【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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完結1周年番外編

(伊丹視点)コンティニューしますか? 1

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 激痛と恐怖に叫びながら目を覚ました。
 照明の真っ白な光に網膜を焼かれることで、ようやく頭の中が落ち着いてくる。乱れた呼吸とまばたきを繰り返し、僕はこみあげてきた苦いものをなんとか飲み下した。
 
 四畳半ほどの部屋。白い壁に白い床、天井まで白。その天井からはカーテンが吊るされて、壁際にはたくさんの機器類が並んでいる。壁の一面に鏡――に見せかけてこれが向こう側からは素通しのガラスになっていることを、知っている。

 水戸大学付属病院の、特別看護室で僕は目覚めた。
 思わず、顔に手で触れる。つるりとした皮膚があった。痛みはない。恐る恐る脚を動かしても、下半身に違和感や痛みはなかった。
 緊張がほぐれるにつれ、強烈な怒りが腹の底からこみ上げてくる。

 あの女。あの、わからず屋で薄汚い騙し討ちをする馬鹿な女。あいつのせいで、僕は――。
 これまでで一番屈辱的で苦痛に満ちた死だった。思い出すだけで、酸っぱいものが胃の腑からこみ上げて、総毛立つ。
 許せない。置いて行かないでほしいと懇願するから、それを許してやったというのに、あんな。絶対に、殺してやる。一番惨めな方法で、二度と逆らう気にもならないようにだ。あの女が執着しているあの男の前で、ぐちゃぐちゃになるまで犯してやろうか。逆にあの男を僕と同じ目にあわせてもいい。

 ストレッチャーから起き上がった僕は、まず部屋を出ることにした。ドアにはロックが掛かっている。

 鏡の前に立ち、顔色の優れない自分を確認した。白いシャツの上に黒いパーカーを羽織り、チノパンを履いている。目覚めると決まってこの格好をしている。
 疲労の色の濃いその顔を見ていると、嫌なことを思い出しそうになる。
 像を打ち消すため、そして部屋を出るために、手近にあった椅子を鏡にぶちこんだ。



 水戸大学付属病院は、地上十二階地下一階のそれなりに大きな病院だ。
 事件が発生した時、どれほどの人間がここにいたのだろう。それはわからないが、入院患者が多くいた上階へは行かないことにしている。生還できない。脱出するには、東側にある非常階段を使って地上へ降りるしかない。それ以外は、ほぼ百パーセント、死ぬ。何度も挑戦して、ようやく導き出した脱出ルートだ。

 非常階段を降りる。風が強い。雨が降っているので、足下が滑りそうで心もとない。蹴込み板のない金属の階段は、下の景色が見える。手すりがあって、踏み板に滑り止めの凹凸が付けられているにしても、視覚的なものからくる心細さまでは打ち消せない。それを、特別看護室のある九階から延々降り続ける。滑って転んで死ぬ、なんて間抜けな真似はしたくないから、気は抜けない。
 雨にけぶる学園都市の風景がある程度見渡せる。薄暗く気味の悪い街。ちらほら、この病院に匹敵する高さのビルがあるが、全体的に生気というものを感じられない。雨天で暗いのにほとんど窓に明かりがはいってないからか。
 黒煙が上がっているのも見えた。事故か、火事か。どっちでもいいが、感染者はひとりでも多く死ね。

 思い付いて、僕は四階の非常口から建物の中に侵入した。そっと、できる限り静かに金属の分厚いドアを開けて、足音を殺し廊下に踏み込む。
 廊下の、薄いブルーの塩ビタイルには、泥の足跡がたくさん残っていた。白い壁にも汚れが付着している。血? 泥? 黒っぽい手形がびたりと擦り付けられていて、それは波形を描いて横に伸びていた。汚れた手で、壁にすがって歩いたに違いない。手形の続く曲がり角から、誰かの足が見えている。ゴム底の靴。近寄ると、手形の終着点に白衣を血染めにした男が倒れていた。手には拳銃。いつものようにそれを手に取り、弾を確認する。残り五発。

