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本編
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ぐったりしていると、リアンは濡れたタオルを持ってきて、私の体を拭ってくれた。本当はシャワーを浴びたいくらいだけれど、今はとても歩いてバスルームに行く気になれず、彼に体を委ねてベッドの上に横になっていた。
リアンが水の入ったコップを持ってきてくれた。身を起こして口を付けると、喉がからからに乾いていることに気付いた。
雨はいつの間にか止んで、外は薄暗くなりつつあった。
46、
「実のところ、昨夜は……ちょっと、いや、だいぶ後悔していたんだ。君と同室にすればよかったってな」
突然の告白に、私はコップを持ったまま、目をしばたたかせた。リアンは私と並んでベッドの端に腰を下ろし、タオルケットを肩から被った私の髪を、ゆっくりと梳く。耳や肩に彼の指が触れる度、くすぐったさに身じろぎしてしまう。
「夜中に俺の部屋に来るかな、なんて期待していたくらいだ」
「……ぐっすり快眠していたわ」
「だと思ったよ。まったく、格好つかないな。シャワーを浴びて出てみたら君がいて、あんまり反応がいいものだから歯止めがきかなくなった」
「どのタイミングでスイッチが入ったのか、まったく理解できない」
恥ずかしくなって膝に顔を埋めると、リアンは笑いながら私の頭に口付けた。
「それなら、俺のポーカーフェイスも捨てたもんじゃないな」
話しているうちに、タイマーをセットした時間に近付き、炊飯器からご飯の焚けるいい匂いが漂ってきた。そして、先ほどリアンが用意してくれたお風呂も、お湯が沸いたのを知らせる短い音楽を奏でる。
「君は先に風呂を済ませてきたらいい。なにかやることがあれば、俺がやっておく」
「そういえば、あなたの洗濯物を干さないと」
「裸で帰ることになるな」
下着姿の彼は肩をすくめて、立ち上がった。私が入浴の準備をしているうちに、彼は洗濯機から洗濯物を取り出してきた。乾燥機能のおかげで、ほとんど乾いていたが、服の縫い目などはまだ湿っていた。
室内干しの道具を彼に手渡して、私はお風呂場に引っ込んだ。
温かいシャワーを浴びて体を洗い、お湯に浸かる。入浴剤の甘い香りに、ほっと息をついた。揉みほぐすように体に触れると、さきほどのリアンのことを思い出す。
意識すると、まだ彼が体内にいたときの感覚が残っていた。気恥ずかしくなって、口元までお湯に浸かる。
十分ほど、お湯で体を温めて私はお風呂から出た。
着替えて部屋に戻ると、洗濯物を干し終えたリアンがテレビを見ていた。明日の天気を伝えるキャスターの声が聞こえる。
「リアンもお風呂入って。その間にご飯、用意しておくから」
「ありがとう。……そういえば、スマホ光ってるぞ」
言われて、その存在を思い出した。さっきベッドに転がっていたとき、手でどかしてそのままにしていたはずだ。
脱衣所に向かうリアンに新しいタオルを渡して、料理を始める前に確認してしまおうとスマートフォンを開いた。
「え……」
その着信とメール受信数に、目を疑った。見間違いかと思ったが、三度見返しても同じだった。
着信が十七件、メールが六十二件。
着信は、すべて同一の番号からだった。メールも同一のアドレスから。番号もアドレスも知らないものだが、誰からかは察しがついた。
留守番電話が残っているので、それを確認する。
『新しい録音は三十件です』
女声のアナウンスがあったあと、メッセージが再生された。
『バンビちゃん、ねえ、話をしようよ。僕たちは話し合わなきゃいけないんだ』
一件目は、それだけ。続いて二件目が再生される。
『大丈夫だよ、これからは僕がバンビちゃんを守ってあげるから。だから、電話にでて。メールでもいい』
三件目も、数分と置かずに録音されていた。
『バンビちゃん、これは運命なんだ。僕らは一緒にいなければならない。君が怖くて身動きが取れないというなら、僕が君を迎えに行くから、待っていて』
「……これって、ストーカー……?」
留守録機能が三十件も保存できるとは知らなかった。
ぞっとして全件を削除する。メールの文面を見る気にもならず、そちらも同じく削除する。削除完了のメッセージが出て、ほっと息をついた。
