【R18】Overkilled me

薊野ざわり

文字の大きさ
上 下
20 / 92
本編

20

しおりを挟む
 大きな総合病院にたどりついた。夜でも敷地の街灯が明るいその白い建物は、中央に背の高い十階建て、両翼は七階建てという形になっている。前面の車止めと平面駐車場は、歩いて抜けるのには五分かかるだろうという広さだ。
 病院の救急車両の搬入口は、赤いランプが点滅し、まさに今、患者が病院内に運び込まれようとしているところだった。


20、

 受付を済ませて、緊急外来ということで、診察を受けられることになった。私が身分証もお金もなにも持っていないというと、少し手続きに手間取ったけれど、福島に住む両親の連絡先を伝え、明日、身元の確認をしてもらうことになり、とりあえず、処置はしてもらえることになった。

 さすがにこの格好では、ということで、入院着を貸してもらえた。
 検査のときに使用するらしい着替え用のロッカールームで、私は楢原に手を貸してもらって、着替える。腕の怪我は、利き手側ということもあり、不便だ。

 楢原は、いろいろ面倒を見てくれて、わざわざ受付まで付き添ってくれた。
 リアンは基地で検査を受けるつもりだったようだけれど、確認したところこの病院でも受けられるというので、今、その手続きをしているところだ。どうやら、基地にも検査の話をしたところ、より精密な検査も受けられるからぜひ病院で受けるようにと指示されたらしく、今日は彼も一泊入院となった。報告は明日でいいそうだ。……もう、事態が収束に近づいているからということなのかもしれない。急を要すとは言えないのかも。

「あら、……あなた、背中も酷い痣になってるよ。痛くないの?」
 楢原に指摘されて、ロッカーの扉の内側に付いている鏡で見てみれば、何箇所か青痣ができていた。たぶん、これは塩野に殴られたときのものだろう。体中が痛いものだから、あまり意識がいかなかった。でも、気付いてしまうと、痛み出してくる。

 ロッカールームは私たち以外、誰もいない。三十個近いロッカーが、ずらりと並んでいて、部室のようだ。きれいな木目プリントの合板を貼られたロッカーは、学生用のロッカーにはリッチすぎるけれど。
「捻ると、少し痛むけれど、他のところのほうが痛むので」

 顔や腕、そっちのほうが見た目も痛みも段違いだ。顔はまるでお面を被ったように、頬が腫れている。
 楢原は、眉根を寄せた。私の脱いだ、もはや雑巾のようなカットソーを拾ってくれる。

「柏田から聞いたけれど、辛い目にあったわね」
「……なんだかあんまり現実感がないんですけれど」
 私は苦笑する。だが、楢原は真剣な表情で続けた。

「今はね。ショックが大きかったり、アドレナリンのせいだったりで。でも、落ち着いてくると、ダメージに気付くわ。本当に、辛い思いをしただろうけれど、きっと、このあとも、あなたはそれで悩むと思う。私は、こういう仕事をしているから、こういう非常時にあなたみたいな不幸にあう女の子が少なからずいることを知ってる。助言にならないかもしれないけれど、思いつめないで。カウンセリングを受けて、自分のことを助けてあげて」

 自分を助ける。その意味がよくわからないけれど、彼女が肩においてくれた手が力強くて、温かくて。私は頷いた。

「ありがとうございます。楢原さんたちやリアンに、助けられて、私、本当に運がよかった」

 楢原は微笑んだ。笑うと、やっぱり人懐っこい顔をしてる。

 多分、彼女が思っているより、私は彼女たちの存在に感謝している。
 何度も何度も、あの病院でやり直しながら、恐怖と痛みと、闘ってきた。
 その繰り返す地獄のような時間を終えて、ようやくこうして、まともな場所に来られた。解決していない問題も山ほどあるけれど、それでも――。

