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番外編・おまけ
(SWEETER LIFE) 2
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忌まわしい事件の最中、ミシカと出会った。
今思い出すだけでも、気分が悪くなるような事件だった。まさか、自分の住む街の近くで、あんな惨事が起こるとは。
俺の部隊は、壊滅の憂き目にあって散り散りになった。数の暴力の恐ろしさは、あの体験で嫌と言うほど味わった。そもそも、俺は前線に出ても率先して交戦する立場ではない。武器の扱いはもちろん訓練するが。作戦を指揮する大尉たちと、交信が途絶えたときは死ぬほど焦った。無我夢中で、近くにいた民間人を保護して逃げ込んだ先で、ミシカと出会ったのだった。
第一印象は、暗そうな女性。口数は少ないし、表情が乏しい。笑わない。じっとなにかを窺うように周りを見ている。だが徐々に、中身までそうではないことを知った。
決断すると、早い。そして頑固だった。民間人とは思えない行動力と洞察力で、怪我人を抱えた俺をフォローした。驚いたのは、その銃の扱いだった。聞けば、ガン・マニアの友人から手ほどきを受けたといっていたが、その辺の新兵よりずっと扱いに長けていた。一年、二年の訓練でどうにもできないレベルだ。ホセですら、賞賛するほど。つまり、よっぽど俺より銃器の扱いは上だった。
一緒に街を駆け回ったのはわずか数時間だったが、彼女の助力がなければ、俺たちはあの学園都市を出られなかっただろう。隣のビルに潜んでいたスナイパーを、時間までに無力化して戻ってくるという、難易度の高いことを見事やってのけた。メインで動いたのは、俺とホセだったが、それでも、彼女の的確なフォローがなければ、達成は困難だったはずだ。
あんた、どっかのエージェントかなんか? そうからかっていたホセの言葉を、ときどき思い出す。そういわれたとき、ミシカはちょっとぽかんとしたあと、困ったように笑って、残念ながら無所属だけどと答えた。もしかすると、元軍属かと勘ぐっていたぐらいだったが、そうではないと知ったのは、その後だった。
彼女から、視線を感じることがあった。たしかに、こちらをじっと見ていることがある。悪意がある視線ではなく、どちらかといえばその逆だった。目が合うと、何か言いたそうにするが、大抵は何も言わず目を伏せて、なにかに耐えるような顔をしてみせた。意味はわからないが、どことなく居心地が悪かったのを覚えている。
街を脱出して、俺たちはそれぞれ、病院に運ばれたり、報告に行ったりした。俺は、彼女に一言礼を言いたくて、彼女が念のため検査をと連れて行かれた病院へ訪れた。
事件のフォローでごった返している病院の白い廊下で、一人、椅子に腰を降ろしてぼんやりとしているミシカがいた。声をかけるのを躊躇った。あの街で見せた、硬質なタフさとは裏腹に、寂しそうな不安そうな顔をしている。寄る辺のない子供のように、途方に暮れた顔だ。怯えているようにも見える。
俺を見付けたときの彼女の顔を今でも忘れられない。嬉しそうな、泣き出しそうな無防備な顔。
その脆さに、庇護欲がかきたてられた。
なにかと世話を焼いているうちに、躊躇いがちに彼女は自分の身の上を話し――それは俺の理解の範疇を超えた、そしてミシカ自身の理解の範疇をも超えた、ここに至るまでの経緯を――ひたすら、俺に予防線を張って見せた。自分を不気味だと思うだろうと。到底、受け入れられない、異常な話だろうと。
たしかに、無条件に受け入れるには途方もない話だったが、合点がいくこともあった。彼女はまるで予見していたように、あらゆるできごとに対応してみせていたからだ。
俺のことも、知っていると――俺と恋愛関係にあったといわれたときは、流石にぎくりとしたが、拒絶を予想し、それを恐れながらも、彼女なりに俺に誠実でいたいという気持ちは、十分に伝わった。
ごめんなさい、気持ち悪いでしょう。弱りきった笑顔を向けられて踵を返せなくなった。
