【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 一度、公共ホールの近くにあった、学園都市の地図で場所を確認して、最寄りのゲートの位置を確認した。
 なるべく救助部隊と合流しやすいように、大きな道を選んで進むことにした。
 とは言っても、私はじっと彼に身を任せておくしか無い。

「少し休憩するか」

 リアンがそう言って足を止めたのは、あのオブジェが見えなくなってから随分経っていた。


72、

 私を路肩に降ろして、リアンは伸びをした。

「ごめん重たいでしょう」
「流石に長時間は腰にくるな」

 彼はついでに肩もぐるぐる回してみせる。そして、道の反対側で横転しているトラックに目を向けた。荷台の扉が開いて、沢山の荷物が地面に散らばってしまっていた。荷物は、飲料メーカーのロゴが描かれた段ボールがほとんどだ。
 リアンは様子を見に行くと言って、そちらに向かって行った。
 トラックの後ろには、タイヤ痕が黒々と残っていた。角を曲がりきれずに横転したのか。運転席を下にしているが、運転手は無事だったのだろうか。

 リアンは車の周辺を見て回った後、開いた荷台のあたりをうろうろして戻って来た。手には飲料の入っている缶があった。見覚えのある青い炭酸飲料の缶だ。

「人はいないようだった。飲むか」
「……お茶とかなかった?」
「残念ながら」

 空きっ腹に炭酸は辛い。だがそれは贅沢というものだろう。

「ぬるいな」

 ちびりと飲んで、リアンが呟いた。
 甘ったるくて刺激のある液体が、喉を通って行く。からからに乾いた喉に強すぎる発泡で、私は咽た。

「急いで飲むからだ」

 あんまり咳をしすぎて、感染者が集まって来たらどうしよう。間抜けなことを考えて焦ると、よけいに咳が出る。

「おい、大丈夫か」

 私の背中を摩りながら、リアンが苦笑した。
 ようやく咳が収まる。

「死ぬかと思った」

 ため息が出る。それでも喉の乾きには抗えず、舐めるようにちびちびと飲料を口に含んだ。リアンはくつくつ笑っている。私は、抗議の意味を込めて、睨む。

「元気そうじゃないか」
「……おかげさまで」
「だが機嫌が悪そうだ。なんなんだ、起きてからずっとその調子だが。いい加減、疲れる」

 はっきり言われて、私は唇を噛み締めた。まったくその通りで、弁解のしようがない。
 私は目を逸らし、再びちびちび缶を舐めた。
 リアンがため息をついて、自分の缶に口を付ける。私は彼の方を見て、問いかけた。

「またいつか抱いてくれる?」

 派手に咽込んで、彼が自分の胸を叩く。これは……気管に入ったかもしれない。背中を摩ってあげようとすると、身を捻って逃げられた。

「冗談」
「今、わざと言っただろう」

 涙目で睨まれた。

「……やっぱり、冗談じゃない」
 抱えた膝に顎を乗せて、手を伸ばして缶を振る。半分程になった中身がちゃぷちゃぷと揺れる。額を膝に埋めた。
 私、どうにかしている。彼のことばかり考えている。他に考えなければいけないことが沢山あるのに。
 その上、そのことに囚われて、このままでいたいだなんて馬鹿なことまで願って。これじゃまるで、普通の――。
 そんなこと、願ったところで手に入らない、願うだけ辛い思いをするとわかっているのに。

「ほら、行くぞ」

 肩を叩かれて、顔を上げると、リアンが立ち上がっていた。
 飲みきれなかった飲み物を地面に流して、空き缶を近くの植え込みの横に置く。
 再び彼に背負われた。リアンは、何も言わず歩を進める。

 謝らなければ。こんな態度をとって申し訳ないと言わなければ。そう思うが、なかなか言葉が出なくて、私は彼の背中で口を何度も開閉させて、結局黙った。

「あと少しで、ゲートが見えてくるはずだ」

 直後に、私の耳は遠くから聞こえてくるエンジン音を捕らえていた。

「車だ。近付いてくる」

 リアンにも聞こえていたらしい。彼は音の方向を確認するように、私を背負ったまま、きょろきょろと当たりを見回した。
 ビルの壁に反響しながら、たしかにエンジン音は近づいて来ていた。

