【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 名前を呼ばれた気がして、ふっと覚醒した。
 一瞬何が起きたのかわからず、周囲を見回す。小雨が降る街中、冷たく硬いルーフの上。下を見れば、感染者たちの歓迎の手招き。
 まさか、この状況で眠っていたのだろうか。感染者の数は減っているが、逃げ切れるほどではない。
 朦朧としたまま身じろぎして、鋭い痛みが背筋を駆け抜けた。右脚のふくらはぎに、金属片が刺さっていた。


67、

 ルーフの支柱だろう。ふくらはぎに突き刺さった破片は、十センチくらいで鋭利なものだ。
 掴んで引き抜こうとしたものの、手に力が入らない。しかも触れるとかなり痛む。
 寒いし、痛いし、もう最悪の気分だ。歯の根があわないほど、体が震える。眠ったまま、凍死しなかったのが驚きだ。もしかするとさほど長い時間のことじゃなかったのかも。

 これからどうすればいいだろう。
 手元にあるのは、銃と、ちょっとの弾、それからスタングレネードが二つ。
 悩んだところで、なにかいいアイデアが浮かぶとは思えなかった。疲労と寒さで、頭の中は未だぼやけている。
 手を合わせて間近から吐息を吹きかけると、かじかんだ指先がちょっとだけ温まる。そしてすぐに冷えた。
 長居できない。朝まであとどのくらい時間があるか知らないが、きっと耐えられないだろう。
 凍死はまだしたことないが、穏やかに最期を迎えられるのだろうか。ろくに回らない頭の隅で、そんなことを思う。

 伊丹のせいで、今回はとくに不本意なことが多すぎた。いっそ、彼が口癖のように言っていた、やり直しでも考えてはどうだろうか。その方がはるかに楽だ。
 手の中にある銃を弄ぶ。ここにある小さな銃弾一発で、またやり直せる。そしたら、今度はもっと上手く立ち回って、ホセやリーサの死を回避できる。伊丹と会わないようにも努力する。
 塩野が怪我をすることもなく、みんなしてヘリでこの街を脱出できる。
 そして、次はもっとリアンに素直に接せる。

 そこまで考えて、私は苦笑した。
 リアンが自分の期待に応えてくれないからって、まるで子供みたいな態度をとってしまった。彼からしたらいい迷惑だったはず。次はそんなことせず、普通に接せれば、以前のようにはいかなくても、もう少しいい関係を築ける。もしかすると、友人くらいにはなれるかもしれない。

「友達、かぁ……」

 ため息が漏れる。
 手にした銃をゆっくり持ち上げる。銃があってよかった。痛いのは一瞬だろうし、頭を撃てばたぶんすぐに意識が飛ぶはずだ。このまま待っていれば朝までには死ねるだろうけれど、それまでに余計なことをいろいろ考える方が一瞬の痛みより辛い。
 たとえば、あのまま伊丹になにもされずに過ごせていたら、今頃私はなにをしていただろうとか。リアンとはうまくやれていただろうかとか。しくしく胸が痛むようなことを延々と考えてしまうだろう。
 そういう辛くて意味の無い時間は嫌だ。

 顎の下に銃口を当て、目をつぶろうとしたとき、視界の端でなにか動いた。
 人だ。一目で、感染者じゃないとわかった。二人いて、両方とも女性。片方が、脚を引きずっている方に肩を貸している。感染者たちは、自分はおろか、他の人間の負傷なんて気にもしない。揃いの、銀行員みたいなタイトスカートとベストの、明るい色のセットアップの制服を着ている。
 彼女たちは、ビルの影から姿を現して、蛇に睨まれた蛙のように硬直し、私の方を見ていた。いや、正確には、私の下に集合した感染者たちを、だ。

 距離はある。二十メートルは離れている。でも怪我人を連れて、逃げ切れる距離じゃない。
 引き金を引くことも忘れ、私は手で、戻れと彼女たちに指示を出していた。大きく手を横に振る。彼女たちは、ようやくはっとして、何かを言い合ったあと、踵を返した。
 その後ろを、四人ほど、感染者が小走りに追いかけ始める。
 上って来れないルーフの上の私にずっと掛かりきりになるほど思考力が衰えているくせに、それでいて完全に知性を失ったわけじゃないらしい。

 自分に向けていた銃口をそちらに構え直し、私はトリガーを引いた。一発外したが、残りは当たる。
 しかし、しくじったか、彼らが倒れたことに気付いて振り返った感染者たちが、獲物を見つけたとばかりにばらばらと走り出す。さっきの女性たちの逃げた方へ。

「くそっ」

 口汚く罵って、私は立て続けに発砲した。感染者たちは数人地面に倒れたが、さらに数を増やして走っていく。
 どうしよう、このままでは彼女たちは逃げ切れない。私は焦りながら、ポケットに詰め込んでいた円筒を引っ張り出して、リアンの説明どおりピンを抜いて投げた。

 目の前が白くなる。平衡感覚を失って頬からルーフにぶつかった。頭を鈍器で殴られたときのような感じ。あるいは、ひどい貧血で倒れたときのような。なにがどうなったのか、瞬時には理解できない。

