【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 ド派手なオレンジ色の服を目にしたとき、改めて、ああ、ここはアメリカ領だったんだと思った。
 刑務官に連れられてアクリル板の向こうに現れた男は、いくらか痩せて見えたが、相変わらず本心が読めない難しいような、同時に軽薄そうな表情をしていた。私を見ると、軽く口の端をあげてみせた。

75、


「どうだった、腕は上がったか?」
「おかげさまで。紹介してもらってよかった。店長はかなり丁寧だし、詳しいから。練習場も貸してくれるし」
「よかったな」
「あなたの方も、元気そうでなにより」
「それはどうも」

 須賀は大げさに肩をすくめてみせた。
 彼が収監されている刑務所に訪れるのは三度目だ。他に彼を訪ねる人はいないと、刑務官に以前言われたことがある。

 須賀がここに収監されて、半年近くが経った。最初に面会を申し込んだ時は断られたが、その後も継続して申請していたら気が変わったらしい。
 須賀とは、最初の面会で少しだけあの学園都市での話をして、それから一度もそれを話題にしていない。
 会って話すのは、彼の趣味だったと言う銃のことだ。彼が筋金入りのガン・マニアだったということを、初めて面会した時に知った。そして、私は彼に銃のことや、その訓練場を教えてもらい、時折、こうして世間話をしに来ているのだった。

 須賀は、死刑を求刑されている。裁判の内容がテレビで報道されていて、どこか遠い話のように、私はそれを見聞きしていた。
 そんな状況だというのに、彼には全く気落ちしたり不安がった様子も無い。
 あまりプライベートな話をする仲ではないので、その理由を推し量ることもできないが。

「それで、目標のスコアは?」
「先週ようやく」
 射撃のスコアのことだ。自分の目標値をクリアしても、この男のベストスコアには、到底及ばない。

「あーあ、俺も久々に撃ちてえな」
 引き金を引く真似をする彼を見て、少し笑った。そして、私は姿勢を正して、言う。

「須賀さん、お元気で」
「……おう、どっか行くのか」
「はい。久々に、水戸に行こうと」
「そうか。まあ、気を付けて。よろしく言ってくれ」

 それだけ挨拶して、面会は終わった。

「ああ、臭え納豆が食べたい気分になるな」
 部屋を出るときの須賀の呟きは、しっかり聞こえてきた。思わず笑ってしまう。



 ハイウェイを走る。
 空は鈍色で、しとしとと小雨が降って来ていた。車内でもコートを脱ぎたくない程冷える。さすが北関東。編み上げブーツにして正解だった。
 やがて、鉄製の柵とゲートが見えてくる。ゲートを通るとき身分証を提示すると、しばらく色々確認された。

 あの事件の後、何度か大学に来る機会があった。それは、キャリアとして実験に付き合うためだ。
 今は、以前と同じように、病院に助けられながら生活している。
 冬にこの街を訪れるのは初めてだが、東京とはまるで空気が違う。車を駐車場に預けて、そんなことを思った。

 鼻の奥を刺すような寒気に身震いする。雨のせいで、今晩はさらに冷え込むんじゃないだろうか。
 街は、あれだけの荒廃を一年足らずですべて塗り替えていた。あの廃病院なんて、跡形も無い。ヘリが突っ込んで危険な状態だったから、すぐに解体されたと聞いた。そう、たしかそれは塩野が教えてくれたんだった。

 塩野とも、二度程会ったが、九月に会って以来、もう四ヶ月も連絡をとっていなかった。彼は大けがをしたが、それは完治したようだし、今は仕事に専念すると宣言していた。
 彼を最後に見た時は、生死の境をさまよっているような状態だったから心配していたのだ、無事で良かったと思う。

 道路で、冬の服装をした人たちが思い思いの方向へ歩いて行くのとすれ違った。壊れたルーフはとっくに新しくなっていたし、道路の血痕なんて跡形も無い。いくつかテナントがかわった店があった。

 吐いた息が寒気に冷やされて、きらきらと白く光っている。その様子が目に楽しくて私はわざと大きく息を吐いた。
 雨避けのルーフの下では、傘を差さなくてもいい。これは便利だった。ただ、雨脚がどんどん強まっていて、もはや豪雨に近いため、道路に跳ね返った雨粒でブーツが濡れる。
 そういえばあの日も雨だった。あの雨には色々苦労させられた。

 目的地に辿り着いて、足を止める。
 新しく舗装されたとわかるアスファルトの向こうに、小さな空き地がある。そこは以前、なんてことない銀行のATMが置かれたスペースだった。