 顔を上げ、周囲を確認する。
 
 廊下に面した嵌め殺し窓のある部屋がいくつか続いて、そのガラス越しに、室内をのろのろと歩く感染者が何人か見えた。オープンで光を通す設計が、こういうときは役に立つし逆に危険でもある。あいつらに気付かれないようにしなければ。銃があったとしても複数人には対処できない。面倒なことに、完全に行動不能になるまでは、どんな怪我をしようとも追いかけてくる連中だからだ。

 本来はこの階に寄る必要なんてない。残弾の数を考えればこの銃の拾得だって、リスクの方が大きいくらい。危険を犯してまでやってきたのには、理由がある。
 
 第四診察室という札の嵌め込まれたドアを開けると、ぎくりと身を強張らせ、男が二人、こちらを振り返った。
 目が引っ込んだ頑固そうな顔立ち――須賀。それから、色白で丸顔の大木。ライトブルーのユニフォームを着た二人は、そのあちこちを泥と血で汚していて、手にはそれぞれ拳銃を持っていた。

「おい――」
 
 声をかけてきた須賀を僕は撃った。腹に一発。たん、と軽い発砲音。
 須賀は膝を折り、地面にへたり込む。苦悶の表情で僕を睨んできた。
 おろおろしている大木の胸にも一発。いいところに当たったから、あっちのほうが先に死ぬかも。大木のことは殺す必要はなかったけれど、生かす理由もなかった。これで残弾は三。しかし、こいつらが持っている銃を回収することを考えれば、二発くらいどうってことない。

「お前、なんの……つもり、だ」

 苦しげなかすれ声を出して、須賀が僕を見上げている。

 こいつの目には、僕は闖入者のように映っているだろう。だが僕はこいつらがここに集まって、脱出の方法を相談していることを知っていた。前回はここで合流して、旧い方の病院へ同行したのだ。別の階には柿山がいることも知っている。

 須賀は自分で腹部を押さえたまま、床に頬をこすりつけ、それでも僕を睨みあげていた。このガラの悪い感じ、まともな医療者には見えない。さすがテロリストだ。

「お前……なん、……なんだ、くそっ……」
「この裏切り者が。お前のせいだ。お前があのときあの男をちゃんと拘束していたら」

 須賀の目は強い怒りをはらんでぎろぎろしていたが、徐々にその力が弱まり、やがて膜が張った。最後に唇をぱくぱく動かし、なにかを言ったようだが、聞き取れなかった。勝手に懺悔でもしてればいい。僕の指示に逆らってごめんなさい、と。とはいえ、この男には前回の記憶なんてない。きっと、よくある安っぽいドラマの死に際の端役みたいに、家族の名前でも呼んだんだろう。テロリストの家族なんて、どうせろくな目にあわないだろうに、馬鹿らしい。

 目的は果たしたのに、僕の胸はすっとしなかった。
 こいつが前回、しっかり指示に従っていたら、僕があんな惨めで苦しい思いをすることはなかったんだ。許せない。僕の存在価値を知っていながら裏切るなんて馬鹿は、お仕置きが必要だ。たとえ、すぐに記憶がリセットされてしまうにしても、僕の溜飲が下がるまで何度でもこの罰を味わわせてやる。
 もちろん、それは須賀だけじゃない。あの女――磯波いそなみ美鹿みしかにも同じ、いやそれ以上の制裁を下してやらなければ。

 ◆

 旧い方の水戸大学付属病院は、歩いてそこそこ距離がある。僕が目覚めたあの新しい方の病院のそばには大学もあって、もともと人が多くいたからか、さまよっている感染者の数も多く、そこを抜けるのにまた苦労させられる。
 しかしながら、一度踏破した道だ。最短距離や、感染者が少ない突破難易度の低い道を知っている。そこなら一人でも通過できるだろうと踏んでいた。

 果たして、ほぼ無傷で僕は旧・水戸大学付属病院へとたどりついた。

 経年で煤けた白っぽい外壁は、雨に沈んで灰色に見える。あちこちの窓ガラスが砕け、あまり見栄えはよくない。おまけに、正面口は狙撃手がいるから近寄れない。地上階の部屋の、窓が割れているところから院内に侵入することにした。

