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本編
18
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非常口のドアを開けると、螺旋階段が上に続いていた。その先に、地上への出口がある。
この尋常じゃない段数の階段を上るのかと思うと、眩暈がした。
どう見ても、百段じゃきかない。
18、
「大丈夫か」
リアンが軽く息を弾ませながら、振り返る。残念ながら、私はその十段も下の段を、ぜえはあ言いながら上っているところだ。
金属製の階段はスニーカーのゴム底とこすれ、きゅっきゅっと高い音をたてる。蹴込に板がない、ストリップ階段で、隙間からのぞく下の様子が恐ろしい。落ちることはないとわかっていても、高さがあると、どうしてもそわそわしてしまう。
肩で息をしながら一段一段上り続けた。
とはいっても、まだ五十段に達しないのではないだろうか。
普段からそんなに運動していないから、運動不足がひとつの原因だとは思う。それにしても息苦しい。運動のせいか、それとも時間的に痛み止めが切れたのか、腕が疼痛を訴え始めていた。
額の汗を拭う。
階段を下りて戻ってきたリアンが、バックパックの肩紐を調節して長く伸ばした。そして私に背を向けて跪いた。
「負ぶされ」
「いや、大丈夫だから」
「そうは見えない。遠慮するな」
そう言われても、羞恥心というものがある。彼も疲れてしまうではないか。
リアンは私の心を見透かしたように、言った。
「この先、保護してもらうまで、君は自力で歩かなければいけないときがあるだろう。そのときがきたら、嫌でも歩くしかない。それまでなら、大して俺の負担にはならない。なに、怪我の手当てをするときに一度抱き上げているし、訓練では男を担いで走るんだ。心配には及ばない」
重いとも軽いとも言われないのが妙に納得である。それにここで粘って時間を浪費する方が、愚かというもの。彼の言葉に甘えることにした。
ショットガンを持って、リアンの背に乗る。
危なげなく立ち上がり、彼はさっさと階段を上りだした。バックパックは、私のお尻の下で負ぶい紐のようになっている。なるほど、こうして使うのかと感心する。
広い背中。リアンの動作に合わせて、筋肉が動いているのがわかる。そして、暖かい。汗のにおいと、彼の整髪料の微かな香りがする。右耳の後ろに、小さなほくろを見つけた。
「ありがとう。実はちょっと腕が痛むの」
「少し我慢できるか。あとで、痛み止めを投与する」
これだけの運動をしているのに、彼はしゃべる余裕があるようだ。リズミカルに残りの階段を上り続ける。
「軍では、こんな訓練もするの」
「怪我人の運搬ももちろん訓練する。肩に担いで走ることもある。装備がもっと重いのが通常だし、足場ももっと悪く設定されることもある」
「大変そう」
「大変だ。逃げ出す奴の気持ちもわかる」
軍には、女性もいると聞く。彼女たちもそんなハードなことをしているのだろうか。そう思うと、そこで訓練を受けているだけで、とても超人的なイメージになる。私は運動が得意ではないからだ。完全に内勤だし。
エンジニアとして、職場ではいろいろな人とかかわりがある。だけど、こんなことがなければ、リアンとは一生会うこともなかっただろう。まったく関わる要素もない。
「そういえば、あなたはどこの基地にいたの?」
「勝田基地だ。――ああ、勝田というのは古い名前で、今はひたちなか市となる。駅名は残っているが。昔、軍需工場があった場所だ。第二次大戦のときは、空襲の標的にもなった」
「そうなんだ、行ったことないな……」
聞いてもぴんとこない。
「夏には花火大会をやるんだ。今度、見に来たらどうだ」
「土地勘ないから、案内してくれる?」
「ああ」
そんな日がきたらいい。それにはこのわけのわからない状態から脱出しないといけない。
話をしているうちにも、どんどん腕の痛みは強くなってくる。
変な汗が出てきた。
「あと少しだ、ミシカ」
顔を上げると、少し先のほうに出口があった。入り口と同じそっけない金属のドア。
