【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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 防弾ベストはライフルには効果が薄いのか。柏田の横腹を貫通した弾は、そのまま塩野を貫いたらしい。
 蹲っている塩野の横を、そのまま通り過ぎ、柏田の前に跪いた。
 彼は痛みに顔を歪めながらも、何かを伝えようと私に向け手を伸ばしている。


9、

 これが死相か。真っ青な顔をした柏田は、騒ぎもせず、出血している腹部を自分で圧迫して、壁を背に座っている。
 彼はそれでも、私に自分の銃を差し出した。

「俺は、柏田という。出会ってそうそうで済まないが、彼を連れ、地下から外へ脱出してくれ。屋上は出られない。狙撃される」
「受け取れない。手当するから、あなたも一緒に」

 カットソーの袖を破り、柏田の傷口を押さえようとしたのに、手を掴まれ止められた。
 息が苦しいのか、痛いのか。彼は喘ぐように言葉を紡いだ。

「無用だ。……俺の装備も持って行け。外へ出たら、正面のビルの死角を進むんだ。狙撃手はあのビルにいる。それから、救急キットを……」

 咳き込んだ、と思ったら、ふっと彼は息を吐いて、……そのまま口を開かなくなった。
 私の手を掴んでいた大きな手が、力を失って床に落ちる。

「柏田君! 柏田君……!」

 這いずって寄ってきた塩野が、虚空を見つめるだけの柏田の肩を揺さぶったけれど、返事はなかった。
 塩野が唸る。泣きそうな声だった。

「ごめん、……」

 そう言ったきり、彼は唇を噛んで黙ってしまう。

 ――私がもっと早く二人に合流していれば。また同じ場所で、知り合いを失うなんて。彼らからしたら、たった今顔を合わせたばかりの、よく知らない相手だろうけれど、私からしたら、このわけのわからない世界で出会ったようやく話のできる相手だったのだ。しかも、何度か助けられている。

 そういえば、柏田に名乗りもしなかった、私。

「――手当をしないと」

 私は柏田のバックパックから救急キットを取り出して、塩野の脚を確認した。スラックスに穴があいている。太ももの肉が抉れている。この位置なら異物が体内に残る不安はなさそう。

 まずは中に入っていた三角巾で彼の太ももを縛った。付け根に近いところだ。腕や脚を怪我したときは止血が必要だって、自動車免許をとったときの講習で習った気がする。こんなことなら、もっとまじめにやっておくんだった。

 次に、鋏でスラックスを切って、患部を露出させた。出血の量は多いのか少ないのかよくわからないが……ドラマで見るみたいに、脈拍に合わせてどくどく出血するようなことはない。ガーゼで血を拭い、傷口を塞いだ。テープでずれないようにして、その上から包帯を巻き付ける。包帯に関して言えば、昔、部活で何度か使用したことがあるから、なんとか巻けた。

 包帯を巻いたり圧迫するとき、塩野は顔をしかめて、痛みをこらえていた。失血のせいか、ショックのせいか、青白い顔をしているけれど意識ははっきりしている。

「これで、大丈夫だと思う。こういうときって、抗生物質を飲んだりした方がいいんだと思うんだけど」
「病院内にあるかな……、ありがとう、ええと……」
「磯波美鹿。よろしく」
「よ、よろしく。僕はって、ちょ、ちょっと、ちょっとタンマ!」

 塩野が両手を上にして座ったまま後ずさる。私がバールを振り上げたからだ。
 恐怖にひきつった顔の塩野の頭上目掛けて、バールを振り下ろした。
 鈍い音とともに男の頭がかち割れる。塩野の背後、屋上への扉の向こうからこちらに飛びかかろうとしていた男の頭が。
 白目を剥いて昏倒した男の姿を見て、塩野がぽかんとする。

