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本編
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クーラーボックスにどっさり用意されていた肉も野菜も、一時間もしないうちに空になってしまった。
みんなの驚くべき食欲に、むしろ私は食欲が失せた。体を動かす仕事をしている人たちは、消化器官も鍛えられているのだろうか。
ビールも六本セットが二つ、あっという間に売り切れる。
42、
後片付けは、私以外のメンバーの手際が良かった。私は指示されてごみをまとめたりする、簡単な作業だけで終わってしまった。
ビールを追加で買ってきて、みんなで日陰で座って飲みながら、お互いの近況を話し合う。リアンだけ、ノンアルコールだから、少し申し訳なく思う。
ホセは、三日前ようやく退院し、今はまだ休養中だ。だが、もう少しで復帰できるという。
リーサは怪我も完全に回復し、元の生活を送っている。
私の近況をかいつまんで話すと、リーサもホセも、励ましの言葉をかけてくれた。
「そういえば、この前、仕事で学園都市に行ってきたのよね」
そういったのはリーサだ。ずいぶんと日に焼けた印象で、今日はタンクトップにハーフパンツ、ハイカットのスニーカーというスポーティーな服装をしている。露出した脚はふくらはぎも太ももも、贅肉とは無縁そうだ。
「復興はかなり進んでいて、もうほとんど平常運転だったわ。すごいよね、その作業のスピードが。でもね、ゲートでの審査がすっごく厳しくなってて、びっくりしたわ。前はIDの確認程度だったのに、金属探知機や、検問まであってね。やっぱり大きな事件だったんだなーと思ったわ」
復興された様子を想像しようとしたが、私の記憶の中はあの荒れた街の様子しか絵がなかった。
「まあ、あれから、水戸でもしょっちゅうデモが起きてるしなー。あの学園都市自体も解体した方がいいんじゃないかって意見もあるくらいだしな」
ホセが足を子供のようにばたばたさせて言う。
「それじゃあ、無関係の人は入れない状態になってる?」
私の問いに、リーサも首を傾げた。
「そこまでではないと思うけれど、個人のIDもしっかり確認されるみたいよ。企業のものだけじゃなくて」
ホセは、リアンと同じようにサングラスをして、白地に赤で蜂の写真がプリントされたTシャツと、デニムを着用している。お酒が入ると顔に出るタイプらしく、ろれつや足取りは普通なのに、顔は真っ赤だった。彼はリーサの隣に座って、空になったビール缶を手で弄んでいる。
「民間の警備会社だけじゃなくて、俺たちにもお呼びがかかってるらしいぜ、警備のために。軍関連の施設があるっていうこともあるだろうがな。あーあ、俺もはやく復帰してーな。このままじゃ腹が出てきちまう」
リアンがその話を聞いて笑った。
「今はそう思うかもしれないが、復帰したての訓練は、かなりきついぞ」
「違いない」
うんざりした顔をつくって、ホセは大げさにため息をついた。
「そうだ、ミシカ、もし今の仕事に飽きたら、入隊したらどうだ? たしか三十過ぎまで新兵になれるぞ」
被験者になったという話と、それによって生活しているという話はした。当然、いつまでもその状態で生活できるとは思っていないが、まさかの提案に私は首を横に振った。
「無理。運動得意でもないもの」
「いや、あんたなら大丈夫だろ。ガッツあるし」
「そんな精神論持ち出されても……」
「精神論は大事だろーが。なかなかいないぞ、戦地に一人残るって決断できる一般人。まあ、おかげで、俺とリーサは助けられたんだが」
ホセはやや顔を背けてぼそぼそという。それを見て、リーサがからかい調子で言った。
「素直にありがとうって言えばいいのに。私は言っちゃう。あのときは、ほんと、ありがと。まさか、助けられるとは思ってなかったわ。あなたって、すごくタフ」
リーサが差し出した手を握り返す。ビールの缶のせいか、彼女の手はやけにひんやりしていた。
私も、リアンが命令違反をして助けにきてくれなければ、確実に終わっていた身だが、彼女の向こうに座っているリアンが、微笑んで頷いてくれたので、それはそれでいいこととした。
「助かったよ。撃たれた時は、正直、俺は死んだと思った」
ホセも手を差し出してくれたので、そちらも握り返した。分厚く、力強い手だ。
「こうして、ふたりとまた会えるなんて、私も想像してなかった」