私はそのドアの前のスペースで、彼の背から降りた。ちょっとだけ眩暈を感じたが、なんとか歩けそうだ。
リアンが装備を整え、油断なく拳銃を構えて、ドアを開ける。
冷えた夜風が一気に吹き込んできて、私の髪を巻き上げた。
夜空が見える。続いて街並み。街灯がたくさんあり、明るい道。
ドアは、立体交差点の架橋の下にあったようだ。フェンスで囲まれた狭い草地がある。
広い片側三車線の道路が続いており、その先には、大型の店舗が軒を連ねている。地方でよくある、広い駐車場を持った店だ。時間のせいか、人口のせいか、駐車場や道に車や人の影はほとんどない。
「大丈夫そうだな」
「うん……」
ほっとしたら、とたんに具合が悪くなってきた。腕の痛みが耐え難くなり、顔を顰める。それに気付いたリアンが荷物を降ろし、私に座るよう促してきた。
「まず、痛み止めを打つ。俺は救助を要請してくるから、その間、休んでいろ」
彼は手早く注射器を取り出して、小瓶に入った薬をシリンダーに吸引すると、私の腕に針を刺した。
私はゆっくりと自分の体内に薬が取り込まれていくのを眺める。
冷えた風が、さわさわと草を揺らす。
なんだか、信じられない気分だ。病院にいたときはまったく想像もできなかった学園都市の外の世界は、想像よりずっと穏やかだ。
むしろ。穏やかすぎて不安になる。田舎だから? でも、こんなに閑散としているものだろうか。
「今、何時かわかる?」
私の腕にガーゼとテープを貼ったリアンに、問いかける。彼はスポーツタイプのごつい腕時計を見て、十一時三分前、と回答した。
地下道路の入り口に到達してから、思ったより時間が経っている。
もうすぐ、今日が終わると思うと不思議だった。
リアンはバックパックから携帯端末を取り出して、なにか操作をしている。液晶を指でタップしていたと思ったら、耳に押し当てた。
電波の状況が悪いのか、彼はうろうろと歩き回る。ややあって、彼は名乗り、何かを英語で話しはじめた。
仕事で多少英語を使う機会はあるものの、ネイティブに近い発音で早口に、そして独特の言い回しで話されると、理解するのでやっとだ。
どうやら、彼は所属を言った後、現在地に救助を送ってもらうように交渉しているようだ。……口論してるように聞こえるのは、私の気の所為?
話し終えるとリアンは舌打ちして、端末を腰のホルダーにしまった。もう電波がつながるから、すぐに出られるようにするということだろうか。
「救急車を呼んでもらおうと思ったんだが、今はほとんど出払っているらしい。かわりに、近くを哨戒している車を回すといっていた」
彼は大きく息を吐くと、諦めたように私の隣に腰を下ろした。光の加減か、その横顔は疲れて見えた。……やっぱり、緊張や疲労はあるだろう、彼がいくら訓練を受けたスペシャリストだとしても。
「出払っているって、なんで? もとからそんなに救急車がないの?」
「……いや、そんなことはないだろうが」
嫌な予感がする。そう思いながらも、口にすると嫌な現実を思い知らされそうで、私は黙って痛みが引くのと、その救助が来るのを待っていた。
十分ほどして、向こうから、煌々とヘッドライトを焚いた車が一台向かってきた。一目で軍用とわかる、サンドカラーのジープだ。
リアンが立ち上がり手を上げると、車は減速して私たちの近くに停車した。
エンジンを焚いたまま、後部座席のドアが開き、背の高い女性兵士が降りてきた。手には自動小銃を持ち、少しえらの張った意志の強そうな顔を厳しく引き締めている。背筋をぴんと伸ばした彼女は、迷彩柄の服を着込み、長靴を履いている。年齢は三十代前半だろうか。化粧気がない肌は日に焼けている。
リアンと向かい合うと、彼女は素早く手を額にあてて敬礼した。リアンも同時に敬礼する。
そして、相好を崩しハイタッチをした。
「よかった、無事だったのね柏田! あなたの班が潰走したと聞いて、心配していたの」
「心配かけたな。この通り、なんとか五体満足だ」
彼女は笑顔になるととたんに人懐っこい印象になった。
「ミシカ、彼女は俺と同じ勝田基地に配属されている、陸軍の楢原みゆきだ。楢原、彼女は磯波美鹿」
