【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 雨は勢いを弱めて、霧のようになっていた。歩いていると、しっとりと肌に水分がつく。
 どうせなにかあって死んでもまた目覚めるという安心感があるのか、伊丹は隠れることなく堂々と、車道の真ん中を歩いて行く。私に前を歩かせて。
 

56、

 目的のビル一階のコーヒーショップにたどりつくと、伊丹は惨状におどけて肩をすくめた。
「ここまでぐちゃぐちゃになっていると、いっそ気持ちがいいね。ねえ」

 同意を求められるが、私はゆるく首を横に振る。
 一階のコーヒーショップはやはり、前面のガラスが完全に割れていた。砕けたガラス片は床に散らばって、かすかに光を反射している。ひっくり返ったテーブルや椅子も、吹き込む雨に濡れてしまっている。
 ガラスと雨で床がやや滑るので、慎重にその奥へ進んだ。

 奥のドアを開けると、むっとした血と雨の臭いが鼻をついた。暗い廊下に、折り重なって倒れている人々が見える。ライトを当てれば、彼らの無惨な姿が見られることだろう。

「前に来た時はどうだったの? おんなじだった? この景色も」
「……ええ」
「それじゃあわかるよね。このビルのどこに彼らが行ったか」
 ノーとは言わせないという断定の口調で、伊丹は私に先を促した。私は、エレベーターへ向かう。

 エレベーターはすでに一階に到着していて、呼び出す手間は省けた。ただし、それはつまり、リアンたちはすでにこのビルから出ている可能性があるということ。ここに来る道すがら、彼らには遭遇しなかった。行き違いになったのか、それともなにかあったのか。なんにせよ、確認せずにはいられない。

 無事だろうか。なにかあって撤退したのだろうか。誰かが大けがしたとか。自分がこうして脅されていることより、その可能性を考えることの方が苦痛だった。

 エレベーターに乗り込む。狭い箱の中で伊丹と二人、密着しているのがとにかく不快だった。彼の息遣いさえ聞こえるほど、エレベーターの中は静かだった。小さく規則的なモーター音に意識を集中させた。上昇のスピードがひどく遅く感じられるのは、私の気持ちの問題だろう。
 思い出したように、伊丹が私の背骨を無骨な銃口で上下になでる。何が面白いのか、くすくすと笑い声をもらしながら。

 エレベーターが屋上に到着し、私は促されるまでもなく、その狭い空間を自分の足で出た。気が急いて、もしリアンたちが仕損じていたら、感染者に襲われるかもしれないという考えもなく。

 雨のとき独特の土臭さのある屋上は、しんとしている。まばらに停められている車の隙間に、倒れている人たちの姿が見える。警備会社の制服を着た人だったり、よくあるオフィスカジュアルの女性たちだったり、スーツ姿の男性たちだったり。このビルにいた人たちだとわかる格好ばかり。十人ではきかないだろう。彼らのそばの床は、出血による黒っぽい染みが広がっていた。

 折り重なった人たちの間に、顔見知りがいないよう祈りながら、車の間を順繰りに確認する。
 リアンたちが抵抗したあとだろう、倒れている人たちの中には、明らかに銃によって殺されたとわかる人がちらほらいた。

 前回、ライフルを持っていた男がいた場所まで行ったが、そこには誰もいなかった。だが、そこから少し離れた、屋上の転落防止柵のコンクリートに首で寄りかかるようにして倒れている警備員の格好の男がひとり。ざんばらに伸びた髪型が記憶にあった。ライフルはそのそばには落ちていなかったけれど、おそらく、彼が狙撃手だ。
 その男は、腹部を撃たれていた。ただの拳銃ではなくて、ショットガンで撃たれたようだ。大きく抉れて吹き飛んでいる腹部は、つぶれたトマトみたい。

 その場から、私はぐるりと周りを見回した。柵の向こうに燃え上がる病院が見えた。自然に鎮火するのは難しいのかもしれない。風向きによってここまでは煙などは流れてこないようだが、大爆発でもしたらどうなるのだろう。

 警備員の倒れているのと反対側の柵の前に、横になっている人を見つけた。服装に見覚えがある。ブルーの医療者のユニフォーム。このビルには、そういう服装をしなければいけないテナントはなかったんじゃないか。

「あれ、もしかして」
 あとをのんびり歩いて来た伊丹は、私の視線に気付いてそちらを見やると、とぼけた声をあげた。そして、私に確認するように背を押してくる。

 近付いて、私はその人の前にしゃがみ込んだ。雨で濡れてぐっしょりとしたユニフォームの脇腹に、黒い染みが広がっている。地面に頬をすりつけるようにしているその顔を、そっと上向けた。

「あーあ、大木、死んじゃったんだね」

 立ったまま、伊丹はショットガンの銃口で、私が支えた大木の額をこつこつと突いて、つまらなさそうにそう言った。そうしたあとは、もう興味もないといった風に、あたりをきょろきょろ見回している。
 私は大木の頭をそっと床に降ろして、心の中で合掌した。正直に言えば、彼らのどちらが大木でどちらが須賀かもはっきり覚えていなかった程度の人だけれど、それでも顔見知りの遺体を見て、まったく何も感じずにはいられない。

