【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 後ろ手に拘束され、そのまま手首を何かで縛られた。きつく、紐のようなものが皮膚に食い込む。おそらくだが、新聞や雑誌を縛る時に使う、ビニール紐だと思う。
 脇の下に手を入れられて、まるで死体のように床を引きずられる。
 そしてベッドに転がされた。


 49、

 伊丹はにこにこと、楽しいことをしている子供のような顔で、こちらを見ている。
 テーブルの上には、私が買っておいたペットボトルのジュースや、お菓子が開けられていた。どれも中途半端に食べ残されている。エアコンもしっかり効いていて、普段私が設定している温度よりずっと低くなっているようだ。彼がこの部屋にいて、しばらく好きにしていたのだと思うと、怖気がついた。

 部屋の中の様子を見える限りで確認する。細々したものをしまっている小さな引き出し付きの棚や、服をしまっているチェストが、物取りが入ったような有様になっている。引き出し一杯がひっくり返されていて、そこから飛び出した下着が床に広がっている。その一枚が汚されているのを見て、私は目を逸らした。

 そうしているうちに少しだけ、眩暈が落ち着いて来る。なんとか、ベッドの上で身を起こし、端に腰をかけるようにした。

「怪我しちゃったんだね」
 そう言って伊丹は私の側頭部に手で触れた。ぴりっとした痛みが走って、私は顔を背ける。
「大丈夫、すぐに痛くなくなるよ。……そうだ、少しおしゃべりしよう。バンビちゃんも、僕と話したいことがあるだろうし。口のを出してあげるから、騒いじゃだめだよ」
 私が頷くのを確認して、伊丹は私の口に突っ込んでいたものを引き出した。出て来たものは、私のハンカチだった。

 今の時間、おそらくこの病院関係者借り上げの単身者向けマンションに、人はほとんどいないから、声を上げても無駄な可能性が高い。だから、特に凶器を突きつけられているわけではないが、叫ぶつもりはなかった。今、下手にこの男を刺激すると危険だ。

「……どうして、ここへ?」
 伊丹は大げさに顔をしかめた。まるでおもちゃのように私の髪を弄びながら、答える。
「どうしてって、約束したからね、迎えに行くって。だから来たんだよ」
「……柿山さんを殺したのは、あなた?」
「そうだよ。君に会うなってしつこかったからね。呼び出して殺した。うるさいやつ、端役のくせに」
「部屋の鍵はどうやって開けたの?」

 彼は破顔した。

「質問が多いね、バンビちゃん。どうやってもなにも、酷いよ、バンビちゃんが僕のために開けておいてくれなかったから、業者を呼んだんだよ。鍵を無くして、入れなくなったって」

 そんなことで、簡単に開錠されてしまったのだとしたら、セキュリティなんて、考えるだけ無駄ということだろうか。オートロックでないこのマンションが、憎い。

「それで、どうする気なの? 私を迎えに来て、どうするつもり?」

 犯すか殺すか、どうするつもりかはわからないけれど、今の私はろくに抵抗できない。助けは期待できないし、後ろ手に縛られていてはどうすることもできない。

「あれから、考えたんだ」

 伊丹は私の頬をなで、顎に触れる。そして指で喉に触れた。不快感に仰け反ると、首を掴まれた。息が詰まる。

「バンビちゃんが、どうして僕を拒むのかってことを。君も本当は分かっているんだよね? 僕らが二人で一つの、対になっているということは。それでも、素直に僕と一緒に行けないというのは、つまり、なにか気がかりがあるんだろう? それが何なのか、考えた。君には地位も富もないはず。残るは、愛」

 愛。笑いそうになる。実際には、首を締め上げられていて、言葉も発することもできなかった。

「君は、あの男が気がかりなんでしょう? 自分とは違う世界の人間だってわかっていても情がある。だから割り切れない。そういう優しさは、嫌いじゃないけれど、……そろそろ潮時だよ」

 ようやく解放されて、咳き込んだ。
 彼は黒いリュックを開けて、中から小さな錠剤が入った透明のピルケースを取り出した。リュックは彼のものだろう。

「大丈夫、毒じゃないよ。ただ眠くなるだけだ」

 彼は二錠とりだして、私の前に差し出した。

「さあ、飲んで。飲み物もあるよ」

 顔を背けると、顎を掴まれ口のなかに錠剤を押し込まれた。指で喉の奥まで錠剤を押し込まれる。嘔吐いても、それを許さないとペットボトルをつっこまれ、液体で流し込まれる。派手に咳き込んだ。涙が浮くほど苦しい。

