【R18】Overkilled me

薊野ざわり

文字の大きさ
上 下
44 / 92
本編

44

しおりを挟む
 予定を変更して、私たちは帰路についた。予定通り観光しようと訴えても、リアンは首を縦に振らなかった。気分転換になるからと言っても同じことだった。
 彼は口を横に引き結んで、ほぼ無言で車を運転している。
 私はその横で、流れていく景色を見つめるしかなかった。


44、

 伊丹との会話の内容をかいつまんで伝えると、リアンは自分が席を外したことを後悔したようだった。しかし、あれは別に彼の落ち度ではない。それに、伊丹の話は気持ち悪くはあったが、それ以外に害はなかった。

 私も通常の精神状態ではない人と話すことをもう少し考えてから、二人きりになるべきだった。
 期待して席に臨んだけれど、収穫はなかった。それだけ。
 分かったことと言えば、私以外のキャリアの人間のひとりは、ああいう考えを持って、自分を納得させていたということだ。

 たとえば、自分が選ばれた人間だということ。この世界の人間ではないということ。
 新しい人類を作るための実験があったというように考えることで、自分の中で処理しきれないものを受け入れようとしている。何度も死んでは目覚めることや、身分が不明だということを。
 そして、彼を――それと私を見いだしたのが、あのテロ事件を起こしたとされる人たちだということも。
 荒唐無稽な話だ。けれど、彼はそう考えることでしか自分を保てないのだろう。

 ――私も、伊丹の考えを、そう思うことで受け流すことにした。
 なにせ、本当に彼の言うことが正しいとしたら、やはり私の手に負えることではないから。
 それよりも私には、隣に座って黙々と運転するリアンを、どう宥めるかということの方が、今は重要だった。この空気はなかなか疲れるから。
 彼は時速九十キロをキープして、東京方面へ分岐を進んでいる。

 ラジオも音楽もかけず、車内には、エンジンとタイヤの摩れる音だけが響いている。
「リアン、次のサービスエリアで休憩したい」
 すると、彼はちょっと間を置いて、返事をした。
「わかった。あと十キロあるから、少し待ってくれ」

 サービスエリアの駐車場は日曜日ということもあって、かなり混んでおり、空きをみつけるのに時間がかかった。施設が並ぶところから、かなり離れた位置にようやく車を停めた。

「飲み物買いに行って来る」

 私はそう言って、リアンを残して車を離れた。リアンは、私の方をちらりと見て頷き、そのまま車に留まった。
 外は蒸し暑く、すぐに汗が吹き出て来る。私は自動販売機が並んだ場所に行き、冷たいコーヒーと炭酸飲料を買った。ふと思いついて、缶を抱えたまま近くの空いたベンチに腰を下ろし、しばらく確認していなかったスマートフォンを取り出した。

 メールが届いていた。サバイバーの会からのメッセージ受信のお知らせだ。確認してみると、柿山ともう一人からだった。
 柿山からのメッセージは、私の体調を心配する内容だった。そして、伊丹が私を心配しているということも書かれていた。どう返事していいのかわからず、私はそのままそのメッセージを放置することにした。

 もう一通のメッセージは、初めての相手からだった。だが、使用しているニックネームで、それが誰かはすぐにわかる。『ADAM』。
 メッセージを開くにもならなかった。
 ため息をつく。気持ちはだいぶ落ち着いてきたが、彼のことを思い出したくはない。

 ポケットにスマートフォンを突っ込んで、私は立ち上がった。

 途中で気になったお店に立ち寄ってから車に戻ってみると、リアンが寝ていた。椅子を倒して、サンバイザーを降ろしている。そっと車内に入る。サンバイザーを降ろしていても、太陽の光が彼の頬に当たっていた。

 私は静かに、自分のハンカチを広げて、彼の顔にかけた。
「……俺はまだ生きているぞ」
 彼の静かな抗議に、たしかにこの生成りのハンカチでは、絵的によろしくないということに気付く。

「ごめんなさい、日除けになるかと思って」

 リアンは起きあがって、私のハンカチを顔から取り払った。ハンカチの下から顕われた顔は、ちょっと前の険しい表情より少し穏やかになった気がした。
 抱えて持ってきた缶コーヒーを差し出し、一緒に買ってきた牛串の紙包みを開けた。車内に食欲を誘う匂いが広がる。

「お腹減ったかなと思って、よければ食べて」
「ありがとう。……少し、頭を冷やしていた」
「どちらかと言えば、温まっていたように見えたけれど」
「違いない」

 ようやく、リアンが笑った。
 串を頬張る。甘辛いたれがとてもおいしかった。

「悪かったな、君に怒っていたわけじゃないんだ。自分の至らなさに嫌気がさしてな」
「気にしてない。それに、リアンが悪いことなんてない」
「なんならこれから海にでも行くか? ここからならそれほどかからない」
「でももう、あと一時間もすればうちなのに?」
「それもそうだな」

