わたしの百物語

薊野ざわり

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その17

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 Wさんはティーンズファッション誌のモデルをしている。最近はずっと表紙を飾っている、いわゆる売れっ子で、UさんはそんなWさんのマネージャーだった。Wさんは容姿に優れているのはもちろん、撮影の時のポージングで、要求されたものをすぐに返せる子だった。
 
 一度気になって、UさんはWさんに尋ねたことがあった。ポージング、なにか特別なコツでもあるの、と。するとWさんは不思議な話をした。
 朝、顔を洗ってから鏡を見ると、そこに映った自分が次々とポーズを決めるのだという。それがどういうわけか、その日の撮影で求められるものに合致するのだとか。その現象はデビューしてからずっと続いているんだよ、と。
 
 Uさんは、変わった子だなあと思ったものの、深くは突っ込まなかった。この業界、目立ちたくて変なキャラクターを装う子もいるからだ。たとえば霊が見えるとか、UFOに遭遇したことがあるとかならまだわかるが、自分自身が宇宙人だとか、目薬を舐めるのが好きだとか、そういうことを言う子が。だから、Wさんもそういう子なんだと思ったのだ。歳をとってみたら、あとから恥ずかしくなるだろうなあ、などと年上ぶって考えたりもした。
 
 その日、めずらしくWさんが調子が出ずに、撮影が長引いた。指示通りのポーズが上手くできず、表情も冴えない。具合でも悪いのかと心配になったUさんが尋ねると、Wさんは「今日は鏡が、見せてくれなかったんだよね」といつかの設定を持ち出して、苦笑した。誰にでも不調はあるよ、と彼女を励まして、Wさんは打ち合わせのために別室に移動した。
 
 打ち合わせ中、にわかに外が騒がしくなり、Uさんが確認しに会議室を出たところ、泡を食って走ってきたスタッフが言った。Wさんが階段から落ちて、意識不明だと。
 結局、彼女はそのまま亡くなってしまった。



 お嫁さんは、ずっとそれが怖かった。お姑さんが、丁寧に丁寧に、日課のようにほじくりかえしているぬか床。いずれはお前が継ぐんだよと言われていたそれを、実は一度、開けたことがある。お姑さんが出かけているとき、お舅さんがどうしても漬物を食べたいと言ったからだ。普段は、まだお前には早いから、触ってはいけないよと言われているそれを、勝手に開けたなんてわかったら、あの性格のきついお姑さんのことだ、折檻されてしまうに違いない。
 
 お姑さんは、お舅さんと結婚する予定だった別の女の人を追い出して、妻になったということを、自ら笑い話にするような人だ。しかもその女の人は行方知らずになっていると聞く。その女の人はお姑さんとは友達だったらしいのだが、お舅さんのことで大喧嘩して、お舅さんが買ってあげた翡翠の指輪を返しもせずに出ていったそうなのだ。相手の人は、身ごもっていたのに、とお女中さんから聞いたことがある。お姑さんもお姑さんなら、お舅さんもお舅さんだと、お嫁さんは思っていた。できれば、あまり深く関わりたくないのだが――嫁入りした身ではそれはできまい。なるべく、お姑さんとは諍いなくいくしかない。

 だから、お嫁さんは、内緒にしておいた。その一度だけぬか床に手を突っ込んだとき、見てはいけないものを見たことを。ぬか床の底の方にあった、手ぬぐいでできた袋。その中に入っていた翡翠の指輪。大柄なお姑さんには大きさがあわないだろうと思われる、華奢な指輪が出てきたのだ。それから、干からびた大根のようなものも。
 
 あれは見なかったことにしなければ、ならない。間違えても、自分の指に嵌った金の指輪がそこに追加されないように。そして、食べないようにしなければならない。あのぬか床で漬けられたものは、一切。お舅さんが、漬物好きでよかった、皿に残しておくと、勝手にひょいっと横取りしてくれるから。



 Mさんは、三十四歳のとき、マンションを購入した。築二十年の中古で、リフォームは自分で業者を選んでやった。職場から乗り換えなし、二十分の駅、そこから徒歩七分。夜景も綺麗で、どうしても欲しかったのだ。リフォームが終わるなり、意気揚々と引っ越した。今日からここが私の城だぞ、と。
 
 リフォームのとき、一番お金をかけたのが、お風呂だった。今は趣味で入浴を楽しむ人のために、フットライトだったり、スチームだったりといろんな設備があるのだが、Mさんはその両方のオプションをつけた。お気に入りの入浴剤を投入して、フットライトだけに明かりをしぼり、一時間くらい、じっくり汗を流す。仕事の疲れを癒やすのに必要な時間だ。
 
 その日も、疲れて帰ってきたMさんは、夕食の前にお風呂に入ることにした。フットライトだけを点け、ヘッドレストに頭を置き、目をつぶって、アロマの香りのする入浴剤を楽しんでいた。絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえるまでは。
 悲鳴は、二度、三度と続き、どたどたという誰かが床の上で暴れているような――のたうち回っているような――音も聞こえてきた。そして、がたんごとんという、電車の音。
 ただごとじゃない、とMさんは風呂を飛び出し、警察に連絡した。お風呂の換気扇を伝って、どこか別の部屋で起きている事件の音が聞こえてきたのだと思ったからだ。
 