 だが、反射的に、錠剤は飲み込んでしまったようだった。咳き込んで、できれば吐き出そうと試みるが、またペットボトルを口に突っ込まれて、咳き込むはめになった。
 その攻防を何度か繰り返した。結局、吐き出せなかったと思う。オレンジ味の飲料のせいで、顔中がべたべたする。

 緊張で、嫌な汗が脇と背中ににじんでくる。
「……こんなことをして、何の意味が?」
「だから、リセットするんだよ。君は、今のままじゃ、きっといるべき場所に戻れない。あの男がいるからね。だから、君があの男に出会う前に戻るんだ。もちろん、君一人で行かせやしないよ。僕も今度は君を捜しに行くから、安心して。大丈夫、何度かやり直すことになっても、きっと巡り会えるから、僕らは」
「まさか、……死んでやり直すってこと?」
「そうだよ。僕らにしかできない、神聖な儀式さ」

 伊丹は、べとべとになってしまた私の顔を、自分のTシャツの裾で拭うと、優しい笑顔をつくって、私の頬をなでた。
 そのときだった。聞き覚えのあるメロディが鳴り響いた。私のスマートフォンの着信音だ。
 伊丹が、玄関に転がったままの私のバッグの中から、スマートフォンを取り出して、確認した。

「リアンって、あの彼のことかな?」

 私は息を飲んだ。さっきの着信を見て、折り返してくれたのだろうか。

「話をしたいって顔してるね。……いいよ、声を聞かせてあげる」
「え」

 伊丹は澄まし顔で、スマートフォンを操作した。

「もしもし? こんにちは、僕が誰だかわかるかな。バンビちゃんが、君と話したいって言っているから、代わるね」

 私は身を起こし、身構える。伊丹はそんな私の耳に、スマートフォンをあてた。そのまま私の前にしゃがみ込んで、にやにやとこちらを観察する。

『ミシカ? ミシカか?』
「リアン……」

 たしかに電話をくれたのはリアンだった。急に、ぐっとこみ上げて来るものがあって、次の言葉が出なくなってしまう。

『着信があったから、折り返したんだが……今のは、誰だ? 君は、どこにいる』

 リアンは、電話の相手が伊丹だとわかっていなかったようだ。電話越しだと、声のトーンも変わって聞こえるから、無理もない。ただ、知らない男が私といることを訝しく思っているようだ。

「家にいるわ。……今のは、伊丹よ」
『伊丹?! おい、大丈夫か?』
「リアン、私……」
「バンビちゃん、最期の挨拶は済んだ?」

 スマートフォンを取り上げられた。伊丹は嗜虐的な笑みを浮かべて、自らリアンと話し始める。

「大丈夫、落ち着いてよ。僕が責任を持って、彼女を連れて行ってあげるから」

 電話越しに、リアンの怒声が聞こえた。何を言っているか、聞き取れない。
 それでも、私が行動を起こすには十分。弱っていた気持ちが、にわかに励まされて強くなる。

「君はまだお仕事でしょう? しっかりお国を守っていてよ、彼女は守れなくても、ね」

 得意げに話す伊丹が、ひきつった笑いを上げた。
 私は勢いをつけて、目の前にしゃがみ込んでいる伊丹目掛けて飛び込んだ。
 肩が、彼の喉に当たるように狙ったが、うまくいったかわからない。全体中をかけて、受け身のことなど考えずにぶつかった結果、伊丹は成す術無く後ろに倒れた。その背にあったテーブルにぶつかって、派手な音をたてて転倒する。伊丹のくぐもった悲鳴があがる。

 必死に身を起こし床を這い、近くに転がっていたスマートフォンを銜えた。シンプル機能の薄型のものにしたのが、こんなときに役立った。大画面のものだったら、銜えられなかった。

