【R18】Overkilled me

薊野ざわり

文字の大きさ
上 下
66 / 92
本編

66

しおりを挟む
 車から少し離れたころ、背後でかすかに車のドアが閉まる音が聞こえた。リアンが行動を開始したのだろうか。
 私は、山になっている感染者たちに気付かれないよう、静かに建物の裏を移動する。車と反対側の方まで移動して、そっと顔を角から突き出して、辺りを確認した。
 細かい雨粒が、きらきらとオレンジ色の照明に輝いている。その向こうで、蠢く沢山の人たち。彼らは時折崩れながらも、じりじりと柵の天辺に近づいていく。


66、

 なるべく派手な音を立てて気を引いて、小屋から引き離さなければ。あそこに固まっている感染者を、できる限りこちらに引きつけたい。

 私は、足元の石を拾い上げ、道の反対側にある低層ビルの窓へ向かって思いっきり投げた。石は狙ったところにきちんと飛んでいった。

 がんっという硬い音がしてガラスに細かくひびが入ったが、それだけだった。飛散防止なのかなんなのか、窓は期待していた派手な割れ方をしない。当然、音も小さい。
 感染者の方を見ると、四名ほどがこちらを見て、山の中から抜け出ようともがいている。だが他の大多数は気付いてもいないようだった。

 銃でガラスを撃つ。しかし穴が開いただけで、やはりガラスはばらけない。これでもだめだ。舌打ちして見回す。先ほどの四人が山を抜け出して、私の方へと向かって来ている。彼らに捕まる前に、ここでなんとかしなければ。

 路肩に放置された一台の乗用車を見付けて駆け寄り、手にしていた拳銃のグリップで思いっきり運転席サイドの窓を叩いた。粉々になったガラスが、車内に散らばる。
 スピードを増した感染者たちが、足を引きずりながら小走りに近寄ってくる。
 割った窓から手を差し入れ、クラクションを思い切り押した。夜空に、大きな音が反響した。

 一番接近した感染者を撃つ。太ももを撃たれて、袖が破れたスーツ姿の中年の男がその場に転がる。続いて、横から掴み掛かって来た作業服の女性の腹部に、全体重を乗せた蹴りを入れる。彼女は尻餅をついて転んだ。当たりどころが悪かったのか嘔吐する。つられて私も喉を酸っぱいものがこみ上げる。

 動きながらも鳴らし続けたクラクションのおかげで、人の山の形状が変わっていた。将棋崩しを失敗したように、先を競い合って山から感染者たちが転がり出てくる。小走りに近づいてくるものもいれば、足を怪我したのか這って、後ろから来た人に踏みつぶされる人もいる。

 私はクラクションから手を離して、近付いてきた感染者たちを撃った。三人立て続けに動きを止める。
 頃合いだろう。踵を返して、リアンたちがいる方とは逆向きに走りだす。
 だめ押しに、わざわざ振り返って、乗用車の後ろのタイヤを撃った。それまでの小細工より何倍も大きくて派手な音を響かせ、タイヤが破裂する。そばにいた感染者が一人、横殴りにされたように吹き飛んで、地面に倒れ込んだ。

 最初からこうすればよかった、なんて悠長に後悔する余裕は無い。全力で走る、走る。
 スニーカーの紐をちゃんと回収できていてよかった。パンプスじゃなくてよかった。
 息があがっていくなか、そんなくだらないことを思う。

 ハーメルンの笛吹き男の気分。後ろを、私を捕まえようとする人たちがものすごい形相で走ってくる。きれいなフォームで走る人なんていない。前に傾いで泳ぐように腕を振り回したり、転んでも転んでも起き上がってまた走りだしたりして、とにかく、ちっぽけな女一人をどうにか捕まえようと必死だ。足首が変な方向を向いているのに、驚くようなスピードで追いかけてくる老紳士もいる。

 角を曲がって、さらに角を曲がる。なるべく直線で走らないように逃げ回る。
 こんなに必死に走るなんて、学校の長距離走大会以来だ。
 なんだかおかしくなってきて、私は笑った。息が切れているので、咳き込み、涙が浮いてくるが、笑いが止まらなかった。

 背後で、大音量のサイレンが鳴り響いた。リアンが、ゲートを作動させようとしているのだろう。二割くらいの感染者たちが足を止めたが、大多数は私の後ろを付いて来ている。
 これだけ引き付けられれば、きっと、リアンたちも上手く外へ出られる。いつのものかもわからない、気遣うようにこちらを伺うリアンの顔を思い出して、私はかぶりを振った。吐き気を催す程胸が苦しいのは、感傷的になったというより、この全力疾走のせいだろう。

 全力で走り続けられる時間は限りがある。そろそろ限界だ。
 引きつけた後ろの人間たちをどうにかしなければならない。持っている銃だけでは、この人数をどうにかできそうにもない。

