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本編
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ターニングポイントは、1945年の第二次世界大戦の終結。その年、日本はアメリカに国旗を捧げ、49番目の州となった。現在、かつての日本軍は自衛軍と名前を変えた。指示系統はアメリカ軍の下にありながら個別の名を冠したのは、近隣諸国への示威と調和の両立のため。各地に基地を持ち、柏田はそこに所属している。
塩野が語るその話は、私の知っている日本史や現状とは乖離していた。
5、
「さて、そろそろ出発しよう」
塩野が手を叩いて立ち上がる。私も柏田も異論はなく、処置室のドアを出た。
処置室で休憩しながら、私は疑問に思っていたことを二人に尋ねてみた。私がウイルスに感染しているかもしれないというのに、塩野は嫌がるそぶりもなく、きちんと対応してくれる。もしかすると同情しているのかもしれないし、彼の楽観的な性格あるいはお人好しの性質がそうさせたのかもしれない。
私は、その質疑応答で、やはり、自分の知識と彼らの知っている歴史や現状が一致しないことを再確認した。
日本はアメリカの一州になったということ。公用語は日本語と英語になったこと。そのため銃規制が緩和されていて、自衛のための銃所持と使用は認められているということ。通貨は日本ドルだということ。
水戸市は現在、閉鎖されていて、自由な出入りはできないということ。被害の中心地であるこの学園都市にもまだ生存者が残っていることは確認できているが、派遣された自衛軍が何隊か壊滅しており、救助ははかどっていないということ。
そしていま、この市内は、発砲許可が降りているということ。
まるで、出来の悪いフィクションだ。もしもこれが夢だというのなら、すぐに目を覚まして現実に戻りたい。
セオリーどおりなら、自分が死ねば目が覚めるんじゃないかと思うけれど、それは期待できない。
もしかして、現実の私はすでに死んでいて、これは死後に延々と繰り返す夢なのではないか。もしくは、これがいわゆる地獄なのだといわれたら納得する。もしこれが夢なら覚めるまで耐えるし、これが現実でおかしいのは私の方だというのなら、それを治してもらいたい。
とにかく、私にできることは、この場を出ることだけ。
処置室を出て、私たちはロビーに貼ってある院内の案内図を確認した。
屋上へ行くには、エレベーターで上がればいいのだろう。問題は詳細が不明な七階だ。
「おそらく七階は、スタッフのみが出入りできるフロアなんだろうね。バックヤード的な」
「エレベーターで七階まで上がれればいいが」
「まずは行ってみようよ」
二人に付き従って、検査室の向こうを目指す。二つの検査室を通り過ぎた先に、クリーム色に塗られたエレベーターの金属のドアが見えた。
柏田がそのドアの横にある昇降のスイッチを押すと、その上に、階数が表示された。四階にあったエレベーターは徐々に降りてきている。
「よかった! 使えたんだね!」
「下がって」
喜ぶ塩野を腕で押しやって、柏田が銃を構えた。私にむかって。
私は銃と柏田の厳しい表情に身を竦ませたが、すぐに、銃口が自分に向けられたものじゃないと気付いた。
振り返る。見たことのある、小花柄のワンピースが目に飛び込んでくる。
カウンターの向こうに、地下で遭遇したあの少女が立っていた。相変わらず、髪の毛で彼女の表情は見えない。そして手には、鉈。
「動くな。……聞こえるか、動くな」
柏田の制止の声を無視して彼女はゆっくりとこちらに向かってくる。英語で柏田が制止の言葉をかけたけれど、結果は同じ。
「それ以上近寄れば、発砲する」
警告にも彼女の歩みは止まらない。
私は手のひらにじっとりと汗をかいていた。肩を掴まれ後ろに引かれる。緊張した面持ちの塩野が、私を自分の背後のエレベーターの方へと押しやる。彼も、腰のベルトから黒光りする拳銃を取り出した。自衛のための銃所持が許可されていると聞いていても、目にするとやはり驚く。
柏田が発砲した。乾いた破裂音が響く。私はびくりと肩を震わせ、一瞬目を瞑る。
銃弾は少女のつま先の一歩前に着弾していた。
それがあおりになったのかはわからない。だが、少女は身を低くしたと思うと、急に獣じみた低姿勢で這うように駆け出した。こちら目掛けて。
「ひっ」
悲鳴を上げた私の前で、柏田が冷静に狙いを定め――。
そのとき、ちん、と音がして、背後のエレベーターが到着を知らせた。
ああ、これに乗り込めば助かる。
ドアに飛びついた私の二の腕を掴んだものがあった。エレベーターから、無数の腕。まるで、抱擁をねだるようにこちらに伸ばされている。
「ミシカちゃんっ!」
手の視認と同時に、床に引きずり倒されていた。
