかこざっぱり……」
 思わずそんな感想が口を突いて出た。路上にゴミと人があまり落ちていないことが衝撃。

「サングエに慣れるとそう感じるだろう? 俺も仕事でサングエから出ると、いつもそう感じるよ」

 持とうとしていたスーツケースをクラウディオがさっと持ち上げてくれる。代わりに小さなバッグを受け取り、歩き出す。
 道を行く女の子たちの華やかなファッション。舗装された綺麗な道。男の子達の洗練された仕草、老人達の神聖でゆるやかな時間。そんな、彩りに満ちた街が広がっていた。

 地図を見るのは片手の空いているわたしの当番だ。ばってん印のついた箇所を目指して、目印を確認しながら歩く。
 十分ほど入り組んだ隘路を進み、目当ての建物を発見した。ちょっと年輪を重ねてそうな、外壁に大理石をあしらったマンションだ。雨どいや窓の格子がアンティーク調で、エントランスのはめ殺しの窓にはステンドグラスで蝶と鹿が描かれている。

(家賃高そう……)

 有名なデザイナーが手を入れたり、歴史的な価値が有る建物は、古くても関係なく家賃が高い。古い方が高かったりする場合もある。このマンションは絶対それだ。
 一瞬気後れして、隣のクラウディオを見上げてしまう。クラウディオも耳を下げた犬のように困った顔でわたしを見た。いつまでもそうしてはいられないので、手の空いているわたしがドアベルを鳴らす。
 すると、ややあって品の良いおばあさんが顔を出した。玄関の格子戸越しにだけど。

「あの、すみません。クラウディオ・ロッシといいます。ダリオ・カヴァッリさんいらっしゃいますか。アポイントメントはとってあるんですが」

 おばあさんはわたしたちを矯めつ眇めつ、ばたんとドアを閉めた。
 たっぷり十分待って、再度ドアが開いた。
 コーヒー色の肌の男性が、満面の笑みで格子戸も開けてくれる。
 四十歳前後だろう。短い縮れ毛に、縁の太い眼鏡、真っ白なシャツ。彼は荷物で両手がふさがったクラウディオに無理矢理ハグをした。

「やあ、待ちくたびれたよ!」
「すみません、もうちょっと早く着く予定だったんですが、渋滞につかまってしまって」
「いいさ、気にしない。さあ、僕の部屋はこっちだよ」

 荷物をひったくるようにして、ダリオは踵を返した。
 高い吹き抜けの廊下の天井に、絵の天使が微笑んでいる。
 階段の手すりは優雅な曲線を描き、どこかのホテルのような様だ。
 急に自分の格好が気になった。絶対このマンションに合っていない。
 せめて、五センチヒールにするのだったと、ペタンコな自分の靴を睨んだ。

 ダリオの部屋は最上階の南の角部屋だった。多分、一番お値段が高い部屋だ。
 何したらこんなところに住めるのかしら。
 床一杯に敷き詰められた若草色のカーペットにはマンティコアが踊り、壁には様々な仮面が飾られている。仮面は西洋のものだけに留まらない。アフリカ系の派手で大きなものもあれば、日本の能面――たしか増髪だったかしら――まで勢ぞろいだ。
 どっしりした黒檀の机上には、左右の端にバリケードのような本の山が出来ている。
 背表紙の文字を読むと「仮面」「祭」「異界」「交信」などなどの単語がぼちぼち。うちの壁の幾何学模様の額と同じ威圧感がある。
 それらを横目で見ながら、手にじゃれ付くマラミュートの子犬をあやす。彼が、ダリオの唯一の同居人らしい。
 隣の部屋から、不明瞭な人の声が聞こえてくる。
 クラウディオたちが話しているのだ。あの日のことを。わたしはまた過呼吸を起こすといけないと途中で追い出されて子犬の相手を任された。いや、この場合、子犬がわたしの世話を任されたのかも。

 ダリオは民俗学の研究者だ。クラウディオが、奴ら――狭間の者たちのことを独力で調べているときに、彼の論文を読んで興味を引かれ、事情を話してアポイントをとった。
 彼には殆ど正直に、わたしたちの状態を伝えている。ダリオは笑い飛ばすどころか、むしろ真剣に話を聞いてくれた。
 そのことに驚きを感じもした。
 クラウディオからはじめにダリオのことを聞いたとき、正直なところ、彼を信用していいのか迷った。
 だって、客観的に見て、『狭間の者』だとか、化け物の話だとか、わたしの体の異変だとかは、到底、普通は理解できないような特殊な話なのだ。頭を打ったのかと気でもれたかと気味悪がられるか馬鹿にされるかどちらかだと思っていた。
 それが、わたしたちの状態に興味関心があり、なおかつ外部に公表しないで研究の資料にする代わり、自分の持つ情報も提供してくれるだなんて。

 いささか調子が良すぎるように感じもした。けれど、会ってみると、彼は実に気さくで誠実だった。最初に、不安がっていたわたしに、彼は、その条件をきちんと確認した上でクラウディオとの対話に入ったのだ。研究対象であるわたしたちに対して、誠意ある対応をしてくれた彼を信用したい。

 同じ研究者とはいえ、ユリアンのような自称研究者のちゃらんぽらんで強引な人を相手にするより、何倍も頼もしい。ユリアンの場合、強制的に記憶を読まれなかったら、きちんと話をしたかどうかもわからない。信用できるわけがないし。
 ただ、同じ境遇にあるということだけが、彼とわたしの接点になっている。

 子犬が腹を仰向けにして寝息を立て始めた。対話が始まって二時間。わたしも流石に待つのにも飽きてきた。もらったカフェラテもとっくに飲み干している。飲み物でも買ってこようか。
 腰を浮かしたとき、ドアが開いた。
 クラウディオが顔を出し手招きした。
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