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本編
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登録申請のフォームに必要事項を記入して、送信ボタンを押す。あとは、承認を待つのみだ。
申請用フォームには、参加しようと思った動機や、実際どういった状況に陥ったのかという軽い説明を入力する必要があった。パソコンがあれば速いのだが、すべてスマートフォンでその文章を入力するのは骨が折れた。
作業を終えて、時計を見ると、午後三時を回っていた。リアンは本に熱中しているようだ。
37、
「申請、終わったわ」
「早いな」
「そうかな、結構時間かかったけれど。……その本、面白い?」
「ああ、夢中で読んでしまった」
リアンが指で押さえているページは、既に本の三分の一をすぎていた。私の英語力では、日に三十ページが限界だったけれど、彼には慣れ親しんだ第二母国語だから、すらすら読めるのだろう。
彼のカップを見ると、すでに乾いていた。慌てて、私は立ち上がり、新しく冷えたお茶を用意する。
「ありがとう、それをいただいたら、帰るよ。君も疲れているだろう。長居して、すまなかった」
「こっちこそ、ありがとう。おかげで少し、……」
続く言葉を見つけられず、私は口を閉じた。
「なにか、ヒントになりそうか?」
「そのヒントが得られるかもしれないと思ったところ。だから、ありがとう」
話している間も、本を持ったままの彼を見て、私はひとつ提案した。
「リアン、なんならその本、持って行く?」
「いいのか? いや、君も読んでいる途中だっただろう?」
「大丈夫、他にも途中で放置している本があるから、先にそっちを読むわ。それにしばらく、本以外のものに集中したいところだし」
「なら、遠慮なく」
リアンは嬉しそうに笑って、本を受け取った。そしてお茶を飲み干し立ち上がる。体格のいい彼が立つと、部屋が急に狭くなったように感じた。
彼をエントランスまで見送る。日差しはとても強く、この中を帰らせるのが申し訳なく思える程だった。日差しから目を守るためか、リアンがサングラスをつけた。
「それじゃあなにかあったら、また連絡してくれ。いつでも」
「うん。……今度はその本を受け取りに行くわ」
私は手を差し出した。彼がその手を握る。握手を交わして、彼は炎天下、去って行った。
その背中を見えなくなるまで見送って、そう言えば、自分から彼に会おうと約束したのは、これが初めてだなと思った。
◆
寝る前、本を読んでいると、メール受信のメロディが鳴り、私はスマートフォンを手に取った。
内容は、昼間出した申請の登録承認。リアンと同じように、個人情報を入力していく。もちろん、最初はオンラインオンリーで。
入力が終わり、URLを載せたメールが届いた。そこから、例のクローズドSNSにアクセスする。
最新の投稿の一覧を飛ばして、私はまず、柿山の投稿記事を検索した。彼が投稿した記事を、日付順に追ってみる。
彼がこのサイトを立ち上げたのは、六月の初旬、まだ一月強ほどしか歴史がない。サイトを立ち上げたあとは、しばらくメンバーは増えなかったようだけれど、定期的に、彼が『メンバーが十人に増えました』『メンバーが二十五人になりました』と報告していく記事をあげていき、その記事の間隔は短くなっていっている。
最後のメンバー数報告の記事は、水曜日で、メンバーは五十人を超えたそうだ。
メンバーの増加はそろそろ停滞にさしかかるのではないかと、私は推測した。実際のサバイバーの人数は限りがあるし、その全員がこの活動に関わるかというと、そうではないからだ。中には、なにかしらの損得勘定で、サバイバーを名乗っている偽物もいるかもしれないけれど。
彼の記事は基本的に、医療や福祉の方面からサバイバーをバックアップしようという啓発運動についてのものがメインだった。さらには同じような事件の再発抑止策を、各方面の有識者と検討したりしているらしい。その経過と今後の方針を二日に一度ほどの頻度で更新している。かなり熱心なように見えた。
他のメンバーはどちらかといえば、自分があった辛い体験を告白したり助言を求めたりしているのに、彼はバイタリティにあふれている。
時折、記事に掲載されている写真には、おそらく柿山だと思われる男性が載っていた。医師だというには日に焼けて、いかにも男性的な四角い顔をした禿頭で、五十代くらいに見える。短く刈りそろえた髭面は、いつも力強く微笑んでいる。