やがて、そういう関係になった。
最初に迫ってきたのはミシカの方で、拒絶してくれという前置きをつけて泣きながら俺を好きだと言った。
正直、呆れた。これだけ世話を焼いておいて、簡単に放り出すほど無欲じゃない。
東京の病院の管轄下に収まるため引っ越す、という話がミシカに降ってきたのを機会に、俺はようやく、基地の外に居を構えることを意識した。それが、このアパートだ。
一緒に暮らし始めて、すでに三年。そろそろ、考えなければいけないことがあるんじゃないだろうか。
ラジオを聴きながら、無言で食事の用意をするミシカの背を眺め、俺は腕を組んだ。
◆
祭りの開催を知らせる花火の音で、目が覚めた。時計を見れば、七時。
寝ぼけ眼をこすりながら身を起こす。自分のベッドで眠るのは久々だった。疲れはまだ蓄積しており、肩も腰も重い。伸びをしながら、スウェットのままリビングへ向かうと、ミシカがダイニングテーブルで本を読んでいた。本土で今流行っている、ミステリー小説だ。彼女は本土に行ったことはないらしいが、英語の読み書きも不自由ないくらいにはできる。
「おはよう。スープ、温める」
ミシカは顔を上げると、さっと立ち上がって、料理を並べ始める。すでに用意は整っているようで、質素ながら、栄養バランスの整った料理のプレートが出てきた。
「エアコンつけてもいいか」
朝から蒸し暑い。ミシカは振り向かず、どうぞと言った。作業するために髪をからげた襟足に、薄っすら汗をかいているのを見て、昨晩、彼女を抱けばよかったと、少し後悔した。彼女の部屋には行ったが、眠っている姿を見て退散したのだった。
ため息をつくと、ミシカが笑った。
「眠ければ、まだ寝ていれば? 時差ぼけもあるでしょ」
「眠くはないさ」
向き合って座る。彼女は、三年前から変わっていないように見えた。三十代も後半の俺と、まだ三十に差し掛かったばかりの彼女では、加齢の影響は違うのだろうか。
今でも、あの日の服装をして、彼女はあの街に佇んでいる。そんな錯覚を抱く。緩く首を振ると、サラダを頬張った彼女が、やっぱり眠そうだけれど、と笑った。
今思い出すだけでも、気分が悪くなるような事件だった。まさか、自分の住む街の近くで、あんな惨事が起こるとは。
俺の部隊は、壊滅の憂き目にあって散り散りになった。数の暴力の恐ろしさは、あの体験で嫌と言うほど味わった。そもそも、俺は前線に出ても率先して交戦する立場ではない。武器の扱いはもちろん訓練するが。作戦を指揮する大尉たちと、交信が途絶えたときは死ぬほど焦った。無我夢中で、近くにいた民間人を保護して逃げ込んだ先で、ミシカと出会ったのだった。
第一印象は、暗そうな女性。口数は少ないし、表情が乏しい。笑わない。じっとなにかを窺うように周りを見ている。だが徐々に、中身までそうではないことを知った。
決断すると、早い。そして頑固だった。民間人とは思えない行動力と洞察力で、怪我人を抱えた俺をフォローした。驚いたのは、その銃の扱いだった。聞けば、ガン・マニアの友人から手ほどきを受けたといっていたが、その辺の新兵よりずっと扱いに長けていた。一年、二年の訓練でどうにもできないレベルだ。ホセですら、賞賛するほど。つまり、よっぽど俺より銃器の扱いは上だった。
一緒に街を駆け回ったのはわずか数時間だったが、彼女の助力がなければ、俺たちはあの学園都市を出られなかっただろう。隣のビルに潜んでいたスナイパーを、時間までに無力化して戻ってくるという、難易度の高いことを見事やってのけた。メインで動いたのは、俺とホセだったが、それでも、彼女の的確なフォローがなければ、達成は困難だったはずだ。
あんた、どっかのエージェントかなんか? そうからかっていたホセの言葉を、ときどき思い出す。そういわれたとき、ミシカはちょっとぽかんとしたあと、困ったように笑って、残念ながら無所属だけどと答えた。もしかすると、元軍属かと勘ぐっていたぐらいだったが、そうではないと知ったのは、その後だった。