 着替え終え、待合室に戻ると、腕の注射あとを手で圧迫しているリアンがいた。彼は、私たちを見つけると軽く手を上げて挨拶してくれた。装備を解いて、身軽になっている。その状態の彼を見るのは初めてなので、なんだか違和感がある。

「採血、終わったの?」
「ああ。結果が出るまでに、シャワーを借りて病室にむかう」
「わかった。じゃあ、私たちはこれで帰るわ」
「気を付けて」
 二人は軽く敬礼しあう。

「お見送りさせてもらってもいいですか」
「あら、嬉しい」
 楢原はまた笑顔になった。「では、俺も」とリアンも連れ立って、車止めのほうへ向かう。

 目の前の駐車場に停まっていたジープが、私たちの姿を確認してか、エンジンをかけた。
 遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。また急患が運ばれてくるのかもしれない。病院は大変な職場だな、とわかっていたことを再確認した。

「本当に、ありがとうございました」
 私が頭を下げると、楢原は励ますように肩を叩いてくれる。
「今度、一緒にお茶でもしましょ!」
「はい」
 社交辞令かもしれないけれど、嬉しかった。

「急患か」

 隣に立っていたリアンが、顔を病院の正門のほうへ向けた。私も釣られてそちらを見る。
 金属製の柵の向こうから、救急車のランプが近づいてくるのが見えた。サイレンもぐんぐん近づいてきている。
「正門、閉まっているよね」
 大丈夫かしら、あのスピードで、と私がつぶやくとほぼ同時に。
 救急車は鉄の門に正面から突っ込んでいた。轟音が夜空に響く。鉄の門はひしゃげて吹き飛び、重い音をたてて駐車場の中に転がる。ボンネットがつぶれてしまった救急車はそれでも止まらない。猛烈な勢いで、タイヤを鳴らしながらカーブを描く。

「危ない!」

 叫んだのは、楢原。
 大きな車体が、ノンストップで私たちの立つ正面玄関に突っ込んできた。退避する間なんて、ない。
 近づいてくる救急車を、やけにはっきり細部まで見ながら、私は身を硬くした。
 視界がさえぎられ、衝撃が全身を貫く。

 何がどうなったかわからない。全身が、熱い。
 遠くで、人の声が聞こえる。なにか叫んでいるようだ。
 状況を把握したくて、目を開くが、焦点がさだまらず、やけにぼけた像しか見えない。

 違う。ぼけて見えるのは、近付き過ぎているから。瞬きすると、ようやく、目の前にあるのが、リアンの顔だというのがわかった。けれど、真っ赤に染まった彼は、目を開いてはいても虚ろで。
 認識したとたん、後ろ頭を思い切り引っ張られるような感覚があり、落ちるように私は意識を失った。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

The Last Night

泉 沙羅
ホラー
モントリオールの夜に生きる孤独な少女と、美しい吸血鬼の物語。 15歳の少女・サマンサは、家庭にも学校にも居場所を持てず、ただひとり孤独を抱えて生きていた。 そんな彼女が出会ったのは、金髪碧眼の美少年・ネル。 彼はどこか時代錯誤な振る舞いをしながらも、サマンサに優しく接し、二人は次第に心を通わせていく。 交換日記を交わしながら、ネルはサマンサの苦しみを知り、サマンサはネルの秘密に気づいていく。 しかし、ネルには決して覆せない宿命があった。 吸血鬼は、恋をすると、その者の血でしか生きられなくなる――。 この恋は、救いか、それとも破滅か。 美しくも切ない、吸血鬼と少女のラブストーリー。 ※以前"Let Me In"として公開した作品を大幅リニューアルしたものです。 ※「吸血鬼は恋をするとその者の血液でしか生きられなくなる」という設定はX(旧Twitter)アカウント、「創作のネタ提供(雑学多め)さん@sousakubott」からお借りしました。 ※AI(chatgpt)アシストあり