「あれは」

 道の向こうの方に影が顕われた。すぐに近づいてくる。モスグリーンの大きなバスだ。
 バスは、私たちを見付けたのか、減速して、十メートルほど手前で停車した。

「助かった」

 リアンが、眉宇を明るくして、片手を上げて大きく振った。その表情に、私の胸は鋭く痛んだ。背にしているリアンは、私が顔を顰めたことに気付かなかっただろうけれど。

「柏田か?!」

 バスのタラップから身を乗り出した、武装しサングラスをかけた細身の男性が、声を上げた。マシンガンを油断なくこちらに向けている。

「アルバート、君か」
「無事だったのか」
「なんとかな。保護してくれないか」

 会話が通じると知って、アルバートと呼ばれた男性はサングラスを外して、タラップを降りて来た。後ろからもう一人、マシンガンを持った男性が着いてくる。彼はまだ銃を構えていた。

「もちろんだ。よく生きていたな」

 二人は握手を交わして笑い合う。アルバートの顔には見覚えがあった。前回、公共ホールで救助してくれたのも彼らの部隊だ。
 アルバートが手を上げると、後ろでマシンガンを構えていた男性も、銃を降ろした。

「昨夜、お前が本部の命令を無視して、単身突っ込んで行ったと聞いて、死んだなと思ったぞ」
「あんたにスコアで勝つまで死ねないな」

 金に近い茶色の髪をかきあげて、アルバートはリアンの背中にいる私にも手を差し出して来た。その手を取ると、強く握り返される。リアンより骨張って薄い手のひらだ。

「アルバートだ」
「磯波美鹿、です」
「ミシカ。君もよく生き残ったなガッツがあるよ。脚の方はあとで手当してもらうといい。バスの中には補給食もあるから、休んでいてくれ」

 アルバートはリアンに向き直ると、銃を掲げて言う。

「これから二カ所ポイントを回って、遭難者と感染者の保護を行う。その間、車内で待機していてくれ」
「ああ、そうさせてもらう」

 アルバートが踵を返し、リアンもそれに続いた。
 バスに乗り込むと、アルバートと同じようにしっかり武装した兵士たちが、バスの内壁沿いに設えられた長椅子に腰を降ろしていた。めいめい銃を持っていて、リアンを見ると、立ち上がって敬礼する。
 彼らの奥には、アクリルの分厚い壁があって、壁沿いに係留用のカラビナが設置されていた。

 私たちは、アルバートに勧められて、リアンの隣に腰を下ろした。運転席に最も近いところにアルバートが座り、リアン、私の順になる。
 車が走り出す。

「ここを出たら、冷えたビールを飲みたい」

 ため息をついて、リアンが軽く微笑んだ。アルバートが肩を竦める。

「その前にシャワーを浴びろ。お前、臭いぞ」

 憮然としてリアンが言い返した。

「仕方ないだろう。シャワーがなかったんだから」
「汗臭い奴に背負われて、君も災難だったな」
 アルバートが私に向けて、片目をつぶってみせた。私は曖昧に笑う。

「この偏屈な男とは、以前、アフリカの任務で一緒になってな。こんなに切り込み役みたいな見た目をしているってのに、後衛だっていうから俺は――」
「アルバート、思い出話は後でいいから食べ物をくれないか。痩せてしまう」

 リアンに言葉を遮られて、アルバートは肩をすくめて、物資が入っているらしい小さなコンテナをリアンの方へ蹴って寄越した。

 バスは二度程角を曲がり、広い平面駐車場がある建物の敷地に入った。門扉のところに記載されていた文字を見る限り、ここは県営の図書館のようだ。
 大慌てで逃げ出そうとしたのが想像できるように、駐車場内はあちこちで事故の痕跡があった。玉突き事故状態になっている車や、門扉にぶつかり、完全にボンネットが潰れているものもある。
 入り口のガラスが大破した建物は、オレンジの煉瓦調の外壁で、コの字型をしている。中央部分はガラス張りで、吹き抜けの先に本棚がずらりと設置されている様子が、外からも見て取れた。窓の配置から、おそらく三階建て。ガラスが割れて、白っぽいカーテンが風にはためいている場所がいくつかあった。