伊丹に会ったのは失敗だった。不安定な人に引きずられて、私まで平静でいられなくなる。彼自身も私に会ったせいで、よけい不安定になってしまったのではないだろうか。
そもそも、サバイバーの会経由のメッセージではなくて、直接私に連絡してきているのはなんでだろう。私は伊丹にそもそも、連絡先を伝えていない。電話番号も、メールアドレスもだ。
これも柿山伝いに聞いたのだろうか。
画面にポップアップがでて着信を知らせた。まさに今、伊丹が電話をかけてきている。
どうしようか数秒悩んだあと、私は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『ああ、バンビちゃん! よかった、なかなか電話もメールも返してくれないから、もしかして番号が違っているのかと思ったよ』
興奮の滲んだ声は、聞き覚えがあった。やはり伊丹だ。
『ようやく僕の話を聞く気になってくれたんだな、安心したよ』
「違うわ。電話もメールももう止めてほしいの」
私はきっぱり言った。また興奮して彼が話し始めたら、口を挟めなくなりそうだったからだ。
「今日会って話してみて、私はあなたとあわないと思った。だから、お互い今日のことは忘れましょう。私は、そうする」
ゆっくり、言い聞かせるように話す。
ややあって、向こうから優しい猫なで声がした。
『ああ、そうか。バンビちゃんは、優しいんだね。あの男を捨てるのに、心が痛むんでしょう。大丈夫だよ、僕が手伝ってあげるから』
どうしてそうなる。頭が痛くなってきた。
「私の話を聞いて。私は、あなたと話す気はないし会う気もない。どうやってこの番号を知ったかはわからないけれど、これ以上しつこくするなら――」
『待ってて、バンビちゃん、君を迎えに行くよ』
通話は、一方的に切られた。
私は呆然と、スマートフォンの画面を見つめる。
まったく話にならなかった。話が通じない相手に会ったことがないわけではないが、その中で、伊丹はダントツじゃないだろうか。病的な勢いに、ただただ振り回されるだけだ。
シャワーの水音がお風呂場から聞こえて来る。この件を、リアンに相談すべきだろうか。
……その前に、できることが他にもある。伊丹の保護者的立場の、柿山に相談してみよう。彼なら、伊丹を止めてくれるだろう。
柿山あてに、伊丹のことで相談したいことがあるとメッセージを送って、私は料理に取りかかった。
リアンが水の入ったコップを持ってきてくれた。身を起こして口を付けると、喉がからからに乾いていることに気付いた。
雨はいつの間にか止んで、外は薄暗くなりつつあった。
46、
「実のところ、昨夜は……ちょっと、いや、だいぶ後悔していたんだ。君と同室にすればよかったってな」
突然の告白に、私はコップを持ったまま、目をしばたたかせた。リアンは私と並んでベッドの端に腰を下ろし、タオルケットを肩から被った私の髪を、ゆっくりと梳く。耳や肩に彼の指が触れる度、くすぐったさに身じろぎしてしまう。
「夜中に俺の部屋に来るかな、なんて期待していたくらいだ」
「……ぐっすり快眠していたわ」
「だと思ったよ。まったく、格好つかないな。シャワーを浴びて出てみたら君がいて、あんまり反応がいいものだから歯止めがきかなくなった」
「どのタイミングでスイッチが入ったのか、まったく理解できない」
恥ずかしくなって膝に顔を埋めると、リアンは笑いながら私の頭に口付けた。
「それなら、俺のポーカーフェイスも捨てたもんじゃないな」
話しているうちに、タイマーをセットした時間に近付き、炊飯器からご飯の焚けるいい匂いが漂ってきた。そして、先ほどリアンが用意してくれたお風呂も、お湯が沸いたのを知らせる短い音楽を奏でる。
「君は先に風呂を済ませてきたらいい。なにかやることがあれば、俺がやっておく」
「そういえば、あなたの洗濯物を干さないと」
「裸で帰ることになるな」
下着姿の彼は肩をすくめて、立ち上がった。私が入浴の準備をしているうちに、彼は洗濯機から洗濯物を取り出してきた。乾燥機能のおかげで、ほとんど乾いていたが、服の縫い目などはまだ湿っていた。
室内干しの道具を彼に手渡して、私はお風呂場に引っ込んだ。
温かいシャワーを浴びて体を洗い、お湯に浸かる。入浴剤の甘い香りに、ほっと息をついた。揉みほぐすように体に触れると、さきほどのリアンのことを思い出す。
