【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 向けられた銃口の向こうで、鋭くなっている緑色の瞳を、私は凝視していた。
 最後に会ったときよりまだ日焼けが薄く、無精髭が伸びた彼の顔。
 ぐっと息が詰まって目頭が熱くなる。歯を食いしばって下を向いて、それを隠した。
 手を挙げた私たちに近寄ると、彼は問うた。

「君たちも避難の途中か?」


51、

 年長者らしく柿山が代表して答えた。
「ええ、そうです。あなた方もそうですよね」

 リアンは頷くと、同じように銃を構えていた塩野に目で合図して、揃って銃を降ろした。
「ああ。俺は柏田。こちらは塩野だ」

 リアンと柿山は握手した。他の男たちも同じように挨拶をかわす。
 伊丹の番になったが、伊丹は小馬鹿にしたような顔をして、握手はしなかった。名乗っただけだ。リアンは取り合わず肩をすくめると、私の前に立った。
 私は彼を下から見上げる。目が合う。リアン、と呼びかけたら、彼は応えてくれるだろうか。

「……磯波美鹿よ、よろしく」
「ああ、よろしく」

 当然だ。彼からしたら私は初対面の見知らぬ相手。なにか特別な反応を期待する方が、間違っている。
 握手を交わす。硬い手のひらの感触に唇が震えた。

「大丈夫か。顔色が悪いが」
「……疲れているだけ、大丈夫」

 ぱっと手を離して私は彼から距離をとった。まともに目を合わせたら、自分がなにを口走るかわからなかった。
 なにを言っても、彼から変な目で見られる。それだけで済むならましだが、今は伊丹がいる。

 ちらりと確認すると、伊丹はリアンを睨みつけていた。この分別のない幼稚な男に余計な誤解を与えると、ろくなことにならないだろう。

「はじめまして、僕は、こういうものです」

 塩野がおどけて名刺を差し出して来るのが、鬱陶しくも懐かしい。私が苦笑すると、彼は気を良くしたようで、もう一枚名刺をくれた。大盤振る舞いだ。

「それで、そちらはどういうルートでここを出るつもりだったんだ? もし可能なら協力し合わないか。俺たちは、十六時にここの屋上に来る救助ヘリに乗って、脱出する予定だ」
「こちらも、ちょうどその予定でした」

 柿山が同調したが、リアンはいぶかしげに片方の眉を跳ね上げた。

「うん? ……ヘリのことは誰から?」
「磯波さんですよ」

 リアンが、ちらっと私を見た。その視線を正面から受け止める。なにか言いたいことがあるのか、彼は軽く口を開いたがそれだけだった。

「あなたは兵士のようだし、一緒にいてくれるのなら大助かりですよ。なあ、みんな」
 柿山の言葉に、伊丹と私以外が頷く。
「君たちは、反対か?」
「別に反対はしないけれど。ラッキーだよね、僕たち。軍の人と会えて。でもさ、なんで軍人がここをうろうろしているわけ? 他の仲間は?」
「俺は、君たちのような遭難者を助けるために派遣されたんだが、感染者たちに襲撃されて、部隊が潰走した。だから、彼と他数人とでここまで逃げて来た」
「他、数名?」
「残念ながら、全員はここまで到達できなかった」

 リアンは淡々と告げた。その言葉尻にかぶせるように、伊丹が嘲笑した。

「じゃあ、あんたの実力はあんまり期待できないじゃない。そんなんじゃ、大切な人になにかあっても、守ってあげられないんじゃないの」

 リアンは、なんだって? と小さく呟いた。だが、それ以上問いつめることもせず、瞬きをして伊丹のことをじっと見ている。
 不穏な空気に、周りはしんとしてしまった。
 私は腹の底で黒く熱いものがふつふつと沸き立つのを感じた。それが噴出しないよう、ため息をついて紛らわす。そして、なにが嬉しいのか満足そうににやついている伊丹の肩を叩いた。

「やめて。そういう子供じみたまねは」
 小声で指摘するが、伊丹はそのままの表情だ。
「どうして。本当のことを言っただけじゃない」

 悪びれた様子もない。わざわざ人を煽るような言動をとって、自分が優位だと確認したいようだった。
 今までも自己顕示欲に溢れた人には何度か遭遇してきたが、それにしてもここまでそれが強い人はいなかった。よっぽど今まで鬱屈していたんだろう。
 リアンを見ると、顔を顰めてはいたものの、柿山に話しかけられ、気分を切り替えたらしい。彼が大人で良かったと思う。
 柿山がいてくれてよかったとも思った。伊丹には、人と円滑に話を進める能力は全く期待できないし、他二人も素性はともかく、自分からぐいぐい人を引っ張って行くタイプではないようだったからだ。大木はぼんやり中空を見詰めているし、須賀は興味なさそうに服の泥を払っている。協調性も期待できそうにない。
 人数が多いと、誰かしらリードする人がいないと進まないだろう。