 こんこん、と背後で音がしたのはそのときだった。私はびくりとして、身構える。そして、今更ながらリアンからもらった銃をどこかで無くしたことに気づいた。
 伊丹は、丸腰の私をぐいっと前に押し出して、その横からショットガンを構えた。

「塩野?」

 音の元は、背後の白い乗用車。その後部座席に塩野がいた。彼は窓を拳で軽く叩いてドアを開けたが、車を降りてはこなかった。

「二人とも無事でよかった」

 そういう塩野の声は、憔悴しきっているようだった。私は、伊丹に視線で確認してから、塩野に近付いた。

「怪我を?」
「ああ。ちょっとね。しくじっちゃった」

 塩野の太ももには、血の滲む包帯が巻かれていた。しっかりとしたその巻き方から、リアンがやったのだと私は推測した。

「柏田君たちに会わなかった? 彼らは、君たちを捜しに行ったんだ」

 塩野は、疲れきった声でことの次第を説明しはじめた。私は後部座席、伊丹は運転席に座って、雨を避けながら塩野の話に耳を傾けた。
 塩野らは、屋上までやってきて感染者たちに襲われた。途中まではうまくやっていたのだが、大木がライフルで撃たれ、崩れた。塩野も他の感染者にやられて、怪我をしてしまった。その交戦中にヘリがやってきて、狙撃手はそちらを撃ったのだという。その隙に狙撃手を倒すことができたが、ヘリは撃墜されてしまった。

 なんとか他の感染者たちを倒したが、大木は亡くなり、塩野も怪我のせいで自立できない。病院もあの通りだし、今回の脱出は失敗と判断して、リアンと須賀は私たちを捜しに出た。柿山が無事であれば、塩野も処置をしてもらえるし、塩野が乗っている車を使えば脱出もできるかもしれない。

「この車はどうしたの?」
 私が問うと、塩野は少し笑顔になった。
「倒した人たちの荷物を漁ったら、車のキーを持っている人がいたんだよ。スマートキーだったから、適当にボタンを押せば、対象の車がわかるでしょ。それで、拝借したんだ、この車を」

 車にはあまり詳しくないが、フェイクレザー調のシートと言い、ダッシュボード横のオーディオのグレードからして、それなりにオプションを盛り込んだいい車だというのはわかった。

「そっちは、どうしたの。柿山さんは?」
「それが、あのヘリの事故で」
 私はそれ以上言えず、黙り込む。塩野が察してうつむいた。
「ごめんね、僕らがしくじったせいで」
「それは違う」
「ほんと、そうだよね。しょうもない」
 私と伊丹の言葉が、被った。

「……今、なんて?」
 塩野が低い声で聞き返す。運転席をリクライニングしてヘッドレストにしなだれかかっている伊丹は、くつくつと笑った。

「君たちのせいで、何人も死んだよ。柿山と、けが人と、女兵士と、もう一人のマッチョな兵士。ああそうだ、君たちはあの兵士たちと会わなかったんだよね。入れ違いだったから。でも、その人たちは死んじゃったよ。君たちが、しくじったせいで」

 塩野は、彼の言葉の真偽を知りたいという顔で、私を見た。私は、否定できずにうつむく。

「この車を見付けてよかったよね。そうじゃなかったら、僕が君たちを殺していたよ。役立たずなんていらないからさあ」
「お前……!」

 塩野が、怒気を露にして身を乗り出した。だが、彼の手が伊丹の襟首に到達するより先に、伊丹の銃が彼の眼前に突き出された。

「なんだよ。言いたいことがあったら、言えば? でも、黙っていた方が利口だと思うよ。あの鬱陶しい兵士みたいに、惨めな死に方したくなければ」

 実際にあの場にいなかった、しかもホセに会ったこともない塩野からすれば、何があったのか想像するほかないだろう。だが、伊丹の興奮でぎらぎらした目を見れば、これ以上伊丹に逆らうことが危険だと気付けるはず。

「バンビちゃん、自分の靴ひもで、そいつの腕しばって」
 私は息を飲んだ。
「約束が違う」
「違わないよ。約束は、僕に逆らわなければ、あのマッチョな彼には手出ししないって内容だったよね。その、ひょろい奴は別」
「……お前が言うなよ」
 塩野は思わずというような感じで抗議し、ちらりと私を見た。困惑しているようだがその目はやれと言っている。逆らわない方がいいと。
 スニーカーから靴ひもを抜いて、私は塩野の腕をとった。

「後ろ手に縛ってね。もちろん、親指を内側にして」

 注文通りにする。なるべく痛くないようにしたつもりだったが、縛りあげたあと、伊丹が確認して、もっと強く縛るよう指示された。渋々それに従う。

「さて、須賀とあのマッチョが帰って来たら、ここを出ようか。安心していいよ。僕の邪魔をしなければ、生かしておいてあげるから」
 伊丹はからからと笑った。
 それはつまり、邪魔になったら――用済みになったら殺すと言っているようなものだ。

 窓の外を見た。ほぼ真っ暗に近くなった空が見える。
 いっそ、リアンたちが戻って来なければいい。そのまま、二人でここを出てくれれば。きっと、塩野のように拘束される程度では済まない。伊丹は、おそらく、自分の気が済むように惨い仕打ちを彼にするに違いないから。
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