【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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完結1周年番外編

花火は残響だけを置いて(前)

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本編49話後の時系列です。



 雨の中、近づく夜の気配に暗く沈んだ屋上で、車の影に隠れるようにしてうずくまっていたミシカは、俺に肩を揺さぶられて顔をあげた。
 すっかり青ざめた頬が、夜の暗さのなかで白く浮いていた。その驚きの表情が一転して、泣きそうになる。俺の制止を振り切って死地に飛び込んでいった無鉄砲さは、そこにはもうなかった。




 花火は残響だけを置いて




 着信はリーサからだった。彼女とこうして連絡をとりあうのはいつ以来か。そう遠くない過去だ。ミシカと一緒に小旅行へ行って祝福されたときか。
 
『柏田君、その……』
 
 出だしに挨拶もなく、いつも明るく元気な彼女らしくない、歯切れの悪い呼びかけ。
 俺が黙っていると、リーサは意を決したように次の言葉を発した。

『ミシカのこと、聞いた。なんて言ったらいいか、わからない。ニュースで知って本当に、……気の毒で、ごめん、考えまとまってないのに連絡なんかして。でも、その、思いつめないで。なにか力になれることがあったら、遠慮なく言って』
「ああ、ありがとう」

 それ以外、適当な返答も思いつかない。気を遣って連絡してくれた彼女に、わずかに――いや、かなりの鬱陶しさを感じながら、俺は後から来た人に道をゆずり、端に移動した。
 背後にあるのは、黄色っぽい外灯に照らし出された、灰色のタイルの壁の警察署。三度目の訪問、三度目の聴取。何度来ても結論は同じだ。

『ねえ……葬儀は?』
「残念だが、そういうのはないんだ。彼女は遺体を献体に供するとサインしていて、病院に一任しているそうだ。遺品の整理も病院側が斡旋した業者が行う」
『そんな』
「というか、たとえミシカがサインをしてなかったとしても、俺にはなんの権利もないんだ。なんとも間抜けだな」
 
 恋人だなんて名乗って、リーサとホセに散々自慢しておいてこの顛末だ。
 今ほど自嘲するにふさわしいタイミングがあるだろうか。

『そんなことないでしょ、柏田くんは』
「悪いが、少し休みたいんだ。もしなにか進展があったら連絡するから、今日のところは、これで」
『――ごめん。無理しないで』
「ああ」

 電話を切り、生ぬるい夏の夜風に身を投じる。署に到着したのは夕方だったが今はもうすっかり夜だ。目抜き通りの歩道は、仕事が終わって家路を急ぐ勤め人、犬の散歩をしている人、買い物帰りの人と、バラエティに富んだ通行人達が行き交っている。暑さなんてものともしないで密着し、歩きづらそうにしているカップルが、先週の陰惨な事件のことなんてすっかり忘れた顔で俺の隣を歩いていく。ああ、あの二人は寄り添って朝を迎えるのだと思うと、憎らしくなる。彼らがなにをしたわけではないのに。

 事情が事情で、警察に協力することもあって、また休みをとっているのだが――このまま基地に戻らないほうがいいのかもしれない。一番身近で大切な人を守れなかった人間が、他のなにを守るためにそこへ戻るのか。俺にはわからない。



 ミシカが、自宅で殺されたあの日以降、俺は何度か警察に呼ばれ、彼女の身辺になにか変わったことはなかったかと問いただされた。俺が答えられることは少なかった。

 彼女を殺害したのは伊丹という男で、その少し前にミシカとともにこちらから会いに行った相手だ。
 初対面の場で、同じ境遇の二人なら話したいこともたくさんあるだろうと気を利かせたつもりで席を外したのだが、そこがまず間違いだった。伊丹は、まともじゃなかった。そうなってしまった理由に、あの忌まわしい学園都市での事件があったのかもしれない。そこには同情の余地があるが、だからといって、ミシカを傷つけていいわけではないし、そうさせるつもりはさらさらなかった。

