わたしの百物語

薊野ざわり

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その11

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 Fさんは海の近くで育ち、夏になると、毎日のように浜辺で遊んでいた。波打ち際に、黒々した海藻が打ち上げられていて、その太い茎を掴んで引っ張り、友達と遊ぶこともあった。
 ある日、いつもの友達といつもと同じようにウミウシをいじめたり、カニを捕まえたりした後、海藻を引っ張りあって綱引き遊びをしていた。
 ふと足元を見ると、黒い海藻の下にヒトデがいた。Fさんは宝物を見つけた気分でそのヒトデを掴んだが、ヒトデはぬるりと動き、逆にFさんの手を掴み返してきた。よくよく見れば、それは抜けるように白い人の手だった。
 
 Fさんは思わず悲鳴をあげたが、友人がそれを確認する前に、白い手は海藻のしたに引っ込んで、探してももう見つからなかった。
 


 Oさんはその日、日直だった。Rくんも同じく日直だったのだが、さぼっているのか、ゴミを捨てに行ったきり戻ってこない。まったく、これだから男子はと文句を言いながら、彼女は板書を消していた。夕日の差し込む教室には、他にだれもいない。作業が終わって黒板消しをクリーナーにかけようとしたとき、うっかり教壇につまずいて転んでしまった。そのはずみで眼鏡が飛んでいってしまい、Oさんは慌てた。もともと視力が弱かった彼女は、眼鏡がないと、日常生活に支障をきたすのだ。手で床を探りながら、まさしく、メガネメガネと言い、這う。

「はい」

 ぶっきらぼうな声がして、振り返ると、手につんと何かがあたった。握ってわかったのは、それが眼鏡のつるだということだ。

「ありがとう」

 Rくんにもいいところがあるじゃないか。さぼりは不問にしてやろうと思い、Oさんは眼鏡をかけた。
 そのとき、教室のドアが開いて、ゴミ箱とプリントの束を抱えたR君が入ってきた。

「酷いよあの先生。無理やり持たせるんだもん。廊下でばらまいちゃったよ」

 ぶつぶついいながら、教卓の上にプリントの束を置く。
 Oさんは教室を見回したが、他に人はいなかった。
 


 Xくんは、お父さんのビデオコレクションの棚で、ラベルなしのものを見付けてほくそ笑み、こっそり友達とそれを鑑賞することにした。そういうものに興味が出てくる年頃で、保護者にバレたら怒られることは承知だったが、好奇心は止められない。
 
 鍵っ子のXくんは仲のいい友達をひとり呼んで、お菓子やジュースを買い込んできて、リビングを薄暗くしてそのビデオをデッキに入れた。再生ボタンを押す瞬間、運悪く宅配便の配達が来てしまった――そういえば、お母さんから受け取っておいてと言われていたなと思い出し、億劫ながら対応した。部屋を出るとき、友達に「ビデオ、止めておいて」と言って。
 
 重たい荷物を苦労してキッチンに運んでリビングに戻ると、テレビ画面が砂嵐になり、ざあざあ音を立てていた。
 さ、気を取り直して見ようぜ、と言ったXくんを、友達は首を激しく横に振って、拒否した。
 
 これ、見ちゃいけないやつだぞ、と。
 
 どれだけ過激なものだったんだろうかと、好奇心をくすぐられたXくんだったが、真っ青になってぶるぶる震えている友達を見ていると、もしかしてとんでもなくまずいものだったのではないかと思い至り――見るのを止めた。
 友達はぐったりした様子で帰宅し、それから一週間ほど学校を休んだ。
 
 その後、どうしても中身を知りたい欲求に駆られたXくんが、お父さんのビデオコレクションの棚をもう一度探してみたが、あのラベルなしのビデオテープは見つからなかった。なお、友達に内容をたずねたところ、見たことどころか、その日Xくんの家に遊びに来たことすら記憶にないといったそうだ。


 
 セールでの戦利品を床に広げ、どんなコーディネートにしようかとわくわくしながら、Yさんはスマートフォンで写真を撮っていた。いざ着るときに使いやすいよう、あらかじめ何パターンかの組み合わせを決めて、写真に撮って保管しているのだ。これで仕事に行くときにマンネリ化しなくて済む。元から持っている服も引っ張り出して、ああでもないこうでもないとアクセサリーを増やしたりしながら、写真を撮っていた。この瞬間がたまらないのだ。