「よろしく、磯波さん」
差し出された手を、反射的に握り返す。私より一回り大きな手は、女性とはいえ節がしっかりして、鍛えられている印象だ。
「助けに来てくれて、ありがとうございます」
「四十分前くらいに、地下道の非常口に誰かが入ったって、管理会社から警察に連絡があったのよ。それで、ちょうど哨戒していた私たちがこっちに向かったってわけ」
彼女に助けられて、私は立ち上がる。
「ちょっと待ってて、今、後部座席の空きを作るから」
そういって、彼女とリアンは二人で車のほうへ歩いていく。
リアンが彼女に何かを話すと、楢原の表情はさっと硬くなった。どうしたのだろうか。
車の中を覗き込み、リアンは他の兵士と話したりしているようだった。楢原が、後部座席から取り出したライフルやら弾薬の箱やらを、助手席に乗る人に渡しているのが見えた。
やがて、楢原に手招きされて、私は後部座席のドアまで行く。
中には、楢原のほかに、運転手と助手席に、三十代後半くらいの男性がひとりずつ座っていた。彼らは私を見ると、口々に生還をほめてくれた。助手席の男性とは握手までする。
左側のドアに近い順から、リアン、楢原、私の順番で腰をかける。あまり座り心地のよいシートとはいえないけれど、贅沢は言っていられない。
ドアが閉まると、車はゆっくり走り出した。
助手席の人と、窓際に座ったリアンは、自動小銃を持ち、窓を半開きにして外を油断なく見ている。
「席順、楢原さんがこっちのほうが良かったんじゃないですか?」
そういうと、楢原はにっと笑って首を振った。
「いいのよ。病院までは十五分くらい。少し眠っていて」
「ありがとうございます」
これは、推測でしかないけれど、さきほど、リアンは楢原に、私が塩野にされたことを伝えたんだろう。だから、わざわざ、楢原が隣に座ってくれた。気遣ってくれたのだ。
本来だったら、彼女が窓際に座って、リアンたちと同じように、警戒するに違いない。
なんだか申し訳ないな、と思うのと同時に、少しさびしかった。
せっかく、ようやく外に出られたのだから、もうちょっとリアンとそのことを喜びたいと思っていた自分がいる。
この尋常じゃない段数の階段を上るのかと思うと、眩暈がした。
どう見ても、百段じゃきかない。
18、
「大丈夫か」
リアンが軽く息を弾ませながら、振り返る。残念ながら、私はその十段も下の段を、ぜえはあ言いながら上っているところだ。
金属製の階段はスニーカーのゴム底とこすれ、きゅっきゅっと高い音をたてる。蹴込に板がない、ストリップ階段で、隙間からのぞく下の様子が恐ろしい。落ちることはないとわかっていても、高さがあると、どうしてもそわそわしてしまう。
肩で息をしながら一段一段上り続けた。
とはいっても、まだ五十段に達しないのではないだろうか。
普段からそんなに運動していないから、運動不足がひとつの原因だとは思う。それにしても息苦しい。運動のせいか、それとも時間的に痛み止めが切れたのか、腕が疼痛を訴え始めていた。
額の汗を拭う。
階段を下りて戻ってきたリアンが、バックパックの肩紐を調節して長く伸ばした。そして私に背を向けて跪いた。
「負ぶされ」
「いや、大丈夫だから」
「そうは見えない。遠慮するな」
そう言われても、羞恥心というものがある。彼も疲れてしまうではないか。
リアンは私の心を見透かしたように、言った。
「この先、保護してもらうまで、君は自力で歩かなければいけないときがあるだろう。そのときがきたら、嫌でも歩くしかない。それまでなら、大して俺の負担にはならない。なに、怪我の手当てをするときに一度抱き上げているし、訓練では男を担いで走るんだ。心配には及ばない」
重いとも軽いとも言われないのが妙に納得である。それにここで粘って時間を浪費する方が、愚かというもの。彼の言葉に甘えることにした。
ショットガンを持って、リアンの背に乗る。
危なげなく立ち上がり、彼はさっさと階段を上りだした。バックパックは、私のお尻の下で負ぶい紐のようになっている。なるほど、こうして使うのかと感心する。