 話し合いを切り上げてミシカを東京に連れ帰ることで、伊丹とは物理的に距離を開けた。それで安心していた、不安さえ抱かなかった自分の浅さを思い知らされることになるとは。

 警察の調べでわかったことだが、ミシカは伊丹から嫌がらせを受けていたらしい。俺はそのことを知らなかった。ミシカからくる連絡は、本のこととか、次のデートでどこへ行ってみたいだとか、体調がよくなったとか、明るい話ばかりだった。伊丹のことは一切話題にならなかった。

 警察にその話を繰り返すたびに、自分の力不足を思い知らされた。ミシカは俺には相談しなかった。不安を打ち明けることもなかった。遠慮されていたのかもしれない。彼女に相談されずとももっと気を付けるべきだったのだ。ミシカの、自分で背負い込んでしまう性格を、把握した気になっていた。手痛い、そして取り返しのつかないミスだ。



 食欲はわかないが、アルコールは欲しかった。
 ふらりと入ったバーと居酒屋の中間のような店で、一杯目に口をつけようとしたところ、またも着信があった。
 次はホセか? と、友人の名前を思い出してうんざりするなんてはじめての経験をしながら、ポケットから引っ張り出したスマートフォンの画面には、見知らぬ番号。無視するか迷ったあと、通話ボタンを押したのは、ただの気まぐれだった。酒に逃げようとしている弱い自分を、欲求を満たすことから遠ざけることで罰したい気分でもあった。
 
『柏田リアンさん? 私は、マテウス・ピアソンといいます。磯波美鹿さんの担当医でした。今、よろしいですか』
「ええ、どうぞ」

 ミシカの担当医。それがいったい、俺に何の用だというのだろう。面識はなく、その名前をミシカから聞いたこともない相手だ。
 どうやってこの番号を知ったのかと、不審感が先に立つ。 

『この度は、ご愁傷さまでした。こんな事が起こるとは』
「……ご用件は」

 月並みの挨拶なんか聞きたくなかった。周囲のざわつきにも苛立つ。

『磯波さんのマンションですが、ご遺族はいらっしゃらないとのことで、病院と不動産会社の契約にしたがって、遺品の廃棄を病院側で行う予定です。ただ、確認してみたところ、磯波さんの緊急連絡先に、こちらの番号が登録されていたので、一度ご連絡をと思った次第です』

 ああそういえば、俺の方からなにかあったら自分に連絡をとミシカに言ったんだった。そのあと、病院の緊急連絡用の番号に指定したからと、申し訳なさそうな報告があった。あのときは彼女が真っ先に頼るのが自分だということが、単純に嬉しかった。そういった非常事態が起こると思っていなかったからの暢気さで。

『彼女からあなたのことは少しだけですが伺っていたんですよ。あなたと親しくなってから、ずいぶん彼女は精神的に安定しました』

 なんと返せばよいのだろうか。俺が迷っているうちに、医師は次の言葉を発した。

『本来でしたら、私がしゃしゃりでることではないんでしょうが、担当していてとても印象深い患者さんだったので、せめてと思いまして。磯波さんの縁者は他にないようですから、もしあなたが不要だというのであれば、あの部屋に残されたものはすべて業者に廃棄してもらうことになります』
「つまり、俺に遺品を引き取る権利があると?」
『権利というか、こちらが部屋の残置物を処分する義務を負っているので、よければお手伝いいただけたら、ということですね。ああ、大丈夫ですよ、私の独断ではなくて、一応上の了解を得ていますし』
「なんでもいいんですか、部屋にあるものは、こちらで処分を決めて」
『ええ、部屋にあるものは。役所関係やうちで必要なものはもう回収させていただいてます。それは返却できません。警察の捜査で回収されたものは、ちょっとわかりませんがね。金品の類とか』
 
