【R18】Overkilled me

薊野ざわり

文字の大きさ
上 下
76 / 92
番外編・おまけ

(SWEETER LIFE) 1

しおりを挟む


 鼓膜を震わせる音がして、夜空がぱっと明るくなる。なんということもない一発に、大げさに観客たちは喜んだ。
 人ごみに流されつつ、俺は、自分のやや後ろを歩いているミシカを振り返る。彼女はぼうっとその場に立ち止まり、花火を眺めていた。

「はぐれるぞ」

 手を差し出すと、ゆっくりとなにかを噛み締めるように瞬いて、彼女は自分の手を重ねた。やや体温が低いその手を握って、家路を急ぐ。


(SWEETER LIFE)

「腹が緩んできたんじゃねえの」

 急にそんなことを言われて、俺は顔を上げた。ホセが、髪から滴る水を拭いながらシャワーから出てきたところだった。小柄ながらも見事な肉体美。まさに男盛りというその体を見てから、俺は自分の体を見下ろした。

「そうか」
「ミシカに言われねえの? ああ、そうか、あんた三ヶ月も本土に行ってたんだっけ? 向こうでハンバーガーばっかり食ってたんだろ」
「食事には気をつけている……つもりだが」
「そういや、いつ帰ってきたんだよ」
「七時間前に。基地に着いたのは、一時間前だ」

 一晩シャワーを浴びていないので、報告業務を済ませがてら、このシャワーブースに寄った。

「はー、じゃあ、久々の我が家か。まあ、しっかり休めよ」

 ホセは手を振って出て行った。
 なんとなく気になって、自分の腹をなでる。そんなに変化はないように見えたが――すでに前線を離れて二年になる。年齢的にも、体の維持はかなり気をつけなければいけなくなってきているはずだった。昔ほど簡単に疲れが抜けないことが、一番困る。

「走るか」

 ひとりごちて、俺はタオルを頭にひっかけて、シャワーブースを出た。



 基地から車で十分、水戸からは三十分弱ほどの住宅街。その一角にあるアパートが、今の住まいだ。三年前にここを借りて以来住み続けている。新築だった物件も、三年経つと新鮮味が落ちる。グレーの外壁の、メゾネットタイプ。敷地内駐車場付き、4LDK。バルコニーはL字型。
 午後四時になっても、まだまだ明るい夏空だ。駐車場に車を停めて、俺は荷物を担いで、久々の我が家に足を踏み入れた。

「ただいま」

 玄関から呼びかけるが、返事はない。室内は、しんとしている。夏特有の、湿気のあるねっとりした空気が、部屋の中には満ちていた。

「ミシカ」

 呼びかけるが、物音ひとつしない。
 荷物をリビングの床に置いて家の中を歩き回る。
 俺には低すぎるシステムキッチン、メーターモジュールでやや幅広に作られた廊下、ミシカの選んだリネンのカーテンに、いつになっても生活感の希薄なものが少ない部屋。
 行き届いた掃除が、かえって居心地悪く感じるほど殺風景な部屋だ。
 俺も元々荷物が少ない人間で、彼女はここに住むと決まったとき、自分の持ち物は何一つなかった。IDひとつすら。それからもものが増えず、やたら余白の多い部屋は、一人だと寒々しい。

 留守か。そういえば、基地を出るときにメールしたが、返事がない。
 エアコンのスイッチを入れて、着替え始める。
 冷蔵庫を開けると入っていたペットボトルのアイスコーヒーを、グラスに注いでいるときだった。不意に玄関が開く音がした。

「リアン、お帰りなさい。車があったから慌てた。今、なにか冷たいものを――ああ、もう飲んでた?」

 玄関から、ぺたぺたと裸足でやってきたのは、ミシカだった。買い物に行っていたらしく、食料品の入った袋を抱えている。彼女はそれを、ダイニングテーブルの上に置き、野菜や肉、魚に、ビールの缶と次々に取り出していく。
 作業している彼女の後ろから近付き、肩を掴んで振り向かせ、その額に唇を落とした。シャンプーの控えめな香りが、鼻腔をくすぐる。次に、その唇に口付けると、微かに笑う声がした。
 久々の感触に下腹がうずいたが、彼女はさっと離れる。

「夕食は、ブイヤベースでいいかな。ビールも買ってきたから、晩酌してもいいし」

 三ヶ月ぶり――正確に言えば、九十三日ぶりの再会を感じさせない素振りで、冷蔵庫を開けて食材をしまっていく。

「ああ、頼む」

 俺はソファに腰を下ろして、コーヒーに口をつけた。この人工的で安っぽい味が、意外と気に入っている。

「明日の祭りは見に行くか? せっかく帰国も間に合ったし」

 毎年夏に、基地では花火を打ち上げる。まわりの自治体の祭りにあわせて行われて、出店や催しものもある。去年、一昨年と俺たちは、出店を冷やかしてから、花火をこのアパートのバルコニーから眺めた。

「あなたが疲れていなければ」
 疲れてはいるが、せっかくの休み。祭りを見るのも悪くないだろう。そう伝えると彼女は、わかった行こう、と言った。

「時間早いけれど、お風呂入る? それともゆっくりしてる?」
「さっき、基地でシャワーを浴びてきた。風呂は後でいい」
「それじゃあ、私はご飯作るわ」

 言うが早いか、彼女は調理器具をあちこちから取り出して、作業を始める。
 その後姿を、俺はぼんやり眺めていた。


しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

The Last Night

泉 沙羅
ホラー
モントリオールの夜に生きる孤独な少女と、美しい吸血鬼の物語。 15歳の少女・サマンサは、家庭にも学校にも居場所を持てず、ただひとり孤独を抱えて生きていた。 そんな彼女が出会ったのは、金髪碧眼の美少年・ネル。 彼はどこか時代錯誤な振る舞いをしながらも、サマンサに優しく接し、二人は次第に心を通わせていく。 交換日記を交わしながら、ネルはサマンサの苦しみを知り、サマンサはネルの秘密に気づいていく。 しかし、ネルには決して覆せない宿命があった。 吸血鬼は、恋をすると、その者の血でしか生きられなくなる――。 この恋は、救いか、それとも破滅か。 美しくも切ない、吸血鬼と少女のラブストーリー。 ※以前"Let Me In"として公開した作品を大幅リニューアルしたものです。 ※「吸血鬼は恋をするとその者の血液でしか生きられなくなる」という設定はX(旧Twitter)アカウント、「創作のネタ提供(雑学多め)さん@sousakubott」からお借りしました。 ※AI(chatgpt)アシストあり

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

不労の家

千年砂漠
ホラー
高校を卒業したばかりの隆志は母を急な病で亡くした数日後、訳も分からず母に連れられて夜逃げして以来八年間全く会わなかった父も亡くし、父の実家の世久家を継ぐことになった。  世久家はかなりの資産家で、古くから続く名家だったが、当主には絶対守らなければならない奇妙なしきたりがあった。  それは「一生働かないこと」。  世久の家には富をもたらす神が住んでおり、その神との約束で代々の世久家の当主は働かずに暮らしていた。  初めは戸惑っていた隆志も裕福に暮らせる楽しさを覚え、昔一年だけこの土地に住んでいたときの同級生と遊び回っていたが、やがて恐ろしい出来事が隆志の周りで起こり始める。  経済的に豊かであっても、心まで満たされるとは限らない。  望んでもいないのに生まれたときから背負わされた宿命に、流されるか。抗うか。  彼の最後の選択を見て欲しい。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...