広い背中。リアンの動作に合わせて、筋肉が動いているのがわかる。そして、暖かい。汗のにおいと、彼の整髪料の微かな香りがする。右耳の後ろに、小さなほくろを見つけた。
「ありがとう。実はちょっと腕が痛むの」
「少し我慢できるか。あとで、痛み止めを投与する」
これだけの運動をしているのに、彼はしゃべる余裕があるようだ。リズミカルに残りの階段を上り続ける。
「軍では、こんな訓練もするの」
「怪我人の運搬ももちろん訓練する。肩に担いで走ることもある。装備がもっと重いのが通常だし、足場ももっと悪く設定されることもある」
「大変そう」
「大変だ。逃げ出す奴の気持ちもわかる」
軍には、女性もいると聞く。彼女たちもそんなハードなことをしているのだろうか。そう思うと、そこで訓練を受けているだけで、とても超人的なイメージになる。私は運動が得意ではないからだ。完全に内勤だし。
エンジニアとして、職場ではいろいろな人とかかわりがある。だけど、こんなことがなければ、リアンとは一生会うこともなかっただろう。まったく関わる要素もない。
「そういえば、あなたはどこの基地にいたの?」
「勝田基地だ。――ああ、勝田というのは古い名前で、今はひたちなか市となる。駅名は残っているが。昔、軍需工場があった場所だ。第二次大戦のときは、空襲の標的にもなった」
「そうなんだ、行ったことないな……」
聞いてもぴんとこない。
「夏には花火大会をやるんだ。今度、見に来たらどうだ」
「土地勘ないから、案内してくれる?」
「ああ」
そんな日がきたらいい。それにはこのわけのわからない状態から脱出しないといけない。
話をしているうちにも、どんどん腕の痛みは強くなってくる。
変な汗が出てきた。
「あと少しだ、ミシカ」
顔を上げると、少し先のほうに出口があった。入り口と同じそっけない金属のドア。
私はそのドアの前のスペースで、彼の背から降りた。ちょっとだけ眩暈を感じたが、なんとか歩けそうだ。
リアンが装備を整え、油断なく拳銃を構えて、ドアを開ける。
冷えた夜風が一気に吹き込んできて、私の髪を巻き上げた。
夜空が見える。続いて街並み。街灯がたくさんあり、明るい道。
ドアは、立体交差点の架橋の下にあったようだ。フェンスで囲まれた狭い草地がある。
広い片側三車線の道路が続いており、その先には、大型の店舗が軒を連ねている。地方でよくある、広い駐車場を持った店だ。時間のせいか、人口のせいか、駐車場や道に車や人の影はほとんどない。
「大丈夫そうだな」
「うん……」
ほっとしたら、とたんに具合が悪くなってきた。腕の痛みが耐え難くなり、顔を顰める。それに気付いたリアンが荷物を降ろし、私に座るよう促してきた。
「まず、痛み止めを打つ。俺は救助を要請してくるから、その間、休んでいろ」
彼は手早く注射器を取り出して、小瓶に入った薬をシリンダーに吸引すると、私の腕に針を刺した。
私はゆっくりと自分の体内に薬が取り込まれていくのを眺める。
冷えた風が、さわさわと草を揺らす。
なんだか、信じられない気分だ。病院にいたときはまったく想像もできなかった学園都市の外の世界は、想像よりずっと穏やかだ。
むしろ。穏やかすぎて不安になる。田舎だから? でも、こんなに閑散としているものだろうか。
「今、何時かわかる?」
私の腕にガーゼとテープを貼ったリアンに、問いかける。彼はスポーツタイプのごつい腕時計を見て、十一時三分前、と回答した。
地下道路の入り口に到達してから、思ったより時間が経っている。
もうすぐ、今日が終わると思うと不思議だった。
リアンはバックパックから携帯端末を取り出して、なにか操作をしている。液晶を指でタップしていたと思ったら、耳に押し当てた。
電波の状況が悪いのか、彼はうろうろと歩き回る。ややあって、彼は名乗り、何かを英語で話しはじめた。
仕事で多少英語を使う機会はあるものの、ネイティブに近い発音で早口に、そして独特の言い回しで話されると、理解するのでやっとだ。
どうやら、彼は所属を言った後、現在地に救助を送ってもらうように交渉しているようだ。……口論してるように聞こえるのは、私の気の所為?