 もう一度角を曲がる。ビルの裏手に出た。そばに、ビルの裏口と思われる、片開きの金属のドアがあった。コンクリートの壁にはめ込まれている。
 ドアノブを勢いよく掴んだが力を入れても回らない。当然鍵がかかっている。
 迷っている暇はなく、私はドアノブめがけて五発、銃弾を撃ち込んだ。六発目で手応えが無くなって弾切れだと悟った。

 鍵は変形したが、ドアは開かない。よく見れば、電子認証が必要なようだ。ドアの横に、カードリーダーが備えられている。近年のオフィスビルは、ほとんどこういうセキュリティ管理をしているのだろう。物理的な鍵自体も、掛け金が外れれば開くような仕組みじゃないのかも。ショットガンが今こそ欲しかった。

 足音が近づいてきて、舌打ちしてまた走り出す。足の指の付け根が鋭く痛んだが、かまっていられない。
 一度立ち止まったせいか、さっきよりずっと息が苦しい。鼻と喉の奥が焼けるように痛む。胸も痛い。走りながらリロードする。これで余分の弾はなくなってしまう。

 再び角を曲がると、広い道に出た。街灯がぽつぽつと立っていて、人通りはほとんどない。いるのも感染者らしき人だ。幅の広い歩道には、雨避けの透明なルーフが続き、街灯の下にバスストップの看板があった。その隣には、バスを待つためのベンチ。
 走りながらそれを視認し、続いて後ろを振り返る。感染者たちは、自分の苦痛に頓着しないのはわかっているが、疲れも感じないのだろう。衰えないスピードで、追随してくる。彼らが例えば、行動不能になるまで追ってくるとして、私の肺が破れるのと、彼らの脚が折れるのとどちらが早いだろう。試す気にはならない。むしろ私の肺はそろそろ限界だ。
 ぜえぜえという自分の息がうるさい。もう、走り続けるのも無理だ。実際、スピードはかなり落ちている。

 どこか逃げ込める場所、と探すものの、四方にある建物は割って入れるようなガラスの扉も、破れそうな薄いドアもない。コンクリート製の壁に、金属のドア、窓には格子やシャッターが設置されている。
 脚がもつれてよろめく。髪を後ろから掴まれた。反射的に頭を思い切り引いて振り切り、転がるようにしてその場を飛び出す。
 背後に、目をぎょろぎょろさせた禿頭のサラリーマンの姿。いつの間にこんなに接近されたのか。走るのが遅くなっているだけじゃなくて、集中力も落ちている。

 このままじゃ、まずい。
 焦ると、さらに心臓が痛む。おまけにまともな判断ができなくなってくる。
 きっとそのせいだろう。私は、バスストップの前のベンチに登って、そのまま、雨避けのルーフによじ上っていた。
 強化プラスチックかアクリルかわからない、透明のルーフの上になんとか登りきり、――さっそく後悔する。雨のせいで滑る。しかも、殺到した感染者たちの勢いで、ルーフの骨組みがぎしぎし揺れて、立ち上がれない。
 ルーフが倒れるかもしれない。そう思わせる程に、揺れる。情けない悲鳴を上げて這いつくばった。足首を下から掴まれて、必死に、自分の靴ごとその手を蹴り落とす。

 匍匐前進して、じりじり端から距離をとろうとする。全身が、ルーフに載っていた雨のせいでぐっしょりに濡れていた。透明なルーフの下に集まった感染者たちは、なんとかして上にいる私につかみ掛かろうと、下から目一杯手を伸ばしてくる。
 地獄の釜はこんな感じかしら。そう思わせるような光景。観察している場合じゃない。私が登ったように、ベンチを足がかりにして、数人の感染者たちが上に顔を出し始めていた。
 私は身を起こして、登ってこようとしている感染者たちを撃つ。うまく当たった中年の女性がずるりと落ちると、一緒に、そばにしがみついていた男たちが落下する。
 だがすぐに別の感染者たちが寄って来て、彼らの体すら足場にしてよじ上ってくる。柵の周りに集まっていたように、どんどんと。
 ぎん、と大きな金属音がして、ルーフが傾いだ。人の重さに耐えられなくなったのだ。感染者たちが殺到していたベンチの方から、踏まれた霜柱のように崩れて行く。
 傾斜したルーフの上で爪をたてても、滑る。ずるずると私は感染者たちの方へ滑ってしまう。

「いっ……」

 ふくらはぎに鋭い痛みを感じた。爪を立てられたのか、噛み付かれたのかわからない。
 必死に、ルーフの支柱部分にあわせられた、ルーフパネル同士を繋ぐ金属のフレームに爪をたて、しがみ付いた。ここで落ちたら、死ぬ。殴られて蹴られて、噛み付かれて、死ぬ。銃で一発撃たれて死ぬより、ずっと苦痛が長いだろう。やっぱり死ぬのは嫌だ。痛いのも嫌だ。何度も味わおうとも。

