【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

15

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 どっと床に塩野の身体が落ちた。受け身も取らず頭から。彼が撃てなかった銃が、転がった。
 素早く駆け寄った柏田が、再び塩野に銃を向けるが、動かないとわかるとそれを体側に降ろした。忌々しそうに床を蹴る。きつく寄せた眉根に、彼の苦悩が見えた。


15、

「ありがとう」

 彼は処置室のキャビネットから、清潔そうな布を見つけてきて、私の顔を拭ってくれた。髪の毛も丁寧に拭いてくれる。わざわざ貴重な飲み水を使って。

「これ、飲むやつでしょう?」
「本当はしっかり流したいだろうが、すまない、水道水は感染の可能性があるから、使えない」
「感染?」
「ウイルスだ。学園都市は最新のシステムを使用して、海水を淡水化し、飲用水に回していた。試験的にここだけ、周囲の水戸市街とは別の給水設備を使用している。そこに、テロリストにウイルスを混入されたんだと推測されている」
「ちょっと待って、これはテロ事件なの?」

 柏田は、私の右腕の怪我の確認をする。腕を吊っていた三角巾をとると、巻かれていた包帯に血がにじんでいた。彼は舌打ちして包帯を解く。縫合してもらった前腕の裂傷が、再び出血していた。

「ああ、俺が最後に得た情報ではそうなっていた。その時点では、断定されておらず、情報も統制されていたが。今では、もう、公表されているんじゃないか」

 だからさっき、ジャミングだなんて、物騒な言葉がでてきたのか。

 テロなんて言葉、ニュースなどで目にするしかなくて、あまり実感がない。エピデミックと聞いていたけれど、事故かなにかが原因だと思っていた。
 そもそも、この学園都市を狙って、何になるっていうんだろう。

「ただのエピデミックじゃなかったんだ」
「最初の報道は原因不明のエピデミックだった。俺は軍属だから、情報を得ただけだ」

 ちょっと痛むぞ、と前置きをした上で、彼は救急キットから取り出した布を患部に当てた。鎮痛剤のおかげか、耐えられないほどではない。布は止血剤を含んでいるものらしい。
 手当を受けながら、部屋の隅に安置された塩野を見る。リネンを上から掛けられた彼は、もう動かない。
 私は目を伏せた。
「そんな情報、私に教えていいの」
「そうだな。……現状把握できた方が、君の不安を緩和できるかと思っただけだ」

 不安。こんな目にあって、不安にならない方がおかしい。……泣き叫ぶような気分にはならないし、今はただただ疲れたと感じるけれど。
 柏田なりの気遣いはありがたかった。

 止血と縫合が済み包帯を巻かれ、添え木の代わりのプラスチックごと固定された。

「車の調達は無事完了した、地下に停めてある。歩けそうか」
「大丈夫」

 手助けされながら立ち上がり、きちんと閉まらなくなってしまった半開きのドアを出る。最後に一度だけ、塩野を振り返った。かける言葉はなかった。



 地下駐車場に置かれていた車は、黒いバンだった。柏田が運転席に、私が助手席に乗り込む。左ハンドル車だ。彼が鍵を回すと、エンジンがかかる。エンジン音からするとハイブリット車ではないようだ。
 車はゆっくり走り出す。狙われる危険を回避するためか、柏田はライトをつけなかった。宵闇が満ちた霧雨の道路は、かなり見通しが悪い。

 街灯でわずかに照らされた道を車は低速で進んで行く。窓の外を見ていて気付いたのは、道路標示が右車線に英語で書かれていること。本当に、ここはアメリカ領なのか。
 歩道に、何体か遺体らしきものの影を見たが、動くもの――感染者もしくは遭難者――は見当たらない。

「痛むか」
「……少し」

 柏田は前に視線を向けたまま、静かに問う。
「このまま、水戸駅直通の地下道を行こう。それでいいか」
 異論はない。ええ、と頷く。
「この車はどこで調達したの? バールは必要なかったみたいだけれど」
「運転手が運転席で死んでいるのを見つけた。鍵も刺さったままだったから、幸運だった」
 言われて、運転席をよくよく見てみると、グレーのシートがまだらに色濃くなっているようだ。
「運転手は、不幸だったわね」
 不謹慎なジョークに、彼は軽く笑った。こんなことで笑う人ではないと思っていたので、少し驚いた。

「……すまないな」

 急に謝られたので、私はぽかんと柏田を見た。彼は、相変わらず前だけを見ている。

「俺の判断ミスだ。塩野が追いつめられているのは分かっていたが、二人きりになれば、君に謝罪し少しは緊張の緩和が計れると思った」

 柏田が処置室を出て行くとき、塩野に掛けた言葉は、「謝れ」だったのかもしれない。
 雨粒を払うフロントガラスのワイパーの、規則正しい音が車内に響く。

「二人きりにするんじゃなかった」

 私は、腫れてしまった頬を押さえる。あちこち殴られて、今の顔は見られたもんじゃないだろう。
「こういう結末になるなんて、知らなかったんだし仕方ない。私だって、まさか彼があんなに――私をレイプして殺そうだなんてことを思いつくほど追いつめられていたとは思わなかったし、彼だって、知ってたら私を撃ったりしなかった。不運だった、みんな」
「……冷静すぎないか、君は」

 そういう彼も冷静な人だとは思う。それでも、ドアを破壊して飛び込んできたときの、吠えたとしか表現のしようのない声は、怒りの感情がむき出しだった。

「色々ありすぎて、麻痺しているのかもしれない。前に、別な人にタフだって言われたけれど、鈍いだけかも」
 笑ってみたけれど、柏田は笑いもせず、こちらを見もしない。私の乾いた笑い声だけが上滑りして消えた。

「タフだからといって、無敵じゃない。傷つくだろう」
 不意に、彼の右手が私の頭を優しくなでた。軽く。本当に軽く。触れるのをためらっているような手つきで。今の私に、男である自分が触れていいのかとでも思っているのだろうか。
 胸が詰まった。いたたまれなくて。

「彼は、追いつめられておかしくなったんだと思う。自分で自分を追い込んでしまって。相当、辛かったと思う。繊細だったんでしょう。でも――自分でもどうかと思うけれど、……うらやましいと思った」
「うらやましい?」
「だって、私だって、何度も何度も何度も何度も痛くて怖い思いしたのに、残念、生き残ってる。しかも、わりと、正気」

 車が停止した。
 私は、柏田の方を見られない。
 限界だった。彼が優しくするからいけない。涙が浮いてきて、顔を動かそうものなら目からこぼれそうだった。

 だって、こんな理不尽、酷すぎる。自分の知らない場所で、理由もわからず殴られて撃たれて殺されて、あげくの果てに、無理矢理犯されて。それでもやり直せと強制的に振り出しに戻るだなんて。
 なんの罰だ、この地獄は。私が、何をしたの。
 膝の上の手を強く握りしめて、叫びだしたい気持ちをこらえる。

 しぃっ、とまるで子供にするみたいに耳元で囁かれ、太い腕に抱き込まれる。優しい力で。
 反射的に身体を強張らせる。けれど、何度も背中をなでられると、力が抜けていった。柏田の汗のにおいがする。いい匂いとはいかないけれど……なぜかとても安心した。

「生き残ったことを、残念だなんていうな。ここを出ればきっと、いい日が君を待ってる」
 こんなところで停まっていたら危ない。早く進まないと。
 言わなければ言わなければと思うのに、嗚咽を止められない。
 私は、彼に縋り付くようにして、泣いた。
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