振ってきたのは、容赦ない蹴り。背中に、肩に頭に、顔に。沢山の足が振ってくる。衝撃で目が回って、視界が赤く回転する。痛みはわかる。痛みだけがわかる。
すぐに、なにもわからなくなる。
痛みが引くのと同時に、視界は白くなっていった。
塩野が語るその話は、私の知っている日本史や現状とは乖離していた。
5、
「さて、そろそろ出発しよう」
塩野が手を叩いて立ち上がる。私も柏田も異論はなく、処置室のドアを出た。
処置室で休憩しながら、私は疑問に思っていたことを二人に尋ねてみた。私がウイルスに感染しているかもしれないというのに、塩野は嫌がるそぶりもなく、きちんと対応してくれる。もしかすると同情しているのかもしれないし、彼の楽観的な性格あるいはお人好しの性質がそうさせたのかもしれない。
私は、その質疑応答で、やはり、自分の知識と彼らの知っている歴史や現状が一致しないことを再確認した。
日本はアメリカの一州になったということ。公用語は日本語と英語になったこと。そのため銃規制が緩和されていて、自衛のための銃所持と使用は認められているということ。通貨は日本ドルだということ。
水戸市は現在、閉鎖されていて、自由な出入りはできないということ。被害の中心地であるこの学園都市にもまだ生存者が残っていることは確認できているが、派遣された自衛軍が何隊か壊滅しており、救助ははかどっていないということ。
そしていま、この市内は、発砲許可が降りているということ。
まるで、出来の悪いフィクションだ。もしもこれが夢だというのなら、すぐに目を覚まして現実に戻りたい。
セオリーどおりなら、自分が死ねば目が覚めるんじゃないかと思うけれど、それは期待できない。
もしかして、現実の私はすでに死んでいて、これは死後に延々と繰り返す夢なのではないか。もしくは、これがいわゆる地獄なのだといわれたら納得する。もしこれが夢なら覚めるまで耐えるし、これが現実でおかしいのは私の方だというのなら、それを治してもらいたい。
とにかく、私にできることは、この場を出ることだけ。
処置室を出て、私たちはロビーに貼ってある院内の案内図を確認した。
屋上へ行くには、エレベーターで上がればいいのだろう。問題は詳細が不明な七階だ。
「おそらく七階は、スタッフのみが出入りできるフロアなんだろうね。バックヤード的な」
「エレベーターで七階まで上がれればいいが」
「まずは行ってみようよ」
二人に付き従って、検査室の向こうを目指す。二つの検査室を通り過ぎた先に、クリーム色に塗られたエレベーターの金属のドアが見えた。
柏田がそのドアの横にある昇降のスイッチを押すと、その上に、階数が表示された。四階にあったエレベーターは徐々に降りてきている。
「よかった! 使えたんだね!」
「下がって」
喜ぶ塩野を腕で押しやって、柏田が銃を構えた。私にむかって。
私は銃と柏田の厳しい表情に身を竦ませたが、すぐに、銃口が自分に向けられたものじゃないと気付いた。
振り返る。見たことのある、小花柄のワンピースが目に飛び込んでくる。
カウンターの向こうに、地下で遭遇したあの少女が立っていた。相変わらず、髪の毛で彼女の表情は見えない。そして手には、鉈。
「動くな。……聞こえるか、動くな」
柏田の制止の声を無視して彼女はゆっくりとこちらに向かってくる。英語で柏田が制止の言葉をかけたけれど、結果は同じ。
「それ以上近寄れば、発砲する」
警告にも彼女の歩みは止まらない。
私は手のひらにじっとりと汗をかいていた。肩を掴まれ後ろに引かれる。緊張した面持ちの塩野が、私を自分の背後のエレベーターの方へと押しやる。彼も、腰のベルトから黒光りする拳銃を取り出した。自衛のための銃所持が許可されていると聞いていても、目にするとやはり驚く。
柏田が発砲した。乾いた破裂音が響く。私はびくりと肩を震わせ、一瞬目を瞑る。
銃弾は少女のつま先の一歩前に着弾していた。
それがあおりになったのかはわからない。だが、少女は身を低くしたと思うと、急に獣じみた低姿勢で這うように駆け出した。こちら目掛けて。
「ひっ」
悲鳴を上げた私の前で、柏田が冷静に狙いを定め――。
そのとき、ちん、と音がして、背後のエレベーターが到着を知らせた。
ああ、これに乗り込めば助かる。
ドアに飛びついた私の二の腕を掴んだものがあった。エレベーターから、無数の腕。まるで、抱擁をねだるようにこちらに伸ばされている。
「ミシカちゃんっ!」
手の視認と同時に、床に引きずり倒されていた。
振ってきたのは、容赦ない蹴り。背中に、肩に頭に、顔に。沢山の足が振ってくる。衝撃で目が回って、視界が赤く回転する。痛みはわかる。痛みだけがわかる。
すぐに、なにもわからなくなる。
痛みが引くのと同時に、視界は白くなっていった。
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