「私は、あなたたちがまさか付き合いだすなんて想像もしてなかったわよ」
リーサがにやにやしながらそんなことを言うので、私は顔を顰めるほかなかった。ホセが揶揄の口笛を鳴らす。
「あの日の夜、二人になにがあったのか、ぜひ聞きたいところね」
私は逃げ出すように、お手洗いに行くと言って席を立った。リアンをちらりと見ると、困ったように笑っている。
◆
予約したホテルは、水戸駅近くにあった。新しい建物で、まだ築三年だという。ホセたちと別れたのが、午後四時頃、ホテルに着いたのは午後五時半。道路が混んでいたため、予定よりずっと遅くなってしまった。そもそも、公園を出発したのが予定より二時間以上遅かったため、観光の予定をすべてとばして、ホテルに直行したのだった。つい、ホセたちと話が盛り上がってしまったのだ仕方がない。
車を駐車場に預けフロントへむかう。フロントは、ウォームグレーを基調としたシックな内装で、他にも何組かチェックイン待ちの客がいた。
さほど高級なホテルではないが、新しいこともあって、居心地がよさそうな印象だ。
客は、夫婦もしくはカップルが多いように見える。立地がいいので、宿泊場所として選びやすいのだろう。
仲睦まじく寄り添い合って座る、学生らしきカップルを見て、なんだか気恥ずかしくなり、私は床のタイルの模様を眺めることにした。
自分たちの番がきて、予約者のリアンが名乗ると、記入用の宿泊台帳が渡された。
二枚。
私は思わずリアンを見る。すると、フロントレディが表情を変えた。
「シングル二部屋でご予約お間違いございませんか」
「間違いありません、大丈夫です。どちらも禁煙で」
今度は私がぽかんとする番だ。
リアンは、さらさらと自分の台帳を記入して、さっさとフロントに提出する。私はとりあえず、急いで自分の分を書き上げて提出した。
封筒に入った、カード型のキーが渡される。キーに部屋番号はなく、一緒に渡された伝票に部屋番号が記載されていた。セキュリティのための処置なのだろう。
「行こう。荷物は運んでくれるそうだ」
肩を叩かれて顔をあげるとリアンが鍵を持って立っていた。彼に続いて、エレベーターに乗る。彼は五階のボタンを押した。私は、自分の部屋が六〇八なので、六階のボタンを押す。
「なにか言いたそうだな」
私が押し黙っていると、リアンの方から話しかけてきた。苦笑まじりに。私は、適当な言葉が思いつかなくて、首を横に振るだけだ。
すぐに五階に到着する。
「二十分したら迎えにいく。夕食へ行こう」
そう言って彼は降りていった。
エレベーターを六階で降り、私は自分の部屋に入った。間違いなくシングルだ。ベッドはセミダブルで、部屋はかなりゆったりしているけれど、それでもシングルの部屋。
ため息をひとつついてドアを閉める。
ブルーを基調にした、モダンなインテリア。ドレッサーと、テーブル、ベッド、そして大きなテレビが備えられている。
クローゼットには、パジャマとタオルが入っていた。
荷物を置いて、私はベッドに腰をおろした。糊の効いたシーツに皺が寄る。そのまま仰向けに倒れ込む。折り上げ天井の昼白色の灯りが眩しい。
大きなため息が出る。
ホテルの予約はリアンに任せたのだが、まさかシングル二部屋だとは思わなかった。事前に確認しなかったのは、当然、二人一部屋だと思い込んでいたからだ。
一応、そういう関係になったのだから、そう思ってもおかしくない、……はずだ。
でも、リアンはそうではなかったのだろうか。まさか、彼はそういうポリシーの人間なのだろうか。婚前交渉はしない、という。
考えていても意味がないので、私は勢いをつけて立ちあがると、カーテンを開けてみる。
まだ外は十分明るく、街並がよく見えた。駅の方角に向いた部屋なので、駅の利用客がロータリーを行き来する様子を観察できる。
明日は、駅の反対側にあるビルの中のレストランで、柿山と伊丹と会う。伊丹は、いったいどういう人なのだろうと、胸の中で期待と不安が入り交じる。
なにか、お互いに有益な情報のやりとりができればいいのだけれど。
チャイムが鳴って、私はドアを開けた。
「相手を確認してからドアは開けないと」
挨拶より先に、苦言が飛んで来る。私は思わず、眉を顰めてしまった。
「リアンくらいしかこの部屋に来ないよ」
「……とにかく、相手が誰かは確認した方がいいぞ。もう、出られそうか?」
私は手荷物を持って部屋を出た。二階にレストランがある。
