43 / 76
第三章 中秋
Chemical reaction 2
しおりを挟む
木下さんたちが事務所で話をしている間、私たちは薬品庫前のカメラ映像を確認した。念のため、不審な人物の出入りがないか確認するためだ。
カメラは定点の一基だけ。さくさく数日分の映像を早回しで確認していく。夜半の暗い時間でも、ちゃんと映像が確認できる高性能のものだったので、確認は容易だった。
事件前の九月二十一日から確認したが、社員以外の人間の薬品庫へのアクセスは確認できなかった。
さらにその後日の映像も確認する。
「これは? 随分人が集まっていますが」
九月三十日の映像を見て、私はディスプレイをペンで示した。
薬品庫に作業着の人間が集まり、わらわらと中のものを出してはチェックして、元に戻している。
質問を受けてくれた小柄で白髪、壮年の男性作業員はじっとそれを見て、手を打った。
「棚卸しです」
「ふうん……随分と大規模にやるんですね」
神前さんが首を傾げた。
私は学生のときにアルバイトしていたドラッグストアで、同じようなことをしたことがあるので、なんとなくわかるのだが、神前さんはピンとこないのかもしれない。
「在庫のズレが生じていた場合、棚卸しで実在庫にあわせてきました。直近の調整は九月末に行っていますので、ちょうど一週間ほど前ですね」
でも、すでに今現在、在庫は一キロズレているのだ。理由は不明だが。
それでいて不審人物のアクセスを確認できる映像もない。
そうこう言っているうちに、今日までの映像を消化してしまった。やはり、不審人物は影も形も見当たらなかった。
「あの、つかぬことを伺いますが、一週間で数量にズレが生じる可能性は?」
失礼な聞き方になってしまっただろうか。いや、でも、一週間で在庫がズレるって、有り得るのかな。小売業でもあるまいし。
すると男性はこっくり首肯した。
「まあ、よくあることですね。すみません、管理が雑で」
「いえ……」
私は沈黙した。
もし、この会社の関係者に犯人がいて塩酸を持ち出した場合、特定が大変そうだ。それだけはわかった。
× × × × ×
「……あったまいてえ」
「私もです」
午後一時半を過ぎ、我々はようやく昼休憩。
空はいよいよ暗く、風も強くなっている。これ、夕方までもつのだろうか。その前に雨が降りそうなんだが。
同時にため息をついて、私たちは食事処に向けて歩き出した。
アテリアメッキの社員に話を聞けば聞くほど、私は今日ここに自分を派遣した砂押さんを恨みたくなった。
木下さんの報告を待たず、事情を聞きに行った事務所で、液ものなんてそんなもんですよーと、あっけらかんと答えた事務員の落合は、勤続十三年という中堅どころだった。
彼女が発注から、購入物の荷受け、システム入力を担当し、場合によっては、購買先との価格交渉ですら行うという。イツシマケミカルとのやり取りも、今は彼女の仕事らしい。
彼女に言わせると、現場の人間が誤ってこぼしてしまった廃液の申告を忘れたり、使用時に差異がでたときの申告を忘れたりするのはしょっちゅうで、在庫が合うことのほうが珍しいというのだ。
言ってることが、河合と違う。
どっちが正しいかはさて置き、実数とシステム上の数量がズレていることはさして珍しいことじゃないというわけだ。
会社の資産管理とは……と、遠い目をしたくなるが、他人の会社だからそれも置いておいて。
話を聞いてぐえっと思わずつぶやいた私の気持ちを、神前さんも、一緒に話を聞いていた木下さんも理解してくれたんじゃないだろうか。
このアテリアメッキでは事件が起きた九月二十八日の二日後、九月三十日に棚卸しを行い、システム上の在庫数を修正していた。その数がそもそも間違えていたのだということがさきほどわかった。
その一キロのズレは、落合のタイプミス。棚卸しの報告書類を確認してもらい、すぐにわかった。それは別にいい。棚卸し後にズレたのは、タイミング的に事件に関係がないからだ。
問題はその前だ。九月三十日に調整された数量を見ると、十二キロのズレがあった。十二キロ、足りなかったのだ、実物が。システム上の在庫数と比べて。
九月二十八日時点に、塩酸が持ち出されていなかったかを探るためには、半年前の三月末の棚卸しから入出庫数を照らし合わせないとわからないんじゃないの、というのが落合の意見。
頭を抱えた。
木下さんばりにこれは自分たちの仕事じゃないと突っぱねたくなった。