 割れたガラスをじゃりっと踏んで、埃の積もった床に降り立つ。ルーフの下を通ってきても濡れてしまった服が、肌に張り付いて少々気持ち悪い。にもかかわらず胸は高鳴った。

 ああ、もう少しだ。もうすぐ、あの小生意気な女に再会できる。そしたら、泣いて喚いて命乞いするさまを、じっくり観察してやるんだ。僕の顔を見たら、条件反射で服従するような苦痛を味わわせてやる。

 口元が緩みそうになる。もしそうやって、ミシカが僕に心底から服従を誓ったなら、許してやらないこともない。たとえわからずやであろうと、しょうもない男にたぶらかされようとも、彼女がスペシャルだということは変わりない。頭が足りないというなら、僕が手綱を引いてやればいい。それも、僕に課された特別な役割なんじゃないか。こういうのはなんて言うんだっけ? ノブレス・オブリージュ?

 あの女はまだ理解してない。自身をこの世界の異物だと感じた僕が、どれだけ苦しんでいたか。初めて、自分の存在意義を知らされて、納得したあのときの、高揚と安堵。アレを特別に教示してやろうと思ったときの、慈悲も。

 それでも彼女は特別なんだ。

 だって、僕らの眠りと目覚めにあわせて、この世界はリセットされる。その中で僕らだけは互いの記憶を持ち合わせているんだ。惹かれ合うために、めぐりあうためにそうなっているんだという以外、どう説明するんだ。運命なんて安っぽい言葉だけど他にあうものがあるか?

 彼女は目が曇っている。それを覚ましてやらなければ。
 そうだ。きちんとしつけをしてやって、あとは許してやるのも僕の役目に違いない。

 決意を新たに、僕は部屋のドアを開けた。

 がらんとした廊下が広がっている。あの女のいる地下への道を思い出しながら、静かに歩いた。前回より、到着まで少し時間を食ってしまったのが、小さな不安材料ではあったが、きっとそう遠くへは行っていないだろう。なにしろ、あの女は椅子に拘束されていたんだから。自力であれを抜け出せるとも思わない。

 もしかして、あの地下室の拘束からはリアンとかいう兵士が解放してくれて、それで単純なあの女は目がくらんでしまったのかな。であれば、本来その役目は僕のものであるべきだ。

 歩調を速めて、受付カウンターの前を横切る。その先を曲がれば地下への階段があるはずだ。
 横面に硬いものを押し付けられ、足を止めた。

「え……?」

 それがなにか、すぐに理解した。銃だ。それを持つのは磯波美鹿だった。カウンター奥の半開きのドアが、風もないのにきいっと小さく音を立てた。
 ミシカが軽く首を傾かせると、暗い色の髪がさらさらと白い頬に滑り落ちた。前髪の下から茶褐色の瞳が瞬き少なにこちらを見ている。

 ミシカの銃の構えは自然体だった。肘にゆとりをもたせ、半身になっている。気負った様子はひとつもなくて、息をするようにトリガーを引くだろうと予感させる。

 いきなりで理解が追いつかなかった。条件反射で死の苦痛を思い出し、心臓が暴れだして呼吸が乱れた。背には汗が滲んでくる。外の雨より冷たい汗。何度も経験した死に、これだけ恐怖に感じるのは、絶対、この女にされた仕打ちが尾を引いているのだ。憎しみが再燃するが不用意に刺激しないよう、なんとか目だけで彼女の方を見る。

 壁のラインから引っ込んだ受付カウンターのつくりが死角になって、彼女の存在に気付かなかった。どうやってミシカは椅子の拘束からぬけた? 見た限りあの兵士の姿はない。自力で? この銃はどこで?
 
 いや、そんなのどうでもいい。混乱してる。今は、とにかくこの銃をどかさなければ――。

「ミシカ、僕は――」

 衝撃とフラッシュ。視覚が白に支配された。身を穿つ激痛に、悲鳴を上げた、と思う。
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