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完結1周年番外編
(伊丹視点)コンティニューしますか? 3
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ミシカの背後には、緊張した面持ちのスーツの男――誰だっけ。女を寝取られて、子供の認知もさせてもらえなかった惨めなやつ――が控えていた。
こんな状況でも名刺を渡してくる、お寒いギャグに調子を合わせて笑ってやるのは本当に馬鹿馬鹿しかったけれど、じっとこちらを観察しているミシカに敵意がないことを示すために、そうした。
「磯波ミシカです。はじめまして」
「……はじめまして、磯波さん。僕は伊丹洋次」
挨拶の言葉の裏に、念押しの意思を感じて、僕もそれに従った。
握手を交わした彼女の手は、到底、銃で殺人するような女のものとは思えない、華奢で柔らかなそれだった。
「怪我人の応急処置は、俺がしよう。午後四時に、救助のヘリが来る。それまでには屋上へ移動させるから、手伝ってくれ」
勝手に仕切りはじめたのは、柏田だ。年長者の余裕か? それとも、ミシカの前でいい格好をしたいだけなのか。従う義務はない言葉に、けれども反対意見なんて出ない、そんな雰囲気だった。
そこで手を軽く上げたのは、ミシカだ。
「ヘリが到着する前に、やることがあるわ。外を歩いてきたならわかるでしょうけれど、近くに狙撃手がいる。この病院も射程内。下手をしたら、屋上でヘリを待っているうちに皆殺しにされる。止めないと」
「たしかに」
柏田が同意した。この病院のそばで同行者が一人、狙撃されたのだという。
ホセがすぐにその狙撃手のいる場所にあたりをつけた。どう歩いて全員がここに来たのか、その間にどこで狙撃されたのかを聞き出して、遮蔽物やなんかから割り出したらしい。
周辺の建物の高さなんかは、怪我人を背負ってここに逃げ込む際に把握したというから、腐っても兵士だ。
まあ、ホセが使えなくても、ミシカと僕がアンサーを持っているんだけど。怪しまれないようにさりげなく、ホセの答えをミシカが誘導していたこと、気付いたのはたぶん僕だけだ。他ならぬ僕も、そうやってホセが答えを導き出しやすいように、自分のここへの移動経路を少しばかり脚色した。
そのことが優越感になった。やっぱり、僕らはこいつらとは違う。違うんだ。
ミシカは頑なにこちらを見ようとしないけれど、僕を意識していることは間違いない。僕だってそうだ。シンパシーのようなもの。見えない紐帯を皮膚で感じる。
はやく二人きりになりたい。すぐにでも。
◆
佐々木を処置室で手当した柏田は、小さなため息をついた。
「できることはこれくらいしかなさそうだ」
「仕方ない、こんな事態だ。さあ行くぞ。もう時間もあまりないし」
ホセは話しながら、すでに出発の用意を整え、ドアに手をかけている。そしてリーサを振り返った。
「リーサ、こいつらのこと頼んだぞ」
「気をつけてね、ホセ。柏田くん、ホセが暴走しそうになったらちゃんと止めてよね」
「了解した」
手当しながらの会話で、ホセと柏田の二人が狙撃手を制圧することに決まったらしい。まあ普通に考えて、人選はそうなる。一般人の僕と塩野、それからミシカを、銃器を持っているのが明らかな敵のところへ連れて行くことは避けるだろう。
柏田も手早く支度してホセの待つドアへ歩み寄った。そこにさっとミシカが近付く。顔を下に向けた柏田とミシカの視線があう。
「やっぱり私も行く。アシストくらいにはなる、……と思う」
控えめなミシカの申し出に、柏田が渋い顔をした。
「いや、危険だ。君はここに残れ」
「どれほどの感染者があちらのビルにいるかもわからないんだから、少しでも戦力は多くあったほうがいい。もしあなたたち二人に何かあったら、絶対に脱出できなくなる。そちらのほうが危険でしょう。それに、さっきあの女の子……あの感染者を倒したところを見ていたでしょ。それでも私は戦力にならない? これでも、スコアはそこそこいいの。この街の地理もある程度知っているし」
