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本編
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翌朝起きてみると、メールが届いていた。自分宛てにメッセージが届いたというお知らせだった。サバイバーの会のマイページにだ。
私は顔も洗わず、起きたままの格好でスマートフォンを手に取った。
メッセージの送信者は、柿山だった。
38、
午後はとくに予定もないので、無理に暑い中外出するつもりはなかった。夕方、涼しくなってから生活用品を買いに出ようと考えている程度だ。だから、昼間から、ビデオ通話に誘われても特に問題なく応じられた。
約束の時間は午後二時。彼の今日の予定では、その時間だけが対応できるという。
私は聞いてみたいことを簡単に書き出しておき、その時に備えた。学生時代に留学した友人とやり取りして以来、久々のビデオ通話だ。
指定されたアプリをダウンロードし、アカウントを登録して、既に教えられていた相手のアカウントを自分の連絡リストに登録し、準備は完了した。
これで、なにか収穫があるかもしれない。なんとなく、そわそわして落ち着かない時間を過ごす。
そして、定刻になった。二分程待つと、軽快な着信音が鳴り始めた。ディスプレイには、柿山省吾の名前。私は一呼吸置いて通話ボタンをタップした。
ディスプレイに、SNSの記事上で見た日に焼けた男性の顔が表示された。彼は回線が繋がったと悟ると笑顔になる。包容力のある笑みだ。
『はじめまして、柿山です。ちゃんと聞こえていますか』
よく通るテノールが、スピーカーから聞こえてくる。
「聞こえます。はじめまして、磯波です」
朝、メッセージに返信した時に自分の名前は伝えてある。
『さっそくですが、あなたのご希望の、私の知人のキャリアと連絡を取りたいという件ですが、いくつか、彼から条件を提示されています。それに合致しているか、確認させていただいてもよろしいでしょうか』
「わかりました。どうすればよろしいでしょうか」
『このまま、お話をさせてください。それだけです。その中で、あなたを彼に紹介してもいいか、考えさせていただきますから』
「面接みたいですね」
つい、そう言ってしまう。柿山は、ははは、と軽く笑って否定しなかった。
『もちろん、うちの会に登録していただいているということは、あなたもあの事件のサバイバーだということで間違いないと思います。簡単にでいいので、どういう経緯で事件に巻き込まれて、脱出できたのか教えていただいても? 辛いでしょうから、ほんとうに、簡単にでかまいませんから』
私は困った。脱出の経緯はわかっても、自分がなぜあの病院にいたかその経緯は覚えていないからだ。
「実は、記憶が曖昧で、巻き込まれた経緯がわかりません。気が付いたら病院にいました。そこで軍の人たちと行き会って、一緒にあの学園都市を抜け出しました。そして、その後運ばれた病院で検査を受けて、キャリアだとわかりました」
『はじめにいたのは水戸大学付属病院ですか? だとしたら、私もそこにいたんですよ」
「いえ、私は旧い方の」
柿山は考え込むように黙った。少し目を眇めて、こちらを――正確に言えば彼のディスプレイを見ている。笑顔を消すと途端に威圧的に見えて、私は少し緊張した。
彼はややあって口を切った。なにかに納得したように。
『たしかに、あそこの病院は移転したんでした。そうか、旧い方のか。お互い、大変な目に遭いましたね』
「ええ。私は記憶障害と妄想の症状があると診断されています。記憶障害のせいで、自分の詳しい素性が思い出せず、警察に調べてもらってもはっきりしませんでした。今は被験者になることで、生活を保障してもらっています」
『それは、とても辛い状況ですね。記憶の方は、今も回復していませんか』
「はい。妄想の症状もあるということで、自分の判断力や思考力に不安があります」
『妄想というのは? 伺っても?』
私は、できるだけわかりやすいように説明した。簡単に簡単にと思ったけれど、なかなか難しい。
だが、精神科医だという柿山は、ときおり相槌や質問をして、私の話を上手く聞き出してくれた。
途中から彼は笑みを消して、沈痛な表情を作っている。そういう顔をされると、自分がよっぽど悪い状態なのかと不安になる。
症状の説明が終わると、彼は再び、辛い状況ですね、と言った。
『身元がわからないというのであれば、よけい不安でしょう。ご家族やご友人のサポートもなしでは』
