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本編
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大きな総合病院にたどりついた。夜でも敷地の街灯が明るいその白い建物は、中央に背の高い十階建て、両翼は七階建てという形になっている。前面の車止めと平面駐車場は、歩いて抜けるのには五分かかるだろうという広さだ。
病院の救急車両の搬入口は、赤いランプが点滅し、まさに今、患者が病院内に運び込まれようとしているところだった。
20、
受付を済ませて、緊急外来ということで、診察を受けられることになった。私が身分証もお金もなにも持っていないというと、少し手続きに手間取ったけれど、福島に住む両親の連絡先を伝え、明日、身元の確認をしてもらうことになり、とりあえず、処置はしてもらえることになった。
さすがにこの格好では、ということで、入院着を貸してもらえた。
検査のときに使用するらしい着替え用のロッカールームで、私は楢原に手を貸してもらって、着替える。腕の怪我は、利き手側ということもあり、不便だ。
楢原は、いろいろ面倒を見てくれて、わざわざ受付まで付き添ってくれた。
リアンは基地で検査を受けるつもりだったようだけれど、確認したところこの病院でも受けられるというので、今、その手続きをしているところだ。どうやら、基地にも検査の話をしたところ、より精密な検査も受けられるからぜひ病院で受けるようにと指示されたらしく、今日は彼も一泊入院となった。報告は明日でいいそうだ。……もう、事態が収束に近づいているからということなのかもしれない。急を要すとは言えないのかも。
「あら、……あなた、背中も酷い痣になってるよ。痛くないの?」
楢原に指摘されて、ロッカーの扉の内側に付いている鏡で見てみれば、何箇所か青痣ができていた。たぶん、これは塩野に殴られたときのものだろう。体中が痛いものだから、あまり意識がいかなかった。でも、気付いてしまうと、痛み出してくる。
ロッカールームは私たち以外、誰もいない。三十個近いロッカーが、ずらりと並んでいて、部室のようだ。きれいな木目プリントの合板を貼られたロッカーは、学生用のロッカーにはリッチすぎるけれど。
「捻ると、少し痛むけれど、他のところのほうが痛むので」
顔や腕、そっちのほうが見た目も痛みも段違いだ。顔はまるでお面を被ったように、頬が腫れている。
楢原は、眉根を寄せた。私の脱いだ、もはや雑巾のようなカットソーを拾ってくれる。
「柏田から聞いたけれど、辛い目にあったわね」
「……なんだかあんまり現実感がないんですけれど」
私は苦笑する。だが、楢原は真剣な表情で続けた。
「今はね。ショックが大きかったり、アドレナリンのせいだったりで。でも、落ち着いてくると、ダメージに気付くわ。本当に、辛い思いをしただろうけれど、きっと、このあとも、あなたはそれで悩むと思う。私は、こういう仕事をしているから、こういう非常時にあなたみたいな不幸にあう女の子が少なからずいることを知ってる。助言にならないかもしれないけれど、思いつめないで。カウンセリングを受けて、自分のことを助けてあげて」
自分を助ける。その意味がよくわからないけれど、彼女が肩においてくれた手が力強くて、温かくて。私は頷いた。
「ありがとうございます。楢原さんたちやリアンに、助けられて、私、本当に運がよかった」
楢原は微笑んだ。笑うと、やっぱり人懐っこい顔をしてる。
多分、彼女が思っているより、私は彼女たちの存在に感謝している。
何度も何度も、あの病院でやり直しながら、恐怖と痛みと、闘ってきた。
その繰り返す地獄のような時間を終えて、ようやくこうして、まともな場所に来られた。解決していない問題も山ほどあるけれど、それでも――。
着替え終え、待合室に戻ると、腕の注射あとを手で圧迫しているリアンがいた。彼は、私たちを見つけると軽く手を上げて挨拶してくれた。装備を解いて、身軽になっている。その状態の彼を見るのは初めてなので、なんだか違和感がある。
「採血、終わったの?」
「ああ。結果が出るまでに、シャワーを借りて病室にむかう」
