わたしの百物語

薊野ざわり

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その2

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 Wさんの通学路には、小さな工場が一件ある。昔ながらの印刷会社で、看板には錆が浮いていた。広くはない敷地に砂利が敷かれ、薄茶色に汚れた白っぽい外壁の二階建ての建物がある。上が事務所なのか、いつも窓にブラインドが降ろされているのだが、たまにそこが開いていて、作業服のおじさんと目が合うことがある。四角い顔の、首からタオルを下げたおじさんは、にこっと笑って手を振ってくれるので、Wさんも手を振り返すようにしていた。
 
 ある日、いつものようにおじさんと目が合ったのでWさんが手を振ると、おじさんは珍しくキャップを脱いで丁寧にお辞儀をした。一階の工場にも、二階の事務所にも明かりが入ってなかったので、会社は休みのようだ。
 Wさんはどうしたんだろうと思ったが、特に気にせず、家に帰った。

 家に帰るとお母さんが夕食の支度をしていた。カウンターに寄せてあるダイニングテーブルにランドセルを置いて、宿題を取り出しながら、Wさんはお母さんに報告した。

「今日も、印刷屋のおじさんいたよ」

 すると、お母さんは怪訝な顔をした。
 
 後から聞いた話だが、その印刷会社の社長は、経営苦で自ら命を絶ってしまっていたのだという。Wさんに向かって、キャップを脱いでお辞儀した日の、二日ほど前に。
 


 手芸が趣味のJさんは、自分好みのカーテンを作った。フランスのアンティークリネンを接ぎ合わせた、光をほどよく通すカーテンだ。とても気に入っているのだが、問題がひとつあって、たまにそのカーテンの下から、真っ白な女の人の足が見えることがあるのだという。海を越えて一緒に来ちゃったのかなあとノスタルジーを感じるのだそうだ。
 


 大学進学に伴い、下宿することになったVさんは、受け入れてくれた古い下宿屋で不思議な慣習を知った。
 Vさんを含め、六人が住んでいたその下宿では、いつも七人分の食事が用意されている。ひとりひとり、都合のいい時間に食堂に来て、食事をし、自分の食器を洗うルールなのだが、最初に食事を摂る人間はもうひとつやることがあるのだ。余分の一人分を、食卓に出しておく。そして、最後に食べる人にもやることがひとつある。その食事を、自分の食器を洗うとき、一緒に処分して食器も洗う、という。
 
 どうしてそんなことをするんですか、と問うたVさんに、三年生の先輩が肩を竦めた。

 理由はよくわからないけれど、以前勝手にその余分の食事を食べた学生のひとりは、重い食道炎にかかって、入院した。ほかのひとりは、胃潰瘍になってしまって、一時期休学したんだ。祟りなんじゃないかと言われているよ。ただ、不思議なことに、それ以外のここの下宿生は、誰一人、風邪も引かないし怪我もしないんだよね。俺なんて、喘息が治ったよ。
 
 誰も手を付けないのに、一食分もったいないと思いながらも、Vさんは毎日、最後の一食をゴミ箱に捨て、食器を洗っていた。なぜか、真夏でもないのに、その手を付けられていない食事を片付ける時は、腐臭のような甘ったるいにおいがすることがあるそうだ。



 Zさんは小学三年生のとき、お姉さんから怖い話を聞いた。幼くして亡くなった子供は、あの世にある河原で延々石を積むのだが、完成する前に鬼にそれを壊されてしまう。だから子供はまた一から石を積み、鬼に壊されるのを永遠に繰り返すのだという。

 なぜ石を積むのか、その根本的な理由を理解できないままだったが、恐ろしげなその話を、同じクラスのOさんに伝えると、彼女は顔を輝かせ、数人の友達とZさんを連れて、学校の近くの河原に向かった。石を積めば、鬼が出てくるんじゃないかと言って。そんなことありえないと思いつつも、Zさんはそれに付き合った。他の子達も渋々、河原にある丸くてすべすべの石を集めて、積み始めた。
 そもそもどこまで積めば完成になるのかもわからないのだが、石がある程度の高さまできて崩れるととても悔しい。他の子達もそうだったのか、黙々と作業を繰り返し、崩れては積み、崩れては積みしていた。