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

不労の家

千年砂漠
ホラー
高校を卒業したばかりの隆志は母を急な病で亡くした数日後、訳も分からず母に連れられて夜逃げして以来八年間全く会わなかった父も亡くし、父の実家の世久家を継ぐことになった。  世久家はかなりの資産家で、古くから続く名家だったが、当主には絶対守らなければならない奇妙なしきたりがあった。  それは「一生働かないこと」。  世久の家には富をもたらす神が住んでおり、その神との約束で代々の世久家の当主は働かずに暮らしていた。  初めは戸惑っていた隆志も裕福に暮らせる楽しさを覚え、昔一年だけこの土地に住んでいたときの同級生と遊び回っていたが、やがて恐ろしい出来事が隆志の周りで起こり始める。  経済的に豊かであっても、心まで満たされるとは限らない。  望んでもいないのに生まれたときから背負わされた宿命に、流されるか。抗うか。  彼の最後の選択を見て欲しい。

視える僕らのルームシェア

橘しづき
ホラー
 安藤花音は、ごく普通のOLだった。だが25歳の誕生日を境に、急におかしなものが見え始める。    電車に飛び込んでバラバラになる男性、やせ細った子供の姿、どれもこの世のものではない者たち。家の中にまで入ってくるそれらに、花音は仕事にも行けず追い詰められていた。    ある日、駅のホームで電車を待っていると、霊に引き込まれそうになってしまう。そこを、見知らぬ男性が間一髪で救ってくれる。彼は花音の話を聞いて名刺を一枚手渡す。 『月乃庭 管理人 竜崎奏多』      不思議なルームシェアが、始まる。

日常怪談〜穢〜

蒼琉璃
ホラー
何気ない日常で誰かの身に起こったかもしれない恐怖。 オムニバスの短編ホラーです。エブリスタでも投稿しています。

田舎のお婆ちゃんから聞いた言い伝え

菊池まりな
ホラー
田舎のお婆ちゃんから古い言い伝えを聞いたことがあるだろうか?その中から厳選してお届けしたい。

[全221話完結済]彼女の怪異談は不思議な野花を咲かせる

野花マリオ
ホラー
ーー彼女が語る怪異談を聴いた者は咲かせたり聴かせる 登場する怪異談集 初ノ花怪異談 野花怪異談 野薔薇怪異談 鐘技怪異談 その他 架空上の石山県野花市に住む彼女は怪異談を語る事が趣味である。そんな彼女の語る怪異談は咲かせる。そしてもう1人の鐘技市に住む彼女の怪異談も聴かせる。 完結いたしました。 ※この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体、名称などは一切関係ありません。 エブリスタにも公開してますがアルファポリス の方がボリュームあります。 表紙イラストは生成AI

絶海の孤島! 猿の群れに遺体を食べさせる葬儀島【猿噛み島】

spell breaker!
ホラー
交野 直哉(かたの なおや)の恋人、咲希(さき)の父親が不慮の事故死を遂げた。 急きょ、彼女の故郷である鹿児島のトカラ列島のひとつ、『悉平島(しっぺいとう)』に二人してかけつけることになった。 実は悉平島での葬送儀礼は、特殊な自然葬がおこなわれているのだという。 その方法とは、悉平島から沖合3キロのところに浮かぶ無人島『猿噛み島(さるがみじま)』に遺体を運び、そこで野ざらしにし、驚くべきことに島に棲息するニホンザルの群れに食べさせるという野蛮なやり方なのだ。ちょうどチベットの鳥葬の猿版といったところだ。 島で咲希の父親の遺体を食べさせ、事の成り行きを見守る交野。あまりの凄惨な現場に言葉を失う。 やがて猿噛み島にはニホンザル以外のモノが住んでいることに気がつく。 日をあらため再度、島に上陸し、猿葬を取り仕切る職人、平泉(ひらいずみ)に真相を聞き出すため迫った。 いったい島にどんな秘密を隠しているのかと――。 猿噛み島は恐るべきタブーを隠した場所だったのだ。

処理中です...