食事は洋食メインのビュッフェスタイルだった。お昼にあれだけ肉を食べたのに、リアンはかなりの量を食べ、涼しい顔をしている。彼はなかなかエンゲル係数が高そうだな、などといらないことを考えた。
部屋に戻ろうとエレベーターに乗ると、リアンが言った。
「このまま、部屋に行っても?」
「……どうぞ」
二人で部屋に入ると、リアンはベッドに腰を下ろした。私は、備え付けのティーセットで紅茶を淹れる。
湯気を立てるカップを彼に渡して、私も椅子に腰を下ろした。
その様子をじっと見ていたリアンが、口を開いた。
「どうした、なにか言いたいことがあるんじゃないのか。食事中もほとんどしゃべらなかったし」
「食事は……自分で取って来ないと行けないから、あまり話す時間なかっただけ」
「じゃあ、なんで今もそんな沈んだ顔をしてるんだ。……部屋割りのことか?」
私は、また思った。わかっているならわざわざ言わなくていいのに。
黙っているとリアンは肩を竦めた。
「悩んだんだがな、俺も」
「……勝手に、同室じゃないかと思っていた自分が恥ずかしい」
「まあ、なんだ、……少しは期待してくれていたのか」
期待。そう言われると顔がかっと熱くなった。つい、声を荒げる。
「覚悟はしてたわ」
「覚悟、な」
リアンが思わずと言った感じで、くすりと笑った。そして、やや真剣な表情になる。
「以前、君からその……妄想の話を聞いただろう。それで、今回は、急に同室にしない方がいいのではないかと、勝手に判断した。まあ、確認すれば良かったんだがな、なんとなく俺も恥ずかしくてな」
頬を掻いて彼は紅茶を啜った。
私は、目をつぶった。二度深呼吸をする。
つまり彼は、以前私が語った、襲われたという妄想のことを心配して、今回別室をとってくれたのだ。
ただの妄想かもしれないのに。お節介だなと思う反面、とても気遣われているのだと思うと、素直に嬉しかった。
「……ありがとう。ごめんなさい、勝手にふさぎ込んで。色々変なこと考えたわ。あなたが婚前交渉反対派かも、とか」
「はは、それはすごいな。まあ、今夜は別々の部屋だが、いいじゃないか。また次に旅行に行くこともあるさ。そのときは、こんな近場じゃなくて、もっと遠くまで足を延ばしてみたいものだが。ミシカは、ウィンタースポーツは?」
「スポーツと名の付くものすべて、得意なものはないわ」
肩をすくめると、彼は笑った。
みんなの驚くべき食欲に、むしろ私は食欲が失せた。体を動かす仕事をしている人たちは、消化器官も鍛えられているのだろうか。
ビールも六本セットが二つ、あっという間に売り切れる。
42、
後片付けは、私以外のメンバーの手際が良かった。私は指示されてごみをまとめたりする、簡単な作業だけで終わってしまった。
ビールを追加で買ってきて、みんなで日陰で座って飲みながら、お互いの近況を話し合う。リアンだけ、ノンアルコールだから、少し申し訳なく思う。
ホセは、三日前ようやく退院し、今はまだ休養中だ。だが、もう少しで復帰できるという。
リーサは怪我も完全に回復し、元の生活を送っている。
私の近況をかいつまんで話すと、リーサもホセも、励ましの言葉をかけてくれた。
「そういえば、この前、仕事で学園都市に行ってきたのよね」
そういったのはリーサだ。ずいぶんと日に焼けた印象で、今日はタンクトップにハーフパンツ、ハイカットのスニーカーというスポーティーな服装をしている。露出した脚はふくらはぎも太ももも、贅肉とは無縁そうだ。
「復興はかなり進んでいて、もうほとんど平常運転だったわ。すごいよね、その作業のスピードが。でもね、ゲートでの審査がすっごく厳しくなってて、びっくりしたわ。前はIDの確認程度だったのに、金属探知機や、検問まであってね。やっぱり大きな事件だったんだなーと思ったわ」
復興された様子を想像しようとしたが、私の記憶の中はあの荒れた街の様子しか絵がなかった。
「まあ、あれから、水戸でもしょっちゅうデモが起きてるしなー。あの学園都市自体も解体した方がいいんじゃないかって意見もあるくらいだしな」
ホセが足を子供のようにばたばたさせて言う。
「それじゃあ、無関係の人は入れない状態になってる?」
私の問いに、リーサも首を傾げた。
「そこまでではないと思うけれど、個人のIDもしっかり確認されるみたいよ。企業のものだけじゃなくて」
ホセは、リアンと同じようにサングラスをして、白地に赤で蜂の写真がプリントされたTシャツと、デニムを着用している。お酒が入ると顔に出るタイプらしく、ろれつや足取りは普通なのに、顔は真っ赤だった。彼はリーサの隣に座って、空になったビール缶を手で弄んでいる。
