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本編
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降車し、私たちは横たわったバスの周りを見て歩いた。やはり、どうこうできる状態ではなさそうだ。記憶にある嫌な臭いがバスの周りには漂っている。
霧雨にしっとりと肌をぬらして、リアンと須賀は話し合っていた。
「本気か?」
急にリアンが声を大きくしたので、私は驚いて彼らの元へと向かった。
須賀が、助手席にあったペットボトルと煙草を引っつかんで、車のドアを乱暴に閉めたところだった。
63、
「どうしたの?」
腰に手を当てて呆れたような怒ったような顔をしたリアンと、ショットガンを担ぎ上げた須賀。対峙する二人に声をかけると、微妙な空気が流れた。
「……彼は一人で行くそうだ」
驚いて、須賀を見ると、奥まった目を一度伏せて肩を竦めた。
「悪いな。ショットガンは一丁もらうぞ」
文句は言わせないというような強い口調だ。須賀はすたすたと歩き出す。
リアンは追いかけもしない。一度地面に視線を落とすと、苛立ったように、霧雨が降ってくる空を見上げた。私は慌てて、バスによじ登った須賀に駆け寄った。
「どうして? 一人で行くのは危険だと思う」
「いろいろ理由がある。あんたらに説明はできないがな。そっちはもう車もあるし、大丈夫だろう。気をつけて進め」
「でも……」
須賀はまるでコンビニの駐車場にたむろする高校生のような格好でしゃがむと、バスの横腹の上から私を見下ろして、やや声を潜めて言った。
「あんたもいろいろ大変だろうが、振り返ってばかりだと、沼に落ちるぞ。落ちたら這い上がれない。前を見てた方がいい」
「それは、どういう」
言葉の真意は語らず、須賀はバスの向こうへ飛び降りた。足音が徐々に遠ざかり聞こえなくなる。
私は、その場に立ち尽くしていた。
「仕方ない。彼にも事情があるんだろう。ここにこうしていても仕方ない、別のゲートへ向かおう」
後ろからやってきたリアンに肩を叩かれ、私は振り返った。
◆
地下道の入り口から近い、地上のゲートへ向かおうという話になり、車に乗り込んだ。リアンは運転席、私は後部座席の塩野の隣だ。
塩野はドアの開け閉めの音にも目を覚まさない。心配になって、彼の顔の前で手をかざしてみた。呼吸はしている。首に触れると、かなり熱く汗ばんでいる。
「彼、具合が悪そう」
「怪我をしているからな。早く病院に連れて行ってやらないと」
再び、車が動き出す。須賀はすでにいなくなっただろうが、私はバスの方から目を放せなかった。
ここまで来たのと同じように、ほぼ徐行状態で車は進んで行く。ワイパーの音だけが車内に響いた。
会話はない。
何を話せばいいのかもわからず、自分からは口を開けずにいた。沈黙が、気まずい。
何か話すことはないかと、必死に考えて、あることを思いつく。
「そういえば、謝らないと。私、あなたから預かった銃を、無くした」
「ああ……そういえば。まあ、いいさ。支給品だから、報告書が必要になるだけだ」
「……ごめんなさい」
なんだか、私は彼に罰則を与える原因を作る存在のようだ。申し訳なくなる。
「気にするな。それにそう、畏まらないでくれ。俺の態度がこうなのは、元からだ。特に君に含むものがあるわけじゃない。それとも俺と話すのは緊張するか?」
「ちょっとだけ」
理由は色々あるけれど。
すると、リアンはハンドルから片手を放して、自分の頬を掻いた。バツが悪そうに。
「実は、俺も君と話す時は緊張する」
「そ、そう?」
思いがけない告白に、声が裏返った。
「またぼろぼろ泣かれたら困るからな」
「酷い! あれは、気が緩んだからで、いつもは突然泣いたりしないのに」
