【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 検査は今回、いつもと同じ血液検査などで、新しい薬の投与などはなかった。おかげで、金曜日は予定通りリアンとの待ち合わせに向かうことができた。
 あまり服を持っていないので、とりあえずトップスだけは購入した。サイズ表記がSMLではなかったり、通貨が違ったりでまだ買い物にも慣れない。
 ――違う、というのは、私の記憶の中とはという意味だ。


32、

 猛暑といって差し支えない、当日の気温は37℃。天気予報は華氏と摂氏を一緒に放送してくれる。
 私は汗ばんだ額をハンカチでぬぐって、改札のそばに立っていた。

 改札を通る人たちは、六割くらいが見慣れた日本人で、残りは多国籍な人たち。日本人というのは、私の記憶にある、黒髪黒目のという意味だ。もちろん、記憶の中でも他国の人が街にいるのは見ているし、驚くこともない。ただ、その割合は、今の現実のほうがやや多く感じる。

 デパートのPOPやチラシも、英語表記が追記されているものが多く、やはり自分の記憶とは違う世界なのだと思わされる。
 調べてわかったのは、日本が属州になることが決まった際、アメリカは日本に日本語の使用を禁じなかったということだ。そのため公用語は日本語と英語。やや日本語のほうが普及しているらしい。街で英語を耳にする機会が多く、対応する人たちも慣れているのはそのせいか。

 リアンを待ちながら、私はまた考える。どうして彼は今日、私を誘ったのだろうと。
 他に友人がいないとも思えないし。私を誘って面白いとも思えない。
 もちろん、私は誘われて迷惑だとかそんなことを思ってはない。本当に意外だっただけだ。

 待つこと五分、北口の方から現れた見覚えのある人影に、私は柱に預けていた背を浮かせた。
 茶色の髪をセットして、サングラスをかけたリアンは、私に気付き手をあげた。
 黒のチノパンに白いVネックのカットソー、つま先が黒いツートンの革靴。カットソーの袖から彼の刺青の端っこが見えた。こうしてみるとやはり彼は体格に恵まれている。

「久しぶり。元気そうだ」
「うん、リアンこそ」

 サングラスをかけていると違う人のような印象があるが、声は間違いなくリアンだった。彼は腕時計を見て顎をしゃっくった。

「イタリアン、嫌いじゃないか? 確認しないで店を予約してしまったんだが」
「大丈夫、好き嫌いはあまりないから」
「よかった。あと三十分だから、行こう」
 促されて、リアンとともに歩き出す。彼は私の歩調にあわせてくれる。
「脚の怪我も大丈夫そうだな」
「ええ、おかげさまでだいぶ良くなった。もう杖もいらない。ただ、たまに痛むけれど。疲れたときとか、熱があるときは」
「体調は? あまり良くないのか?」
「そんなことないよ。引っ越してきてすぐに、ちょっと疲れて風邪を引いたくらい」
「そうか」
 それきり会話が途切れる。

 彼とこうして、普通に街を並んで歩いていることがなんだか信じられなかった。数ヶ月前に雨の街で死体を前にしていたことが夢のようだ。

「――ホセはどう? もう回復したの?」
「まだ療養中だ。だが気持ちは元気なようだぞ。ああ、そうだ。リーサとホセから、嫌じゃなければ連絡先を聞いてほしいといわれている」
「じゃああとで」

 以前、茨城でリアンに会ったときに、リーサとホセのことは聞いていた。リーサは咬傷が深く、舌を何針か縫うことになったらしい。そっちの方が腕の怪我より辛かったとか。ホセは、撃たれた衝撃で肋骨を粉々にしてしまい、入院中だったはずだ。
 もう一人、あのときヘリで脱出した男性は、一命をとりとめたとも聞いている。

「ここだ」
 リアンが立ち止まったのは、カフェにも見えるナチュラルな外観のレストランだった。コース予約承ります、と書かれた黒板が通りの前に出ている。駅から徒歩六分、いい立地だと思う。
 漆喰の使われた壁、大きな窓、天井からぶら下がっているライトは貝殻のような形のガラスのシェードを被っている。白いリネンのクロスが掛けられたテーブルが、ゆったりと間隔をあけて配置されていた。女性客が多い。若い女の子同士、あるいはカップルばかりだ。

「予約している柏田です」
 リアンがそう言うと、奥の方の窓際の席に通された。すぐにカトラリーと水が出される。だが、メニューはドリンクのみ。
 サングラスを外したリアンが、ああ、と言って説明してくれた。

「勝手にコースにした。ランチのコースが女の子に人気だって、レビューを読んだ」
 私は面食らった。彼が『女の子』という単語を使ったからだ。似合わない。なぜかそう思う。
「ええと……ありがとう。ちょっと驚いた」
「それはどういう意味で」
「いや、こんな可愛い店を選んでくるとは思わなかった」
「まあ、そこそこ恥ずかしかったがな、とくに入店するときは」
 本当にそうだったのだろうかと疑わせるほど涼しい顔で、リアンは水を少し飲んだ。
「趣味じゃなかったか? 君の好みがわからなかったから、とりあえず人気の店にしてみたんだが」
「いや、そういうわけじゃないけれど……。うん」

 どちらかといえば、私もこういう店は女子の友人がいなければこない。ただ、嫌いではない。落ち着かないだけで。自分がこの場にそぐわない気がする。

 メインが魚ということで、リアンは白ワインを頼んだ。私はウーロン茶を選ぶ。
 さっそく前菜が出てきた。生ハムとトマト、葉野菜が盛り付けられ、やや酸味の利いたドレッシングがかけられている。

「それで、今日はどうしたの? 食事に誘ってくれるなんて」
 なにか用件があるんでしょう、と言外に問うと、リアンは苦笑した。
「友人を食事に誘うのに、理由が必要か」
「……いいえ」

 彼の中で、私は友人という位置づけなのか。とある騒動の最中、一晩一緒にすごしただけなのに。そう思うと、なぜか少し残念な気持ちになった。あの一晩は、――いや、今の彼が知らないだけで、その前の一晩も――私には忘れがたい夜だったからだ。

「まあ、あえて理由を挙げるとすれば、心配だったからだな。ここ最近連絡もあまりとっていなかったし、君の身辺が落ち着いたのかも知らなかった」
「ひとまずは落ち着いたよ。やや特殊なケースかもしれないけれど、その落ち着き方が」

 彼には、私が病院にやっかいになるおおまかな理由は伝えてあった。身元がわからないということと、ウイルス反応が陽性だった為、研究に協力することで生活の保障をしてもらうことになっているということ。記憶が曖昧だということは、かいつまんで説明してある。歴史認識の齟齬や生死のループの妄想については、伝えていない。

「リアンこそ、どうしたの、急に転属なんて」
「さあな。人員の調整だと言っていたがよくはわからない。有り得るとしたら、命令違反の罰」
「あ……」
「冗談だ。その可能性は低い。もしそうなら、転属の前に減給やら奉仕やらがいろいろ課される。今回は一週間の奉仕活動ですべて終わったはずだ」
「……その、なんと言ったらいいか」

 私を探すために命令を無視したのだ、リアンは。そのペナルティが課されたのだと聞くと、申し訳ない。
 しかし、彼は笑った。

「奉仕活動の内容は、軍用犬の世話だった。実は犬が好きでね。進んで引き受けたいぐらいだったから問題ない」
「ありがとう」

 私の言葉に、彼はゆるく首を横に振る。
 次いで運ばれてきたパスタは、トマトベースでモッツァレラチーズがかけられている。シンプルだけど、飽きの来ない味付けのものだ。

「なんだか不思議。こうして二人でご飯を食べていることが。平和すぎて現実感がわかない」
「まあ、前回一緒に食べたのは、ジムで調達した補給食だったからな。生還できてよかった」

 彼の右前腕には、怪我の痕がくっきり残っていた。つるりとした赤みの強い皮膚が、まわりより少し盛り上がっている。

「もう怪我は大丈夫なの?」
「銃で撃たれるのは初めてじゃないしな。当然、痛いし場所が場所なだけにかなり不便だったが」
「ドラマのせいかしら、撃たれたら死んじゃうイメージだったけれど、意外とそうでもないのね」
「撃たれた銃の威力にもよるし、あたりどころにもよるな」
 私は一度の狙撃であっさり死んだが。

 リアンはあっという間にパスタを食べ終え、フォークを置いた。私はまだ三分の二が残っている。彼の食事は速いのに、見本のように美しい所作だった。躾の違いだろうか。そのことにやや緊張する。
 あんまりのんびり食べていると、次の料理が来るまで彼が食べるものがないのでは、と急いで手と口を動かす。
 それに気付いたのか、リアンは苦笑した。

「急がなくていい。せっかくだから味わったほうがいいだろう」
 言われて初めて、自分が全く料理を楽しんでいないことに気付いた。おいしくないわけじゃない。変に体に力が入っている。
「時間はまだあるんだ。……そういえば、塩野と会ったと言っていたが、どうして会うことにしたんだ?」
「ちょっと聞きたいことがあって」
「それは、あの病院のことか?」

 鋭い。彼は穏やかな表情のまま、ずばり言い当ててきた。

「やっぱり、気になっていて。といっても、別にあの遺体のことや病院の不審な点を聞きたかったわけじゃなくて、自分がなぜあの病院にいたのかを知りたかったの。もしわかれば、身元がわかるんじゃないかと思って」
「そうか。それで、なにか手がかりはあったのか?」
「あまり。……ちょっとだけゴシップネタが手に入っただけよ」
「ゴシップ?」

 塩野に口止めされていた薬品の件は伏せたまま、テロリストとして逮捕された人たちが、むかし水戸大学付属病院に勤務していたらしいという話のみ伝えた。
 リアンはその話を聞くと、顎に手をあてて、考え込むような仕草。

 私はようやくパスタを食べ終わる。途中で冷めてしまった上に満腹に近かった。ゆっくり食べていたせいだろう。
 白身魚を蒸したものに、色とりどりの野菜が添えられたメインが運ばれてきた。
 ……さっきのパスタって、そういえばメインではないのだろうか。
 私はナイフとフォークを手に、切り分けた魚を口に運んだ。ほんのり酸味を感じるシンプルな味付けがおいしい。

 ワインを飲み干して、リアンがお替りを注文する。
「……実はな。俺も気になっていたんだ。君の言う遺体の件。それで、報告を上げるとき、上官にそれとなく告げた。だが特になんの確認もされなかった。今月になって急に上官から、その遺体の件はこれから警察が引き継ぐから、口を出さないようにと申し送りがあった」
「それって……」
「事件性が少なからずあったということじゃないか。詳しくはわからないが。君は警察の聴取を受けたときに、この話をしなかったのか」
「したけれど、私の場合、記憶障害のほかに妄想があるということで、あまり詳しくは聞かれなかった」
 リアンが目を瞬かせる。

「……ごめんなさい、妄想の件、伝えてなかった」
「謝ることじゃない。それは君のプライバシーに関わることだ」
 その言葉を裏付けるように、彼はとくに動揺した様子もなく、白身魚を口に運んでいく。
 私はその様子にほっとして、自分も魚を頬張った。
「それで、話は戻るが、……あの病院のことを、俺なりに調べてみたんだ」
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