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5、賭け事は、相手の裏をかけ

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 私の運針を、椅子の背もたれを前に抱えるように座って、ノルンが眺めている。ごつごつした手には、貝の形の焼き菓子。今日のお茶会のはじめにノルンが食べたやつ――の媚薬抜きだ。美味しかったから、クスリが入ってないやつがあれば食べたいというので、残り全部を差し出した次第。あれだけ昼間糖分摂取したのに、まだ食べるんだ。いつか病気になりそうだな。

「はー、お前結構器用だな。これで料理が上手だったら言うことなしなのに」
「下手でも上手でもあんたに言われることなんかない」
「そりゃそうだけど……」

 珍しく追撃がなかったので、私は目を上げた。ノルンが口をもごもごさせている。

「下手でもいいから、今度、なんか作ってくれたら嬉しい、……という」
「なんで? いやだよ、もうすぐ繁忙期だ。甘いものをわざわざ材料買い込んで作るなんて、面倒くさい。貰い物なら分けてあげるから、それ食べな」
「だよな。ま、既製品のほうがうまいだろうし、安心して食えるか」

 にやにやしてほざいているが、声に元気がない。手料理食べたかったと言っているようなもんだ。
 この男、恋人に対する理想と憧れが爆発してる。覚えがある。十年くらい前の夢見る少女の私と同じだ。ああ、そういう時期が私にもありました。思い出すだけで全身がむずむずするから記憶から抹消したい。

 私は出来上がったシャツをノルンに差し出した。引きちぎったボタンはちゃんと元の位置にくっついている。おお、と出来上がりに感動している。たかがボタン付けくらいでなにを大げさに。

 ……仕方ないなあ。そこまで期待されちゃ、応えなきゃ女がすたるってもんか。

「いいよ、やっぱりなにかお菓子と料理作ってあげよう。来週、夜勤明けの非番の日が、たしか休みがかぶってたよね」
「本当か?」

 ぱっと笑顔になったノルンだったが、しばし考え、首を横に振った。

「いや、やっぱり遠慮するわ。お前の手料理って、よく考えりゃ、相当危険だよな。変なもの混ぜられるかもしれないし、そもそもクソまずいかもしれない。夜勤明けの料理なんて危険極まりないだろ、無理せんでいい」

 ノルンよ。忙しいだろうから無理しなくていいって、素直に言えばいいのに、あんたってやつは。逆に、嬉しいって本音で歓迎してくれたっていい。今のは減点だって、さっきも注意したの、もう忘れたのか。
 まあ、――それが彼らしいのかな。

 肩をすくめ、私は片頬を上げて笑う。挑発だ。

「……ああ、腰抜けるくらい美味しいの出されたら、プロポーズ不可避だからビビってんの?」
「は?」
「だって、あんた、お菓子作りのできる女が理想なんでしょ。大好きな私がめちゃくちゃ美味しいお菓子作ってあげたら、もう、結婚するしかないでしょう。北部では、婚約の証に銀の指輪を男が贈る習わしだから、ちゃんと用意しておくことをすすめる」

 ノルンは、ぷーっと吹き出し、焼き菓子を口に放り込んだ。しっかり飲み下して口を開く。テーブルの上に置かれた焼き菓子の残りは、あとひとつ。

「いやいや、俺、舌は肥えてるほうだぞ。菓子でもメシでも、俺を唸らせるだけの質で作れたら、銀なんてしょぼいこと言わずに、金でも白金でも、なんだったらでっけーダイヤ嵌ってるやつで指輪こさえてやるって」
「男に二言はないね?」
「おーおー、もちろんだ。俺に一度でも、うまいって言わせたら、指輪やるよ。
 というか、お前もしかして俺と結婚したいのかよ」
「いや別に。この前の任務でお気に入りの失くしたから、新しいのは欲しい」
「正直に言っていいんだぜ?」
「おまけでノルンが付いてきても返品はしないでいてあげようか、特別に」

 ノルンは少し考えたあと、にやりと嫌な笑みを作った。悪い顔しやがって。

「俺が支払うばっかりじゃ、賭けにならねえよな。お前が俺を満足させる料理を作れなかったら」
「作れなかったら?」
「俺に三日つきあってもらう」
「いいよ。具体的になにしたらいい?」

 シャツに袖を通したノルンが、さらに笑みを深くする。
 そもそも賭けとして成立してないのだ。賭けの当事者であるノルンが、判定をくだせるんだから。私が気づいたことに、変なところで頭が回る彼が気づかぬわけがない。

 どうせすけべなことさせたりとか、無茶な要求するに違いない。

「それは実際にそうなったときに言う」
「あっそう。
 ……ところで、そもそも賭けとして成立してないことに、あんた気づいてるよね」
「おっと、女に二言はないよな?」

 ボタンをかけながら、余裕の表情のノルン。口笛を吹きそうな上機嫌さは、勝利を確信しているからに違いない。

「もちろん」

 私はこっくりうなずいて、使い終わった裁縫道具を箱にしまう。そして、残り一個の焼き菓子を手にとった。

「最後のも食べる? お腹いっぱいなら、片付けるけど」
「食う。うまいんだよな、このシナモンの加減といい、砂糖控えめなところといい。なあ、これどこの菓子屋のなんだ?」

 ノルンの口にお菓子を詰め込み、空になった掌を上にして差し出した。

「はい。指輪ちょうだい」
「ん?」
「そのお菓子、うまいって言ったの、聞いたよ。だからほら、指輪」

 青い目をしばしばさせ、ノルンが口の中のものを咀嚼する。飲み込めてないらしい。お菓子も、状況も。

「ねえ、私の名前はさすがに覚えてる?」

 お菓子を飲み込み、ノルンが訝しげな顔をする。

「カメリア・ソーンウェル」
「あんたがお気に入りの、今日も食べた、ラム酒入りのケーキ覚えてるでしょ。果物がいっぱい入ったずっしり重たいやつ。北部の老舗菓子屋の、屋号がそのまま名前になったケーキだよ。ソーンウェル・ケーキ」

 ここまで言えば、わかっただろう。
 ノルンは、それこそ珍獣でも見つけたような顔をして、震える指で私をさした。

「お前が継ぎたくなくて放り出してきた稼業って」
「菓子屋。甘いものは嫌いなのに、毎日毎日砂糖の塊作らされて味見させられてダメ出しされて、研究のためにとしこたま食べさせられて……将来に絶望して騎士になりました」

 話しているうちに、少女時代の辛い思い出が胸をよぎって、心が虚無になっていく。うっ、胸焼けが……。だめだ思い出したら。楽しいことを考えよう。
 たとえば、ほら、目の前でぽかんとしているノルンの処遇などを。

「腕は落ちたけれど、そのくらいなら作れるよ。この部屋の設備でもね。
 ご希望とあらば、気が向いたときにまた作ってあげてもいい。特別にね。
 どう? 指輪献上したくなってきた? 床にひれ伏してつま先にキスするなら、誕生日にケーキを作ってあげてもいい」
「ずりぃぞ、賭けになってねえじゃねえか!」
「うんうん、なになに惚れ直した? おかしいな、惚れ薬はいれてないんだけど」

 むくれてしまったノルンの頬に、私は勝者の余裕でキスを一つ、進呈した。

<了>
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