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本編
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シャッターを叩く音がする。
ここは物流倉庫のようだ。奥には銀色の大きな扉のついた、業務用の冷蔵室がある。大きなスチールラックには、配送待ちの梱包済みの荷物がずらりと並んでいた。中には荷崩れして、床で中身をぶちまけている箱もある。
冷たく堅い床には、通路の番号がペイントされている。天井はかなり高く、二階まで吹き抜けになっていた。照明は三割ほどが点灯したままになっている。広い床をそれだけで照らしきることはできず、あちこちに暗い影を作っていた。
しんとして、室内に人の気配は感じられない。
68、
リアンは胡坐をかき、眉根を寄せて私を睨んだ。
「危うく、鼓膜が破れるところだった」
「それは、悪かったわ」
大きなため息をつかれ、私も眉根が寄った。
「……なんで来たの?」
ため息と小さな笑い声が返ってきた。さっきの睨みは、ただのポーズだったのか、なんなのか。
「まさか、助けに来てそんなことを言われるとは思わなかったぞ」
「せっかく、私が身を挺して活路を開いたんだから、それを尊重してもいいじゃない」
「ああ、おかげで上手いこと脱出できて、塩野も病院に搬送できたから、俺は俺のフィールドに戻って来ただけだ。運よく、発砲音で君の居場所に気付けた」
「そのまま、基地に帰ればよかったのに」
「随分なことを言うな。そうしていたら、君は死んでたぞ。……それでもよかったとでも言いたげだな」
彼は苦笑して、自分の荷物をがさがさとひっくり返した。補給してないからろくなものがないが、などと言って、ガーゼで私の顔をぬぐってくれる。右のこめかみがかなり痛い。切れているようだ。目に血がはいったのも、この出血が原因だろう。
私はされるがままに、おとなしくしている。いろいろ不満はあったが飲み込んだ。
「まったく……。上官命令を無視して助けに来てみれば、こんなに煙たがられるとは」
「放っておけばよかったのに。ペナルティの可能性だってあるのに、無理して助ける必要ないわ。私はどうせ」
「死んでもやり直せるから?」
「……そうよ」
今度は呆れたようなため息をつかれた。
自分でも、子供みたいだとわかっていても、なぜか突っかかるのをやめられない。
リアンは私の腕や肩を掴んで、無遠慮に探っていく。怪我の有無を確認されているのだとわかっているが、濡れて冷えた服越しに、温かい彼の手の温度を感じると、なぜか緊張した。
「君自身気付いていると思うが、かなり情緒不安定だぞ。君の置かれてきた状況を考えれば、無理もないが。だからといってそう自滅的な行動をとるのは、褒められない」
「自滅的じゃないわ。自分でベストな方法を考えて、行動してる」
「本当にそうか? 俺にはそう思えない。君は、自分のことを軽視しているように思えるが」
「どこが」
苦笑すると、リアンは私のふくらはぎを掴んで、顔を顰めた。いつの間にか、刺さっていた破片は抜けたが、そのせいで、かなり出血している。
彼は、処置の道具をとりだして、麻酔がもうないと聞きたくない事実を告げた。
「痛むと思うが、我慢できるか?」
「できないって言ったら、放っておいてくれるの」
またため息。リアンは自分の太腿に私の足を乗せて、患部にアルコールの匂いのする液体をかけた。強烈な痛みが脚から頭の天辺まで駆け抜けて、私は声を上げずに仰け反った。
それからしばらく、泣き叫ばないようにするので精一杯だった。いっそ気絶したいくらいの拷問だ。最終的に、身を起こしているのもできなくて、床に這いつくばって自分の口を自分の手でふさいで耐えた。
「よくがんばったな」
そんな褒め言葉が、処置が終わった合図だった。
何も言う気にならなくて、そのまま仰向けで、光が届ききらずまだらに暗い天井を眺めていた。冷たい床に、背中からどんどん体温を奪われて、寒い。
包帯を巻き終えたリアンは、今度は私の顔の怪我を手当てし始める。