ミシカはあまり、そういうことをいうタイプだと思わなかった。露骨なアピールだ。
……ああ、そういうこと。必死なんだ、同行したくて。柏田を危険な目に合わせたくない、その一心で自分の有用性を説いている。
ちり、とうなじが焦げる。
「僕もそれに賛成。あんたたち兵士がもし野垂れ死んだら、誰も脱出できなくなる。だったら、戦力は集めたほうがいいんじゃないの。銃だけなら持ってるし、僕も行くよ。エレベーターのドア開けとくくらいはしてあげる」
「二人の意見に賛成。柏田くん、一緒に行くよ」
僕の申し出は、塩野の背中も押したらしい。こんな運動不足っぽい男がもうひとり増えても、戦力にはならなさそうな気もするけれど。
「どうするよ、リアン。ここにいる連中はみんな、ガッツがありそうだけど」
からかい調子のホセは、なんだかやたら元気だ。こういう展開を「熱い」とか「チームワーク」だとか暑苦しく考えているのだろうか。ああ、ありそうだ。
柏田は視線を上げて熟考するようなしぐさをみせたが、それは長く続かなかった。
「悪いが、誰か一人は処置室に残ってほしい。何かあったときリーサだけでは対応しきれない可能性がある。できれば男手があったほうがいい」
「あら柏田くん、私じゃ力不足だって言ってるの?」
おどけてリーサが眉を上げた。
「そうじゃない」
「冗談よ。実際、この腕でストレッチャーを移動するのはきついと思う」
「じゃあ僕が残るよ。近くの部屋を見て、使えそうな薬を探しておく。必要になるかもしれない」
適当に尻ポケットにつっこんだ塩野の名刺の肩書を思い出した。製薬会社の社員だっけ? 少しは薬の知識もあるのか。
「よし、決まりだ。行くぞ、ふたりとも」
柏田が、装備を確認する僕たちを振り返る。
「言っておくが、乱戦になったら庇いきれない。そのときは各自、自分の身を護るのを最優先して退避してくれ」
「わかってるわ」
「勇ましいな」
間髪入れず返したミシカに、柏田は目を細めた。一瞬、ふたりの間の空気が緩む。
柏田の横面に銃弾を打ち込んでやりたい衝動に駆られて、それを抑えるのに必死だった。僕の心の内を察しているのかいないのか、出発するときちらりとこちらを見たミシカの視線は、不信感をむき出しにした刺々しいものだった。
◆
固まって移動すると標的になりやすい。ホセが先行し、少し距離をおいて僕とミシカが続き、殿を柏田が務めることになった。
濡れたアスファルトの上を小走りに進む。歩道に設置された透明な雨よけのルーフの下は目立つからと、木立の陰を隠れていくため、雨には無防備だ。水分がしっとりと全身にまとわりつく。
「どういうつもりなの」
唐突に、隣を行くミシカが口を開いた。十メートルほどの距離をおいて前後をいく兵士たちには、聞こえないほどの小さな声。対して僕らは、ミシカの長いまつげの先に、雨粒が乗っているのが見えるほどの距離。カットソーの襟ぐりから覗く彼女の白いのどが、薄暗いなか、眩しく見える。手を伸ばして触れたら、冷たいだろうか、温かいだろうか。濡れて貼り付く布地が細い肩の線を浮き立たせている。
「睨まないでよ。聞きたいことがあっただけなんだから」
「……信用すると思う?」
「じゃあこの場で僕を殺す?」
ミシカの目がすっと細まった。僕に今銃口を押し付けるか考えているのかも。たぶん彼女の本音は「そうしたい」だ。
しかしながら、ミシカが身体の前で軽く握っている銃が僕に向けられることはなかった。
「そうしたら、今回は街が無事だって保証があるならそうするけれど」
「街?」
「あなたがやったんでしょう、前回も、前々回もその前も、外の水戸市街まで汚染させて、廃墟にして。市ひとつ壊滅させて、気分がよかった? わざわざ自慢にきたの?」
「え? ……待って、何の話?」
ミシカの言うことの意味が理解できない。
「ウイルスを市街地まで散布するように旭日独立軍の人たちを誘導したのはあなたじゃないの?」
「なにそれ、濡れ衣だよ。僕は……僕こそ聞きたい。前回も、前々回も、その前も、僕のことを殺しに来た? 目が覚めて、動き出そうとした瞬間に頭を撃たれて殺されたんだ。あれは君の仕業だろ」