「民間の警備会社だけじゃなくて、俺たちにもお呼びがかかってるらしいぜ、警備のために。軍関連の施設があるっていうこともあるだろうがな。あーあ、俺もはやく復帰してーな。このままじゃ腹が出てきちまう」
リアンがその話を聞いて笑った。
「今はそう思うかもしれないが、復帰したての訓練は、かなりきついぞ」
「違いない」
うんざりした顔をつくって、ホセは大げさにため息をついた。
「そうだ、ミシカ、もし今の仕事に飽きたら、入隊したらどうだ? たしか三十過ぎまで新兵になれるぞ」
被験者になったという話と、それによって生活しているという話はした。当然、いつまでもその状態で生活できるとは思っていないが、まさかの提案に私は首を横に振った。
「無理。運動得意でもないもの」
「いや、あんたなら大丈夫だろ。ガッツあるし」
「そんな精神論持ち出されても……」
「精神論は大事だろーが。なかなかいないぞ、戦地に一人残るって決断できる一般人。まあ、おかげで、俺とリーサは助けられたんだが」
ホセはやや顔を背けてぼそぼそという。それを見て、リーサがからかい調子で言った。
「素直にありがとうって言えばいいのに。私は言っちゃう。あのときは、ほんと、ありがと。まさか、助けられるとは思ってなかったわ。あなたって、すごくタフ」
リーサが差し出した手を握り返す。ビールの缶のせいか、彼女の手はやけにひんやりしていた。
私も、リアンが命令違反をして助けにきてくれなければ、確実に終わっていた身だが、彼女の向こうに座っているリアンが、微笑んで頷いてくれたので、それはそれでいいこととした。
「助かったよ。撃たれた時は、正直、俺は死んだと思った」
ホセも手を差し出してくれたので、そちらも握り返した。分厚く、力強い手だ。
「こうして、ふたりとまた会えるなんて、私も想像してなかった」
「私は、あなたたちがまさか付き合いだすなんて想像もしてなかったわよ」
リーサがにやにやしながらそんなことを言うので、私は顔を顰めるほかなかった。ホセが揶揄の口笛を鳴らす。
「あの日の夜、二人になにがあったのか、ぜひ聞きたいところね」
私は逃げ出すように、お手洗いに行くと言って席を立った。リアンをちらりと見ると、困ったように笑っている。
◆
予約したホテルは、水戸駅近くにあった。新しい建物で、まだ築三年だという。ホセたちと別れたのが、午後四時頃、ホテルに着いたのは午後五時半。道路が混んでいたため、予定よりずっと遅くなってしまった。そもそも、公園を出発したのが予定より二時間以上遅かったため、観光の予定をすべてとばして、ホテルに直行したのだった。つい、ホセたちと話が盛り上がってしまったのだ仕方がない。
車を駐車場に預けフロントへむかう。フロントは、ウォームグレーを基調としたシックな内装で、他にも何組かチェックイン待ちの客がいた。
さほど高級なホテルではないが、新しいこともあって、居心地がよさそうな印象だ。
客は、夫婦もしくはカップルが多いように見える。立地がいいので、宿泊場所として選びやすいのだろう。
仲睦まじく寄り添い合って座る、学生らしきカップルを見て、なんだか気恥ずかしくなり、私は床のタイルの模様を眺めることにした。
自分たちの番がきて、予約者のリアンが名乗ると、記入用の宿泊台帳が渡された。
二枚。
私は思わずリアンを見る。すると、フロントレディが表情を変えた。
「シングル二部屋でご予約お間違いございませんか」
「間違いありません、大丈夫です。どちらも禁煙で」
今度は私がぽかんとする番だ。
リアンは、さらさらと自分の台帳を記入して、さっさとフロントに提出する。私はとりあえず、急いで自分の分を書き上げて提出した。
封筒に入った、カード型のキーが渡される。キーに部屋番号はなく、一緒に渡された伝票に部屋番号が記載されていた。セキュリティのための処置なのだろう。
「行こう。荷物は運んでくれるそうだ」
肩を叩かれて顔をあげるとリアンが鍵を持って立っていた。彼に続いて、エレベーターに乗る。彼は五階のボタンを押した。私は、自分の部屋が六〇八なので、六階のボタンを押す。
「なにか言いたそうだな」
私が押し黙っていると、リアンの方から話しかけてきた。苦笑まじりに。私は、適当な言葉が思いつかなくて、首を横に振るだけだ。
すぐに五階に到着する。
