【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 帰宅した私は、荷物を床に放り出し、湯船にお湯を溜めはじめた。
 用意をしている間に、エアコンが効き始める。
 築十五年の1DK。風呂トイレ別、単身者向け物件の見本のような部屋。それが今私が住んでいるマンションの間取りだ。


31、

 湯船につかると、汗を掻いてはいたものの、体はけっこう冷えていたことに気が付く。
 お湯で顔を洗ってしばし温まる。
 ふくらはぎには、醜い傷跡が二箇所残ってしまっているが、今は痛みもなく、歩行に支障はない。幸運だったのだろう。頬の怪我も、痕が残ってしまったが、うっすらとしたものなので、ほぼメイクでごまかせている。
 この部屋に住むようになって、一月ほど。
 あの学園都市を出てからの日々を、私は思い出す。
 
 リアンとともに保護された私は、以前も行った事がある――そして車に轢かれて死んだ経験のある、水戸市内の病院に連れて行かれた。そこで、二人とも怪我の手当てを受け、検査を受けた。検査は普通の感染症だけではなく、テロに使われたウイルスに関するものも含まれていた。

 結果、リアンは陰性、私は陽性だった。

 すぐに私は隔離され、数日の経過観察という名目の元、検査なのか実験なのかわからない投薬や治療を受け、ごく少数しか確認されていない未発症の保菌者キャリアと認定された。

 キャリアは一月ほどの経過観察を受けた後、定期的な検査と報告を義務付けられ、みな、それぞれの生活に戻っていくことになった。
 私はその経過観察中、ウイルスとは別に、同時並行で頭を悩まされたのだ。自分の素性が知れないことについて。
 お金も身分証も持っていなかった私は、病院から実家に連絡をとったのだが、繋がらなかった。他の親戚も連絡がつかず、おまけに職場は存在しなかった。
 全くそのことを想像しなかったわけじゃない。何度か、自分はこの世界の人間ではないんじゃないかと思うことがあったからだ。けれど、いざその事実を突きつけられると、どうしていいかわからなかった。

 病院で担当医に相談したところ、ウイルスによる記憶障害ではないかという診断をされた。たしかに、何度も死んでは生き返ったり、日本の歴史が違った形で認識されていたり、自分がなぜあの病院にいたか全く覚えていないだなんて言い出したら、記憶障害や妄想を疑われるだろう。私が医者でもそう診断する。

 記憶障害でも妄想でもどちらでもいいが、自分の身分が証明できないことには、ほとほと困った。ついには警察のやっかいになり、身元を確認してもらったのだが――結果として、不明、となった。

 本当に記憶障害なのか。ならばちゃんと足取りは残っているだろうから、警察の捜索で、身元がわかりそうな気もするけれど――。そんなことを思わないでもない。

 いずれにせよ、自分がどこの誰でなぜあの病院にいったのか、誰か身元を引き受けてくれる人はいないのか、その全てが曖昧な状態で、私はしばらく入院し続けることになった。
 そして、いよいよ行政に保護を依頼するしかないという段階に至った退院直前の日、医師から、ウイルスに罹患した人たちの治療法を探るため、協力してくれないと提案されたのだった。協力すれば、住む場所と、生活に困らない程度の報酬を国と病院が用意してくれるという。さらに、行政と連携して、必要な身分も用意してくれると。

 今回の罹患者で、救助されたのは百人を越すが、発症した上で生存できているのはその段階で十三名と減っていた。これは、ウイルスに脳組織を破壊され、生命維持に支障がでたり、そもそもの身体的なダメージが大きく助からなかった人たちがかなりいたからの結果だ。
 それでも十三人はいまだ正気を失ったまま病院で隔離されている。

 彼らを救う手立てがないか、医師は国とともに研究を開始したのだという。だからこそ、キャリアである私を多方面から検査・実験したいのだ。

 二つ返事で引き受ける……わけはなく、提案を受けない場合はどうなるのか、と聞いてみた。とくにペナルティはないけれど、今後の健康上に支障がおきたとき、自分で対処する方法を考えなければいけないという。

 その答えは、私にとっては十分なペナルティだった。今の私には、住むところも頼る人もお金もない。
 そうして、私は結局、身を寄せる施設を変えて、東京都に搬送されてきたのだった。

 今も、週に二度ほど全身の検査を行ったり、薬を投与されて反応を見られたりしている。
 記憶が回復する兆候はなく、時折寝込むことはあるが劇的に体調が悪くなることもない。映画で見たことのあるような、マッドドクターはおらず、意外と人道的な処置ばかりだ。

 お風呂をあがると、スマートフォンのランプが点灯していた。ほとんど知り合いのいない私に連絡をしてくるのは、限られた人間だけだ。病院関係、警察関係、行政の担当者などなど。
 今日会った、塩野から挨拶のメールでも来たのかと思った。

 メールの送信者は、別の人物だった。
 リアンだ。
 用件は、『少し話したいことがあるから、あとで電話をする。都合のいいタイミングを教えてほしい』。

 着替え、濡れた髪をタオルで拭いた。そして、こちらからリアンに電話をかけることにした。彼に電話をかけるのは初めてだ。こちらに引っ越してきてから、一度だけメールで連絡を取ったくらいで、一月ほどなんのやりとりもしていない。
 数回呼び出し音が鳴り、繋がった。その瞬間に、妙に緊張してしまった。

「もしもし。磯波です」
『ああ、ミシカ、久しぶり。元気か。こちらから電話をしようと思っていたんだが』
 受話器の向こうでがさがさと何かを動かしている音が聞こえてきた。
「元気よ……タイミングが悪かったかしら。掛けなおす?」
『いや、大丈夫だ。これでひとつ完了だ』
 彼がそういうと、音が止んだ。
『メールでもよかったんだが、せっかくだから電話をしようと思ったんだ。実は、再来週から、俺もそちらに転属となった。立川だ』
「え」
『それで、良ければ引越しの後、会えればと思って連絡したんだ。一週間ほど、引越しと手続きなどで、休みが与えられているから』

 急なことで、どう反応したらいいのかわからない。
 立川というとこのマンションの最寄り駅から電車で十分ほどだ。なんでそんな近くに?

『……忙しければ、断ってくれていいんだが』
 苦笑混じりに、彼が言う。
「大丈夫。いきなりだったから驚いて」
『急に決まったんだ。本土からこちらに配属になったときも急だったが、今回も本当にぎりぎりになって言われたからな。荷物が少なくて、よかった』
 さっき後ろでがさがさしていたのは、荷造りの音だったのか。
「火曜日から木曜日は、検査の都合で外出できないの」
『ならば、金曜日に会おう。どこかおすすめの店はないか』
「店って言われても私もこっちに来てそんなに経たないから。ただ、立川のほうがいろいろあるとは思うよ」
『じゃあ、こっちで勝手に選ばせてもらう。正午に、立川駅の改札口でどうだろう』
「ええ。それで。……あの、リアン」
『どうした』
「私、今日塩野さんに会ったよ。杖をついていたけれど、仕事には復帰したらしいわ」
『……そうか、よかった』

 嬉しそう。電話をはさんで話すと、声の調子が違って聞こえるから、なんだか違和感がある。

『それじゃあ、金曜日に』
「はい、よろしく」

 電話が切れて、私はスマートフォンをベッドの上に放り出す。
 なんでリアンは私を食事に誘ったのだろう? わざわざ貴重な休みを使ってまで。
 私の誘いに戸惑いながらも応じた塩野の気持ちがわからないでもなかった。
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