 耳の奥で、高い音がずっと鳴っているような気がした。しばらくそのまま耐え、息ができるようになる。
 リアンはこれが、大音量で制圧する武器だといっていた。なるべく遮蔽物があるところで使えとも。
 できるだけ遠くに、と思って投げたのに、予想以上の速さで破裂したせいで、自分までやられたということか。

 私がルーフの上で首だけ動かして見た先では、一度転倒したらしい感染者たちがよろめきながらも立ち上がり、また徐々にスピードをあげて走りだしていた。一瞬しか足止めにならなかった。
 ああ、そういえば、リーサか楢原かが、あまり効かなかったって言っていなかったっけ。今になって思い出すなんて。
 眩暈が酷いなか、腕を突いて身を起こしたがうまくできず、雨とルーフの傾斜で滑った。
 ルーフの淵の金属部分で、思い切り太ももの側面を擦る。痛い、と思った次の瞬間、全身にどんという衝撃が走って、息が詰まった。

 地面に落ちたんだ。早く立ち上がって逃げなければと思うのに、眩暈と痛みとでうまく体が動かせない。なんとか目だけ開けると、眼前に靴底が迫っていた。
 鼻柱を蹴り飛ばされて、脳天に火花が散る。
 腹部に、肩に背中にと次々と硬い靴が降ってくる。亀の気分だ。
 頭と腹を庇って丸くなると、今度は背骨を蹴られる。
 痛みはすぐに熱さに変わる。
 終わった、そう思った。私がこうして蹴り飛ばされている間に、あの二人の女性が逃げおおせればいい。
 誰かのためになって死んだという思い込みは、それなりに気分がいい。

 耳を蹴り飛ばされたのか、轟音がした。もう感覚は吹き飛んでいて、痛みは一切感じなかったが。
 轟音が、二度、三度と続いて、首が絞まった。襟首を掴まれ、アスファルトの上を引きずられている。
 苦しくて手で喉を掻くと、すぐに楽になったが、その代わりに乱暴に腰を掴みあげられて、振り回される。地面に叩きつけられる覚悟を決めたが、――なかなかその瞬間が訪れない。

 轟音だけが思い出したように、鼓膜を打つ。
 顔を上げた。目に血が入って最悪な視界だったが、私を掴み上げている相手は、見間違いようがない。

「リ――柏田さ、ん」

 リアンは、私を無理やり立たせると、怒鳴った。

「負ぶされ、早く!」

 四の五の言ってる場合ではないのはわかっている。私は彼の背にしがみ付く。きっと、鼻血を吹いていなければ、懐かしいにおいがしたんだろう。
 ショットガンを数発撃って、襲ってくる人たちから距離を稼いで、彼は走り出した。
 私が名前を呼ぶ前に、リアンに再び怒鳴られた。

「上手くやるって言っただろう」
「なっ……」

 かっとなって、言葉が出なかった。
 背後から追いすがってくる感染者に向けて、振り向きざまに彼が何度か発砲する。
 私を背負っているせいで、リアンの走るスピードはあがらない。

「あそこ!」

 狭い視界に捕らえた、ビルの裏口を指差す。物の搬入口のようで、ちょうどトラックの荷台の高さに作られた高床の倉庫だ。三枚のシャッターが並ぶ中、左端の一枚だけが、中途半端に開いている。シャッターと床の間に、コンテナひとつが挟まってしまっているようだ。
 リアンは素早く方向転換して、シャッターに駆け寄った。私を軽々持ち上げて高い床の上に放り投げる。痛いとかなんとか文句を言う暇も無い。私は必死で這って、シャッターの隙間をくぐる。
 ショットガンの発砲音が二度して、リアンがシャッターをくぐろうとする。

「ちっ」

 追いついてきた感染者の手が、彼の足を掴んでいた。私がリアンの手をとって中に引き込もうとしても、力負けして、ずるずると引っ張られてしまう。
 もはや無我夢中だった。
 私はシャッターの隙間から外へ向けて、残っていた最後のスタングレネードを放り投げた。

「おいっ」

 リアンが抗議の声を上げた気がしたが、最後まで聞くことなく終わる。
 目と耳をふさいで、口を開ける、たしかそう言われた。シャッターの開口部より上に立っていたのと、リアンの講義をちゃんと思いだしたせいだろうか。衝撃は感じたものの、平衡感覚を失って倒れるほどではなかった。強烈な耳鳴りがしたが、なんとか動ける。

 引っ張られる力が弱まっている間に、悶絶しているリアンを全力でシャッターの内側に引きずり込む。信じられないほど重い。
 シャッターの開閉の妨げになっていたコンテナを、渾身の力で蹴り出した。重たい鉄製のシャッターががしゃんと落ちた。三本ほど、感染者たちの腕が挟まった。

 苦悶の表情を浮かべて床に這いつくばっているリアンの横に、へたりこむ。
 呼吸をしていると、全身の激痛が蘇ってきて、座っているのも辛くなった。あちこちが熱を持って疼痛を訴えだす。アドレナリンのせいで、一時的に痛覚が飛んでいたのか。

 しばらくして、ようやく回復したのか、頭を振りながら身を起こしたリアンと、目が合う。
 彼は仏頂面で、私を睨んだ。
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