寝転んだ横に彼が座り込んで私の顔を覗き込んでくる。
「他に痛むところはあるか」
「全身」
「そうか」
またも苦笑い。嘘はついていない。蹴り飛ばされたり、地面に落ちたときにぶつけたりで、あちこちを打撲している。手足や指で動かないところがないから、奇跡的に骨は折れてないようだけれど。
「さっきの話だが。実は、俺はお節介な性質だ」
「……それは重々承知だわ」
「だから、あんまりにも不安定そうな君を切り捨てられなかった。それが、ここに来た理由だな」
「前も、そんなこと言ってたわ、別のあなたが」
嫌味であり、皮肉であり、嘆きであり。そんな、負の感情をこめた言葉を吐く。リアンからしたら、完全にただの八つ当たりだ。そんな知らない自分の話をされるなんて、あてつけでしかない。
だが彼は、穏やかな表情のまま問う。
「そういえば、前回の君と俺は、付き合っていたんだろう?」
「……ええ、そう」
散々嫌味たらしくその話を持ち出しておいて、いざその話題に触れられると、すっと胸の奥が冷えた。
「君は、前回、……伊丹に」
その先を濁される。
「そうよ、散々な目にあわされて、殺されたらしいわ。最後の方は意識がなかったから、よくわからないけれど。伊丹がそう言ってた」
伊丹のことを思い出すと、腹の底にどろどろとした黒い塊が沸いてくる気がした。
唾棄するようにそう言って、そっぽを向くと、降ってきた大きな手が、わしわしと頭をなでた。濡れた髪の毛が、彼の指に絡んで痛い。
驚いて、その手を払おうとして、リアンと眼が合う。
「守ってやれなくて、すまなかったな」
「なに……」
逆光になって暗くなっているのに、リアンの労わるような目だけははっきり見えた。そして、すぐに歪んで見えなくなる。
「やめてよ」
それだけ言うのに、必死だった。視線を遮るために、顔を手で覆う。彼に背を向けて、横になる。宥めるように髪を梳かれて、背中をなでられる。止めてほしいのに言えない。歯を食いしばるので精一杯だ。
本当は、心のどこかで期待していた。彼が助けにきてくれること。同時に諦めていた。彼はリアンだけれど、別人だと。
けれど、彼は来てくれた。
彼は、彼だ。
ここは物流倉庫のようだ。奥には銀色の大きな扉のついた、業務用の冷蔵室がある。大きなスチールラックには、配送待ちの梱包済みの荷物がずらりと並んでいた。中には荷崩れして、床で中身をぶちまけている箱もある。
冷たく堅い床には、通路の番号がペイントされている。天井はかなり高く、二階まで吹き抜けになっていた。照明は三割ほどが点灯したままになっている。広い床をそれだけで照らしきることはできず、あちこちに暗い影を作っていた。
しんとして、室内に人の気配は感じられない。
68、
リアンは胡坐をかき、眉根を寄せて私を睨んだ。
「危うく、鼓膜が破れるところだった」
「それは、悪かったわ」
大きなため息をつかれ、私も眉根が寄った。
「……なんで来たの?」
ため息と小さな笑い声が返ってきた。さっきの睨みは、ただのポーズだったのか、なんなのか。
「まさか、助けに来てそんなことを言われるとは思わなかったぞ」
「せっかく、私が身を挺して活路を開いたんだから、それを尊重してもいいじゃない」
「ああ、おかげで上手いこと脱出できて、塩野も病院に搬送できたから、俺は俺のフィールドに戻って来ただけだ。運よく、発砲音で君の居場所に気付けた」
「そのまま、基地に帰ればよかったのに」
「随分なことを言うな。そうしていたら、君は死んでたぞ。……それでもよかったとでも言いたげだな」
彼は苦笑して、自分の荷物をがさがさとひっくり返した。補給してないからろくなものがないが、などと言って、ガーゼで私の顔をぬぐってくれる。右のこめかみがかなり痛い。切れているようだ。目に血がはいったのも、この出血が原因だろう。
私はされるがままに、おとなしくしている。いろいろ不満はあったが飲み込んだ。
「まったく……。上官命令を無視して助けに来てみれば、こんなに煙たがられるとは」
「放っておけばよかったのに。ペナルティの可能性だってあるのに、無理して助ける必要ないわ。私はどうせ」
「死んでもやり直せるから?」