 ピンクと白の太いストライプに、金の箔押しがされたショップバックを引っくり返し、値札を切っていると、ふと、買った覚えのないミントブルーのワンピースが入っているのに気がついた。あれ、こんなのレジに持っていったかなあ。そう思いながら、レシートを見てみると、やはり購入した記憶はない。タグをみると紙袋と同じショップのものなのだ。もしかして、店員さんが間違って、別の人の買ったものも梱包しちゃったのかなあと思う。ちょっと悩んだが、これもラッキーかもしれないとYさんは店に連絡しないことにした。ワンピースは可愛いし、サイズもぴったりだったからだ。自分のワードローブとして扱って、他の戦利品と同じようにたくさん写真をとって、満足してクローゼットに吊るした。
 
 その晩、お風呂で湯船に浸かりながら、お肌のケアをしつつ、昼間撮った写真にタグ付けをしていたYさんは、ふと一枚の写真で指を止めた。あのミントブルーのワンピースに、白いカーディガンをあわせた写真だ。床置きしたワンピースは、裾に白い花の刺繍が入ったガーリーなものなのだが、なんだかその裾がふんわり盛り上がって、まるで誰かの脚が二本、その下に生えているかのように錯覚した。いや、脚だけではない。胸も首も、そこに透明な誰かが寝転んでいるかのように、立体的に見えた。目をこすってみたが、やはり写真は変わらない。
 
 Yさんは翌日、ショップに連絡して、ワンピースを返却したそうだ。袖を通す前でよかったと、胸をなでおろしたとか。
 


 高校の部活の新人歓迎会で、新入部員のUさんは中身当てクイズをやらされることになった。ダンボールの天面に穴を開け、挑戦者が手を入れてそこに何が入っているか当てるゲームだ。バラエティ番組でもおなじみのあれ。
 
 チャレンジするのはUさん含めて五人。Uさんは三番目だった。一番目の人は、濡れたスポンジだった。湿ってる! と大騒ぎして、先輩方の笑いを誘った。次の人は、そば殻枕の中身。結局正解にはたどり着かず時間がかかってしまったが、俺が蕎麦アレルギーだったら死んでますよ、と冗談めかして言って雰囲気を盛り上げた。
 
 Uさんはどきどきしながら穴に手を突っ込んだ。ダンボールは結構大きくて、肘より上までずっぽり入る。観客側はくり抜かれているので何が入っているか見えるのだが、観客席の他のメンバーの笑いへの期待に満ちた表情を見る限り――変なものの可能性を排除しきれなかった。頼むから生き物はやめてくれよ、昔から駄目なんだよ、と祈った。
 ところが、無情なるかな、指先に生暖かいものが触れた。弾力があり、ぺったりした感触。しかも、ぷるぷる震えている。
 
 悲鳴を上げたUさんの反応が面白かったのか、観客席は爆笑した。
 
「えっ、ちょ、生暖かいんですけど!」

 大げさにではなく、かなり動揺してしまった。本当はもう二度と手を突っ込みたくなかったが、先輩たちの手前、それは許されない。嫌々ながら、そろりと腕を差し入れる。中指の先から手首の付け根まで、手のひら側に、ぬるりとした温かいものが這った。そしてもわっとぬるい風が手の甲に当たる。
 
「うっわ、舐めた! 俺生き物だめなんすよ、マジ無理です、ギブ!」

 明るく言って、容赦してもらおうと思ったのだ。腕から首までびっしりと鳥肌が立ってしまったではないか。内心では、半泣きでそう毒づいていた。
 
「いや、Uお前まだ、触ってもないから。ビビりすぎだろ」

 笑いながらそう指摘した部長の言葉に、Uさんは目を瞬かせた。そんなはずはない。だって今まさに、中指と人差し指のまたの部分をねっとり、何かが這っているのに。
 
 Uさんはよろめいて、ダンボールごと転んでしまった。膝に震えがきたのだ。
 片面をくり抜かれたダンボールの中から、お皿に入った生卵が転がり出て、床でぐしゃりと黄身を潰した。
 