私は首を横に振った。
「いえ、病院で知り合ったメンバーと交流があります。一人はとくに良くしてくれて」
柿山は重々しくうなずいた。
『それはよかった。周囲のサポートは、一番あなたが必要とするところでしょうから』
言われて、再確認する。たしかに、リアンの気遣いに、とても助けられている。ちょっと距離感に悩むことがあるとしても。
「私が知りたいのは、その、柿山先生のお知り合いにも、私のような妄想などの症状があるのか、あればどう対処しているのかということです」
『医師ですので、私が直接、彼の症状についてあなたにお話ししたり、あなたの症状について彼にお話したりするのは、避けたいところです。もちろん、これはカウンセリングでも治療でもない。それでも』
「……そうですか」
『あなたのアカウントを、彼に紹介しましょう。あなたの人となりを話します。そして、彼があなたとコンタクトをとりたいと思ったら、彼から連絡がいくでしょう』
つまり、面接は合格ということだろうか。
「ありがとうございます」
『いえ、こちらこそ。試すようなまねをして、申し訳ありません。以前ね、彼にコンタクトをとりたいと申し出た人がいたんで、その人と私と彼で会ってみたら、その人はサバイバーでもない、特ダネを狙った記者でした。彼はとても大きなダメージを受けてしまいました。それから、お節介ですが、私が友人として彼にコンタクトをとりたいという人間の受け皿になっています』
「もし、私の身元が不安だとおっしゃるのであれば、公的な身分証でも、担当医の診断書でもお出しします」
『それには及びませんよ。私はただのおせっかいな友人ですからね』
彼は、最初に見せたのと同じ、包容力を感じさせる太い笑みを作ってみせた。同じ精神科医でも、私の担当医のピアソン医師とは、まったく別のタイプだ。
◆
通話が終了し、私は大きく息をついた。知らず、緊張していたようだ。
しばらくぼうっと会話を反芻してみる。彼との通話時間は、三十分程だった。
私は経緯を、リアンにメールで連絡することにした。彼のおかげで、柿山につながるきっかけを得たのだ、一言礼を言いたかった。
まだ、もう一人のキャリアと話せると決まった訳ではないのに、気が早いだろうか。
ただ、柿山との話の中で再確認した、彼のサポートのありがたみは、ささいなことでもお礼を言いたい気分にさせたのだ。
私は顔も洗わず、起きたままの格好でスマートフォンを手に取った。
メッセージの送信者は、柿山だった。
38、
午後はとくに予定もないので、無理に暑い中外出するつもりはなかった。夕方、涼しくなってから生活用品を買いに出ようと考えている程度だ。だから、昼間から、ビデオ通話に誘われても特に問題なく応じられた。
約束の時間は午後二時。彼の今日の予定では、その時間だけが対応できるという。
私は聞いてみたいことを簡単に書き出しておき、その時に備えた。学生時代に留学した友人とやり取りして以来、久々のビデオ通話だ。
指定されたアプリをダウンロードし、アカウントを登録して、既に教えられていた相手のアカウントを自分の連絡リストに登録し、準備は完了した。
これで、なにか収穫があるかもしれない。なんとなく、そわそわして落ち着かない時間を過ごす。
そして、定刻になった。二分程待つと、軽快な着信音が鳴り始めた。ディスプレイには、柿山省吾の名前。私は一呼吸置いて通話ボタンをタップした。
ディスプレイに、SNSの記事上で見た日に焼けた男性の顔が表示された。彼は回線が繋がったと悟ると笑顔になる。包容力のある笑みだ。
『はじめまして、柿山です。ちゃんと聞こえていますか』
よく通るテノールが、スピーカーから聞こえてくる。
「聞こえます。はじめまして、磯波です」
朝、メッセージに返信した時に自分の名前は伝えてある。
『さっそくですが、あなたのご希望の、私の知人のキャリアと連絡を取りたいという件ですが、いくつか、彼から条件を提示されています。それに合致しているか、確認させていただいてもよろしいでしょうか』
「わかりました。どうすればよろしいでしょうか」
『このまま、お話をさせてください。それだけです。その中で、あなたを彼に紹介してもいいか、考えさせていただきますから』
「面接みたいですね」
つい、そう言ってしまう。柿山は、ははは、と軽く笑って否定しなかった。