 立ち上がる。玄関のドアには鍵がかかっているのが見えた。ご丁寧に、二つある鍵が両方かかっていて、上のは後ろ手に縛られた今、解錠できる自信がない。

 伊丹は後頭部を手で押さえて悶絶していた。ぶつかったテーブルは、二人分の体重を斜めから受け、無惨に脚が折れて潰れている。
 買う時にガラステーブルにしておくんだった。そうすれば、あいつの頭がかち割れたかもしれないのに。

「この……っ」

 かっと目を見開いた伊丹が、低い怒声を放った。
 私は咄嗟に、トイレに向かった。小さな個室に駆け込んでドアを閉める。後ろ手になっていると勝手が違い、なかなかうまく鍵をひねることができない。口に銜えていたスマートフォンを放して、身をくの字に捻って、なんとか鍵をかけることに成功した。
 直後、ドアが破れそうなほどの勢いで、なにかが向こうからぶつかった。がちゃがちゃとドアノブが回される。
 私は便器の隣にしゃがみこんで、なるべくドアから距離をとった。
 足でまだ通話状態のスマートフォンをたぐり寄せ、スピーカーモードをオンにした。

『貴様、殺してやる! 彼女に近づくな!』

 リアンがそんな言葉を発するのを聞いたのは初めてだった。

「リアン、……私。ミシカ。お願い、助けて。このままじゃ、私、殺される」
『ミシカ?! 大丈夫か? 怪我は?』
「怪我は少し。なんとか、今、トイレにこもってる。でも、薬を飲まされたの。……睡眠薬だって言ってたけれど、わからない。お願い、警察を呼んで。手を拘束されているから、自分で電話できない」
『すぐに。いいか、気をしっかり保て。俺も助けに行くから』
「……お願い、助けて」

 言ってしまうともう、止められなかった。急に涙が出てきて、言葉尻が不明瞭になる。
 間断なくドアが叩かれている。その音に耳を塞ぎたくなる。

『助ける、助けるよ。必ず』

 力強く言い聞かせて、電話が一度切れた。警察に電話するためだろう。
 私は、ツーツーという、回線が切れたのを知らせる音を流す電話を見つめて、自分の膝に顔を埋めた。
 相変わらず、ドアは叩かれている。蝶番が助けがくるまで持つだろうか。そうでなくてもこんなちゃちな鍵、伊丹が冷静になってコインでも使われたら、一発だ。

 こんなに不安なのは久々で、どうしたらいいかわからなかった。できることがなにもない。このドアが開いた瞬間、私は殺されるだろう。
 水戸の街をさまよっていた頃、死は常に寄り添っているものだった。受け入れたくないものであったけれど、どこか諦めがあった。
 でも、今、本当に、心の底から死にたくないと思っていた。もっと、つきつめると、私は死んだあと、意識が戻ることが怖かった。

 本当に、よみがえることが、私のただの妄想ならいい。でも、もし妄想でなかったら? 私はいったい何者なのだろう。
 いや、そんなことは、結局わからなくてもいい。それよりも、怖いのは、――リアンだ。
 ここで死んだら、今のリアンに二度と会えない。わずかだけど、一緒に時を重ねた、彼と。
 それが恐ろしかった。離れたくない。想像しただけで、言いようのない心細さと寂しさに、胸がつまる。

「助けて……」

 みっともない涙声がこぼれた。
 再び、スマートフォンが光って、着信を知らせてくる。私は足の指で操作しようとして、強烈な眩暈に、それをなし得なかった。

 ぐっと後頭部を何かに引っ張られるような感覚。
 それが倦怠感だと気づくのに、やや時間がかかった。
 飲まされた薬の効果なのだろうか。
 なんとかして、スマートフォンを操作しようとがんばるが、視界がどんどん悪くなっていく。回転しているような、浮遊しているような不思議な感覚。

 座った姿勢を維持するのも辛くなってきて、やがて床に胎児のように丸まった。
 眼前で、リアンからの着信を知らせ、一生懸命スマートフォンが、光っている。
 目を閉じないように、必死で抵抗するが抗いきれなかった。
 ふっと意識が途切れる瞬間、リアンに名前を呼ばれた気がした。



 意識が浮上する。
 深い眠りを邪魔されたような、疲労感を伴う目覚めだ。
 怠さを感じながら、瞼を開けた。
 蛍光灯が明滅している。シェルフには雑多な工具が突っ込まれ、ドアは中途半端に開いている。
 見覚えのある光景。
 私は、叫んだ。 
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