 先輩たちは、腰を抜かしたUさんを指さして笑った。その笑いがどこか遠く、Uさんはしばらく立ち上がれなかった。
 自分が最上学年になるまで、Uさんはずっとそのことでからかわれ続けることになった。
 


 Iさんは、夫が亡くなったのを機に、身の回りの整理を始めた。今はまだ健康で、自分のことは自分でできるが、いずれ誰かの手を借りるようになるだろうと考えたからだ。そして、引っ越しのはずみで無くしてしまったと思っていた品を発掘した。筒状のもの、中を覗くときらきらしたパーツが鏡に反射して、不思議な模様になってひろがる――万華鏡だ。
 
 その万華鏡は、とうに亡くなった父からもらったもので、宝物だった。戦争が激化し、疎開することになったIさんは、持っていける荷物が限られるなかでも、この万華鏡を手放さなかった。父がくれたものだからというのもあったが、それだけではない。
 
 そのころ、Iさんには想う人がいた。もし戦争がなければ、あの人と結婚していたのかもしれない。夫のことは愛しているが、そう考えることもあった。
 その人は、戦地に赴く前、Iさんに、自分の形見だと思って、と小さな真珠をくれた。少し歪んだ形のそれが、価値あるものだったのかもわからない。ただただ気持ちが嬉しかったし、離れ離れになることが寂しかった。Iさんは再会を願って、その真珠を万華鏡の色ガラスたちに紛れ込ませて、大切に保管していた。今思えば、そんなことしたら真珠が傷だらけになってしまうのだが。

 その人とは、結局、連絡がつかなくなってしまった。無事だったのかもわからない。Iさんは疎開先で結婚し、子供を設け、今は孫が数人いる。その孫にも子供ができた。その人のことは気がかりではあったが、自分の生活に必死で、時間的な余裕ができるまで、思い出すことも減っていた。だがこのところ、夫の世話もなくなって時間が余っているからか、あの人はどうしただろうか、あの万華鏡はどこへいったんだろうかとぼんやり考えることがあった。

「ああ、ここにあったのね」
 
 懐かしい気持ちになって、筒が錆び始めているその万華鏡を、改めて覗き込んだ。色ガラスと鏡が作り出す、複雑で美しい光の世界。娘時代とは違って、目も悪くなっているから、なんだか少し暗く見えるが、それはそれで陰影が素晴らしかった。
 
 筒を傾けると、中身がかしゃんと音をたて、像を変えた。
 ふと、誰かの姿が写り込んだ。あら、と声を上げ目を凝らす。
 
 見覚えのある横顔――あの人だった。とても寂しげな顔をしている。別れを告げたときとくらべて、少しやつれているような。Iさんは驚いた。そのはずみで筒が揺れ、像がまた変化した。筒の中のあの人は表情を和らげ、隣の見知らぬ女の人を優しげな目で見つめていた。また筒を揺らすと、二人の間に、目をくりくりさせた女の子が出現した。次は毬栗頭の男の子、その次は面長の優しげな顔立ちの女の子。先にいた人たちは少しずつ成長し、年を取っていく。
 
 Iさんは夢中で、かしゃんかしゃんと万華鏡を傾ける。
 
 やがてあの人も、隣の女の人も白髪になり、シワが増え、子供たちはもはや子供ではなくなった。ふと、女の人が消えた。あの人は年老いて、少し寂しげに微笑んでいた。そして、次にかしゃりと万華鏡を動かすと、あの人の姿は完全に消えた。子供たちの姿もだ。
 
 西日の差し込む部屋で、Iさんは、ほうと息をつき、万華鏡から目を離した。なんだかとても満ち足りた気分だった。あの人も別々の道をいって、幸せになれたのだと思うと、つい最近までほとんど忘れていた相手のことにもかかわらず、深く安堵したのだ。
 
 そしてIさんは、万華鏡を処分した。もう何も思い残すことなく、いつでも夫と同じ墓に入れると、晴れ晴れした気分になったから。
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