【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 目が腫れぼったいな、と思いつつ、私はリアンの背中に声をかけた。
「諦めよう、きっと別の部屋にあるんだよ」
 リアンはしぶしぶといった様子で、倉庫の端に備え付けられたロッカーを漁る手をとめた。
「……わかった」


69、

 ここがなんらかの会社の物流倉庫の中なら、防災の備えがあるはず。食料や飲料、運がよければブランケットもあるんじゃないか。そう言ったのは私だ。
 だが、運悪く、倉庫の外へは出られなかった。ドアがロックされているのだ。
 ショットガンで、とすっかり慣れた手荒な方法を提案したが、リアンの持っていたものは、ここに逃げ込むときに外に落としてしまったという。
 結局、倉庫の中にそういった物資はなくて、私たちは散々あたりを引っ掻き回した後、諦めて元の場所に戻ってきたのだった。

 落ちていた荷物のダンボール箱を畳んで重ねて、その上に座る。床に直に腰を下ろすよりは温かいが、濡れた服を着ているとそれだけで体温が下がっていく。
 疲労で頭もぼんやりするし、コンディションは最悪だった。広い空間のせいで、底冷えする。このままいれば屋内だというのに凍死するかもしれない。

「リア、……柏田さん」

 隣に腰を下ろして、床を睨んで考え込んでいる彼に声をかける。

「呼びやすいほうで呼んでくれてかまわない」
「それじゃあ、……リアン。脱いでもいいかな。寒い」
「どうぞ」

 肩を竦めると、リアンは体の向きを変えて、私に背中を向けた。

「温かいシャワーが恋しい」
「ここを出れば好きに浴びられるさ」

 ショーツ一枚になって、私はリアンに背を向けて腰を下ろし、膝を抱えた。本当はショーツも濡れているから脱ぎたいくらいだが、いくらなんでもそれはどうかと思い、我慢する。

「なにか羽織れるものがあればいいんだが」

 背中ごしにリアンが話しかけてくる。

「そうね」

 頷いたときだった。リアンが大きなくしゃみをした。連続で、二回。
 振り返ると、彼は背中を丸めて、腕をさすっている。手を伸ばしてその背に触れると、服もかなり濡れていた。

「脱いだ方がいいんじゃないの。風邪引くから」
「いや、それはどうかな」
「私は気にしないし、襲ったりしないから」

 冗談めかして言うと、リアンは軽く笑った。

「裸に自信がなくてな」
「……嘘ばっかり」

 リアンが立ち上がって服を脱ぎ始めた。あちこちに武器などを携帯するためのベルトやホルダーがあるので、私よりよっぽど脱ぐのが面倒そうだ。
 濡れた上着を床に脱ぎ捨てた彼が、パンツのベルトに手をかけたところで私は目を逸らして自分の膝に顎を乗せた。

「私も腹筋割れればいいのに。そのくらい訓練していたら、もうちょっとこんな場面でも楽できたかしら」
「軍に入るか?」

 ばさばさと脱いだ服を床に並べて、彼が座った気配があった。

「それも検討しておく。ただ、身元不明の不審な女でも、軍が入隊を許してくれるなら、だけど」
「まあ、もし入れなくても、体を鍛えるのはいいことじゃないか? スポーツでもして」
「あんまり、スポーツは得意じゃない」

 つま先が痛いくらい冷たい。手を伸ばして摩ろうとして、リアンの背に自分の背が触れた。
 びくっと、彼が背中を震わせた。

「ごめん、冷たかったよね」
「随分冷えてるな。大丈夫か」
「……しんどいけれど、仕方ないもの」

 二の腕を軽く掴まれる。その温かさに腕の筋肉が緩む。

「体温高いね」

 返事がないので肩越しに振り返ると、神妙な顔をしたリアンがいた。

「こっちに来るか?」

 言っていることの意味がわからず、瞬きしていると、彼が気まずそうに続けた。

「君が嫌じゃなければ、だが」

 両の手のひらを差し出すようにされて、ようやく、言いたいことを察した。
 自分で暖をとれと言っているのだ、彼は。

「心配しなくても、何もしない」
「……それじゃあ」

 恥じらいがないな、とは思うものの、寒さが辛すぎて、彼の申し出を断ろうとは思えなかった。
 胸の前で腕を組んだまま、膝立ちになって、彼の膝の間に移動する。後ろをむいて、ゆっくり背中をリアンの胸に預けた。じんわりと肌に伝わる温かさに、もっと熱をもらいたくて、徐々に体重をかけて密着する。