『もちろん、うちの会に登録していただいているということは、あなたもあの事件のサバイバーだということで間違いないと思います。簡単にでいいので、どういう経緯で事件に巻き込まれて、脱出できたのか教えていただいても? 辛いでしょうから、ほんとうに、簡単にでかまいませんから』
私は困った。脱出の経緯はわかっても、自分がなぜあの病院にいたかその経緯は覚えていないからだ。
「実は、記憶が曖昧で、巻き込まれた経緯がわかりません。気が付いたら病院にいました。そこで軍の人たちと行き会って、一緒にあの学園都市を抜け出しました。そして、その後運ばれた病院で検査を受けて、キャリアだとわかりました」
『はじめにいたのは水戸大学付属病院ですか? だとしたら、私もそこにいたんですよ」
「いえ、私は旧い方の」
柿山は考え込むように黙った。少し目を眇めて、こちらを――正確に言えば彼のディスプレイを見ている。笑顔を消すと途端に威圧的に見えて、私は少し緊張した。
彼はややあって口を切った。なにかに納得したように。
『たしかに、あそこの病院は移転したんでした。そうか、旧い方のか。お互い、大変な目に遭いましたね』
「ええ。私は記憶障害と妄想の症状があると診断されています。記憶障害のせいで、自分の詳しい素性が思い出せず、警察に調べてもらってもはっきりしませんでした。今は被験者になることで、生活を保障してもらっています」
『それは、とても辛い状況ですね。記憶の方は、今も回復していませんか』
「はい。妄想の症状もあるということで、自分の判断力や思考力に不安があります」
『妄想というのは? 伺っても?』
私は、できるだけわかりやすいように説明した。簡単に簡単にと思ったけれど、なかなか難しい。
だが、精神科医だという柿山は、ときおり相槌や質問をして、私の話を上手く聞き出してくれた。
途中から彼は笑みを消して、沈痛な表情を作っている。そういう顔をされると、自分がよっぽど悪い状態なのかと不安になる。
症状の説明が終わると、彼は再び、辛い状況ですね、と言った。
『身元がわからないというのであれば、よけい不安でしょう。ご家族やご友人のサポートもなしでは』
私は首を横に振った。
「いえ、病院で知り合ったメンバーと交流があります。一人はとくに良くしてくれて」
柿山は重々しくうなずいた。
『それはよかった。周囲のサポートは、一番あなたが必要とするところでしょうから』
言われて、再確認する。たしかに、リアンの気遣いに、とても助けられている。ちょっと距離感に悩むことがあるとしても。
「私が知りたいのは、その、柿山先生のお知り合いにも、私のような妄想などの症状があるのか、あればどう対処しているのかということです」
『医師ですので、私が直接、彼の症状についてあなたにお話ししたり、あなたの症状について彼にお話したりするのは、避けたいところです。もちろん、これはカウンセリングでも治療でもない。それでも』
「……そうですか」
『あなたのアカウントを、彼に紹介しましょう。あなたの人となりを話します。そして、彼があなたとコンタクトをとりたいと思ったら、彼から連絡がいくでしょう』
つまり、面接は合格ということだろうか。
「ありがとうございます」
『いえ、こちらこそ。試すようなまねをして、申し訳ありません。以前ね、彼にコンタクトをとりたいと申し出た人がいたんで、その人と私と彼で会ってみたら、その人はサバイバーでもない、特ダネを狙った記者でした。彼はとても大きなダメージを受けてしまいました。それから、お節介ですが、私が友人として彼にコンタクトをとりたいという人間の受け皿になっています』
「もし、私の身元が不安だとおっしゃるのであれば、公的な身分証でも、担当医の診断書でもお出しします」
『それには及びませんよ。私はただのおせっかいな友人ですからね』
彼は、最初に見せたのと同じ、包容力を感じさせる太い笑みを作ってみせた。同じ精神科医でも、私の担当医のピアソン医師とは、まったく別のタイプだ。
◆
通話が終了し、私は大きく息をついた。知らず、緊張していたようだ。
しばらくぼうっと会話を反芻してみる。彼との通話時間は、三十分程だった。
私は経緯を、リアンにメールで連絡することにした。彼のおかげで、柿山につながるきっかけを得たのだ、一言礼を言いたかった。
まだ、もう一人のキャリアと話せると決まった訳ではないのに、気が早いだろうか。
ただ、柿山との話の中で再確認した、彼のサポートのありがたみは、ささいなことでもお礼を言いたい気分にさせたのだ。
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