 リアンはそう言って、串焼きを全て食べ終えた。ちょっとだけ、寂しそうな声音だった。

「……だったら、私、夕飯でも作ろうか。早めに帰れば車を返しにも行けるし」
「いいのか? 疲れているだろう」
「そんなには。あんまり大したものは作れないけれど」
「この前のグラタンは美味しかったぞ」
「あれは、レシピサイトのおかげよ」
 苦笑すると、彼は相好を崩した。どうやら、機嫌は完全になおったようだ。
 


 帰宅して、荷物を簡単に片付けると、すぐに料理にとりかかった。
 車で途中寄ってもらったスーパーで購入した食材を、献立どおり捌いていく。

 時間はまだ午後三時。午後六時半から夕食にするとして、今から漬けておけばマリネもそれなりに味が染みるだろう。それにしても、まさかこんなに早く帰宅するとは思ってもみなかった。
 何一つ、旅行らしい観光をしなかったなと思ったが、リアンの言う通り、旅行はまた行けばいい。

 仕込みを終えたころ、大きな音が鳴り響いた。驚いて窓の外を見れば、真っ黒な雲が空を覆い尽くしていた。キッチンで電気をつけて作業していたせいで、異変に気づかなかった。
 まだ四時になる前だが、夕立が来そうだ。
 慌てて私はリアンに連絡をとろうと、スマートフォンを手にした。彼は私をここに送り届けたあと、友人の家に車を返しに行ったのだ。
 友人の家はさほど遠くないと聞いたけれど、心配になる。

 電話をかけてもつながらなかった。そうこうしているうちに、雷鳴と共に、打ち付けるような雨が降ってきた。エアコンをつけているので、窓を閉めていたからよかったが、もし窓を開けていたら、あっという間に床がびしょびしょになるところだった。

 リアンと連絡が取れないのは心配だが、まだ運転中かもしれない。私は彼からの折り返しを待つことにした。
 ふと思いついて確認すると、かなりの数のメールが届いていた。普段は一日三通程度だというのに、今は十六通も届いている。
 迷惑メールか、と思ったが、全部がサバイバーの会のメッセージ受信連絡のメールだ。
 それらすべてが、ADAMから来ていた。
 今日のことを気にして連絡してきたのだろうかと、一通、もっとも到着時間が新しいものを開けてみる。

『バンビちゃん、そんなに怖がらないでいいんだ。僕を受け入れれば、すべてうまくいくから』

 直前まで考えていたことが、自分の都合の良い期待だったと悟った。
 気持ちが悪くなり、開きもせずに残りのメールを削除した。そして、そのユーザーアカウントを、ブラックリストに登録する。こうすれば、メッセージを受信しなくなるはずだ。

 伊丹は柿山伝いで私のアカウントを知ったはずだけれど、それは失敗だった。とはいえ、彼には名前とサイト登録時のニックネームしか教えていないのだから、こうしてしまえばもう関わることもない。
 あとは忘れよう。そう決めて、スマートフォンをベッドの上に放り投げた。

 雨はますます強くなって、窓に当たる雨の音が、まるで礫を投げつけているようなものになっている。
 テレビの電源を入れてみると、ゲリラ豪雨の警報がでていた。まさに今、その危険が迫っている。

 チャイムが鳴った。インターフォンの画面には、リアンが写っていた。飛びつくようにしてドアを開けると、びしょ濡れの彼が立っていた。髪から服から雨の雫が滴っている。彼は顔を手で拭って、肩をすくめた。

「まさか、こんな雨にやられるとは」
「タオル持って来るから玄関に入って」
「ちょうど駅から歩き始めたときに降り始めたんだ。驚いたよ、当たると痛いくらいだ」
「すごい雨で私もびっくりした。まずはシャワー浴びて」

 タオルを手渡すと、リアンはざっと体を拭った。そして、その場で服を脱ぎ始めた。鍛えられた体が露わになる。目のやり場に困って、私は彼の爪先を見るようにした。

「服は、脱衣所のかごに入れておいて、洗っておくから」
「助かる」

 シャワーの音が聞こえ始めてから、私も脱衣所に入り、かごに入れられた服を洗濯しはじめた。脱水後、そのまま乾燥させるコースに仕掛ける。リアンの歩いたあとに零れた水滴をタオルで拭いて、そのタオルも洗濯機に放り込んだ。ついで、彼の靴にもタオルとキッチンペーパーをいれて、水分を吸い取るようにする。