でも、砂押さんに現状報告をしたら、頑張れと、励ましとも突き放しともとれるエールをもらって、自分でやるしかなくなってしまったのだった。
午後からは、数量のトレースを行うことになる。やりたくないけど。
聞けば田島さんは砂押さんの大学の先輩で、過去いろいろ世話になったから逆らえないのだとか。なんだそのしがらみ。私達は人身御供ですか。
「在庫の件って、田島さんにどう報告すればいいんでしょう」
「人数が限られているから、この件はこっちに任せるとよ。結論出たら、すり合わせだ」
「左様で……」
それって、面倒なところ丸投げされてるって言わないか。
田島さんたちの聴取も難航しているみたい。あまり好意的でない人もいるとのこと。それってあの社長か。
「おうおう、なんか疲れてんじゃん、二人揃って。オレもだけど」
ポケットに手を突っ込んで、やや猫背になった木下さんが私達の間に割り込んで並んだ。
「これから昼飯だろ。一緒に行こうぜ」
「断る」
さっと距離をとって、神前さんが木下さんを睨んだ。
「別に神前は来なくてもいいけど。三小田、この先に定食屋あるから行こうぜ」
「作業の打ち合わせがある。お前こそ同席したら邪魔だ」
あ。保育園でこういうの見た。園児が保育士さんを取り合うやつ。ところで、私は子供は好きでも保育士ではない。
「私には一人静かに食事する権利もあることをお忘れなく」
「つめてーな、後輩。いいじゃねえか、たまにしか会うこともねえし。ほら、神前も。昨日のことで話あるし、来たほうがいいと思うぜ」
なんというか、距離の近い人だなあ。
勝手に仕切ってぐいぐい先に行ってしまう木下さんを、私は首を振って追いかけた。
さらに後ろを、ポケットに手を入れた神前さんが唸りそうな顔をして着いてくる。その顔はまずいと思う。交番の前を通ろうものなら確実に職質対象だ。
カメラは定点の一基だけ。さくさく数日分の映像を早回しで確認していく。夜半の暗い時間でも、ちゃんと映像が確認できる高性能のものだったので、確認は容易だった。
事件前の九月二十一日から確認したが、社員以外の人間の薬品庫へのアクセスは確認できなかった。
さらにその後日の映像も確認する。
「これは? 随分人が集まっていますが」
九月三十日の映像を見て、私はディスプレイをペンで示した。
薬品庫に作業着の人間が集まり、わらわらと中のものを出してはチェックして、元に戻している。
質問を受けてくれた小柄で白髪、壮年の男性作業員はじっとそれを見て、手を打った。
「棚卸しです」
「ふうん……随分と大規模にやるんですね」
神前さんが首を傾げた。
私は学生のときにアルバイトしていたドラッグストアで、同じようなことをしたことがあるので、なんとなくわかるのだが、神前さんはピンとこないのかもしれない。
「在庫のズレが生じていた場合、棚卸しで実在庫にあわせてきました。直近の調整は九月末に行っていますので、ちょうど一週間ほど前ですね」
でも、すでに今現在、在庫は一キロズレているのだ。理由は不明だが。
それでいて不審人物のアクセスを確認できる映像もない。
そうこう言っているうちに、今日までの映像を消化してしまった。やはり、不審人物は影も形も見当たらなかった。
「あの、つかぬことを伺いますが、一週間で数量にズレが生じる可能性は?」
失礼な聞き方になってしまっただろうか。いや、でも、一週間で在庫がズレるって、有り得るのかな。小売業でもあるまいし。
すると男性はこっくり首肯した。
「まあ、よくあることですね。すみません、管理が雑で」
「いえ……」
私は沈黙した。
もし、この会社の関係者に犯人がいて塩酸を持ち出した場合、特定が大変そうだ。それだけはわかった。
× × × × ×
「……あったまいてえ」
「私もです」
午後一時半を過ぎ、我々はようやく昼休憩。
空はいよいよ暗く、風も強くなっている。これ、夕方までもつのだろうか。その前に雨が降りそうなんだが。
同時にため息をついて、私たちは食事処に向けて歩き出した。
アテリアメッキの社員に話を聞けば聞くほど、私は今日ここに自分を派遣した砂押さんを恨みたくなった。
木下さんの報告を待たず、事情を聞きに行った事務所で、液ものなんてそんなもんですよーと、あっけらかんと答えた事務員の落合は、勤続十三年という中堅どころだった。
彼女が発注から、購入物の荷受け、システム入力を担当し、場合によっては、購買先との価格交渉ですら行うという。イツシマケミカルとのやり取りも、今は彼女の仕事らしい。