 リアンは、私の後頭部が顎に当たると、少し首を傾けて、私の耳の横に顔を出した。静かな呼吸音が聞こえてくる。緊張しているのか、つばを飲み込む音が聞こえた。
 腕が、そっと私を抱き寄せるように、後ろから伸びてきた。

「温かい。……ありがとう」

 ゆるゆると息を吐くと、寒さで強張っていた背筋が少し緩んだ気がした。
 懐かしい、彼のにおいがする。
 今の私は、体中打撲傷だらけで見栄えが悪いな、なんてどうでもいいことを考える。完全に体重を預けきって目を閉じた。疲労困憊だ。

「明日、公共ホールまでなんとかしてたどり着ければ、ここを出られるわ」
「装備がかなり貧相だから、苦労すると思うが、何とかするほかないな」

 耳元で、低い声が響く。私は思わず小さく笑って顔を背けた。

「くすぐったい」
「君が笑ったところ、初めて見たな」
「そんなことないでしょ」
「いや、なんだか険のある笑い方しているところしか、見たことなかったぞ」
「ええ……?」

 そうだっただろうか。思い返してみると、そもそも笑うこと自体、ほとんどなかったような気もする。

「そうかな」
 なんだか可笑しくなってまた笑った。
 ふと、腰に違和感があって、私はすぐ隣にあるリアンの顔を見た。彼はバツが悪そうな顔をして、少し体を引いた。

「……悪い。疲れているからだ」

 それなら、仕方がない。仕方がないけれど、気にならないわけじゃない。
 私から距離をとろうとするリアンの右膝に左手を置いて、体ごと振り返った。右手で彼の左肩を掴む。

「待て」
「私は、犬じゃない」

 口調はいつもと同じなのに、さっと目を背けるリアンは、顔にあまり出さないだけで、それなりに狼狽しているようだった。
 長い腕で肩を掴み返されると、リーチの差と力の差でそれ以上私は進めない。

「これはただの生理現象だ。不快にして悪いが、そういう意味じゃない」
「嫌なら止めるけれど」

 肩を掴むリアンの手をとって、私は自分の胸にその手のひらを押し当てようとしたが、彼の腕は鋼鉄のようにびくともしない。その拒絶に、お門違いの苛立ちを感じて、私は膝立ちで自らの胸を前に突き出し、その手に押し当てる。熱いものに触れたように、リアンの手がぎくりとして、さすがにこちらを見た。

「よせ」

 もう片方の手まで使って、リアンは私の肩をぐいと押して、自分から引き離した。

 私はリアンを見つめたまま、ぺたりと床に座り込んだ。床の冷たさとは反比例して、自分の中に煮凝った熱がたまっていくのを感じる。
 リアンは、困惑した顔をしていた。逃げ場を探しているように視線が定まらない。

「お礼をさせて。助けてもらったお礼」
「不要だ」

 にべもない。

「君はコールガールか何かか。男に助けられたら、全員にこうするのか。俺はこういう見返りが欲しくて、助けに来たんじゃない」
「わかった。じゃあ、したいから、悪いけれど付き合って」
「……ストレートに言えばいいってもんじゃないだろう」

 呆れたように、逞しい肩をかくんと落ちる。

「嫌なの?」
「自暴自棄になるな」
「嫌?」
「さっき襲ったりしないって言ってただろう、自分で」
「……嫌なの?」

 繰り返して問うと、リアンは助けを求めるように、天井を仰いで、しばらくすると、深いため息をついた。

「困ってる」
「うん、それは見てわかる」
「じゃあ、やめてくれ」
「どうして」

 リアンは私の肩に両手を置いたまま、首を横に振った。

「君は、違う俺を、俺に重ねているだけだ。行きずりでこんなことをしたら、傷つくのは君のほうだし、後から冷静になってから辛い思いをするのも君だ。俺は君が望んでいる人間じゃない」

 行きずりでの件に関しては、すでに痛い思いをしたあとだから、忠告されるまでもない。

「万が一にも、今後、私と友情以上のものは育めそうにないと思ってる? あなたの好みの範疇には、かすってもいない? 重たい……?」

 こういうことを問うこと自体が重いだろうと、わかってはいるけれど、聞かずにはいられなかった。
 リアンは首を横に振った。

「君になにも思わないなら、そもそも反応しない」
「さっきは生理現象だって言ってたのに」
「欲情したとか、言えると思うか」

 言った後に、リアンは気まずそうに目を逸らした。今まで、こんな風に慌ててしどろもどろになっている彼を見ることはなかった。そのせいか、ほの暗い喜びのざわめきが、胸中に生まれる。

