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 飛び出すのは一瞬ですんだ。シャルロッテの微笑み、シャルロッテの身体に皇子は疑念を抱かなかった。私たちは抱擁しながら――マールはこうしてこの男に抱いてもらったことなどなかった、と思った。

 貴族の令嬢は護身のため、スカートの後ろ襞に短刀を仕込んでいる。シャルロッテならあえて持たないでいることもありえるかと思ったが、それは果たして、あった。

「お会いしたかったですわ、ディル様!」

 と天真爛漫に笑いながら、私はそれを後ろ手に探り当てる。身体を制御するのに猫より手間取ったのは、シャルロッテはアマルベルガより背が低いからばかりではない。

 悔しさと、憎しみと。

「ねえ、お見せしたいものがあるの。どうぞお座りになって?」

 そうして導く愛しいシャルロッテに、ディートリヒはにこにこと頬を赤らめているのだからどうにもならない。なんだか疲れたような気持ちで、けれど胸の奥で熾火がちろちろ燃えるように憎悪だけはある。はやくこの倦怠感から逃れたくて、私は再び机につかせたディートリヒの後ろから抱き着く。シャルロッテの豊かな胸で首すじを挟むようにして、一人前に脂下がった男の喉笛をひといきに掻き切った。

 別になにも、感じなかった。ああ、虫が潰れたのね、というくらい。

「わたくしなにも感じなかったのよ……」

 と口が勝手に喋り出す。不用心なことに、魔法警報機も切ってあれば衛兵も下がらせてある、これを彼はシャルロッテの気配を感じた瞬間にやってのけたのだ。素晴らしい反射速度ですこと。

「かわいいコロ太郎の姿で喋る他人を目にしても。そいつがわたくしなんていとも簡単に引き裂けるとわかって、封印されているとはいえ本当ならそんなの、怖がるものじゃない? ねえ? わたくしは小娘ですもの。ねえ? わたくしシャルロッテを殺したいほど憎んでいるけれど、この憎しみはアマルベルガのものなのか、小説を読んだときのわたくしの軽蔑がもとになっているのかさえ、もうわからないのよ」

 がぶがぶがぶ、喉からあふれた血がディートリヒ本人の身体を濡らす。シャルロッテの美しい小さな手を、腕を、男の手が力ずくで掴む。青あざになる。

「つまりね、わたくしの感情は死んだのだわ。この子の身体に入ったあのときに――すでに」

「シャ……ッ、ぉごっ」

 切り込みが足りなかったのを私は判別して、今度は切っ先をすうっと喉仏のところから差し込んだ。頸動脈の方向へ刃をすべらせて、より深くを切り裂く。やがて断末魔の痙攣が皇子の立派な身体を揺るがせた。びくびく、それは魚みたいで滑稽だった。

「カムリは魂を食べたのよ。わたくしの、わたくしたちの魂を食べたのだわ。わたくしの身体を動かしているのはわたくしじゃない。人間じゃない――カムリなのよ」

 そうして皇子は死んだ、あっけなく。

 私は心ばかりの敬意として燭台の蝋燭に火を灯す。壁の魔法灯に体内の魔力を合わせ、テレビのチャンネルを切るみたいにして光を消した。こういうやり方を、この国の貴族たちは好む。魔法によらないものこそが至高だとするくせに、魔法に頼って生活している。

「わたくしはカムリ。人を食べた魔物。アマルベルガはもういないの――さよなら殿下。マールはあなたを愛していてよ」

 それで使用人通路から部屋を出た。なんとまあ根回しのいいこと、使用人の気配はないし鼠すらいない。きっとシャルロッテがディートリヒの私室を訪ねるのは何百回としてあったことで、その姿を決して、使用人すら見ないようにと躾られているのだ。

 あの婚約破棄騒動のとき、学園には諸外国からの留学生もいた。年若い未婚の男女が学園で醜聞沙汰を引き起こすのはよくある話とはいえ、皇子ともなれば相応の落ち着きが求められる。――そう、だからこそアマルベルガはディートリヒにもシャルロッテにも耐えたのだ。恥をかかないように、相手にかかせないように。それは同じ身分のもの同士であれば当然の、社交辞令以前の本能だったはずなのに。

 アマルベルガが愛した相手は彼女を対等な人間としてすら扱わなかった。シャルロッテもまた、異母姉をきょうだいとも人とも思っていないだろう。

 さて、すでにこれからどうするかは決めていた。

 シャルロッテの姿のまま、表廊下に出て道なりに進む。目指す図書室にはすぐについた。皇族にのみ閲覧を許される神聖なる図書室には、管理人の男がいる。名前はドミニク・エリヤス。眼鏡をかけた長髪に長身の男で、学園ではアマルベルガと同級生だった。ディートリヒ皇子の幼馴染で代々学者の家系。末は大臣職にでもついて国の行く末を決める立場になるというのに、アマルベルガをいじめることに純粋な楽しみを見出したらしく嬉々としてシャルロッテに加担していた。思えば幼い頃から格下を足蹴にするのが好きな男だった。

 コンコン、と扉をノックするとドミニクはひょいと顔を出し、

「おひとり?」

 とシャルロッテの顔でにっこり笑えば共犯者の笑みで中に招いてくれる。――やっぱりシャルロッテ、この子ディートリヒ皇子だけじゃなかったのね。呆れるやらおかしいやら、である。

「どうしたんですか。皇子と喧嘩でもしました?」

 と魔法で牛乳をあたため始める後ろから背中を刺した。シャルロッテは身長が低いので、まずは膵臓の位置を狙ったがあっていただろうか。もみくちゃになり、抵抗されながらも魔法の発動を許さずメッタ刺しにできたのは、ひとえにシャルロッテの姿をしていたからだろう。彼女がすることはすべて男に許される、たとえ命がかかっていてもそうなのだ。この世界はおそらくそういう法則にのっとって運営されている。

 それでもドミニクの抵抗は死に物狂いで、顔を鷲掴みにされ髪を引っ張られ、もし私が本物のシャルロッテだったら号泣していただろうひどい有様にされた。それでも両手でもって逆手の刃を振り下ろす力も速度も、衰えることはなかった。どうして力ではかなわないのに勝てたのかって? それは私にもまったく、わからないことだ。

 ふうふう肩で息をしながら死体を見下ろすと、それはまだちょっぴり動いている。心臓から肺から肝臓から、背中ごしとは言え百回は刺したはずだ。これで動かなくなってくれ、と願いながら、後ろから首の真ん中のくぼんでいるところをさっくと刺し貫いた。刃は突き抜けて床にキンと当たり、ドミニクが完全に動かなくなるまで縦に横にさくさく動かしながら手ごたえを探っていた。

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