彼女に言わせると、現場の人間が誤ってこぼしてしまった廃液の申告を忘れたり、使用時に差異がでたときの申告を忘れたりするのはしょっちゅうで、在庫が合うことのほうが珍しいというのだ。
言ってることが、河合と違う。
どっちが正しいかはさて置き、実数とシステム上の数量がズレていることはさして珍しいことじゃないというわけだ。
会社の資産管理とは……と、遠い目をしたくなるが、他人の会社だからそれも置いておいて。
話を聞いてぐえっと思わずつぶやいた私の気持ちを、神前さんも、一緒に話を聞いていた木下さんも理解してくれたんじゃないだろうか。
このアテリアメッキでは事件が起きた九月二十八日の二日後、九月三十日に棚卸しを行い、システム上の在庫数を修正していた。その数がそもそも間違えていたのだということがさきほどわかった。
その一キロのズレは、落合のタイプミス。棚卸しの報告書類を確認してもらい、すぐにわかった。それは別にいい。棚卸し後にズレたのは、タイミング的に事件に関係がないからだ。
問題はその前だ。九月三十日に調整された数量を見ると、十二キロのズレがあった。十二キロ、足りなかったのだ、実物が。システム上の在庫数と比べて。
九月二十八日時点に、塩酸が持ち出されていなかったかを探るためには、半年前の三月末の棚卸しから入出庫数を照らし合わせないとわからないんじゃないの、というのが落合の意見。
頭を抱えた。
木下さんばりにこれは自分たちの仕事じゃないと突っぱねたくなった。
でも、砂押さんに現状報告をしたら、頑張れと、励ましとも突き放しともとれるエールをもらって、自分でやるしかなくなってしまったのだった。
午後からは、数量のトレースを行うことになる。やりたくないけど。
聞けば田島さんは砂押さんの大学の先輩で、過去いろいろ世話になったから逆らえないのだとか。なんだそのしがらみ。私達は人身御供ですか。
「在庫の件って、田島さんにどう報告すればいいんでしょう」
「人数が限られているから、この件はこっちに任せるとよ。結論出たら、すり合わせだ」
「左様で……」
それって、面倒なところ丸投げされてるって言わないか。
田島さんたちの聴取も難航しているみたい。あまり好意的でない人もいるとのこと。それってあの社長か。
「おうおう、なんか疲れてんじゃん、二人揃って。オレもだけど」
ポケットに手を突っ込んで、やや猫背になった木下さんが私達の間に割り込んで並んだ。
「これから昼飯だろ。一緒に行こうぜ」
「断る」
さっと距離をとって、神前さんが木下さんを睨んだ。
「別に神前は来なくてもいいけど。三小田、この先に定食屋あるから行こうぜ」
「作業の打ち合わせがある。お前こそ同席したら邪魔だ」
あ。保育園でこういうの見た。園児が保育士さんを取り合うやつ。ところで、私は子供は好きでも保育士ではない。
「私には一人静かに食事する権利もあることをお忘れなく」
「つめてーな、後輩。いいじゃねえか、たまにしか会うこともねえし。ほら、神前も。昨日のことで話あるし、来たほうがいいと思うぜ」
なんというか、距離の近い人だなあ。
勝手に仕切ってぐいぐい先に行ってしまう木下さんを、私は首を振って追いかけた。
さらに後ろを、ポケットに手を入れた神前さんが唸りそうな顔をして着いてくる。その顔はまずいと思う。交番の前を通ろうものなら確実に職質対象だ。
0
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました
utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。
がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
憧れの童顔巨乳家庭教師といちゃいちゃラブラブにセックスするのは最高に気持ちいい
suna
恋愛
僕の家庭教師は完璧なひとだ。
かわいいと美しいだったらかわいい寄り。
美女か美少女だったら美少女寄り。
明るく元気と知的で真面目だったら後者。
お嬢様という言葉が彼女以上に似合う人間を僕はこれまて見たことがないような女性。
そのうえ、服の上からでもわかる圧倒的な巨乳。
そんな憧れの家庭教師・・・遠野栞といちゃいちゃラブラブにセックスをするだけの話。
ヒロインは丁寧語・敬語、年上家庭教師、お嬢様、ドMなどの属性・要素があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる