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本編
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グラタンを食べて、私はあらためてリアンにお茶を出した。十分に部屋も冷えたので、温かいミントティーを選ぶ。
客用のティーセットはないので、マグカップを使う。今日の今日まで、まさか誰かをこの部屋に呼ぶことになるとは思わなかった。
お茶を飲みながら、リアンは自分のスマートフォンを使って、とあるサイトを私に見せた。
36、
水戸学園都市テロ事件サバイバーの会。
アイボリーのバックカラーに、黒の太いブロック体でそう書かれたサイトは、シンプルな作りだった。
タイトルだけで、何を目的とした集まりなのかわかる。概要を読むとやはり想像通りの内容だった。
あの事件で救出された人たちが、オンラインで会話したり、実際に会って話をしたりする。精神的なダメージのケアや、そのケアを行うための情報を交換する。
事件で親しい人を失った人たちとのやりとりは、ページの下の方にリンクが貼られた専門のサイトを使用してくれとある。理由は特に載せられていないが、それが気になった。
参加するには、サイトの管理者に申請を行い、それが許可されればということだった。
管理者は複数人いるようで、実名を公表している。代表は精神科医で同じくサバイバーだという柿山省吾という男性らしい。
「俺は昨日、ここに登録申請を出してみた。なにか情報を持っている人がいるかと思ってな。君のことを知っている人がいるかもしれない」
「ここでやりとりしている内容が見てみたいけれど……」
「興味はある?」
「どういうやりとりをしているかにもよるけれど、それでも、なにかわかるかもしれないし」
「まあ、俺が登録してみるから、内容を見てから、君も申請するか確認してみたらどうだ」
「……ありがとう」
カップに口をつけるリアンを見て、私もお茶を飲んだ。ティーバックのお茶だけれど、ちゃんとミントの香りと、爽快感があった。
「さっきはごめんなさい。頭がぱんぱんになってしまって」
「なんのことだ?」
リアンはわざとらしく、眉をあげた。その反応に私はほっとした。
テーブルに置いた、リアンのスマートフォンが着信を知らせる。
「メールだ。登録申請を受理したらしい」
「え? 対応早い」
私が見やすいように、テーブルに置いたままスマートフォンを操作して、メールの文面を出してくれた。
メールは、個人情報の追加入力を促している。といっても、追加入力する内容は、基本的に非公開らしい。実際にメンバーと会いたいと思っている人は、住所や連絡先などを詳しく提出し、オンラインでのやりとりだけを希望する場合は、年齢や性別、メールアドレス、ハンドルネームの入力をすることになるようだ。
途中でメンバーと会いたくなったら、追加で情報を入力することも可能だという。
他のメンバーのプライバシー保護のため、また、会の性質上実名での登録などをするようにと説明があり、さらに登録者のプライバシー保護の方針が載せられていた。実名は非公開の設定もできるとあった。
「まずはオンラインオンリーで登録するか」
そう言って、リアンは登録必須になっている項目のみ、追加で入力していった。その内容を見て、私は初めて、リアンが三十四歳で八月一日生まれだということを知った。見てしまってよかったのだろうか。
ニックネームを入力することもできて、リアンはその欄に『Airedale Terrier』と入力した。
「これ、どういう意味?」
「エアデール・テリア。犬だよ」
思っていたより、ずっと、彼は犬が好きなのかもしれない。
入力が完了すると、再びメールが届いて、ログイン画面のURLが送られてきた。
先ほどリアンと見たサイトと揃いのデザインの画面が立ち上がった。見た目からして、クローズドSNSのようだ。トップページには、最新の投稿が並び、特定個人の投稿を検索することもできるようだ。
また、テーマに合わせて複数人がスレッドに投稿していくこともできるらしい。
「読むか?」
「ええ、ありがとう」
パソコンが欲しい。スマートフォンじゃ、二人でこの画面を見ることができない。
彼が手持ち無沙汰になってしまうと、部屋の中を見回したけれど、とくに面白い内容のものはなかった。
「君、ホラーなんて読むのか」
ベッドの横に置いておいた、ペーパーバックの本の背を見て、彼が言った。アメリカの三大ホラー作家の一作だ。
「英語の勉強に、昔日本語で読んだことのあるものを、もう一度読んでみようと思って」
「英語は苦手か?」
「得意じゃないわ」
「今度、俺が持っている本を貸そうか。読みやすいものもあるぞ。ちょっと読んでもいいか?」
どうぞ、というと、彼は本を手に取り、読み始めた。彼が本のページを繰る音と、時計の針の動く音だけが聞こえてくる。リアンを退屈させずに済んでよかった。
私は、その横でサイトの投稿文を読んでいく。
多くの内容は、あの街で遭遇した恐ろしい体験に、どう向き合うか悩んでいるという内容だった。PTSDに悩み、職場に復帰できていない人や、パニック発作で生活に支障がでている人もいた。
また、こういう場合はどう対処すればよかったのだろうという疑問を投げかける内容の投稿もあった。たとえば、感染者に襲われた場合や、応急処置が必要になった場合。あるいは今後の日常生活で、備えておいた方がいいものなど。
他には、おすすめの医療機関の紹介もあった。実際に会って話をしないかという誘いや、今回の事件の真相の調査と公開を早くしてほしいという署名を求める活動の呼びかけもあった。感染者の看病の実態を公開すべき、という内容の呼びかけもあった。
その中で、私の目を引いたのは、ワクチンの生成を求める活動を行うという、会の中でも医療の資格を持つメンバーが集って行っている、署名活動の呼びかけだった。
呼びかけを行っているのは、このサイトの代表である柿山だった。彼は、例のウイルスの発症を抑えるワクチンを、早期に研究・製造するよう、各医療機関に呼びかける活動をしているらしい。そのため、患者のデータを、医療機関の枠に囚われず、共有したいと訴えていた。
私は医者ではないけれど、医者も研究者の一部と見るなら、研究中のデータは秘匿するものだろうと思う。それを、人命救助のためにデータを共有しようと呼びかけるのは、大胆ではないか。それとも、共同研究などは医療の世界では当たり前なのだろうか。
柿山は自分の記事で、キャリアの人間の保護についても訴えていた。一定数、キャリアがいると推測されるが、それを公開することで、彼らが差別されないように、世間に理解を求める啓発活動を行うべきという内容だ。
私は、この文章を読んで初めて思い至った。私以外のキャリアの人間が、もしかすると、同じような症状に悩んでいるのではないかと。
「リアン、私もこれ、登録するわ」
客用のティーセットはないので、マグカップを使う。今日の今日まで、まさか誰かをこの部屋に呼ぶことになるとは思わなかった。
お茶を飲みながら、リアンは自分のスマートフォンを使って、とあるサイトを私に見せた。
36、
水戸学園都市テロ事件サバイバーの会。
アイボリーのバックカラーに、黒の太いブロック体でそう書かれたサイトは、シンプルな作りだった。
タイトルだけで、何を目的とした集まりなのかわかる。概要を読むとやはり想像通りの内容だった。
あの事件で救出された人たちが、オンラインで会話したり、実際に会って話をしたりする。精神的なダメージのケアや、そのケアを行うための情報を交換する。
事件で親しい人を失った人たちとのやりとりは、ページの下の方にリンクが貼られた専門のサイトを使用してくれとある。理由は特に載せられていないが、それが気になった。
参加するには、サイトの管理者に申請を行い、それが許可されればということだった。
管理者は複数人いるようで、実名を公表している。代表は精神科医で同じくサバイバーだという柿山省吾という男性らしい。
「俺は昨日、ここに登録申請を出してみた。なにか情報を持っている人がいるかと思ってな。君のことを知っている人がいるかもしれない」
「ここでやりとりしている内容が見てみたいけれど……」
「興味はある?」
「どういうやりとりをしているかにもよるけれど、それでも、なにかわかるかもしれないし」
「まあ、俺が登録してみるから、内容を見てから、君も申請するか確認してみたらどうだ」
「……ありがとう」
カップに口をつけるリアンを見て、私もお茶を飲んだ。ティーバックのお茶だけれど、ちゃんとミントの香りと、爽快感があった。
「さっきはごめんなさい。頭がぱんぱんになってしまって」
「なんのことだ?」
リアンはわざとらしく、眉をあげた。その反応に私はほっとした。
テーブルに置いた、リアンのスマートフォンが着信を知らせる。
「メールだ。登録申請を受理したらしい」
「え? 対応早い」
私が見やすいように、テーブルに置いたままスマートフォンを操作して、メールの文面を出してくれた。
メールは、個人情報の追加入力を促している。といっても、追加入力する内容は、基本的に非公開らしい。実際にメンバーと会いたいと思っている人は、住所や連絡先などを詳しく提出し、オンラインでのやりとりだけを希望する場合は、年齢や性別、メールアドレス、ハンドルネームの入力をすることになるようだ。
途中でメンバーと会いたくなったら、追加で情報を入力することも可能だという。
他のメンバーのプライバシー保護のため、また、会の性質上実名での登録などをするようにと説明があり、さらに登録者のプライバシー保護の方針が載せられていた。実名は非公開の設定もできるとあった。
「まずはオンラインオンリーで登録するか」
そう言って、リアンは登録必須になっている項目のみ、追加で入力していった。その内容を見て、私は初めて、リアンが三十四歳で八月一日生まれだということを知った。見てしまってよかったのだろうか。
ニックネームを入力することもできて、リアンはその欄に『Airedale Terrier』と入力した。
「これ、どういう意味?」
「エアデール・テリア。犬だよ」
思っていたより、ずっと、彼は犬が好きなのかもしれない。
入力が完了すると、再びメールが届いて、ログイン画面のURLが送られてきた。
先ほどリアンと見たサイトと揃いのデザインの画面が立ち上がった。見た目からして、クローズドSNSのようだ。トップページには、最新の投稿が並び、特定個人の投稿を検索することもできるようだ。
また、テーマに合わせて複数人がスレッドに投稿していくこともできるらしい。
「読むか?」
「ええ、ありがとう」
パソコンが欲しい。スマートフォンじゃ、二人でこの画面を見ることができない。
彼が手持ち無沙汰になってしまうと、部屋の中を見回したけれど、とくに面白い内容のものはなかった。
「君、ホラーなんて読むのか」
ベッドの横に置いておいた、ペーパーバックの本の背を見て、彼が言った。アメリカの三大ホラー作家の一作だ。
「英語の勉強に、昔日本語で読んだことのあるものを、もう一度読んでみようと思って」
「英語は苦手か?」
「得意じゃないわ」
「今度、俺が持っている本を貸そうか。読みやすいものもあるぞ。ちょっと読んでもいいか?」
どうぞ、というと、彼は本を手に取り、読み始めた。彼が本のページを繰る音と、時計の針の動く音だけが聞こえてくる。リアンを退屈させずに済んでよかった。
私は、その横でサイトの投稿文を読んでいく。
多くの内容は、あの街で遭遇した恐ろしい体験に、どう向き合うか悩んでいるという内容だった。PTSDに悩み、職場に復帰できていない人や、パニック発作で生活に支障がでている人もいた。
また、こういう場合はどう対処すればよかったのだろうという疑問を投げかける内容の投稿もあった。たとえば、感染者に襲われた場合や、応急処置が必要になった場合。あるいは今後の日常生活で、備えておいた方がいいものなど。
他には、おすすめの医療機関の紹介もあった。実際に会って話をしないかという誘いや、今回の事件の真相の調査と公開を早くしてほしいという署名を求める活動の呼びかけもあった。感染者の看病の実態を公開すべき、という内容の呼びかけもあった。
その中で、私の目を引いたのは、ワクチンの生成を求める活動を行うという、会の中でも医療の資格を持つメンバーが集って行っている、署名活動の呼びかけだった。
呼びかけを行っているのは、このサイトの代表である柿山だった。彼は、例のウイルスの発症を抑えるワクチンを、早期に研究・製造するよう、各医療機関に呼びかける活動をしているらしい。そのため、患者のデータを、医療機関の枠に囚われず、共有したいと訴えていた。
私は医者ではないけれど、医者も研究者の一部と見るなら、研究中のデータは秘匿するものだろうと思う。それを、人命救助のためにデータを共有しようと呼びかけるのは、大胆ではないか。それとも、共同研究などは医療の世界では当たり前なのだろうか。
柿山は自分の記事で、キャリアの人間の保護についても訴えていた。一定数、キャリアがいると推測されるが、それを公開することで、彼らが差別されないように、世間に理解を求める啓発活動を行うべきという内容だ。
私は、この文章を読んで初めて思い至った。私以外のキャリアの人間が、もしかすると、同じような症状に悩んでいるのではないかと。
「リアン、私もこれ、登録するわ」
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