 まるで彼女の遺品すべてが不用品で、その処分の手間が惜しいというようにも聞こえ、かちんときた。それでも、この話を受けないわけがない。

「やらせてください」
『では、後ほど管理会社の連絡先をメールでお伝えしますね。鍵を受け取って説明を受けてください。……それから、引き取りたいとおっしゃっていたお骨の件ですが、あなたが行政に特別に許可を得れば、血縁がなくても引き取れますよ。問い合わせを受けたと伺ったので、まあ老婆心ながら。ただし、引き渡しまでかなり時間がかかりますがね』
「……ありがとうございます」

 諦めていたものに手が届くかもしれない。期待で、胸が詰まった。
 俺は結局、一滴も酒を呑まないまま、店を後にした。



 ひょっとすると、あの街で俺は死んでいたかもしれない。そう思う場面が何度もあった。生き残れたのは運だ。その運のなかに、ミシカの存在があったと思う。

 部隊が壊滅し、一般人を保護して避難しようとしたのだが、どんどん減っていく同行者の数に絶望的な気分になった。自分の力だけではどうにもならない状況というものは、それまでも何度も経験していたものの、失われるものが人の命だという事実はやはり重かった。あえて意識しないようにしていても、ダメージは確実に蓄積していた。何度か、諦めに似たものを感じたこともある。

 だから、危険を顧みず他人のために死地に飛び込んでいくミシカの背中に、尻を蹴り上げられて活を入れられた。
 ビルに取り残されたミシカを、命令を無視してまで単身助けに行くのは合理的な判断ではなかっただろう。それでも構わなかった。まさか訓練を受けた兵士である俺が、一般人に助けられて置き去りにして逃げるなんてできない。もし彼女を見捨てたら、きっと自分を許せなかったはずだ。それに、ミシカの自暴自棄ともとれる態度が気になってもいた。
 みつけたミシカは、弱りきってふらふらだった。死に場所を探していた猫のように、ひっそりと諦めていた。今思うと、何度も死んでやりなおすという妄想――妄想でも事実でもどちらでもかまわない。ミシカがそう認識していたなら、彼女の現実はそうなのだから――があったというから、それまでもああやって死へのカウントダウンの恐怖をひとりで耐えることもあったのかもしれない。抗えないものは受け入れるしかないと、何にも期待していなかったんだろう。

 安全な場所に運ぶ途中、背中に感じたのは冷え切ったミシカの身体の弱々しさだ。無事にあの街を脱出してミシカと連絡が途絶えても、折々に思い出した。それとともに、ジムで夜明かしするとき彼女が見せた屈託ない笑顔も思い出した。なんだこの子も笑うんじゃないかと、新鮮な印象を抱いたからよく覚えていたのだ。あれで張り詰めていたものがずいぶん緩和されて、こちらも気持ちが楽になった。
 
 弱った姿を見せられたからだろうか、彼女を思い出すたび、また無茶をしていないかなと、まるで保護者のような気分にさせられた。ただ数時間一緒にいただけの関係なのに、事件の最中で出会った人間で、一番鮮明に記憶に残っていたのは彼女だったのだ。
 それでいて、「元気にしているか」「なにか困っていないか」という連絡は、なんとなく気が引けて、結局しなかった。塩野やリーサ、ホセとは気兼ねなく連絡を取り合っておきながらだ。

 数ヶ月たち、転属の話が出た。配置を聞いて真っ先に思い浮かんだのが、ミシカの住む街の近くだということだ。
 ようやく、ミシカという存在の、自分の心の中での置きどころがわかった瞬間だった。なぜ他の友人たちのように気兼ねなく連絡をとることもできないのに、忘れることもできないのか。誰かにそんな気持ちを抱くのは久々すぎて、自覚するのも時間がかかったらしい。過去の苦い経験から無意識にブレーキを掛けていたのかもしれない。いい年して、しかも恋に臆病という柄でもないのに、と笑ってしまった。そのときはいっそ清々しい気分だった。

 一度は断られたものの、ミシカはその後俺のことを受け入れてくれた。花火が上がった夜空の下で彼女にキスをしたとき、あの街での出来事に少しだけ感謝した。あれがなければ彼女と出会うこともなかった。
 もちろん、こんな別れ方、想定もしてなかった。


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