 耳が痛くなるような金属音を立てて、ルーフパネルの継ぎ目から、フレームごと、感染者たちが圧し掛かった部分が横倒しになった。その勢いに振り回されながらも、なんとか、私はフレームの端にぶらさがる。
 手の感覚なんてもうない。

 なおも掴み掛かってくる感染者の顔を思い切り蹴り飛ばして足場にし、ルーフの上に転がり出た。掴まれないように、這って端から離れる。
 支柱を揺らす感染者たちが、恨めしそうに唸っている。支柱はぎしぎしと鳴っていて、また折れるかと不安になる。

 限界だ。
 私は、冷たいルーフの上で、横向きで倒れた。胎児のように丸くなる。
 鼓動が激しく、息がしづらい。胸は焼けるように熱いのに、手や足の指先はかじかんで感覚がなかった。
 いつの間にか雨が強まって、霧雨からちゃんとした雨粒に変わっていた。
 頬を打つ優しい雨の感触に、目を閉じた。なんだか、また笑いがこみあげてくる。本当は泣きたいのに。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

The Last Night

泉 沙羅
ホラー
モントリオールの夜に生きる孤独な少女と、美しい吸血鬼の物語。 15歳の少女・サマンサは、家庭にも学校にも居場所を持てず、ただひとり孤独を抱えて生きていた。 そんな彼女が出会ったのは、金髪碧眼の美少年・ネル。 彼はどこか時代錯誤な振る舞いをしながらも、サマンサに優しく接し、二人は次第に心を通わせていく。 交換日記を交わしながら、ネルはサマンサの苦しみを知り、サマンサはネルの秘密に気づいていく。 しかし、ネルには決して覆せない宿命があった。 吸血鬼は、恋をすると、その者の血でしか生きられなくなる――。 この恋は、救いか、それとも破滅か。 美しくも切ない、吸血鬼と少女のラブストーリー。 ※以前"Let Me In"として公開した作品を大幅リニューアルしたものです。 ※「吸血鬼は恋をするとその者の血液でしか生きられなくなる」という設定はX(旧Twitter)アカウント、「創作のネタ提供(雑学多め)さん@sousakubott」からお借りしました。 ※AI(chatgpt)アシストあり

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

不労の家

千年砂漠
ホラー
高校を卒業したばかりの隆志は母を急な病で亡くした数日後、訳も分からず母に連れられて夜逃げして以来八年間全く会わなかった父も亡くし、父の実家の世久家を継ぐことになった。  世久家はかなりの資産家で、古くから続く名家だったが、当主には絶対守らなければならない奇妙なしきたりがあった。  それは「一生働かないこと」。  世久の家には富をもたらす神が住んでおり、その神との約束で代々の世久家の当主は働かずに暮らしていた。  初めは戸惑っていた隆志も裕福に暮らせる楽しさを覚え、昔一年だけこの土地に住んでいたときの同級生と遊び回っていたが、やがて恐ろしい出来事が隆志の周りで起こり始める。  経済的に豊かであっても、心まで満たされるとは限らない。  望んでもいないのに生まれたときから背負わされた宿命に、流されるか。抗うか。  彼の最後の選択を見て欲しい。

日常怪談〜穢〜

蒼琉璃
ホラー
何気ない日常で誰かの身に起こったかもしれない恐怖。 オムニバスの短編ホラーです。エブリスタでも投稿しています。

田舎のお婆ちゃんから聞いた言い伝え

菊池まりな
ホラー
田舎のお婆ちゃんから古い言い伝えを聞いたことがあるだろうか?その中から厳選してお届けしたい。

視える僕らのルームシェア

橘しづき
ホラー
 安藤花音は、ごく普通のOLだった。だが25歳の誕生日を境に、急におかしなものが見え始める。    電車に飛び込んでバラバラになる男性、やせ細った子供の姿、どれもこの世のものではない者たち。家の中にまで入ってくるそれらに、花音は仕事にも行けず追い詰められていた。    ある日、駅のホームで電車を待っていると、霊に引き込まれそうになってしまう。そこを、見知らぬ男性が間一髪で救ってくれる。彼は花音の話を聞いて名刺を一枚手渡す。 『月乃庭 管理人 竜崎奏多』      不思議なルームシェアが、始まる。

[全221話完結済]彼女の怪異談は不思議な野花を咲かせる

野花マリオ
ホラー
ーー彼女が語る怪異談を聴いた者は咲かせたり聴かせる 登場する怪異談集 初ノ花怪異談 野花怪異談 野薔薇怪異談 鐘技怪異談 その他 架空上の石山県野花市に住む彼女は怪異談を語る事が趣味である。そんな彼女の語る怪異談は咲かせる。そしてもう1人の鐘技市に住む彼女の怪異談も聴かせる。 完結いたしました。 ※この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体、名称などは一切関係ありません。 エブリスタにも公開してますがアルファポリス の方がボリュームあります。 表紙イラストは生成AI

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

処理中です...