「大丈夫?」
「いや、その、大丈夫だけど……」

 身じろいだ彼の胸ポケットから、名刺入れがぽろりと落ちた。彼はそれを震える指で取りあげると、中から一枚名刺を取り出して、私に差し出した。

「その、……僕こういうものです。よろしくね」

 何度目かわからないこのシチュエーション。笑う気にはならなかったけれど、……彼は救えたのかもしれないと思うと、少しだけ、肩の力が抜けた。



 柏田の薄い緑の目を閉じてやって、私たちはその場を離れた。彼の装備をはぎ取るのは気が引けるが、遠慮している場合ではないし、仕方がない。武器類は分けて持ち、救急キットと防弾ベストは塩野が身に付けた。
 手当の間、塩野は、自分たちが午後四時にこの屋上で救助される予定だったことを教えてくれた。私はそれを知らなかったふりをした。

「彼は、地下から外へって言っていたから、駐車場から外へ出る方がいいかも」
「救助が屋上のヘリポートに来ることになっていたんだ。だから……僕が先走ってしまって、彼は撃たれた」
「狙撃されちゃうんじゃ、どうせ屋上からは出られないよ。外へ出て、別な方法で救助を要請しないと」

 しゅんとした塩野の言葉を無視する形でそう言うと、彼は寂しそうに笑った。

「君はタフだね。ごめん、出会ってすぐにこんな世話かけちゃって」
「怪我してるんだもの、仕方がないよ。それにタフでもない」

 タフだなんて。前回まで人に暴力を振るったこともなかった。でも、そうしなければ死ぬ――またやり直しだと、またあの苦しみを味わうのだと思うと、恐怖心や躊躇はどこかへ飛んで行ってしまうだけ。後味の悪さは、未だ慣れない。

「さあ、乗って」

 エレベーターに乗って地下へ向かう。

 塩野がおずおずと口を開いた。
「……これは提案なんだけれど、狙撃されずに外へ出るとしたら、夜の方がいいんじゃないかな。夜だったら、視界が悪い」

 視界が悪くなるのは、私たちも一緒だとしても、狙撃は避けられるかもしれない。
 私はその提案に頷いた。塩野は手首の腕時計を確認する。

「今、三時四十分。日が暮れるまでまだ時間があるから、どこかで休憩して行かないかな。一応、水と、ちょっとした食べものならあるから」
「うん、わかった」

 エレベーターが地下駐車場に到着したので、私は柏田の銃を構え、先にドアから出た。
 広い駐車場は、病院のフロアよりも面積があるように見えた。カビ臭い、湿った空気が滞留していて、気分が悪い。
 駐車場には、見渡す限り、三台しか車はない。
 セダンが二台とワンボックスカーが一台。
 人影はない。僅かな車影と柱以外の遮蔽物もない。

「多分、大丈夫よ」

 声をかけると、塩野がエレベーターから降りてきた。

「あの車の中で休もう」

 一番広そうなワンボックスカーに近寄る。

「これ、どうやって中に入るの?」

 当然、鍵は閉まっていてドアは開かない。よく見れば、シルバーの車体にはところどころサビが浮いた。乗り捨てられたのか。

「これの出番じゃないかな」

 そういって、塩野は私が持ってきたバールを掲げた。……なんておあつらえ向き。
 怪我人の彼がバールを振ろうとしたので、私が代わりに運転席の窓を割って、鍵を開けた。車のドアガラスは、割ると粉々になるって聞いていた。実践してみると本当だった。クリスタルみたいな破片がばらばらと散らばる。

「どんどん、モラルのしきい値が下がって行く気がする」
「……そうだね」

 苦々しく同意した塩野は、痛みに顔を顰めながら、後部座席に腰を下ろした。
 私は念のため、ダッシュボードとトランクに使えるものがないか確認した。使えそうなのは、発炎筒くらい。それさえも使用期限が切れている。とりあえず、荷物にその発炎筒を入れておく。

「ミシカちゃん食べる? 半分こだけど」

 塩野が差し出したのは、チョコレート味の携帯食。受け取って、彼の隣の席に腰を下ろす。さらに水の入ったペットボトルを彼は渡してくれた。お腹は減っていないけれど食べておいた方がいいだろうし、叫んだり走ったりしたせいで、喉は乾ききっている。
 私はちょっとの食事を済ませて、水を飲んだ。ぬるい水が体中に染み渡るような気がした。
 ふと見ると、隣でじっと塩野がこちらを見ている。