彼女から、視線を感じることがあった。たしかに、こちらをじっと見ていることがある。悪意がある視線ではなく、どちらかといえばその逆だった。目が合うと、何か言いたそうにするが、大抵は何も言わず目を伏せて、なにかに耐えるような顔をしてみせた。意味はわからないが、どことなく居心地が悪かったのを覚えている。
街を脱出して、俺たちはそれぞれ、病院に運ばれたり、報告に行ったりした。俺は、彼女に一言礼を言いたくて、彼女が念のため検査をと連れて行かれた病院へ訪れた。
事件のフォローでごった返している病院の白い廊下で、一人、椅子に腰を降ろしてぼんやりとしているミシカがいた。声をかけるのを躊躇った。あの街で見せた、硬質なタフさとは裏腹に、寂しそうな不安そうな顔をしている。寄る辺のない子供のように、途方に暮れた顔だ。怯えているようにも見える。
俺を見付けたときの彼女の顔を今でも忘れられない。嬉しそうな、泣き出しそうな無防備な顔。
その脆さに、庇護欲がかきたてられた。
なにかと世話を焼いているうちに、躊躇いがちに彼女は自分の身の上を話し――それは俺の理解の範疇を超えた、そしてミシカ自身の理解の範疇をも超えた、ここに至るまでの経緯を――ひたすら、俺に予防線を張って見せた。自分を不気味だと思うだろうと。到底、受け入れられない、異常な話だろうと。
たしかに、無条件に受け入れるには途方もない話だったが、合点がいくこともあった。彼女はまるで予見していたように、あらゆるできごとに対応してみせていたからだ。
俺のことも、知っていると――俺と恋愛関係にあったといわれたときは、流石にぎくりとしたが、拒絶を予想し、それを恐れながらも、彼女なりに俺に誠実でいたいという気持ちは、十分に伝わった。
ごめんなさい、気持ち悪いでしょう。弱りきった笑顔を向けられて踵を返せなくなった。
やがて、そういう関係になった。
最初に迫ってきたのはミシカの方で、拒絶してくれという前置きをつけて泣きながら俺を好きだと言った。
正直、呆れた。これだけ世話を焼いておいて、簡単に放り出すほど無欲じゃない。
東京の病院の管轄下に収まるため引っ越す、という話がミシカに降ってきたのを機会に、俺はようやく、基地の外に居を構えることを意識した。それが、このアパートだ。
一緒に暮らし始めて、すでに三年。そろそろ、考えなければいけないことがあるんじゃないだろうか。
ラジオを聴きながら、無言で食事の用意をするミシカの背を眺め、俺は腕を組んだ。
◆
祭りの開催を知らせる花火の音で、目が覚めた。時計を見れば、七時。
寝ぼけ眼をこすりながら身を起こす。自分のベッドで眠るのは久々だった。疲れはまだ蓄積しており、肩も腰も重い。伸びをしながら、スウェットのままリビングへ向かうと、ミシカがダイニングテーブルで本を読んでいた。本土で今流行っている、ミステリー小説だ。彼女は本土に行ったことはないらしいが、英語の読み書きも不自由ないくらいにはできる。
「おはよう。スープ、温める」
ミシカは顔を上げると、さっと立ち上がって、料理を並べ始める。すでに用意は整っているようで、質素ながら、栄養バランスの整った料理のプレートが出てきた。
「エアコンつけてもいいか」
朝から蒸し暑い。ミシカは振り向かず、どうぞと言った。作業するために髪をからげた襟足に、薄っすら汗をかいているのを見て、昨晩、彼女を抱けばよかったと、少し後悔した。彼女の部屋には行ったが、眠っている姿を見て退散したのだった。
ため息をつくと、ミシカが笑った。
「眠ければ、まだ寝ていれば? 時差ぼけもあるでしょ」
「眠くはないさ」
向き合って座る。彼女は、三年前から変わっていないように見えた。三十代も後半の俺と、まだ三十に差し掛かったばかりの彼女では、加齢の影響は違うのだろうか。
今でも、あの日の服装をして、彼女はあの街に佇んでいる。そんな錯覚を抱く。緩く首を振ると、サラダを頬張った彼女が、やっぱり眠そうだけれど、と笑った。
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