彼は、今は土浦で開業していて、用事があって水戸に赴いたとき、あの事件に巻き込まれたらしい。
私は特に興味があった、保菌者に関する投稿を読んだ。
柿山は、現場を脱出したあとウイルス感染の検査を受け、陰性だった。しかし、同じ日に検査を受けた人のなかには、陽性だった人がいたという。その人は今、色々なことでハンディを背負い、苦しんでいる。その人と連絡を取り合い、なにに困っているのかヒアリングして、解決策を探しているという。
その人が苦しんでいることは、とくに、社会的な保証のないことと身体的・精神的なダメージのケア。
社会的な保証というのは、医療費のことや、自分がキャリアだと言えない環境。二次感染はしないといわれているし、発症の兆候はないとされているのに、職場や家庭というコミュニティから弾かれてしまうということだ。これに関しては、認知度をあげていくしかないと柿山は結論付け、様々な講演を各種医療機関に持ちかけたりしているという。
身体的・精神的なダメージのうち、精神的なものは、外的な要因、つまりは感染やあの環境に置かれたことによる後遺症で、パニックを起こしたり、フラッシュバックに悩まされているということが書かれていた。これに関しては、カウンセリングなどを用いて、じっくり取り組む。そのため周りのサポートの必要性を訴えていた。さらに、身体的なダメージには、精神的ダメージと重なる部分があり、脳の一部を損傷して、記憶障害や感情障害を負ってしまって、日常生活に支障が出てしまい、本人も様々な局面で自信を失うことが起きているという。
私にも覚えがあることだ。
そのまま、彼の書いた記事や、彼とともに活動しているメンバーの記事を読みすすめ、すっかり読了したころには、深夜の一時を回っていた。
そのときには、気持ちは固まっていた。
柿山のマイページに、非公開設定のメッセージを送信した。自分がキャリアであること、自分で対処できないできごとで苦しんでいること、できれば他のキャリアともコンタクトをとりたいと思っていること。悩んだけれど、最初のメッセージでは、本名ではなくて、ニックネームを使用した。DEER、つまり、鹿。本名にちなんだ名前だ。
もし機会があれば、同じ境遇の人の話を直に聞いてみたい。
柿山にコンタクトをとれば、この理解できない状況にも、少しは光明が差すかもしれない。大きな期待ではないが、それでも、眠るとき少しだけ気分が明るかった。
申請用フォームには、参加しようと思った動機や、実際どういった状況に陥ったのかという軽い説明を入力する必要があった。パソコンがあれば速いのだが、すべてスマートフォンでその文章を入力するのは骨が折れた。
作業を終えて、時計を見ると、午後三時を回っていた。リアンは本に熱中しているようだ。
37、
「申請、終わったわ」
「早いな」
「そうかな、結構時間かかったけれど。……その本、面白い?」
「ああ、夢中で読んでしまった」
リアンが指で押さえているページは、既に本の三分の一をすぎていた。私の英語力では、日に三十ページが限界だったけれど、彼には慣れ親しんだ第二母国語だから、すらすら読めるのだろう。
彼のカップを見ると、すでに乾いていた。慌てて、私は立ち上がり、新しく冷えたお茶を用意する。
「ありがとう、それをいただいたら、帰るよ。君も疲れているだろう。長居して、すまなかった」
「こっちこそ、ありがとう。おかげで少し、……」
続く言葉を見つけられず、私は口を閉じた。
「なにか、ヒントになりそうか?」
「そのヒントが得られるかもしれないと思ったところ。だから、ありがとう」
話している間も、本を持ったままの彼を見て、私はひとつ提案した。
「リアン、なんならその本、持って行く?」
「いいのか? いや、君も読んでいる途中だっただろう?」
「大丈夫、他にも途中で放置している本があるから、先にそっちを読むわ。それにしばらく、本以外のものに集中したいところだし」
「なら、遠慮なく」
リアンは嬉しそうに笑って、本を受け取った。そしてお茶を飲み干し立ち上がる。体格のいい彼が立つと、部屋が急に狭くなったように感じた。
彼をエントランスまで見送る。日差しはとても強く、この中を帰らせるのが申し訳なく思える程だった。日差しから目を守るためか、リアンがサングラスをつけた。
「それじゃあなにかあったら、また連絡してくれ。いつでも」
「うん。……今度はその本を受け取りに行くわ」
私は手を差し出した。彼がその手を握る。握手を交わして、彼は炎天下、去って行った。
その背中を見えなくなるまで見送って、そう言えば、自分から彼に会おうと約束したのは、これが初めてだなと思った。