「二十分したら迎えにいく。夕食へ行こう」
そう言って彼は降りていった。
エレベーターを六階で降り、私は自分の部屋に入った。間違いなくシングルだ。ベッドはセミダブルで、部屋はかなりゆったりしているけれど、それでもシングルの部屋。
ため息をひとつついてドアを閉める。
ブルーを基調にした、モダンなインテリア。ドレッサーと、テーブル、ベッド、そして大きなテレビが備えられている。
クローゼットには、パジャマとタオルが入っていた。
荷物を置いて、私はベッドに腰をおろした。糊の効いたシーツに皺が寄る。そのまま仰向けに倒れ込む。折り上げ天井の昼白色の灯りが眩しい。
大きなため息が出る。
ホテルの予約はリアンに任せたのだが、まさかシングル二部屋だとは思わなかった。事前に確認しなかったのは、当然、二人一部屋だと思い込んでいたからだ。
一応、そういう関係になったのだから、そう思ってもおかしくない、……はずだ。
でも、リアンはそうではなかったのだろうか。まさか、彼はそういうポリシーの人間なのだろうか。婚前交渉はしない、という。
考えていても意味がないので、私は勢いをつけて立ちあがると、カーテンを開けてみる。
まだ外は十分明るく、街並がよく見えた。駅の方角に向いた部屋なので、駅の利用客がロータリーを行き来する様子を観察できる。
明日は、駅の反対側にあるビルの中のレストランで、柿山と伊丹と会う。伊丹は、いったいどういう人なのだろうと、胸の中で期待と不安が入り交じる。
なにか、お互いに有益な情報のやりとりができればいいのだけれど。
チャイムが鳴って、私はドアを開けた。
「相手を確認してからドアは開けないと」
挨拶より先に、苦言が飛んで来る。私は思わず、眉を顰めてしまった。
「リアンくらいしかこの部屋に来ないよ」
「……とにかく、相手が誰かは確認した方がいいぞ。もう、出られそうか?」
私は手荷物を持って部屋を出た。二階にレストランがある。
食事は洋食メインのビュッフェスタイルだった。お昼にあれだけ肉を食べたのに、リアンはかなりの量を食べ、涼しい顔をしている。彼はなかなかエンゲル係数が高そうだな、などといらないことを考えた。
部屋に戻ろうとエレベーターに乗ると、リアンが言った。
「このまま、部屋に行っても?」
「……どうぞ」
二人で部屋に入ると、リアンはベッドに腰を下ろした。私は、備え付けのティーセットで紅茶を淹れる。
湯気を立てるカップを彼に渡して、私も椅子に腰を下ろした。
その様子をじっと見ていたリアンが、口を開いた。
「どうした、なにか言いたいことがあるんじゃないのか。食事中もほとんどしゃべらなかったし」
「食事は……自分で取って来ないと行けないから、あまり話す時間なかっただけ」
「じゃあ、なんで今もそんな沈んだ顔をしてるんだ。……部屋割りのことか?」
私は、また思った。わかっているならわざわざ言わなくていいのに。
黙っているとリアンは肩を竦めた。
「悩んだんだがな、俺も」
「……勝手に、同室じゃないかと思っていた自分が恥ずかしい」
「まあ、なんだ、……少しは期待してくれていたのか」
期待。そう言われると顔がかっと熱くなった。つい、声を荒げる。
「覚悟はしてたわ」
「覚悟、な」
リアンが思わずと言った感じで、くすりと笑った。そして、やや真剣な表情になる。
「以前、君からその……妄想の話を聞いただろう。それで、今回は、急に同室にしない方がいいのではないかと、勝手に判断した。まあ、確認すれば良かったんだがな、なんとなく俺も恥ずかしくてな」
頬を掻いて彼は紅茶を啜った。
私は、目をつぶった。二度深呼吸をする。
つまり彼は、以前私が語った、襲われたという妄想のことを心配して、今回別室をとってくれたのだ。
ただの妄想かもしれないのに。お節介だなと思う反面、とても気遣われているのだと思うと、素直に嬉しかった。
「……ありがとう。ごめんなさい、勝手にふさぎ込んで。色々変なこと考えたわ。あなたが婚前交渉反対派かも、とか」
「はは、それはすごいな。まあ、今夜は別々の部屋だが、いいじゃないか。また次に旅行に行くこともあるさ。そのときは、こんな近場じゃなくて、もっと遠くまで足を延ばしてみたいものだが。ミシカは、ウィンタースポーツは?」
「スポーツと名の付くものすべて、得意なものはないわ」
肩をすくめると、彼は笑った。
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