「あいにく、そんな暇はないわ」
複雑な気持ちになった。吐き捨てるように言われて胸が痛んだし、犯人はミシカじゃなかったんだとほっとしもした。
だが疑問はさらに大きくなった。
「じゃあ誰が?」
「知らない」
「でも、おかしいじゃないか。君じゃないなら、誰なんだ。他の連中は毎回おんなじことを繰り返すだけなんだよ。僕らの行動の影響がなければ、あいつらが行動を変えたりしない。そうでしょ」
「さあ」
興味なさげに言われて、僕の腹の底に怒りの火がつく。
「……お前以外にいないだろ。他の誰が自由意志を持って動けるっていうんだよ」
「逆に聞きたいわ。なぜ私たち以外に、同じような状況に陥っている人がいるのかもしれないって思いつかないの」
最初から排除していたその可能性を眼前に突きつけられて、心臓が大きく拍動した。
「そんなわけ……、そんなことあるわけないだろ!」
「断定する材料がある?」
「もしそうだとしてなんで僕が殺されるんだよ」
「さあ。必要だったのか、ただの偶然か、……相手を怒らせたとか」
「そんなことあるか! だったらなんで今回は殺しに来なかったんだ」
「それこそ、あなたがわからないのに、私が知るわけない」
ミシカは足を速め、前を行くホセに追いついた。
気付くと、あのカフェの前まで来ていた。割れ落ちたガラスを踏み越えて、僕たちはビルに侵入した。
◆
バックヤードには惨状が広がっていた。血の濃厚で蒸した臭いが充満していて、あまり気分はよくない。暗さのせいで他の人間の顔はよく見えなかったが、ご機嫌なやつはいない。
エレベーターの中で互いの顔が見えるようになって、ようやくホセが口を開いた。
「おい、大丈夫かよヨージ。顔色悪いぜ」
「……大丈夫だよ」
勝手に呼び捨てにしやがって。僕をネタにして自分の精神安定をはかろうとしているのが見え見えだ。ホセの鬱陶しい視線から逃れるため、僕は自分のつま先を見つめる。
僕ら以外にも、繰り返しの試練を受けている人間がいる。そんなことありえない。だって、これは僕とミシカが選ばれた人間だって証拠で、他の奴らはそもそも資格がないんだ。違う世界のことを知っていて、死んでも魂は不滅、体は新しく用意される。それは僕らだけの特権、僕らだけの能力のはずなんだ。
ミシカは、さっきの会話なんてなんともないことだと言うように、平静な表情。なんでそんな澄ました顔でいられるんだ。おまけに彼女の視線は、階数ボタン前で銃を持つ柏田の背中に注がれている。僕とのさっきの会話なんか、もうどうでもいいっていうのか。
なんで、なんで、なんで。
手を伸ばしてその薄い肩を掴み、揺さぶってやりたい。こっちを見ろと言いたい。それができないなら、その丸い目玉をくり抜いてやりたい。
「よし、気を抜くなよ。俺が先行するから、あんたたちは後ろをついてこい。できれば左右を警戒してくれ」
「ええ」
ホセの呼びかけに、ミシカが反応した。僕の反応を待って、ホセがじっとこちらを見るので、うなずいてやる。
「緊張してるのはわかる。無理しないでエレベーターで待っていていいぜ、ヨージ」
「行くよ」
からかわれて、かっとなった。怖いわけじゃない。いまさらこんなことで怖気づいたりするものか。馬鹿にしやがって。
「おう、その調子だ」
ホセの、兄貴風を吹かせた笑顔が腹立たしい。
九階に到着し、エレベーターのドアが開く。兵士二人が機敏な動きで飛び出して周囲を警戒し、続け、というハンドサインを送ってきた。
「いいか、油断するなよ」
少し前を行くホセが、低い声で言う。
どうせここには目当ての狙撃手はいない。そのことを知っているので、こんな茶番に付き合っているのは馬鹿馬鹿しく思える。いっそのこと、ここにはいない、屋上だと告げようか。そしたらミシカは怒る?
ちらりと隣のミシカを見ると、クソ真面目に銃を構えて、警戒しているポーズをとっていた。振り返って後ろを確認するとき、彼女が見ているのはあの柏田の方だ。
なんでいつも僕の方を向かないんだ。
ああでも、怒らせたらさすがに、こちらを見る?