 警察が飛んできて、マンションの部屋のあちこちの様子を尋ねて行ったが、異常のある部屋はなかった。深夜に起こされて住民に苦情を言われる事もあったという。もしかすると、ただの夫婦喧嘩とか、子供がふざけていただけじゃないですかね、と若い警察官は困り顔で告げて帰っていった。勘違いで悪いことをしたなと思いながら、Mさんは、すっかり冷めてしまったお風呂を追い焚きして、浸かり直したのだった。
 
 翌朝、ニュースを見ていて、Mさんは昨夜のことを思い出した。隣駅のすぐそばで、女性が殺されたのだという。現場になったアパートは、線路のすぐそばだった。まさか、ただの偶然だと思う反面、もしかしてと思う気持ちもあった。
 
 しばらくして、また同じことが起きた。目をつぶって入浴剤のにおいをかいでいると、急に騒々しい音楽が流れてきたのだ。あちこちにある巨大ドラッグストアのテーマソングだと気付いたとき、けたたましい音がそれをかき消した。Mさんは身を硬くした。ガラスが割れるような音とと、女の人の悲鳴が重なる。男の人のうめき声もした。
 気分が悪くなってお風呂を出た。翌朝、隣の県のドラッグストアで、強盗が入り、男性が一人刺殺されたのだというニュースを見た。
 
 それからもちょくちょく、お風呂に入っている最中に、誰かの死に際の音が聞こえてくることがあった。Mさんは一度、お祓いをしてもらったが、効果はなく、今は防水のポータブルテレビを持ち込んで、ぼんやり見ることにしているのだという。フットライトの出番は、しばらくないとか。



 Jさんの友人に、不思議な能力を持っている子がいるそうだ。その子の能力は「金太郎飴を切ると、絶対に泣き顔になるという能力」だという。まったくなんの役にも立たないが、面白くはある。
 
 実際に、Jさんはその能力を見せてもらった。金太郎飴を買ってきて、まずはJさんが苦労して包丁で切った。多少歪みはあるが、まあ凛々しい金太郎の顔で切れた。味も問題なかった。

 次に友人に切ってもらった。すると、金太郎の目の部分がどろりと溶けたようになって、黒い涙を頬まで流した顔になったという。Jさんと友人が交互に切ると、Jさんが包丁を入れた面は凛々しい顔、友人が包丁を入れた面は泣き顔になる。何度やっても同じだった。
 これはある意味超能力なのではないかとJさんは思うのだが、友人は「やめてよ、こんな力、紹介されても恥ずかしいだけだし」と言って、他の人に話すのを拒むのだという。だから、この話は、内緒、なんだそうだ。



 事故の原因は、路面凍結によるスリップだった。ガードレールを突き破り、坂を転げ落ちた車の中で、Lさんは夫を失った。子供はなく、二人だけの家族だった。救助されたあと、病院で面会した義母の言葉が忘れられない。夫に向けての言葉だった。

「Lちゃんを守ったのね」

 木の枝がフロントガラスを突き破って、夫の首を貫通したのだ。ちょうどLさんの顔の前だった。あの回転する車の中で、狙って自分をかばうために動くことなんてできやしない。彼は不運にも木の枝が刺さってしまったのだと、Lさんの冷静な部分は結論付けるのだが、――義母の言葉には、傷ついた。まるで、自分が夫を殺したようじゃないか。もちろん、そんなつもりまったくなく、義母は言ったのだろうが。
 
 それからというもの、大変だった。車に乗りたくない。乗るとパニック状態になってしまう。しかし、田舎暮らしのLさんには、他に足になるものがない。外出が減り、家の中はごちゃごちゃになっていった。
 心配した義母が時折様子を見に来てくれるのだが、それも辛かった。彼女は夫によく似ている。
 
 食事も喉を通らず、眠れもせず。うとうとすると、夫のことを思い出してしまうのだ。
 Lさんは、いつしか「夫と一緒に死にたかった」と思うようになっていた。

 事故のときに廃車になったのは夫の車で、自分の車はしばらく出番がなく、車庫に眠っていた。部屋着のままその車に乗り込み、Lさんは運転席で、じっとしていた。車庫の中は暗い。パニックになるかと思ったが、不思議となにも起こらなかった。ただただ、涙が出た。乗り込んだときには、あの事故現場まで行って後を追うつもりだったのに、身動きもできなかった。
 
 あの日まで、夫と一緒にドライブに行くことが、週末の楽しみだったのに、どうしてこんな事になってしまったのだろう。そればかり考えてしまう。エンジンを掛けたはいいが、アクセルを踏む気にならなかった。暖房の設定をオフにしているから、指先がかじかむ。そのままぽろぽろ涙を流しながら、ハンドルに額を預け、夫と最後に交わした言葉を思い出していた。
 
「また来週もドライブに行きたいね」
 
 肩を叩かれた気がして、Lさんははっとした。顔を上げ、自分が車中で眠ってしまったことに気付いた。エンジンを掛けたまま。
 隣に、夫の存在を感じた気がしたが、当たり前のように、助手席は無人だった。だが、たしかに、さきほど、夫の気配があったのだ。そっと助手席のシートに触れると、ほんのり暖かかった。シートヒーターはついてない車で、車内の空気は震えるほど冷たいのに。
 
 Lさんは、車のエンジンを切って外へ出た。ドアミラーに、誰かの影が過った気がしたけれど、特定できなかった。そもそも、車庫には、Lさんしかいないはずだ。
 エンジンを庫内でふかしたまま眠ってしまった妻を心配して、夫が起こしてくれたのだろうか。
 
 それから、Lさんは以前ほど、義母の言葉に傷つくことがなくなった。夫が自分を守ってくれたのだと、心の何処かで納得したのかもしれない。
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