【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

60※(ぬるめの切断描写あり)

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 伊丹が親を見付けた子供のようにほっとした顔をする。薄い肩から力が抜けた。

「本当の私がわかるのは、あなただけ。だから、……置いていかないで」

 エレベーターが七階に到着する。ドアが開いて、私は彼の手を引いてそこに降りた。
 記憶にあるのと同じ、無人のジムだ。

「ここなら安全なはず。夜に街を歩くのは危ないから。ここで静かに、朝を待つの」
 伊丹は逆らわなかった。


60、

 私は、伊丹と手を繋いで男性用のトイレまで歩いてきた。このフロアが安全なのは、前回リアンが確認してくれているので、大丈夫だろう。
 トイレはもちろん無人で、きちんと清掃されていた。だが、どこかかすかにアンモニア臭がする。仕方のないことかもしれないが。

 二つの個室と二つの小便器があり、その手前に三つの手洗い場があった。『ノロウイルスに注意』と書かれた張り紙があり、その下には手指用の消毒液が用意されている。もっとえげつないものがその隣の蛇口から流れ出ているとは、張り紙をした主も知らなかっただろう。

 フロントで拝借してきた貸し出し用のきれいなタオルを、水で湿らせる。その濡れタオルで、涎や涙、汗でぐしゃぐしゃになっている伊丹の顔を、丁寧に拭ってやった。私たちはどうせ感染しているのだから、多少水が体内に入っても大丈夫だろう。

 伊丹はされるがままになっていたが、今はもう、エレベーターに駆け込んだときの絶望した顔ではなくなって、心底安心した穏やかな表情をしていた。こんな顔をしている彼を見るのは、初めてかもしれない。

 青いタイルが敷き詰められた壁に寄りかかって、伊丹は大きく息をついた。
 私は、自分が映る鏡を見て顔を顰める。伊丹に殴られたり首を絞められたりして、鎖骨から上は痣や腫れでひどい状態だった。いや、首から下だって、着ているのはぼろぼろの服で、酷さで言ったらどっこいどっこい。

「……ありがとう。やっぱり、戻って来てくれたんだね、バンビちゃん。僕のこと、嫌っていたのに」
「だって、彼らは私たちと違う。あなたしかわからない。私の気持ちは。あなたが走っていったとき、そう思ったの」

 無防備な満面の笑みを浮かべて、彼は私にハグをした。汗と埃の臭いがする。私は、小さな子供にするように、彼の背中をぽんぽんと優しく叩く。

「そうだよ、君のことがわかるのは、僕だけなんだ。僕にとって、君は唯一なんだよ。君にとっても、僕が唯一なんだ」
「そうね」

 しばらくそうしていると、彼の体に変化が生じた。おへそのあたりに圧迫感を覚える。それがなにかわかっていた。
 危機的な状況に陥ると、自分の遺伝子を残そうと本能が働くという話は聞いたことがある。たしかに、彼にとってはいろんな意味での危機的状況だっただろう。身体的にも、精神的にも。ただ、それはおそらく、この街にいまいる人間全員にいえること。もちろん、私にも。

 私は少し伊丹から身を離した。そして、かすかに微笑んだ彼の股間に、手を這わせる。彼はそれを拒むことなく、むしろ、ぐいと腰を突き出してきた。
 彼の目を見たまま、私は跪き、おもむろにベルトを寛げ、パンツのジッパーを下ろす。伊丹の目に、期待と興奮の光が宿った。

「……あんまり、声を出さないでね。彼らに気付かれちゃう」
「大丈夫だよ、ここなら、絶対に聞こえない」

 下着を引きおろすと、半ばまで立ち上がった彼自身が現れた。伊丹と視線をあわせたまま、私は舌でその先端を軽く舐めた。苦くてしょっぱい。そして、青臭さがある。

 伊丹は、軽く身を震わせてため息をついた。それだけで、陰茎は硬度を太さを増したように感じた。
 私はちろちろとその先端に舌を這わせていたが、意を決して茎の部分まで銜え込んだ。臭いが口内に広がって嘔吐きそうになるのをこらえる。
 ゆっくり顔を前後させて、口全体を使って愛撫すると、伊丹は小さく呻いて天を仰いだ。