恥ずかしさに顔が熱くなった。思わず声が大きくなってしまって、はっとして隣の塩野を見るが、彼は苦しげに眉根を寄せたまま、目を覚ます気配はなかった。
見えないが、リアンが笑っている気配がある。
これ以上なにか言ったら墓穴を掘りそうだ。
きょろきょろと車内を探してみたが、目的にあったものが見つけられず、リアンに問いかけた。
「鋏かナイフ、持ってない?」
「俺を刺す気か?」
「お望みとあらば。……彼、すごく汗をかいてるから拭いてあげたいんだけれど、ハンカチ持ってないから、なにか布を裂いて……」
「それなら、バックパックにガーゼがある」
助手席に置かれたバックパックを、座席の隙間から手を伸ばして掴む。ずっしりした重さのそれを引き寄せるのに四苦八苦していると、リアンが片手でひょいと持ち上げて、私の方へ差し出してくれた。膝に乗せ、目的のものを引っ張りだす。
パッキングされていたガーゼを取り出して、塩野の首筋や額を拭ってやる。作業が雑になってしまいそうで、いけないと自分に言い聞かせて、丁寧に汗を吸い取ってやった。
「悪い、冗談だ。君と話していると緊張するのは本当だが、別に泣き出しそうだからってわけじゃない」
「じゃあ、なに。噛み付かれそうだとでも?」
口調がきつくなるのをとがめないでほしい。
「君が張りつめた様子だったからな。心配だった。あまりに危うい感じがして」
「危ういって……自殺でもしそうだった?」
「自殺はわからないが、このままだと一生笑わないんじゃないかって顔をしていた。……今さっき、少し緩んだみたいで、安心した」
ルームミラーを見る。薄暗い中で、微かに、リアンが微笑んでいる。
「……ずるい」
言葉が零れる。手の中のガーゼを握りしめて、私はもう一度、ずるいと言った。
「いつも、あなたはそうやって、私の本音を白状させる」
「いつも?」
「そう、いつも」
聞き返しながらも、リアンに驚いた様子はなかった。振りだけかもしれないけれど。
「私、あなたのことを知っていたわ。出会う前から。――恋人同士だった」
霧雨にしっとりと肌をぬらして、リアンと須賀は話し合っていた。
「本気か?」
急にリアンが声を大きくしたので、私は驚いて彼らの元へと向かった。
須賀が、助手席にあったペットボトルと煙草を引っつかんで、車のドアを乱暴に閉めたところだった。
63、
「どうしたの?」
腰に手を当てて呆れたような怒ったような顔をしたリアンと、ショットガンを担ぎ上げた須賀。対峙する二人に声をかけると、微妙な空気が流れた。
「……彼は一人で行くそうだ」
驚いて、須賀を見ると、奥まった目を一度伏せて肩を竦めた。
「悪いな。ショットガンは一丁もらうぞ」
文句は言わせないというような強い口調だ。須賀はすたすたと歩き出す。
リアンは追いかけもしない。一度地面に視線を落とすと、苛立ったように、霧雨が降ってくる空を見上げた。私は慌てて、バスによじ登った須賀に駆け寄った。
「どうして? 一人で行くのは危険だと思う」
「いろいろ理由がある。あんたらに説明はできないがな。そっちはもう車もあるし、大丈夫だろう。気をつけて進め」
「でも……」
須賀はまるでコンビニの駐車場にたむろする高校生のような格好でしゃがむと、バスの横腹の上から私を見下ろして、やや声を潜めて言った。
「あんたもいろいろ大変だろうが、振り返ってばかりだと、沼に落ちるぞ。落ちたら這い上がれない。前を見てた方がいい」
「それは、どういう」
言葉の真意は語らず、須賀はバスの向こうへ飛び降りた。足音が徐々に遠ざかり聞こえなくなる。
私は、その場に立ち尽くしていた。
「仕方ない。彼にも事情があるんだろう。ここにこうしていても仕方ない、別のゲートへ向かおう」
後ろからやってきたリアンに肩を叩かれ、私は振り返った。
◆