「さっき、優しくしてくれたとき、やっぱりあなたはあなただと思った」
「ほら、やっぱり」
「仕方ないでしょう。ニアリーイコールだもの。でも絶対にイコールにはならないって、わかってる。こうして、あなたと一緒に過ごすほど、記憶の中のあなたとは乖離していく。違う人だって、何度も確認させられる。そうやって頭を整理してる途中で、共通点を見つけると、泣きたくなる。けれど、仕方ない、同じだけど違う。辛いけれど、受け入れるしかない」

 わずかでも方向が違う二つのベクトルは、永遠に交わらない。出発点が一緒でも、距離を重ねるごとに離れていく。

「あなたに惹かれたのが、過去の記憶とはまったく関係ないなんて、言えない、それは認める。でも、それはきっかけよ。私は、……子供みたいに八つ当たりしたり、自暴自棄になって突っ走ったりした馬鹿な私を助けに来てくれたリアンに抱きしめてほしい。きっとこの先も、以前のあなたとの違いを見つけて、勝手に落ち込むと思う。あなたに対して、とても失礼で酷いこと言っている自覚もある」

 私の部屋で、私を抱きしめてくれたリアンは、いつか別の人をその腕に抱きしめるときが来る。考えると、それだけで胸が張り裂けそう。――でも、同時にそうして欲しいとも思う。ずっと暗がりに佇んでいてほしくない。彼も同じ気持ちであってくれたらいい。そんな都合のよいことを思う。

 リアンは私の言葉をじっと聴いてくれている。

「だけど、それじゃあ駄目だってあなたが言うなら、この先ずっと、いつになっても、私は今のあなたにキスしてももらえないじゃない。死んでも忘れられないのに、あなたのこと」

 また泣きそうになって、私は下を向いた。自分の、打撲で鬱血したまだらの脚が視界に映る。
 手の甲で目元を拭う。顔を上げてリアンの緑色の目を見つめる。

「好き。何度死んでも、きっとあなたのこと、好きになる。だからお願い、あなたに触れさせて」

 言えばよかったと後悔するくらいなら、拒絶されても言ってしまった方がいい。明日死んで、一人また目が覚めて、二度と言葉も届かないと嘆くぐらいなら、鬱陶しいと罵られた方がましだ。突き飛ばされたって後悔しない。

 リアンは何も言わない。
 じっと私を見つめている。肩の上で握った手も、振り払われることもないが握り返されることもない。

 ――ああ、駄目か。

 下を向くと、ぼたっと大粒の涙がひとつ、自分の太腿に落ちた。こんな格好で全力で告白して振られるという、情けない自分の姿を俯瞰するように想像すると、滑稽極まりない。でも、笑えなかった。

 何度目かの、深くて苦々しいため息のあと、リアンが口を開いた。
 死刑宣告を待つ囚人のように、私はその言葉を聞く覚悟を決める。

「裸でにじり寄ってきて、前の男は忘れられないけれど、抱けと言う。相当性質が悪いぞ君は」

 返す言葉もない。私は肩を落として、手の甲で涙を拭った。

「今までにないぐらい重たい。正直、どうしたらいいかわからん」

 淡々とした言葉に、横面を殴られたような衝撃を覚える。

「暗い顔をしてずっと何か考えてると思ったら、急に開き直ってとんでもない行動に出る。驚くほど刹那的で、手に負えない」
「……ごめんなさい」

 いくらか自覚しているものの、いざ指摘されると、傷つく。勝手だ。
 片手じゃ足りなくて、リアンの手を離して両手で目頭を押さえようとした。だが、手を掴み返された。
 彼の顔を見上げる。涙をこぼしながら。
 リアンは、困った子供を見るような顔をしている。怒ったような、ちょっと厳しい表情。

「君の記憶の中の俺のようには、君を大事にはできないぞ。俺は別の人間だからな。だがそれでいいんだな」

 彼の顔が近づいてきて、私の頬に口付けた。涙を拭うように。
 間近に緑の目がある。
 私は、目を伏せて、彼の唇が自分の唇に押し当てられる感触を、ただ感じていた。
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