「……そうよ」
今度は呆れたようなため息をつかれた。
自分でも、子供みたいだとわかっていても、なぜか突っかかるのをやめられない。
リアンは私の腕や肩を掴んで、無遠慮に探っていく。怪我の有無を確認されているのだとわかっているが、濡れて冷えた服越しに、温かい彼の手の温度を感じると、なぜか緊張した。
「君自身気付いていると思うが、かなり情緒不安定だぞ。君の置かれてきた状況を考えれば、無理もないが。だからといってそう自滅的な行動をとるのは、褒められない」
「自滅的じゃないわ。自分でベストな方法を考えて、行動してる」
「本当にそうか? 俺にはそう思えない。君は、自分のことを軽視しているように思えるが」
「どこが」
苦笑すると、リアンは私のふくらはぎを掴んで、顔を顰めた。いつの間にか、刺さっていた破片は抜けたが、そのせいで、かなり出血している。
彼は、処置の道具をとりだして、麻酔がもうないと聞きたくない事実を告げた。
「痛むと思うが、我慢できるか?」
「できないって言ったら、放っておいてくれるの」
またため息。リアンは自分の太腿に私の足を乗せて、患部にアルコールの匂いのする液体をかけた。強烈な痛みが脚から頭の天辺まで駆け抜けて、私は声を上げずに仰け反った。
それからしばらく、泣き叫ばないようにするので精一杯だった。いっそ気絶したいくらいの拷問だ。最終的に、身を起こしているのもできなくて、床に這いつくばって自分の口を自分の手でふさいで耐えた。
「よくがんばったな」
そんな褒め言葉が、処置が終わった合図だった。
何も言う気にならなくて、そのまま仰向けで、光が届ききらずまだらに暗い天井を眺めていた。冷たい床に、背中からどんどん体温を奪われて、寒い。
包帯を巻き終えたリアンは、今度は私の顔の怪我を手当てし始める。
寝転んだ横に彼が座り込んで私の顔を覗き込んでくる。
「他に痛むところはあるか」
「全身」
「そうか」
またも苦笑い。嘘はついていない。蹴り飛ばされたり、地面に落ちたときにぶつけたりで、あちこちを打撲している。手足や指で動かないところがないから、奇跡的に骨は折れてないようだけれど。
「さっきの話だが。実は、俺はお節介な性質だ」
「……それは重々承知だわ」
「だから、あんまりにも不安定そうな君を切り捨てられなかった。それが、ここに来た理由だな」
「前も、そんなこと言ってたわ、別のあなたが」
嫌味であり、皮肉であり、嘆きであり。そんな、負の感情をこめた言葉を吐く。リアンからしたら、完全にただの八つ当たりだ。そんな知らない自分の話をされるなんて、あてつけでしかない。
だが彼は、穏やかな表情のまま問う。
「そういえば、前回の君と俺は、付き合っていたんだろう?」
「……ええ、そう」
散々嫌味たらしくその話を持ち出しておいて、いざその話題に触れられると、すっと胸の奥が冷えた。
「君は、前回、……伊丹に」
その先を濁される。
「そうよ、散々な目にあわされて、殺されたらしいわ。最後の方は意識がなかったから、よくわからないけれど。伊丹がそう言ってた」
伊丹のことを思い出すと、腹の底にどろどろとした黒い塊が沸いてくる気がした。
唾棄するようにそう言って、そっぽを向くと、降ってきた大きな手が、わしわしと頭をなでた。濡れた髪の毛が、彼の指に絡んで痛い。
驚いて、その手を払おうとして、リアンと眼が合う。
「守ってやれなくて、すまなかったな」
「なに……」
逆光になって暗くなっているのに、リアンの労わるような目だけははっきり見えた。そして、すぐに歪んで見えなくなる。
「やめてよ」
それだけ言うのに、必死だった。視線を遮るために、顔を手で覆う。彼に背を向けて、横になる。宥めるように髪を梳かれて、背中をなでられる。止めてほしいのに言えない。歯を食いしばるので精一杯だ。
本当は、心のどこかで期待していた。彼が助けにきてくれること。同時に諦めていた。彼はリアンだけれど、別人だと。
けれど、彼は来てくれた。
彼は、彼だ。
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