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#95 アンデル 青い肌の英雄

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 イズベル・ユーバシャールは、ハイリーの面影を感じる五十年配の美女だった。
 彼女は私を家の中に案内してくれた。

「ハイリーから、あなたのことは聞いております。まったく、あの子はなにを勝手に、テリウス様にお願いごとをしているのかしら」

 来てはいけなかっただろうか。イズベルは不機嫌だった。なんとなくハイリーに叱られているような気になってくる。彼女に叱られた経験はほとんどないのに。

 ユーバシャール家の秘密については、クラウシフから読み取った記憶と手紙とで把握している。メイズに存在を知られ、結界でこの家から出られなくなっている三英雄のひとり、テリウス・ユーバシャールの存在は。

 祝福で青白く光る金属の扉を何枚もくぐり、広い地下の部屋に到着した。待っていたのは、二人がけのソファを悠々と独占する青い肌の偉丈夫だ。

「お前がアンデル・シェンケルか」
「はい。ハイリーからここに来るように言われました。他のことは聞いていません」

 何人もが一度に話しているような不思議な声色で、男は話す。座っていても背が高くて体の厚みがあることがわかる。この男が、五百年前に国を作った大英雄のひとりなのか。

 手招きされ、彼の前に置かれている一人がけのソファに腰をおろした。相対して見れば、恐ろしく透明度の高い湖の底のような目には知性があった。外見は完全に魔族のそれなのだが、彼が本質は人間なのだと思わせる。
 度重なるギフトの濫用と、前線で魔力にさらされたせいでの変化だと、クラウシフはフィトリス・ユーバシャールから説明を受けたようだ。それが間違いないのであれば……魔力は内側から生き物の構造を変化させることもあるというひとつの指標になるのだろうか。変化に使われた魔力はどうなるんだろう。排出されるのか、形質変化するのか吸収されるのか……。変化した対象が朽ちるとき内に取り込まれた魔力はどのようになるのかも未だ判明していない。

「ハイリーから聞いていたのと印象が違うな。貧相だ」

 私は直球の揶揄で正気に戻った。

「よく言われます」
「怒らないのか。意気地がないというべきか、自己分析ができていると褒めるべきか。
 まあいい。事情はハイリーからあらかた聞いている。ついでにお前が国を出るときの用心棒をたのまれた」
「しかし、あなたはこの家を出られないのでは?」

 地下室のドアを視線で指し示した。

「家自体は出られるさ。イズベルがそのドアを開けてくれさえすればな。だが、家の周りの結界を抜けられない。祝福の扉だけ破壊できないから、それは確実だろう。そもそも、イズベルが嫌がってドアすら開けてくれないのだがな。
 ……あれは、オレが結界にぶつかったら、前線の魔族のように霧散するんじゃないかと心配しているらしい、愛い奴め」

 急にのろけられても困ってしまう。この、クラウシフよりもずっと体格のいい偉丈夫が、さっきの陰気な女性をそのように褒めるとは予想外だったし、なんとも居心地が悪い。

「ではどうするんですか。結界を抜けられないのでは、移動しようがないでしょう」
「そこはハイリーがどうにかする方法を考えていたぞ。イズベル、見せてやれ」

 部屋の隅に立っていたあの女性が、眉間にシワを寄せて首を横に振った。

「嫌です」
「またわがままを。せっかくオレが外へ出られる好機だというのに」
「ですがテリウス様、もしうまくいかなかったときは」
「そのときはオレが死ぬだけだ。いや、死ねるならそれだけでもいい気がするな」
「やはり嫌です」
「そう言うな」
「嫌なものは嫌です」

 急に始まった喧嘩に、私は居場所がない。小さくなっていると、イズベルがぷいっとそっぽを向いて、部屋を出ていってしまった。足音が遠くなっていく。振り向きざま、彼女の眦が光っていたように見えた。

「いつもこれだ。言い合いになってしまう。
 ハイリーからもらったでかい魔石があるのだ。それにオレを格納して結界を越えられないかというのだが、ほれ、魔族もかなりの確率で、魔石に吸い込まれるときに死ぬだろう? イズベルはそれを心配している」
「それは、……心配する気持ちもわかります。でしたら無理しなくとも」

 この魔族じみた偉丈夫と一緒に旅をするのはなかなか緊張しそうだと、私は及び腰になっていた。それに、無理を通してこの人になにかあったら、イズベルに申し訳ない。

「どっちが無理だ? 何百年もこの狭苦しい地下室で生活するのと。どのみちオレはもう十分生きている。せっかく義理堅いハイリーが、約束通りここから自由になる方法を与えてくれたのに、それを捨てる理由がないな。もう一度、自由気ままに旅をしたいという願いが叶うならなんでもする。死ねるかもしれないというのも魅力的だ。
 というわけでアンデル、お前、イズベルを説得してこい」
「そんな無茶な」

 私には、イズベルの気持ちが痛いほどわかる。
 大切な相手が危険を覚悟で進むというとき、送り出しながらも不安にさいなまれる。できることならそばに居てほしいという気持ちを押し殺す、その辛さが。

「じゃあオレの手助けは不要ということか」
「それは……」

 子ども三人を連れての旅、しかも素性を隠してとなると、信頼できる腕と身元の護衛は欲しかった。ハイリーが任せたくらいだから、テリウスは申し分ない護衛になってくれるはずだ。

 渋々、私はイズベルを探しに地下室から地上へ向かった。人となりを知らない彼女を、どうやって説得するか悩む。泣き落としがいいのか屁理屈をこねたほうがいいのか、それすらわからない。