◆
寝る前、本を読んでいると、メール受信のメロディが鳴り、私はスマートフォンを手に取った。
内容は、昼間出した申請の登録承認。リアンと同じように、個人情報を入力していく。もちろん、最初はオンラインオンリーで。
入力が終わり、URLを載せたメールが届いた。そこから、例のクローズドSNSにアクセスする。
最新の投稿の一覧を飛ばして、私はまず、柿山の投稿記事を検索した。彼が投稿した記事を、日付順に追ってみる。
彼がこのサイトを立ち上げたのは、六月の初旬、まだ一月強ほどしか歴史がない。サイトを立ち上げたあとは、しばらくメンバーは増えなかったようだけれど、定期的に、彼が『メンバーが十人に増えました』『メンバーが二十五人になりました』と報告していく記事をあげていき、その記事の間隔は短くなっていっている。
最後のメンバー数報告の記事は、水曜日で、メンバーは五十人を超えたそうだ。
メンバーの増加はそろそろ停滞にさしかかるのではないかと、私は推測した。実際のサバイバーの人数は限りがあるし、その全員がこの活動に関わるかというと、そうではないからだ。中には、なにかしらの損得勘定で、サバイバーを名乗っている偽物もいるかもしれないけれど。
彼の記事は基本的に、医療や福祉の方面からサバイバーをバックアップしようという啓発運動についてのものがメインだった。さらには同じような事件の再発抑止策を、各方面の有識者と検討したりしているらしい。その経過と今後の方針を二日に一度ほどの頻度で更新している。かなり熱心なように見えた。
他のメンバーはどちらかといえば、自分があった辛い体験を告白したり助言を求めたりしているのに、彼はバイタリティにあふれている。
時折、記事に掲載されている写真には、おそらく柿山だと思われる男性が載っていた。医師だというには日に焼けて、いかにも男性的な四角い顔をした禿頭で、五十代くらいに見える。短く刈りそろえた髭面は、いつも力強く微笑んでいる。
彼は、今は土浦で開業していて、用事があって水戸に赴いたとき、あの事件に巻き込まれたらしい。
私は特に興味があった、保菌者に関する投稿を読んだ。
柿山は、現場を脱出したあとウイルス感染の検査を受け、陰性だった。しかし、同じ日に検査を受けた人のなかには、陽性だった人がいたという。その人は今、色々なことでハンディを背負い、苦しんでいる。その人と連絡を取り合い、なにに困っているのかヒアリングして、解決策を探しているという。
その人が苦しんでいることは、とくに、社会的な保証のないことと身体的・精神的なダメージのケア。
社会的な保証というのは、医療費のことや、自分がキャリアだと言えない環境。二次感染はしないといわれているし、発症の兆候はないとされているのに、職場や家庭というコミュニティから弾かれてしまうということだ。これに関しては、認知度をあげていくしかないと柿山は結論付け、様々な講演を各種医療機関に持ちかけたりしているという。
身体的・精神的なダメージのうち、精神的なものは、外的な要因、つまりは感染やあの環境に置かれたことによる後遺症で、パニックを起こしたり、フラッシュバックに悩まされているということが書かれていた。これに関しては、カウンセリングなどを用いて、じっくり取り組む。そのため周りのサポートの必要性を訴えていた。さらに、身体的なダメージには、精神的ダメージと重なる部分があり、脳の一部を損傷して、記憶障害や感情障害を負ってしまって、日常生活に支障が出てしまい、本人も様々な局面で自信を失うことが起きているという。
私にも覚えがあることだ。
そのまま、彼の書いた記事や、彼とともに活動しているメンバーの記事を読みすすめ、すっかり読了したころには、深夜の一時を回っていた。
そのときには、気持ちは固まっていた。
柿山のマイページに、非公開設定のメッセージを送信した。自分がキャリアであること、自分で対処できないできごとで苦しんでいること、できれば他のキャリアともコンタクトをとりたいと思っていること。悩んだけれど、最初のメッセージでは、本名ではなくて、ニックネームを使用した。DEER、つまり、鹿。本名にちなんだ名前だ。
もし機会があれば、同じ境遇の人の話を直に聞いてみたい。
柿山にコンタクトをとれば、この理解できない状況にも、少しは光明が差すかもしれない。大きな期待ではないが、それでも、眠るとき少しだけ気分が明るかった。
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