「ああ……気持ちいいよ、ミシカ。ねえ、もっとしてよ。ずっと、こうしてほしかったんだ。なのに、君はあんなどうしようもない奴のことを見ていて……」

 手を添えて茎の部分を扱き、くびれを舌でくすぐると、伊丹の腰が面白いほど跳ねる。
「でも、もう、……僕のものだよね? そうなんだよね?」
 うわごとのようにそう言う彼は、私の頭に手を置いて、髪を掴んだ。
「んむぅっ……」
 思い切り喉の奥まで突き込まれ、咽そうになる。ちらっと目を上げてみると、伊丹はもう終わりが近いのか、眉根を寄せて切なげな顔をしていた。髪を掴んで固定した私の口に、自分で腰を打ち付けてくる。
 私は、その衝撃と嘔吐きに耐える。生理的な涙で滲んだ視界に、彼の顔を捉えて、その声を聞く。

「明日になったら、……ああ、明日になったらふたりで、僕たちだけでっ、街をでよう、あ」
「いやよ」

 私はそう言ったつもりだったけれど、口内にものが入っていたせいで、不鮮明な言葉になってしまっただろう。そうでなくても、彼に聞き取れたかどうか。

 まるで断末魔の叫びのような、あるいは獣の咆哮のような絶叫とともに伊丹が床にへたり込んだ。
 暴れた彼の膝を食らって、私も尻餅をつく。鼻を強打したせいか、手で触れるとぬるりと血がついた。

「ああ、あああ! おあ……」

 言葉にならない声をあげて、伊丹がのたうちまわる。脚の間を押さえる手からは、白いものが混じった血がこぼれ、床を汚していく。

 私は、鼻を手で拭い口の中の鉄臭いものを吐き出した。びちゃ、と濡れた音をたてて、今しがた伊丹から別れた彼の体の一部が床に落ちる。

 痛みのせいかショックのせいか、伊丹が嘔吐した。消化しきれていないシリアルバーの破片が床にぶちまけられる。つんとした臭いが鼻をついた。

「おまえっ、おまえぇ……!」

 私は立ち上がって、あらゆるものを噴出している彼の顔を見た。土気色になっているそれは、今までで一番必死そうだ。理解できない化け物と遭遇した、ホラー映画の死ぬ直前の端役の顔。

「いろいろ、あなたには言いたいことがあったけれど……たぶん、言ってもわからないよね」
 ショートパンツのポケットに手を入れて、地下室で手に入れたものを取り出す。
 よくある、精密ドライバーだ。細くて小さいから、ポケットに入れるのもそんなに苦労しない。支障といえば勢いよく座ると痛いくらいか。
 私が取り出したものを見て、伊丹が、ひいっと引きつった悲鳴をあげて、もがく。ずり落ちたパンツや下着が足首で絡まって、うまく足が動かないようだ。

「だから、大事なことだけを言うことにしたわ。今度私に……私の知人たちにしつこくしたら、何度でも同じことをするわ。何度でも何度でも。だからかまわないで。顔も見たくない。わかったら、返事」
「は、はい! はい、わかった、わかったからやめて! こんなに血が出てるんだ」
「死ぬの、怖くないんでしょ」

 痛みが一瞬で済む方法での自死は覚悟していても、他はだめだなんて。死ぬことはそんなに都合がいいものじゃないって、何度も経験しているならわかりそうなものなのに。
 つくづく、彼のことは理解できなかった。
 ずりずりと這って、トイレの奥に逃げる伊丹を歩いて追いかける。歩調を速める必要はなかった。どうせ行き止まり。

「やめて、助けて! 誰か、助けて!」
「あいにくここから叫んでも、声なんて聞こえないのよ」

 伊丹の背が壁についた。追い詰められた小動物のように小さく体をまるめて、がたがた震えはじめる。恐怖に歪んだ顔で。
 その卑小な姿を見たとき、私の感情が爆発した。

 こんな奴のせいで。せっかく手に入れたものを奪われた。痛くて苦しくて辛かったのを、何度も何度も耐えて手に入れたものだったのに。踏みにじられて、ただの慰みものにされた。苦しむ姿をあざ笑われて。
 それに耐えることは、リアンのためならできる。
 でもこいつは。自分が至高の存在で、それを理解できない私を罰しているように思っていた。それが自分の役目だと。
 そのことが、悔しかった。こんなくだらない男に。自尊心だけで世界を測ることしかできない男に、翻弄されることが。
 だが、元はといえば、私が自分で蒔いた種だ。たとえ、そのお膳立てをしたのがこのわけのわからないタスクを私に科した世界だとしても。私がこいつにコンタクトをとったのが、そもそもの発端だ。

 そうだというなら。
 私がけりをつけて、ようやく終わる。

「やめて……ねえ、お願いだから」

 叫びすぎて枯れた声で、伊丹が涙ながらに訴えてきた。
 いろいろな言葉が、私の脳裏に浮かんでは消えた。どうせ、彼に私の言葉は通じない。
 だから、私は無言でか細い武器を振りかぶった。
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