 いつの間にか誰も喋らなくなった。手元が暗くなってきて、そろそろ帰らなければいけない時間だと思いつつ、Zさんは作業を続けた。一人で淡々と石を積むことは、ちっとも楽しくないのに、どうしてか切り上げられない。遅くなったらお母さんに叱られる。そうわかっているのに、手を止められなかった。誰か「もう帰ろう」と言ってほしい、この遊びをやめようと言ってほしいと願いながらも、自分ではその言葉を発せず、ただただ同じことを繰り返す。
 途中でOさんが泣き出した。なんで泣いているのかわからないが、泣きながらもOさんは石を積んでいた。他の子も、同じように泣いたり、もういやだと呟きながらも作業を止めようとしない。
 やがて、自分の長く伸びた影も判別できないくらい薄暗くなったころ、ぴかっと懐中電灯の光を当てられて、みんなようやく手を止めた。
 
 いつになっても戻ってこない子どもたちを心配した父兄と学校の先生方が、探しに来てくれたのだ。女の子たちは、弾かれたように立ち上がって、わんわん泣きながら先生のもとへ走った。Zさんも、泣きたい気持ちで帰路についた。
 あのとき、どうしてあんな作業に夢中になったのかわからないが、今はもう二度と、やりたいとは思わないそうだ。
 


 クラスで流行りの噂に、Mくんは興味津々だった。とあるゲームを起動するとき、ソフトを奥まで差し込まないで電源を入れると、いわゆる裏ステージがプレイできるというのだ。
 話を聞いたその日、Mくんは家に飛んで帰って、リビングのテレビの前に座り込み、ソフトを浅く差してゲームの電源を入れた。ぶつっと嫌な音があったが、ちゃんと通電し、ゲームメーカーのロゴが表示され、何事もなくゲームが始まった。
 
 なーんだと肩透かしされた気分になりながら、マップ上の宿屋のドアを開けると、画面がマップ移動のために一瞬暗くなった。その先に表示されるのは、キャラクター分の三つのベッドが並んだ、ドット絵の宿屋の内装のはずだった。何度も旅の途中で利用したその施設のマップは、嫌でも覚えている。
 だというのに、表示されたのは、別のマップだった。白っぽい壁に囲まれた細い廊下。左右に部屋があって、奥にも部屋がある。
 
 噂は本当だった、と興奮しながら、M君はカーソルを動かして、キャラクターを歩かせた。手前の部屋に入り、クローゼットを漁る。へそくりを手に入れた。他にはいいアイテムもなく、部屋を出て廊下を挟んで反対側の部屋に入った。ベッドと机のある狭い部屋だ。そこのクローゼットを開けると、コートが手に入ったが、とくにレアなアイテムではなかった。
 
 そのあたりで、Mくんは不思議に思った。剣と魔法の出てくる王道ファンタジーの作品なのに、なんだか妙に近代的な――もっというと現代日本のマンションみたいなマップだな、と。制作者のお遊びなんだろうか。
 机の上にあるトロフィーを調べると、作文コンクール佳作のものだった。僕も去年のコンクールは佳作だったな、と思いながらMくんはふと気付く。この部屋のマップ、僕の部屋と同じ家具の配置だぞ、と。窓とドアの位置関係も一緒だし、なんなら廊下の猫の写真の額縁も、下駄箱の位置も一緒だ。
 
 廊下の一番奥のドア、開けたらリビングだったら完全にうちの間取りじゃないか。そう思ったものの、Mくんはそのドアを開けずに、ゲームの電源を切った。きっとこれはよくないものだと思ったからだ。
 翌日、その噂を教えてくれた友人に、隠しマップの話をもう一度聞いたところ、あんなの冗談に決まっているだろうと一笑に付されたのだ。

◆ 

 Uさんの娘が三歳のころの話だ。
 
 彼女は、普段とてもおとなしく、人見知りもほとんどなくて、育てるのが楽な子だった。夜泣きもしないし、勝手に走ってどこかへ行ってしまうということもない。ちょっと言葉を覚えるのが遅かったが、医師には気にするほどではないと言われていたので、焦らないことにしていた。しかし、もう一点だけ、Uさんを悩ませる行動があった。
 お人形を壊す癖があるのだ。
 