 のっぺりとしたアスファルトに変わったそこに、私はしゃがみこんで、持ってきたブーケを置いた。ブーケと言っても、色彩豊かな花はない。緑色の枝葉を持つ、ユーカリのブーケだ。リアンの目の色は、この葉っぱの色を少し薄くしたような感じだった。今となると、あやふやな記憶になりつつあったけれど。
 ブーケを手にしてきた時点で、おそらく周りの通行人は事情を察したのだろう。横を過ぎるとき、あまりじろじろ見ずにそっとしておいてくれる。その気遣いがありがたい。
 私はしゃがみこんだまま、手荷物のバッグを膝に抱え込んで、ブーケを見つめる。

「この前、ようやく、スコアを更新したの。目標値」

 ブーケを包む、白いシンプルな包装紙が、雨粒でまだらになって、どんどんくしゃくしゃになっていく。ユーカリの葉に珠のような雨粒が積もっては落ちて行く。その様子に、実際は暗くて見えなかった彼の涙を思い出した。

「だからここに来た。遅くなったけれど、まだ、約束は有効?」

 返事は無い。雨音だけが聞こえる。
 しばらく目を閉じていた。頭上から降りしきる雨が刺すように痛いが、どこか優しい。
 ここ数ヶ月――救助されてからの、喪失感に耐え続けた日々を思うと、今この日を迎えられたことを、心の底から歓喜した。

「あの日、あなたは、私を幸せにするのは、自分じゃないと言ったけれど、――そうかもしれない。たぶん、私を幸せにできるのは私だけ。それに気付くには時間が要ったわ」

 なんで、私が。なんで、彼が。
 死ぬなら自分がよかった。どれだけ苦痛でも、辛くても、リアンが死ぬよりずっといい。
 またこうして、離ればなれになってしまうくらいならせめて、彼に残ってほしかった。
 そう嘆きながら、いっそ発狂してしまえればと絶望しながら、何日も何日も、何日も。泣いて泣いて泣いて、そのたび彼の「泣くな」という声を思い出して、泣いて。
 ふと、這いつくばった床の上から、顔を上げて見た遠くの花火。泣きすぎて空っぽになった頭の中で、火花が散った気がした。はじめて、彼とキスした夜を思い出して。
 気付いてからは、あっという間だった。
 準備をした。できる準備をだ。
 今までだってしてきたことだ。
 この私が死んでも、記憶は残り、それが時に武器となる。
 繰り返すことを嘆いていたけれど、それは、いつかどこかの誰かが言ったように、私の特権だった。

 銃を覚えた。扱いも手入れも。こちらはまだ付け焼き刃だが、護身術も習い始めた。役に立つだろうと、応急処置の方法も勉強した。知識だけでも、あるのとないのでは随分違う。運転の練習もした。左ハンドルにはもう怯まないし、このあたりの地図もしっかり頭に叩き込んだ。どこにどんな施設があって、その施設は何を扱っているかということを。
 少しでも、生存率を上げると思ったものは、寸暇を惜しんで吸収した。

「今度はもっと上手くやる」

 今度はもっと上手く立ち回って、ホセやリーサの死を回避できる。伊丹と会ったら、有無を言わせず殺してやる。塩野が怪我をすることもなく、みんなでヘリでこの街を脱出できる。
 そして、次は、――次も、リアンと出会って、彼を好きになる。
 
 もし、私が繰り返し苦痛を味わうことに理由があるなら、きっとそれはこうするため。

「無茶をするなって、叱ってよ」
 バッグから、ここ数ヶ月愛用してきた相棒を引っ張りだす。初めて手にしたときはその冷たさと重さに怯んだが、今では近しい友人のように、私に寄り添っている。
 近しい友人は、もう一人いて、今、久々に、私の肩に手をかけている。あれほど恐ろしかったそれはなにより優しく、そして魅力的だった。

 私を幸せにするのは私だけ。どれだけ言葉を重ねても、リアンと肌を重ねても、不安は拭えなかった。いつかなにかに奪われるから。それは今、私の背に寄り添っている友人の一人の手によってだ。

 でも、今は不安はない。
 何度でも。何度でも。やり直せばいい。奪われるたびに。
 彼と巡り会うために。いつか、その巡り会いの先に、実りがあると信じて。

 銜えた強化プラスチックの匂いを、一瞬、口内で感じた。

 うつぶせで、頬は冷たく硬いアスファルトに押し付けられている。
 遠くで誰かの悲鳴が聞こえた気もした。
 ごうごうという耳鳴りのような音で聞こえなくなっていく。
 全身が雨でぐっしょりぬれていて、冷えきっていた。
 息をする度に、身体が冷たくなっていく。激痛が走る。
 しかし、それもすぐに曖昧な感覚になっていく。
 白い光が、雪のように視界を埋め尽くす。
 三、二、一――。
 ホワイトアウトする世界。すべての感覚が消える。
 
 雨の匂いに混じって、彼の匂いをかいだ気がした。


<了>
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