意識すると、まだ彼が体内にいたときの感覚が残っていた。気恥ずかしくなって、口元までお湯に浸かる。
十分ほど、お湯で体を温めて私はお風呂から出た。
着替えて部屋に戻ると、洗濯物を干し終えたリアンがテレビを見ていた。明日の天気を伝えるキャスターの声が聞こえる。
「リアンもお風呂入って。その間にご飯、用意しておくから」
「ありがとう。……そういえば、スマホ光ってるぞ」
言われて、その存在を思い出した。さっきベッドに転がっていたとき、手でどかしてそのままにしていたはずだ。
脱衣所に向かうリアンに新しいタオルを渡して、料理を始める前に確認してしまおうとスマートフォンを開いた。
「え……」
その着信とメール受信数に、目を疑った。見間違いかと思ったが、三度見返しても同じだった。
着信が十七件、メールが六十二件。
着信は、すべて同一の番号からだった。メールも同一のアドレスから。番号もアドレスも知らないものだが、誰からかは察しがついた。
留守番電話が残っているので、それを確認する。
『新しい録音は三十件です』
女声のアナウンスがあったあと、メッセージが再生された。
『バンビちゃん、ねえ、話をしようよ。僕たちは話し合わなきゃいけないんだ』
一件目は、それだけ。続いて二件目が再生される。
『大丈夫だよ、これからは僕がバンビちゃんを守ってあげるから。だから、電話にでて。メールでもいい』
三件目も、数分と置かずに録音されていた。
『バンビちゃん、これは運命なんだ。僕らは一緒にいなければならない。君が怖くて身動きが取れないというなら、僕が君を迎えに行くから、待っていて』
「……これって、ストーカー……?」
留守録機能が三十件も保存できるとは知らなかった。
ぞっとして全件を削除する。メールの文面を見る気にもならず、そちらも同じく削除する。削除完了のメッセージが出て、ほっと息をついた。
伊丹に会ったのは失敗だった。不安定な人に引きずられて、私まで平静でいられなくなる。彼自身も私に会ったせいで、よけい不安定になってしまったのではないだろうか。
そもそも、サバイバーの会経由のメッセージではなくて、直接私に連絡してきているのはなんでだろう。私は伊丹にそもそも、連絡先を伝えていない。電話番号も、メールアドレスもだ。
これも柿山伝いに聞いたのだろうか。
画面にポップアップがでて着信を知らせた。まさに今、伊丹が電話をかけてきている。
どうしようか数秒悩んだあと、私は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『ああ、バンビちゃん! よかった、なかなか電話もメールも返してくれないから、もしかして番号が違っているのかと思ったよ』
興奮の滲んだ声は、聞き覚えがあった。やはり伊丹だ。
『ようやく僕の話を聞く気になってくれたんだな、安心したよ』
「違うわ。電話もメールももう止めてほしいの」
私はきっぱり言った。また興奮して彼が話し始めたら、口を挟めなくなりそうだったからだ。
「今日会って話してみて、私はあなたとあわないと思った。だから、お互い今日のことは忘れましょう。私は、そうする」
ゆっくり、言い聞かせるように話す。
ややあって、向こうから優しい猫なで声がした。
『ああ、そうか。バンビちゃんは、優しいんだね。あの男を捨てるのに、心が痛むんでしょう。大丈夫だよ、僕が手伝ってあげるから』
どうしてそうなる。頭が痛くなってきた。
「私の話を聞いて。私は、あなたと話す気はないし会う気もない。どうやってこの番号を知ったかはわからないけれど、これ以上しつこくするなら――」
『待ってて、バンビちゃん、君を迎えに行くよ』
通話は、一方的に切られた。
私は呆然と、スマートフォンの画面を見つめる。
まったく話にならなかった。話が通じない相手に会ったことがないわけではないが、その中で、伊丹はダントツじゃないだろうか。病的な勢いに、ただただ振り回されるだけだ。
シャワーの水音がお風呂場から聞こえて来る。この件を、リアンに相談すべきだろうか。
……その前に、できることが他にもある。伊丹の保護者的立場の、柿山に相談してみよう。彼なら、伊丹を止めてくれるだろう。
柿山あてに、伊丹のことで相談したいことがあるとメッセージを送って、私は料理に取りかかった。
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