 まだ分別がつかないだろうと、ハサミやカッター(当然、包丁のたぐいも)は手の届かないようにしているのだが、どうやってか、お人形の四肢をめちゃくちゃにしてしまう。
 最初は鉛筆で渾身の力でぐりぐりと、ソフトビニールのボディをえぐってしまった。芯が折れても止めようとしなかった。そんなことをしたらお人形が痛いよ、と言うと泣いてごめんなさいと言うので、新しいものを買い与えたのだが、次は玄関のドアのヘリでがりがりとこすって、傷だらけにしてしまった。玄関のドアは、古いマンションらしく重たい金属製で、普段の彼女はどうやったって、ドアノブに手が届かないし、仮に届いたとしても動かせないのだが、Uさんが玄関の掃除をしているとき、ストッパーをつけて半開きにしていたら、そのすきにお人形を壊してしまったのだ。

 そういうことをするなら、もうお人形はあげないからねと言うと、やはり泣いて謝る。しかし、ここはいくら四歳でもきちんとしなければ、とUさんは換えの人形は与えないことにした。

 次の人形を与えないのには、もう一つ理由があった。お人形を壊しているのを見咎めて「なにしているの。お人形が痛いでしょう」と叱ると、娘はきょとんとした顔をして「お人形じゃないよ、ママだよ」というのだ。そのとき、娘の無邪気で透き通るような目が、どこか不気味に見えて――Uさんは怖かった。

 ところが、Uさんの旦那さんは、お人形がないとしくしく泣く娘が可哀想になってしまったらしく、妻に相談せず、新しいのを一体用意してきた。金色の長くてさらさらの髪の外国のお姫様のような、お人形を。夫婦喧嘩に発展したものの、娘の喜ぶ姿を見て、今度こそ大事にするかもしれないと、Uさんは期待した。
 
 数日後、Uさんは、赤いクレヨンで両腕両腿を塗られた人形をみつけた。娘が、買い与えた画用紙の上で、一心不乱に作業をしていたのだ。彼女は言った。

「ママ、だいじょうぶ?」

 真っ赤に四肢を染めた人形を見て。
 
 Uさんは、娘が眠っている間に人形を取り上げ、隠してしまった。数日、娘は思い出したように、人形を探し回って泣いたが、一週間もすれば忘れてしまった。夫にも、次の人形は買い与えないでくれと言い含めておいた。それからしばらくして、Uさん自身も、隠した人形のことは忘れてしまった。
 
 
 
 クリスマスシーズンになり、プレゼントを考えていたUさんは、娘から「ママ、お人形がほしいよ」と言われ、ようやくあの人形のことを思い出した。思い出したはいいが、嫌なことも思い出したし、隠し場所は忘れてしまった。あれから半年以上経つし、もう大丈夫だろうと、クリスマスプレゼントには新しいお人形をあげることにした。娘が選びたがるだろうからと、夫と三人でおもちゃ屋さんに行った。

 綺麗に包装してもらった人形の箱を抱え、意気揚々と歩く娘と手をつなぎ帰宅したUさんは愕然とした。
 家の中がめちゃくちゃに荒らされていた。空き巣が入ったようだと夫が血相を変え、警察を呼んだ。その後、騒ぎはさらに大きくなった。独居している隣室のおばさん――初老の女性で、Uさんの母と同い年の、気さくなおばさん――が、空き巣と鉢合わせして、体中を刃物で刺され、失血死したことがわかったからだ。
 警察の調べで、Uさんの家を荒らした空き巣と同一犯だとわかった。幸い、Uさんの家は、貴重品のたぐいもほとんどそのまま残っていた。もしかすると、思ったような収穫がなかった犯人は気が立っていて、次に入った隣室でおばさんを刺したのかもしれない。そう考え、Uさんはぞっとした。
 
 警察から許可がおりたので、部屋の片付けをしていると、棚の後ろから、ハンカチにくるまれたものを見つけた。引っ張り出して、Uさんは思い出した。なくしたあのお姫様の人形を包んだものだと。棚の裏に落ちてしまって気付かなかったのだろう。もう新しいものを与えてしまった後だったから、これは処分しようと思いながら、くるんでいたハンカチをとった。
 人形が、赤いクレヨンで塗られていたのは、隣室のおばさんが刺されていたと聞いた場所とまったく同じだった。
 
 居間へいくと、娘が新しい人形と遊んでいた。『ななちゃん』という名前を与えられ、可愛がられていた。

 それから、Uさんの娘は、心配していた言葉の発育も追いついて、今はお人形遊びも卒業した。
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