 リアンが体を拭くのに使えるよう、新しいタオルをとりに行って戻ってきたときだった。 
 不意に、お風呂場のドアが開いた。折り戸の向こうにリアンがいる。

「わっ、ご、ごめん、タオルを置きにきたの」

 慌てて後ろを向くが鏡があって、自分の後ろにいるリアンと鏡越しに目が合ってしまった。
 タオルを背後に突き出して顔を背ける。
 気まずい。
 しかし、リアンはなかなかタオルを受け取ってくれなかった。どうしたのかと訝しく思ったときだった。
 背後から温かいものに包まれた。
 リアンに抱きすくめられていた。首筋に、彼の吐息があたり、ぞくっとする。

「リアン?」

 彼は答えず、代わりに、徐に私の肩を掴んで振り向かせると、ついばむような口付けをした。
 口付けは繰り返される。二度、三度と。受け入れるごとに彼の舌は私の口内の深くに侵入して来る。歯列の上をなぞり、舌をくすぐり、上顎をなでる。
 リアンの熱い舌に夢中で応えているうちに、彼の手を握りしめていた。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

The Last Night

泉 沙羅
ホラー
モントリオールの夜に生きる孤独な少女と、美しい吸血鬼の物語。 15歳の少女・サマンサは、家庭にも学校にも居場所を持てず、ただひとり孤独を抱えて生きていた。 そんな彼女が出会ったのは、金髪碧眼の美少年・ネル。 彼はどこか時代錯誤な振る舞いをしながらも、サマンサに優しく接し、二人は次第に心を通わせていく。 交換日記を交わしながら、ネルはサマンサの苦しみを知り、サマンサはネルの秘密に気づいていく。 しかし、ネルには決して覆せない宿命があった。 吸血鬼は、恋をすると、その者の血でしか生きられなくなる――。 この恋は、救いか、それとも破滅か。 美しくも切ない、吸血鬼と少女のラブストーリー。 ※以前"Let Me In"として公開した作品を大幅リニューアルしたものです。 ※「吸血鬼は恋をするとその者の血液でしか生きられなくなる」という設定はX(旧Twitter)アカウント、「創作のネタ提供(雑学多め)さん@sousakubott」からお借りしました。 ※AI(chatgpt)アシストあり

不労の家

千年砂漠
ホラー
高校を卒業したばかりの隆志は母を急な病で亡くした数日後、訳も分からず母に連れられて夜逃げして以来八年間全く会わなかった父も亡くし、父の実家の世久家を継ぐことになった。  世久家はかなりの資産家で、古くから続く名家だったが、当主には絶対守らなければならない奇妙なしきたりがあった。  それは「一生働かないこと」。  世久の家には富をもたらす神が住んでおり、その神との約束で代々の世久家の当主は働かずに暮らしていた。  初めは戸惑っていた隆志も裕福に暮らせる楽しさを覚え、昔一年だけこの土地に住んでいたときの同級生と遊び回っていたが、やがて恐ろしい出来事が隆志の周りで起こり始める。  経済的に豊かであっても、心まで満たされるとは限らない。  望んでもいないのに生まれたときから背負わされた宿命に、流されるか。抗うか。  彼の最後の選択を見て欲しい。

転生率

宮田 歩
ホラー
あの世にも行ったら来世は何に生まれ変わるのか?ルールが最近変わったらしい。 その驚愕の詳細とは——。

日常怪談〜穢〜

蒼琉璃
ホラー
何気ない日常で誰かの身に起こったかもしれない恐怖。 オムニバスの短編ホラーです。エブリスタでも投稿しています。

視える僕らのルームシェア

橘しづき
ホラー
 安藤花音は、ごく普通のOLだった。だが25歳の誕生日を境に、急におかしなものが見え始める。    電車に飛び込んでバラバラになる男性、やせ細った子供の姿、どれもこの世のものではない者たち。家の中にまで入ってくるそれらに、花音は仕事にも行けず追い詰められていた。    ある日、駅のホームで電車を待っていると、霊に引き込まれそうになってしまう。そこを、見知らぬ男性が間一髪で救ってくれる。彼は花音の話を聞いて名刺を一枚手渡す。 『月乃庭 管理人 竜崎奏多』      不思議なルームシェアが、始まる。

兵頭さん

大秦頼太
ホラー
 鉄道忘れ物市で見かけた古い本皮のバッグを手に入れてから奇妙なことが起こり始める。乗る電車を間違えたり、知らず知らずのうちに廃墟のような元ニュータウンに立っていたりと。そんなある日、ニュータウンの元住人と出会いそのバッグが兵頭さんの物だったと知る。

田舎のお婆ちゃんから聞いた言い伝え

菊池まりな
ホラー
田舎のお婆ちゃんから古い言い伝えを聞いたことがあるだろうか?その中から厳選してお届けしたい。

処理中です...