「わかった。じゃあ、私たちはこれで帰るわ」
「気を付けて」
二人は軽く敬礼しあう。
「お見送りさせてもらってもいいですか」
「あら、嬉しい」
楢原はまた笑顔になった。「では、俺も」とリアンも連れ立って、車止めのほうへ向かう。
目の前の駐車場に停まっていたジープが、私たちの姿を確認してか、エンジンをかけた。
遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。また急患が運ばれてくるのかもしれない。病院は大変な職場だな、とわかっていたことを再確認した。
「本当に、ありがとうございました」
私が頭を下げると、楢原は励ますように肩を叩いてくれる。
「今度、一緒にお茶でもしましょ!」
「はい」
社交辞令かもしれないけれど、嬉しかった。
「急患か」
隣に立っていたリアンが、顔を病院の正門のほうへ向けた。私も釣られてそちらを見る。
金属製の柵の向こうから、救急車のランプが近づいてくるのが見えた。サイレンもぐんぐん近づいてきている。
「正門、閉まっているよね」
大丈夫かしら、あのスピードで、と私がつぶやくとほぼ同時に。
救急車は鉄の門に正面から突っ込んでいた。轟音が夜空に響く。鉄の門はひしゃげて吹き飛び、重い音をたてて駐車場の中に転がる。ボンネットがつぶれてしまった救急車はそれでも止まらない。猛烈な勢いで、タイヤを鳴らしながらカーブを描く。
「危ない!」
叫んだのは、楢原。
大きな車体が、ノンストップで私たちの立つ正面玄関に突っ込んできた。退避する間なんて、ない。
近づいてくる救急車を、やけにはっきり細部まで見ながら、私は身を硬くした。
視界がさえぎられ、衝撃が全身を貫く。
何がどうなったかわからない。全身が、熱い。
遠くで、人の声が聞こえる。なにか叫んでいるようだ。
状況を把握したくて、目を開くが、焦点がさだまらず、やけにぼけた像しか見えない。
違う。ぼけて見えるのは、近付き過ぎているから。瞬きすると、ようやく、目の前にあるのが、リアンの顔だというのがわかった。けれど、真っ赤に染まった彼は、目を開いてはいても虚ろで。
認識したとたん、後ろ頭を思い切り引っ張られるような感覚があり、落ちるように私は意識を失った。
病院の救急車両の搬入口は、赤いランプが点滅し、まさに今、患者が病院内に運び込まれようとしているところだった。
20、
受付を済ませて、緊急外来ということで、診察を受けられることになった。私が身分証もお金もなにも持っていないというと、少し手続きに手間取ったけれど、福島に住む両親の連絡先を伝え、明日、身元の確認をしてもらうことになり、とりあえず、処置はしてもらえることになった。
さすがにこの格好では、ということで、入院着を貸してもらえた。
検査のときに使用するらしい着替え用のロッカールームで、私は楢原に手を貸してもらって、着替える。腕の怪我は、利き手側ということもあり、不便だ。
楢原は、いろいろ面倒を見てくれて、わざわざ受付まで付き添ってくれた。
リアンは基地で検査を受けるつもりだったようだけれど、確認したところこの病院でも受けられるというので、今、その手続きをしているところだ。どうやら、基地にも検査の話をしたところ、より精密な検査も受けられるからぜひ病院で受けるようにと指示されたらしく、今日は彼も一泊入院となった。報告は明日でいいそうだ。……もう、事態が収束に近づいているからということなのかもしれない。急を要すとは言えないのかも。
「あら、……あなた、背中も酷い痣になってるよ。痛くないの?」
楢原に指摘されて、ロッカーの扉の内側に付いている鏡で見てみれば、何箇所か青痣ができていた。たぶん、これは塩野に殴られたときのものだろう。体中が痛いものだから、あまり意識がいかなかった。でも、気付いてしまうと、痛み出してくる。
ロッカールームは私たち以外、誰もいない。三十個近いロッカーが、ずらりと並んでいて、部室のようだ。きれいな木目プリントの合板を貼られたロッカーは、学生用のロッカーにはリッチすぎるけれど。
「捻ると、少し痛むけれど、他のところのほうが痛むので」