地下道の入り口から近い、地上のゲートへ向かおうという話になり、車に乗り込んだ。リアンは運転席、私は後部座席の塩野の隣だ。
塩野はドアの開け閉めの音にも目を覚まさない。心配になって、彼の顔の前で手をかざしてみた。呼吸はしている。首に触れると、かなり熱く汗ばんでいる。
「彼、具合が悪そう」
「怪我をしているからな。早く病院に連れて行ってやらないと」
再び、車が動き出す。須賀はすでにいなくなっただろうが、私はバスの方から目を放せなかった。
ここまで来たのと同じように、ほぼ徐行状態で車は進んで行く。ワイパーの音だけが車内に響いた。
会話はない。
何を話せばいいのかもわからず、自分からは口を開けずにいた。沈黙が、気まずい。
何か話すことはないかと、必死に考えて、あることを思いつく。
「そういえば、謝らないと。私、あなたから預かった銃を、無くした」
「ああ……そういえば。まあ、いいさ。支給品だから、報告書が必要になるだけだ」
「……ごめんなさい」
なんだか、私は彼に罰則を与える原因を作る存在のようだ。申し訳なくなる。
「気にするな。それにそう、畏まらないでくれ。俺の態度がこうなのは、元からだ。特に君に含むものがあるわけじゃない。それとも俺と話すのは緊張するか?」
「ちょっとだけ」
理由は色々あるけれど。
すると、リアンはハンドルから片手を放して、自分の頬を掻いた。バツが悪そうに。
「実は、俺も君と話す時は緊張する」
「そ、そう?」
思いがけない告白に、声が裏返った。
「またぼろぼろ泣かれたら困るからな」
「酷い! あれは、気が緩んだからで、いつもは突然泣いたりしないのに」
恥ずかしさに顔が熱くなった。思わず声が大きくなってしまって、はっとして隣の塩野を見るが、彼は苦しげに眉根を寄せたまま、目を覚ます気配はなかった。
見えないが、リアンが笑っている気配がある。
これ以上なにか言ったら墓穴を掘りそうだ。
きょろきょろと車内を探してみたが、目的にあったものが見つけられず、リアンに問いかけた。
「鋏かナイフ、持ってない?」
「俺を刺す気か?」
「お望みとあらば。……彼、すごく汗をかいてるから拭いてあげたいんだけれど、ハンカチ持ってないから、なにか布を裂いて……」
「それなら、バックパックにガーゼがある」
助手席に置かれたバックパックを、座席の隙間から手を伸ばして掴む。ずっしりした重さのそれを引き寄せるのに四苦八苦していると、リアンが片手でひょいと持ち上げて、私の方へ差し出してくれた。膝に乗せ、目的のものを引っ張りだす。
パッキングされていたガーゼを取り出して、塩野の首筋や額を拭ってやる。作業が雑になってしまいそうで、いけないと自分に言い聞かせて、丁寧に汗を吸い取ってやった。
「悪い、冗談だ。君と話していると緊張するのは本当だが、別に泣き出しそうだからってわけじゃない」
「じゃあ、なに。噛み付かれそうだとでも?」
口調がきつくなるのをとがめないでほしい。
「君が張りつめた様子だったからな。心配だった。あまりに危うい感じがして」
「危ういって……自殺でもしそうだった?」
「自殺はわからないが、このままだと一生笑わないんじゃないかって顔をしていた。……今さっき、少し緩んだみたいで、安心した」
ルームミラーを見る。薄暗い中で、微かに、リアンが微笑んでいる。
「……ずるい」
言葉が零れる。手の中のガーゼを握りしめて、私はもう一度、ずるいと言った。
「いつも、あなたはそうやって、私の本音を白状させる」
「いつも?」
「そう、いつも」
聞き返しながらも、リアンに驚いた様子はなかった。振りだけかもしれないけれど。
「私、あなたのことを知っていたわ。出会う前から。――恋人同士だった」
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