こんな状況でも名刺を渡してくる、お寒いギャグに調子を合わせて笑ってやるのは本当に馬鹿馬鹿しかったけれど、じっとこちらを観察しているミシカに敵意がないことを示すために、そうした。
「磯波ミシカです。はじめまして」
「……はじめまして、磯波さん。僕は伊丹洋次」
挨拶の言葉の裏に、念押しの意思を感じて、僕もそれに従った。
握手を交わした彼女の手は、到底、銃で殺人するような女のものとは思えない、華奢で柔らかなそれだった。
「怪我人の応急処置は、俺がしよう。午後四時に、救助のヘリが来る。それまでには屋上へ移動させるから、手伝ってくれ」
勝手に仕切りはじめたのは、柏田だ。年長者の余裕か? それとも、ミシカの前でいい格好をしたいだけなのか。従う義務はない言葉に、けれども反対意見なんて出ない、そんな雰囲気だった。
そこで手を軽く上げたのは、ミシカだ。
「ヘリが到着する前に、やることがあるわ。外を歩いてきたならわかるでしょうけれど、近くに狙撃手がいる。この病院も射程内。下手をしたら、屋上でヘリを待っているうちに皆殺しにされる。止めないと」
「たしかに」
柏田が同意した。この病院のそばで同行者が一人、狙撃されたのだという。
ホセがすぐにその狙撃手のいる場所にあたりをつけた。どう歩いて全員がここに来たのか、その間にどこで狙撃されたのかを聞き出して、遮蔽物やなんかから割り出したらしい。
周辺の建物の高さなんかは、怪我人を背負ってここに逃げ込む際に把握したというから、腐っても兵士だ。
まあ、ホセが使えなくても、ミシカと僕がアンサーを持っているんだけど。怪しまれないようにさりげなく、ホセの答えをミシカが誘導していたこと、気付いたのはたぶん僕だけだ。他ならぬ僕も、そうやってホセが答えを導き出しやすいように、自分のここへの移動経路を少しばかり脚色した。
そのことが優越感になった。やっぱり、僕らはこいつらとは違う。違うんだ。
ミシカは頑なにこちらを見ようとしないけれど、僕を意識していることは間違いない。僕だってそうだ。シンパシーのようなもの。見えない紐帯を皮膚で感じる。
はやく二人きりになりたい。すぐにでも。
◆
佐々木を処置室で手当した柏田は、小さなため息をついた。
「できることはこれくらいしかなさそうだ」
「仕方ない、こんな事態だ。さあ行くぞ。もう時間もあまりないし」
ホセは話しながら、すでに出発の用意を整え、ドアに手をかけている。そしてリーサを振り返った。
「リーサ、こいつらのこと頼んだぞ」
「気をつけてね、ホセ。柏田くん、ホセが暴走しそうになったらちゃんと止めてよね」
「了解した」
手当しながらの会話で、ホセと柏田の二人が狙撃手を制圧することに決まったらしい。まあ普通に考えて、人選はそうなる。一般人の僕と塩野、それからミシカを、銃器を持っているのが明らかな敵のところへ連れて行くことは避けるだろう。
柏田も手早く支度してホセの待つドアへ歩み寄った。そこにさっとミシカが近付く。顔を下に向けた柏田とミシカの視線があう。
「やっぱり私も行く。アシストくらいにはなる、……と思う」
控えめなミシカの申し出に、柏田が渋い顔をした。
「いや、危険だ。君はここに残れ」
「どれほどの感染者があちらのビルにいるかもわからないんだから、少しでも戦力は多くあったほうがいい。もしあなたたち二人に何かあったら、絶対に脱出できなくなる。そちらのほうが危険でしょう。それに、さっきあの女の子……あの感染者を倒したところを見ていたでしょ。それでも私は戦力にならない? これでも、スコアはそこそこいいの。この街の地理もある程度知っているし」
ミシカはあまり、そういうことをいうタイプだと思わなかった。露骨なアピールだ。
……ああ、そういうこと。必死なんだ、同行したくて。柏田を危険な目に合わせたくない、その一心で自分の有用性を説いている。
ちり、とうなじが焦げる。