 地上近くになって、言い争う声が聞こえて、私は首をひねった。声は玄関からだ。誰か客だろうか? それにしても険悪な雰囲気である。

 そろ、と廊下の角から玄関ホールを確認する。
 イズベルの前に、見たことのある格好の男たちが四人ほど立っていた。憲兵の制服だ。サーベルを見せびらかし、イズベルを威圧するように、上から覗き込んでいる。
 玄関の外にも憲兵の仲間がいるはずだ、人の気配と車の駆動音が聞こえるから。
 
「急にそのようなことを申されましても、対応できかねます。お引取りください」
「そうはいかん。魔族と連なる可能性があるゆえ、ユーバシャール家の者はなべて連行すべしとのことだ」
「そんなもの、濡れ衣です」
「拒むということは心当たりがあるのだな。検めさせてもらうぞ。お上からは地下室に魔族を匿っていると聞いている」
「お待ちなさい」

 イズベルを突き飛ばして、男たちは部屋になだれ込んできた。彼らは手分けして地下への入り口を探しはじめる。
 地面に手を付き、打ってしまったらしい肘をさすっていたイズベルは、私と目が合うとはっとした顔になる。そして私のところへ、素早くにじりよってきた。

「お願い、あの人を連れて逃げて」

 硬くて冷たいものを手に握り込まされる。確認する前に背中を押され、もと来た道を戻る。あの男たちは別の部屋を見ているようで、私には気づかない。

 地下の階段を駆け下りながら手の中を確認すると、大きな魔石だった。こんな美しい形のものは見たことがないというくらい、凹凸もない滑らかな表面。最高級のものだろう。それから、扉の鍵。

 祝福の扉を蹴破るようにして開ける。
 お上から、と先ほどの男たちは言っていた。どういうことだろう。お上と聞いてぱっと思いつくのはヨルク・メイズのことなのだが、ハイリーを担ぎ上げて戦場に立たせたいヨルク・メイズがどうしてユーバシャールを追い詰めようとしているのかわからない。
 なにか、あったのか?

 焦りで足がもつれそうになりながら、どうにかテリウスの部屋に戻ってきた。
 私の様子がおかしいことに気づいていたのだろう、テリウスの表情は一変している。警戒の顔。

「なにがあった?」
「憲兵が来ている。あなたを探しているようだ、なにがあったかはわからないけれど、あなたが見つかると、イズベルの立場が悪くなってしまう。すぐにここを出なければ」

 魔石を見せると、テリウスはソファから立ち上がって私を見下ろした。その圧に、手の中の石ころを取り落としそうになる。

「ひとつ頼みがある。もしオレになにかあったら、イズベルを頼む」

 いきなりそんな重たい注文をつけられても困るのだが、断れる状態でもない。うなずいた。
 テリウスの血管の浮いた青く大きな手が、私の手の中の魔石に触れた。


 
 応接間から出てきた私を見咎め、憲兵たちは色めきだった。
 ここにいる理由を尋ねられたので、私は、イズベルの見舞いに訪れ、お手洗いを借りているうちに彼らがやってきて、騒がしかったので気になって顔をだしたのだと説明した。食堂の隣が応接間なので、その内ドアを通ってきたのだが、そこには気づかれていなかったらしい。自分の存在感のなさが役に立ったのかもしれない。そんな冗句を心の中で唱え、必死に平静であろうとした。心臓は、破裂しそうなほどにばくばく鳴っていたし、手は汗でじっとりしていた。

 身分を証明するものをと言われても、急なことで提示できない。名乗っても、信用してはもらえない。
 手荒に持ち物を検められ、懐に入れた魔石を取り上げられそうになった。それは最近死んだ兄の形見で、これから墓前に供えに行くところだったのだ奪わないでほしい、陛下からの賜り物なのだと訴えた。せせら笑う者もいたが、その中心になっているらしい壮年の憲兵が哀れんで、まずは私の身元を確認してくれたのが幸いした。
 すぐにバルデランが迎えに来てくれるという。

 ただ、憲兵はさすが用心深いというか、私が持っている魔石が本当に賜り物か、やましいことを働いて手に入れたものではないか――これだけ大きな物となると、観賞用であればかなりの価値がある――の確認を城に出したらしかった。
 バルデランが到着するまえに、彼らはその石がおそらくは陛下がシェンケルに贈ったものだという情報を受け取り、その上で、私に対してヨルク・メイズから召喚がかかっていることを知って、城に連行すると言い出した。

 バルデランと行き違いになるが、私には四の五の言う権利はなかった。車に押し込められ、不安げなイズベルの下男に見送られ、城へと出発する。別の車にて先行するイズベルが気がかりだった。
 
 心臓が押しつぶされそうな悲鳴をあげていた。

 懐にある魔石は、本当はハイリーがヨルク・メイズからもらったもので、クラウシフがもらったものは、庭先で壊れて今はもうない。兄の命を奪った、呪いの石。あれの運び屋の素性は結局うやむやになってしまった。だがこうして、ヨルク・メイズは魔石を贈ったと認めたのだ。

 しらを切られたほうがましだった。まるで、クラウシフの死など歯牙にもかけないと言われたようで、激しい落胆が、悲しみが私を無言にさせた。

 喉がつまる。息がし辛い。

 どうしてあの人は、他者をおもちゃにして楽しめるのだろう? 理解できない。庭先で見つけた蟻の行列を無邪気に阻む、ときには蟻を踏みつける幼子と変わりがない。子供は大人になるにつれ、自分の残酷さを知り、制御するすべを身につける。
 だが、大人になっても、虫だからと、あるいは家畜だからと無用な殺生をなんとも思わない、場合によっては楽しむ人間がいる。

 ヨルク・メイズはきっとそういう人物なのだろう。残酷な好奇心で、他者を操り殺して欲求を満たしていく。その欲望を抑えられない。

 吐いた息はゆるく、湿っている。
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