 二班に分かれて、狙撃手を倒し、退路を確保することにした。
 より危険度が高いと思われる方の、狙撃手を倒すグループにリアン、退路を確保するグループに柿山が入る。そして他のメンバーを二つに振り分けることになった。
 私は、先ほどと同じく自分で狙撃手を倒す方に志願したのだけれど、伊丹がそれに猛反発した。

「どうして。私はあちらのビルの中を知っている。作戦成功の確率だって上がる」
「君がそういう危険なことをする必要はないんだよ。僕と一緒にこっちに残れ」
「だったら、あなたも一緒に行けばいいのよ」

 言い放つのと同時に、頬を張られた。乾いた音がして少し遅れてじんとした熱い痛みが、右の頬に宿る。

「ちょっと君」
「伊丹君、それはやりすぎだよ」

 私と伊丹の間に割り込んだのは塩野で、伊丹をたしなめたのは柿山だった。まさか塩野に庇われるとは思わなかったので、私は驚いて彼の顔を見た。塩野は心配そうに、私の顔の状態を確認してくれる。

「大丈夫、そんなに痛くないから」
 そう言うと、塩野は眉を顰めた。
 リアンを見ると表情を険しくして、伊丹を睨んでいた。いや、彼だけではなく、この場の人間全員が伊丹を睨むように見つめていた。
 対して、伊丹は責められる理由がわからないというように憤っている。

「僕の指示に従わないからだ」
「……彼女が、君の指示に従わなければいけない理由は何だ」
 リアンの声は感情を抑えた平坦なものだったが、それが逆に彼の中でなにか別の感情が動いているのだと思わせた。

「そりゃあ、彼女は僕のものだもの」

 やめて、と喉まで言葉が出掛かったがぐっとこらえた。リアンの前でそんな誤解を招くようなこと言わないでほしい。

「たとえ恋人でも、彼女には自由に行動する権利があるし、心配ならそれこそ君が身を挺して彼女を守ったらいいだろう」
「あんたに指図されなくても、そうしているよ。さっきだって僕は彼女を助けたばかりだ」

 地下室でのことを言っているのだろう。それこそ、余計なお世話だと言ってやりたかった。

「……私、やっぱりこちらに残るわ」

 そう言うと、伊丹は目に見えて上機嫌になる。塩野を突き飛ばすように押しのけると、私の腰を抱き寄せて「それじゃあ、そういうことだから」と得意げに言い放つ。
 いたたまれなくて、私は目を伏せた。みんなの視線が痛い。伊丹に触れられて寒気が走っても我慢する。



 気まずい雰囲気のまま、その場で装備品の再分配が行われて、向かいのビルに行くリアンのグループはその用意を整えた。私はその際、口径の小さなリアンの予備の銃をもらった。

 リアンの班がエレベーターから地下へ向かうというルートは、私の提案で決まった。柿山の班には私と伊丹、それ以外のメンバーは全員リアンの班という振り分けだ。危険の度合いを考えると当然だったが、それに対しても伊丹は、こちらが手薄すぎると難色を示していた。結局は、その編成で落ち着いたのだが。

 リアンたちの出発を見送るためエレベーター前に集まった。昇降スイッチでエレベーターを呼び出しているとき、私は、意を決してリアンに声をかけた。

「気を付けて、油断しないで」
「ああ」

 気の毒そうな目で見られると、泣き出したい気分になる。でも、感傷に浸っている場合ではなかった。
 私は、彼からもらった予備の銃を、エレベーターに向けて構える。そして、ドアが開くのと同時に発砲した。飛び出してきた医療従事者のユニフォームを着た男の一人が、もんどりうって後ろに倒れる。無事だった残りの感染者たちが、次々飛び出してきた。

 間髪いれず、リアンが、一瞬遅れで塩野が発砲する。
 火薬の臭いが立ち込めて、すぐに静かになった。

 こういうことがあるかもしれないから、銃を構えて待っていたというのに、塩野は動揺したようで、大木とお互いに声を掛け合いながら、倒した感染者たちの様子をそろそろと確認にいった。
 私は構えを解く。隣から、視線を感じて顔を上げると、リアンがじっと私のほうを見ていた。

「君は……」

 自分より早く、私が発砲したことに驚いているんだろう。私が誰より早く発砲したことに冷静に気付いているのは、おそらくリアンだけだ。
 だからこそ、彼からはまるで予知していたように見えたに違いない。

「屋上に出たら、絶対に油断しないで。狙撃手は、あのビルの屋上東側にいるはず。……無事で」

 できることなら彼を抱きしめたかった。抱きしめてほしかった。けれど、それはできない。
 訝しげな表情をしていたリアンは、小さく「君もな」と言って、彼を呼ぶ塩野たちの元へ走っていってしまった。
 エレベーターのドアが閉まるまで、リアンは私を見ていた。

「……それじゃあ、我々も行動を開始するとしよう」

 柿山の声掛けで、私はエレベーターの上ボタンを押した。背中に、突き刺すような伊丹の視線を感じながら。
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