「僕もそれに賛成。あんたたち兵士がもし野垂れ死んだら、誰も脱出できなくなる。だったら、戦力は集めたほうがいいんじゃないの。銃だけなら持ってるし、僕も行くよ。エレベーターのドア開けとくくらいはしてあげる」
「二人の意見に賛成。柏田くん、一緒に行くよ」
僕の申し出は、塩野の背中も押したらしい。こんな運動不足っぽい男がもうひとり増えても、戦力にはならなさそうな気もするけれど。
「どうするよ、リアン。ここにいる連中はみんな、ガッツがありそうだけど」
からかい調子のホセは、なんだかやたら元気だ。こういう展開を「熱い」とか「チームワーク」だとか暑苦しく考えているのだろうか。ああ、ありそうだ。
柏田は視線を上げて熟考するようなしぐさをみせたが、それは長く続かなかった。
「悪いが、誰か一人は処置室に残ってほしい。何かあったときリーサだけでは対応しきれない可能性がある。できれば男手があったほうがいい」
「あら柏田くん、私じゃ力不足だって言ってるの?」
おどけてリーサが眉を上げた。
「そうじゃない」
「冗談よ。実際、この腕でストレッチャーを移動するのはきついと思う」
「じゃあ僕が残るよ。近くの部屋を見て、使えそうな薬を探しておく。必要になるかもしれない」
適当に尻ポケットにつっこんだ塩野の名刺の肩書を思い出した。製薬会社の社員だっけ? 少しは薬の知識もあるのか。
「よし、決まりだ。行くぞ、ふたりとも」
柏田が、装備を確認する僕たちを振り返る。
「言っておくが、乱戦になったら庇いきれない。そのときは各自、自分の身を護るのを最優先して退避してくれ」
「わかってるわ」
「勇ましいな」
間髪入れず返したミシカに、柏田は目を細めた。一瞬、ふたりの間の空気が緩む。
柏田の横面に銃弾を打ち込んでやりたい衝動に駆られて、それを抑えるのに必死だった。僕の心の内を察しているのかいないのか、出発するときちらりとこちらを見たミシカの視線は、不信感をむき出しにした刺々しいものだった。
◆
固まって移動すると標的になりやすい。ホセが先行し、少し距離をおいて僕とミシカが続き、殿を柏田が務めることになった。
濡れたアスファルトの上を小走りに進む。歩道に設置された透明な雨よけのルーフの下は目立つからと、木立の陰を隠れていくため、雨には無防備だ。水分がしっとりと全身にまとわりつく。
「どういうつもりなの」
唐突に、隣を行くミシカが口を開いた。十メートルほどの距離をおいて前後をいく兵士たちには、聞こえないほどの小さな声。対して僕らは、ミシカの長いまつげの先に、雨粒が乗っているのが見えるほどの距離。カットソーの襟ぐりから覗く彼女の白いのどが、薄暗いなか、眩しく見える。手を伸ばして触れたら、冷たいだろうか、温かいだろうか。濡れて貼り付く布地が細い肩の線を浮き立たせている。
「睨まないでよ。聞きたいことがあっただけなんだから」
「……信用すると思う?」
「じゃあこの場で僕を殺す?」
ミシカの目がすっと細まった。僕に今銃口を押し付けるか考えているのかも。たぶん彼女の本音は「そうしたい」だ。
しかしながら、ミシカが身体の前で軽く握っている銃が僕に向けられることはなかった。
「そうしたら、今回は街が無事だって保証があるならそうするけれど」
「街?」
「あなたがやったんでしょう、前回も、前々回もその前も、外の水戸市街まで汚染させて、廃墟にして。市ひとつ壊滅させて、気分がよかった? わざわざ自慢にきたの?」
「え? ……待って、何の話?」
ミシカの言うことの意味が理解できない。
「ウイルスを市街地まで散布するように旭日独立軍の人たちを誘導したのはあなたじゃないの?」
「なにそれ、濡れ衣だよ。僕は……僕こそ聞きたい。前回も、前々回も、その前も、僕のことを殺しに来た? 目が覚めて、動き出そうとした瞬間に頭を撃たれて殺されたんだ。あれは君の仕業だろ」
「あいにく、そんな暇はないわ」
複雑な気持ちになった。吐き捨てるように言われて胸が痛んだし、犯人はミシカじゃなかったんだとほっとしもした。
だが疑問はさらに大きくなった。
