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おまけのノルン視点 恋人の日 2

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 激痛に悲鳴を上げることもできない。そんな力は残っていない。
 だめだ、こりゃ死ぬな。妙にすっきりした頭で、自分に見切りをつける。

 視界がかすんできて、痛覚がぼんやりしてきて、……もうゆっくりしたいな、と隣を見たら、ちろちろ蛇の舌みたいな炎が舐める瓦礫から、腕が一本、突き出ていた。その指先には見覚えのある金の――。

 うそだろおい。火傷した喉はひいひい言うだけで、声にならない。
 ふわりと温かなものが体を包み込んで、ぼやけていた苦痛が鮮明になって戻ってくる。

『回復魔法をかけました! あなたはもう大丈夫ですよ、頑張って!』

 優しい声が俺の意識を引き戻す。そうじゃない、俺はいいから、あいつを――。



「お前、なにしてんの」
「うなされてるから、起こしてやろうかと思って。おはよう」

 俺の腹に座ったカメリアが、いつもの調子で片手を上げた。俺も片手を上げて返す。
 苦しいわけだよ。ぐっしょり背中に汗を掻いていて、不快極まりない。焦げた空気の臭いも鮮明に思い出せる。

 カメリアが退いたので、上半身を起こす。日焼けしたカーテンの向こうから差し込む朝日が目に刺さる。見慣れた自分の寝室だ。最近ちゃんと片付けてないから、雑然としている。

「ゆうべ、私の部屋に来るって言ってたから待ってたんだけど、来なかったから、死に様を確認にきたわけ。なにあんた、呑み過ぎて約束忘れた?」

 からかうように笑ったカメリアが、カーテンをざっと開けた。眩しさで、俺は顔をそむける。
 そうだった。今日は久々に休みがあうから朝から出かけるかという計画をたてていて、ゆうべは一緒に食事する予定だった。昇進のことで頭がいっぱいになって、失念していた。

「悪い。いろいろあって」
「いろいろってなに」
「……まあ、いろいろだ」

 カメリアが窓枠に寄りかかって首をかしげる。顎の高さで切りそろえたつややかな栗色の髪がさらりと揺れる。目尻の上がった若葉色の双眸が、見極めるようにかすかに細まった。白い耳たぶの珊瑚のついた耳飾り――俺が贈ったやつだ――が、ちり、と動く。今日は非番だから、機能性の低い、白く丈の長いシャツのようなワンピースを着ている。薄手の生地が、窓から差し込む朝日を通し、曲線を描く体の影が透けている。

 きれいだな。
 それ以上も以下もない、シンプルな感想が浮かぶ。抱きしめたくて腕を差し伸べたら「歯磨きしてきな、せめてうがい。寝起きとか、無理」と辛辣な言葉を投げかけられた。自分は酔っ払った酒臭い唇で遠慮なく吸い付いてくるくせに、ひでえ言い草だな。

 しかし、喉が痛むほどに乾燥していることに気づいて、俺は反論せず洗面所へ向かった。
 女性騎士の部屋と違い、最低限の設備しかない洗面所だ。鏡、洗面台、ちょっとした棚、汲み置き用の水差し。以上。
 サビの浮いた鏡の前で顔を洗って口をゆすぐ。鏡を見ると、すっかり見慣れた自分の顔。相変わらずひでえな。生まれついたときは美形ではないが、普通の顔立ちだった。今では俺の顔を見て街の子供が泣く。こっちも泣きてえって何度思ったことか。

 寝室で、陽の光を浴びていたカメリアの、整った顔が脳裏に浮かんだ。やや中性的で、どちらかといえば女受けのいい顔だ。男の騎士にも、一番ではないが、常に一定の人気があって、あいつと付き合ったという連中も何人か知っている。片思いしていたとき、俺はそいつらと自分を比べて、一喜一憂していた。地位、経歴、出自、性格、容姿、実力、評判。親しくなったとて、どうせ、男としては好かれっこない、それでいいとスネていたが、変わりもんのあの女はそんな俺を好きだという。

 憎まれ口の合間合間に好きだよと言われると、あるいは普段とは違う微笑みを向けられると、天にも昇る気持ちになって、不思議とすべてが上手く回るようになった。
 俺は自分でも意外なことに、とっても単純だったのだ。

 相変わらず、仕事中はぎゃんぎゃん言い争うこともあるが、概ね、カメリアとの交際は順調で、小さなケンカを挟みつつも楽しくやっている。望むべくは現状維持だ。今の状態をできるかぎり長く続けたい。カメリアとの関係も、仕事も、このままでいい。

 そこにきてこの昇進。あの悪夢。自己分析通り、俺はやはり繊細らしい。
 今まで、足りないことで悩んでいたのに、今度は多すぎて悩むのかよ。

 胃の腑が吐き出されそうなくらいのため息が溢れる。

「ノルン、あんた何本歯があるの? 歯磨きに何時間かけるつもり。昨日と同じく私のこと待ちぼうけ食らわす気ならいいよ、ひとりで出かける」
「真珠色の歯を保つために歯磨きは丹念にすることにしてんだよ」

 居室の方からとんできた声に反射で答えて、俺は鏡に背を向けた。
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