顔や腕、そっちのほうが見た目も痛みも段違いだ。顔はまるでお面を被ったように、頬が腫れている。
楢原は、眉根を寄せた。私の脱いだ、もはや雑巾のようなカットソーを拾ってくれる。
「柏田から聞いたけれど、辛い目にあったわね」
「……なんだかあんまり現実感がないんですけれど」
私は苦笑する。だが、楢原は真剣な表情で続けた。
「今はね。ショックが大きかったり、アドレナリンのせいだったりで。でも、落ち着いてくると、ダメージに気付くわ。本当に、辛い思いをしただろうけれど、きっと、このあとも、あなたはそれで悩むと思う。私は、こういう仕事をしているから、こういう非常時にあなたみたいな不幸にあう女の子が少なからずいることを知ってる。助言にならないかもしれないけれど、思いつめないで。カウンセリングを受けて、自分のことを助けてあげて」
自分を助ける。その意味がよくわからないけれど、彼女が肩においてくれた手が力強くて、温かくて。私は頷いた。
「ありがとうございます。楢原さんたちやリアンに、助けられて、私、本当に運がよかった」
楢原は微笑んだ。笑うと、やっぱり人懐っこい顔をしてる。
多分、彼女が思っているより、私は彼女たちの存在に感謝している。
何度も何度も、あの病院でやり直しながら、恐怖と痛みと、闘ってきた。
その繰り返す地獄のような時間を終えて、ようやくこうして、まともな場所に来られた。解決していない問題も山ほどあるけれど、それでも――。
着替え終え、待合室に戻ると、腕の注射あとを手で圧迫しているリアンがいた。彼は、私たちを見つけると軽く手を上げて挨拶してくれた。装備を解いて、身軽になっている。その状態の彼を見るのは初めてなので、なんだか違和感がある。
「採血、終わったの?」
「ああ。結果が出るまでに、シャワーを借りて病室にむかう」
「わかった。じゃあ、私たちはこれで帰るわ」
「気を付けて」
二人は軽く敬礼しあう。
「お見送りさせてもらってもいいですか」
「あら、嬉しい」
楢原はまた笑顔になった。「では、俺も」とリアンも連れ立って、車止めのほうへ向かう。
目の前の駐車場に停まっていたジープが、私たちの姿を確認してか、エンジンをかけた。
遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。また急患が運ばれてくるのかもしれない。病院は大変な職場だな、とわかっていたことを再確認した。
「本当に、ありがとうございました」
私が頭を下げると、楢原は励ますように肩を叩いてくれる。
「今度、一緒にお茶でもしましょ!」
「はい」
社交辞令かもしれないけれど、嬉しかった。
「急患か」
隣に立っていたリアンが、顔を病院の正門のほうへ向けた。私も釣られてそちらを見る。
金属製の柵の向こうから、救急車のランプが近づいてくるのが見えた。サイレンもぐんぐん近づいてきている。
「正門、閉まっているよね」
大丈夫かしら、あのスピードで、と私がつぶやくとほぼ同時に。
救急車は鉄の門に正面から突っ込んでいた。轟音が夜空に響く。鉄の門はひしゃげて吹き飛び、重い音をたてて駐車場の中に転がる。ボンネットがつぶれてしまった救急車はそれでも止まらない。猛烈な勢いで、タイヤを鳴らしながらカーブを描く。
「危ない!」
叫んだのは、楢原。
大きな車体が、ノンストップで私たちの立つ正面玄関に突っ込んできた。退避する間なんて、ない。
近づいてくる救急車を、やけにはっきり細部まで見ながら、私は身を硬くした。
視界がさえぎられ、衝撃が全身を貫く。
何がどうなったかわからない。全身が、熱い。
遠くで、人の声が聞こえる。なにか叫んでいるようだ。
状況を把握したくて、目を開くが、焦点がさだまらず、やけにぼけた像しか見えない。
違う。ぼけて見えるのは、近付き過ぎているから。瞬きすると、ようやく、目の前にあるのが、リアンの顔だというのがわかった。けれど、真っ赤に染まった彼は、目を開いてはいても虚ろで。
認識したとたん、後ろ頭を思い切り引っ張られるような感覚があり、落ちるように私は意識を失った。
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