「じゃあ誰が?」
「知らない」
「でも、おかしいじゃないか。君じゃないなら、誰なんだ。他の連中は毎回おんなじことを繰り返すだけなんだよ。僕らの行動の影響がなければ、あいつらが行動を変えたりしない。そうでしょ」
「さあ」
興味なさげに言われて、僕の腹の底に怒りの火がつく。
「……お前以外にいないだろ。他の誰が自由意志を持って動けるっていうんだよ」
「逆に聞きたいわ。なぜ私たち以外に、同じような状況に陥っている人がいるのかもしれないって思いつかないの」
最初から排除していたその可能性を眼前に突きつけられて、心臓が大きく拍動した。
「そんなわけ……、そんなことあるわけないだろ!」
「断定する材料がある?」
「もしそうだとしてなんで僕が殺されるんだよ」
「さあ。必要だったのか、ただの偶然か、……相手を怒らせたとか」
「そんなことあるか! だったらなんで今回は殺しに来なかったんだ」
「それこそ、あなたがわからないのに、私が知るわけない」
ミシカは足を速め、前を行くホセに追いついた。
気付くと、あのカフェの前まで来ていた。割れ落ちたガラスを踏み越えて、僕たちはビルに侵入した。
◆
バックヤードには惨状が広がっていた。血の濃厚で蒸した臭いが充満していて、あまり気分はよくない。暗さのせいで他の人間の顔はよく見えなかったが、ご機嫌なやつはいない。
エレベーターの中で互いの顔が見えるようになって、ようやくホセが口を開いた。
「おい、大丈夫かよヨージ。顔色悪いぜ」
「……大丈夫だよ」
勝手に呼び捨てにしやがって。僕をネタにして自分の精神安定をはかろうとしているのが見え見えだ。ホセの鬱陶しい視線から逃れるため、僕は自分のつま先を見つめる。
僕ら以外にも、繰り返しの試練を受けている人間がいる。そんなことありえない。だって、これは僕とミシカが選ばれた人間だって証拠で、他の奴らはそもそも資格がないんだ。違う世界のことを知っていて、死んでも魂は不滅、体は新しく用意される。それは僕らだけの特権、僕らだけの能力のはずなんだ。
ミシカは、さっきの会話なんてなんともないことだと言うように、平静な表情。なんでそんな澄ました顔でいられるんだ。おまけに彼女の視線は、階数ボタン前で銃を持つ柏田の背中に注がれている。僕とのさっきの会話なんか、もうどうでもいいっていうのか。
なんで、なんで、なんで。
手を伸ばしてその薄い肩を掴み、揺さぶってやりたい。こっちを見ろと言いたい。それができないなら、その丸い目玉をくり抜いてやりたい。
「よし、気を抜くなよ。俺が先行するから、あんたたちは後ろをついてこい。できれば左右を警戒してくれ」
「ええ」
ホセの呼びかけに、ミシカが反応した。僕の反応を待って、ホセがじっとこちらを見るので、うなずいてやる。
「緊張してるのはわかる。無理しないでエレベーターで待っていていいぜ、ヨージ」
「行くよ」
からかわれて、かっとなった。怖いわけじゃない。いまさらこんなことで怖気づいたりするものか。馬鹿にしやがって。
「おう、その調子だ」
ホセの、兄貴風を吹かせた笑顔が腹立たしい。
九階に到着し、エレベーターのドアが開く。兵士二人が機敏な動きで飛び出して周囲を警戒し、続け、というハンドサインを送ってきた。
「いいか、油断するなよ」
少し前を行くホセが、低い声で言う。
どうせここには目当ての狙撃手はいない。そのことを知っているので、こんな茶番に付き合っているのは馬鹿馬鹿しく思える。いっそのこと、ここにはいない、屋上だと告げようか。そしたらミシカは怒る?
ちらりと隣のミシカを見ると、クソ真面目に銃を構えて、警戒しているポーズをとっていた。振り返って後ろを確認するとき、彼女が見ているのはあの柏田の方だ。
なんでいつも僕の方を向かないんだ。
ああでも、怒らせたらさすがに、こちらを見る?
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