話し終えるとリアンは舌打ちして、端末を腰のホルダーにしまった。もう電波がつながるから、すぐに出られるようにするということだろうか。
「救急車を呼んでもらおうと思ったんだが、今はほとんど出払っているらしい。かわりに、近くを哨戒している車を回すといっていた」
彼は大きく息を吐くと、諦めたように私の隣に腰を下ろした。光の加減か、その横顔は疲れて見えた。……やっぱり、緊張や疲労はあるだろう、彼がいくら訓練を受けたスペシャリストだとしても。
「出払っているって、なんで? もとからそんなに救急車がないの?」
「……いや、そんなことはないだろうが」
嫌な予感がする。そう思いながらも、口にすると嫌な現実を思い知らされそうで、私は黙って痛みが引くのと、その救助が来るのを待っていた。
十分ほどして、向こうから、煌々とヘッドライトを焚いた車が一台向かってきた。一目で軍用とわかる、サンドカラーのジープだ。
リアンが立ち上がり手を上げると、車は減速して私たちの近くに停車した。
エンジンを焚いたまま、後部座席のドアが開き、背の高い女性兵士が降りてきた。手には自動小銃を持ち、少しえらの張った意志の強そうな顔を厳しく引き締めている。背筋をぴんと伸ばした彼女は、迷彩柄の服を着込み、長靴を履いている。年齢は三十代前半だろうか。化粧気がない肌は日に焼けている。
リアンと向かい合うと、彼女は素早く手を額にあてて敬礼した。リアンも同時に敬礼する。
そして、相好を崩しハイタッチをした。
「よかった、無事だったのね柏田! あなたの班が潰走したと聞いて、心配していたの」
「心配かけたな。この通り、なんとか五体満足だ」
彼女は笑顔になるととたんに人懐っこい印象になった。
「ミシカ、彼女は俺と同じ勝田基地に配属されている、陸軍の楢原みゆきだ。楢原、彼女は磯波美鹿」
「よろしく、磯波さん」
差し出された手を、反射的に握り返す。私より一回り大きな手は、女性とはいえ節がしっかりして、鍛えられている印象だ。
「助けに来てくれて、ありがとうございます」
「四十分前くらいに、地下道の非常口に誰かが入ったって、管理会社から警察に連絡があったのよ。それで、ちょうど哨戒していた私たちがこっちに向かったってわけ」
彼女に助けられて、私は立ち上がる。
「ちょっと待ってて、今、後部座席の空きを作るから」
そういって、彼女とリアンは二人で車のほうへ歩いていく。
リアンが彼女に何かを話すと、楢原の表情はさっと硬くなった。どうしたのだろうか。
車の中を覗き込み、リアンは他の兵士と話したりしているようだった。楢原が、後部座席から取り出したライフルやら弾薬の箱やらを、助手席に乗る人に渡しているのが見えた。
やがて、楢原に手招きされて、私は後部座席のドアまで行く。
中には、楢原のほかに、運転手と助手席に、三十代後半くらいの男性がひとりずつ座っていた。彼らは私を見ると、口々に生還をほめてくれた。助手席の男性とは握手までする。
左側のドアに近い順から、リアン、楢原、私の順番で腰をかける。あまり座り心地のよいシートとはいえないけれど、贅沢は言っていられない。
ドアが閉まると、車はゆっくり走り出した。
助手席の人と、窓際に座ったリアンは、自動小銃を持ち、窓を半開きにして外を油断なく見ている。
「席順、楢原さんがこっちのほうが良かったんじゃないですか?」
そういうと、楢原はにっと笑って首を振った。
「いいのよ。病院までは十五分くらい。少し眠っていて」
「ありがとうございます」
これは、推測でしかないけれど、さきほど、リアンは楢原に、私が塩野にされたことを伝えたんだろう。だから、わざわざ、楢原が隣に座ってくれた。気遣ってくれたのだ。
本来だったら、彼女が窓際に座って、リアンたちと同じように、警戒するに違いない。
なんだか申し訳ないな、と思うのと同時に、少しさびしかった。
せっかく、ようやく外に出られたのだから、もうちょっとリアンとそのことを喜びたいと思っていた自分がいる。
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