「ここでの作戦は一時間程かかる。念のためこれを渡しておく」

 壁に設置されていたマシンガン一丁をリアンに手渡して、アルバートが立ち上がった。彼がバスを降りる前に、他の兵士たちは運転手を残してバスから降りていた。
 集合した兵士たちは、アルバートの話に傾聴して、彼のハンドサインで一斉に走り出す。

 私は散開する彼らの後ろ姿を、窓から見送る。
 運転手は、ヘッドセットに向かってなにかを英語で話したり、広げた地図になにかを書き込んだりしているようで忙しそうだ。
 そういえば、ジャミングは阻止できたのだろうか。ヘッドセットで話している彼を見て、そう思う。すでに、事件が起きてから数日経っているし、軍も難渋しながらも成果はあげていたのだろう。感染者も行動可能な者が減っているはずだし、事態は収束に向かっているに違いない。
 この街で目が覚めて今回はまだ一日と経っていないが、長かったなとぼんやり考える。
 伊丹のことを思い出しそうになって、頭を振って、その記憶を頭の隅へ追いやった。

「ここを出たら、君はどうするんだ?」
「うん……成り行きに任せる。リアンは?」
 今後の話は、しようがなかった。したいことも、できることもない。
 リアンは肩をすくめた。

「仕事に戻る」
「仕事があるって、うらやましい」
 これは本音だ。やるべきこと、生活の糧があるというのは、辛いことも多いけれど、生きる気力にもなる。

「まずは報告書を書いて、処分を待つんだぞ。気が重い」
「それは、ごめんなさい。でも、軍用犬の世話とか……」

 リアンががっくり肩を落とした。
「勝手に装備を持ち出して、上官の制止を無視して飛び出して、それで済むわけ無いだろう。減俸だ。最悪、降格」
「えっ」

 思わず、彼の顔を見た。冗談を言っているようには見えない。

「でも……ええ……?」
 私は頭を抱えた。じゃあ、以前、リアンが言っていたのは、嘘だったということか。
「そんな……あの、ごめんなさい」
「せっかく昇進したばかりだったのにな」

 リアンの顔を見ることができなくて、私は床を見つめた。

「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。……お金、いつか返すから。でも、今は無職で」

 リアンが吹き出したので、私は驚いて顔を上げた。彼は額に手を当てて、肩を震わせている。
 わけがわからなくて、ぽかんと彼の顔を見つめた。

「いや、すまない。ちょっとからかうつもりだったんだが、重大に受け止められるとは」
「じゃあ、減俸はなし……?」
「いや、それはされると思うが」

 されるのか。渋い顔になるのを止められない。
 彼はくつくつ笑って、続けた。

「そんなことを気にするくらいなら、最初から助けにこない。そうじゃなくて、ミシカ、君は行くところがないんだろう? 一緒に来るか?」
「どこへ?」

 意味が分からなくて、ますます眉間に力が入った。
 ああ、と言ってリアンは肩をすくめた。

「申請すれば、基地の外で暮らせる。降格しなければ、だが」
「ちょっと待って、……一緒に、て」
「君みたいに、目を離したら死地に飛び込んで行く奴を、一人にできないだろう。おい、大丈夫か」

 リアンが咄嗟に腕を支えてくれなければ、私はバスの床にへたり込んでいた。
 腰が抜けた。冗談ではなくて。展開について行けない。
 どうせからかって、後から嘘だとか言うのだろう。そう思って、リアンの顔を見るが、彼は穏やかに微笑んでいるだけで、緑色の目は嘘をついているように見えなかった。

「無理、いや、だって。そんななんで」

 もしかして彼は感染していて、脳組織が破壊されつつあるとかだったらどうしよう。自分の妄想におろおろする。

「基地内に住んだまま、君と付き合うのはいろいろと面倒そうだなと思っただけだ。毎回、手続きも煩雑だしな」
「でも」
「嫌か。なんだ、離れるのが寂しくて不貞腐れているのかと思ったんだが」
「そ、……そうだけど」
「認めるのか。なら、頼むから、次からはもっと素直になってくれ。扱いに困る」
「それは、……次があるということ?」
「そうだな」
 彼は私の頭をなでながら、困ったように、泣くなと言った。
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