「痛む? たしか、痛み止めがあるはず」
「いや、大丈夫。眠くなったりしたら大変だから」

 痛いはずなのに、彼は救急セットを開こうとしなかった。緊張のせいで痛みがとんでいるのかしら。

「少しなら寝てもいいんじゃない。まだ時間はあるはずだし」
「そうかな……。もう、救助の人たち来たかな」

 ヘリポートにというからには、ヘリコプターで来るのかと思う。地下にいるとそのエンジン音なんかも一切聞こえない。塩野の時計を見せてもらうと、今は午後四時十五分。私たちは救助され損なったのだろう。

「ミシカちゃんは、どうしてこの病院へ?」
「逃げ込んだの。避難が間に合わなくて、そしたら、あなたたちに出会った。ここへは……」

 少し考えて、適当な理由をでっち上げた。

「出張で来たの」
「僕もだよ。僕も出張でここへきて、逃げ遅れたんだ」

 塩野はジャケットを脱いで、ネクタイを外す。汗の匂いに混じって、彼の香水のわずかな匂いが鼻をくすぐった。

「まさか、こんなことになるなんて知っていたら、海産物につられて、南東北に出張なんかしなかったのに」
「海の幸は堪能できたの」

 冗談めかして言うと、彼は肩を竦めてため息をついた。

「出張初日にこの騒動だからね。残念ながら」
「ついてない」
「そう、ついてない」
「……その、柏田さんとはどうやって知り合ったの」

 故人のことを問うのはなかなか勇気がいった。塩野は遠い目をして、話し始める。

「ほら、初日に逃げ遅れた人は三カ所に集合して、救助するって言うアナウンスがあったでしょう」

 私はもちろん、そんな話は知らない。曖昧にうなずいて済ませる。

「あのとき、僕が集合した水戸駅行きバス停にさ、彼らが来てくれたんだ。バスでね。でも、感染者の大群が襲ってきて、バスを横転させた。しかも、あまりに人数が多かったものだから、身動きとれなくて、散り散りになったんだ。救難者と感染者が、どちらも多すぎた。何人も血を流して……たぶん死んだ。軍の人は発砲したし、感染者が手当たり次第やり放題だった。僕は、柏田君と他の数人と逃げた。柏田君が途中で上手く外部と連絡してくれて、それでこの病院の屋上で救助してもらうことになったんだ」

 他数人、の姿が見えないということは――そういうことなんだろう。
 辛そうに塩野は眉根を寄せている。彼は表情のせいか、普段は幼く見えていたんだと思う。こうしていると、育ちの良さそうな繊細そうな印象が強くなる。

「……僕たち、助かるかな」

 不安そうな呟きに、私は瞬きを返した。

「そうなるように、がんばってる」

 そう、何度も何度も、私はチャレンジしている。
 このわけのわからない病院を、現状を、打破しようと。
 ふと、手を温かいものが包んだ。塩野が、私の手を握っていた。男の人にしては指が長くて、爪がきれい。

「……なに?」
「ごめん、こんなのよくないって思うんだけれど、その……、俺、不安で。死ぬかもしれないって思ったら、たまらなくてさ」

 手が震えている。指先が少し冷たい。
 彼は私をじっと見つめている。その目には、熱があった。
 不安な気持ちはわかる。こんな状況になったら、普通の頭じゃやってられない。しかも、彼は何人も同じ状況だった人たちが死ぬ所を見ている。

 ふと、名刺を渡して来た彼の顔を思い出した。
 あれは彼なりの強がりで、本当は怖くて不安で仕方がなかったのかもしれない。でも、彼は私を助け、手を貸してくれたのだ。見ず知らずの私に。

「いいよ」

 こうすることで、彼が少しでも不安が解消されるなら。気休めかもしれないけれど。
 彼は目を見開いた。そして、私の手を握る手に力を込めた。

「……いいよ」

 狭い車内で、知らないにおいの男に抱きしめられて、私はつかの間、現実を忘れることにした。
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