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 深夜。明り取りからは赤と青の月の光が二つ、差し込んでくる。明日になると紫色の月も徐々に昇ってくるようになって、赤の月は薄れていく。惑星とか衛星とか、公転周期とかってどうなってるんだろう。アマルベルガもそこまでは知らなかったみたいで、知識にない。

 なんの音もしない。外を吹き渡る風の音は石壁に吸収され、鼠よけの魔法でもかけられているのか生き物の気配さえない。

 決して混じり合わない月の相反する光の色が、閉じた瞼の裏に不気味に乱反射する。

 そうしてそいつは現れた。

「こぉんばんはあ」

 と口をきいた。

 私は寝台の上、ぴくりとも動かないよう必死に身体を強張らせる。深呼吸。深く息を吸って、吐いて。

「あぁあれぇ? えらく肝の据わったお嬢さんだ。ひょっとして、私の存在を知っている? いいや、そんなはぁずはないよねェ。私のことを知ってる人はみんな死んだ、あの陰気なバアサンたちは漏らさないんだしぃ……」

 お腹の上で組んだ手に力をこめて、私は大昔に飼っていた犬を想像する。できるだけ精巧に、本物に忠実に。名前はコロ太郎。柴犬と雑種のハーフという触れ込みで、お父さんが友達からもらってきたけれど、どう見たって五代にわたり雑種ですって感じの犬だった。茶色くて、頭が悪くてお風呂が嫌いで、愛嬌があってりんごが好きだった。家族の中で私の言うことだけきかなかった。

 目を開けた。私の顔をコロ太郎がのぞき込んでいる。ぐっと漏れかけた悲鳴を押し殺す。

「……わたくしになんのご用?」

「やあ、ほんとにびぃっくりした。私の退け方さえ知ってるんだぁ」

 私はむくりと起き上がった。コロ太郎は――コロ太郎のかたちをした魔物は、ちょうど私の足元にちょこんとお座りしてしっぽを振った。

 これは、これこそが、この塔に棲みつく名無しの魔物である。読心能力と幻覚を操り、相手の怖がるものに変身する。腕力だの魔力だのは大したことないくせに、悪知恵はまわるから厄介な、主人公を翻弄した序盤のちょっと手ごわい敵。

「ヘェェエエ!」

 魔物は犬の顔でにっこり笑った。

「こりゃあ、面白い! きみはカムリだ」

「カムリ?」

 私は聞き返し、遅れてまた翻訳機能が働いたのを知った――カムリ、被り、被る、何を?

「人の皮を被ってる」

 コロ太郎の顔した魔物はへっへと舌を出した。

「人の人生奪ってる」

 私が動揺したのを魔物は悟る。にんまり、悪意のある笑みがますます深くなる。けれど臆してはいけない、ここで引いたらますます生き残れない。

 私は寝台の上、必死に深呼吸を続ける。ひいいいい、ふうううう。そうして身体の力を徐々に抜いていって、魔物をいやだけれど受け入れる。主人公もそうしたのだ。賢い少年はアマルベルガの死の真相を探って修道院に侵入し、捉えられ、この塔に放り込まれる。そして暗闇の中、この魔物と対峙する。

 魔物を倒す唯一の鍵は、彼を受け入れること。受け入れ、同化し、そしてまた自分を取り戻すこと。

 この魔物は敵の恐怖を読心し、そのまま跳ね返す。けれど魔物だから人の心をうまく理解することができず、相手の思っている通りのことを返すしかできない。鏡映しの魔物。それが彼の名称だ。

 私がコロ太郎を懐かしく思えばコロ太郎になり、コロ太郎の仕草で甘えてくる。きっとシャルロッテを憎めばシャルロッテの姿をとり、私の憎しみのぶん嘲笑を返してくるのだ。

 だから正解は、これ。何を言われても魔物を憎んではならない。憎まず、慌てず、騒がず、彼を受け入れろ。

「せぇえ……いかいっ」

 とコロ太郎はフンフン鼻を鳴らし、ぐるぐる寝台の上でまわる。

「ンフン。ちょっと腹が立つ。へええ……私のこと、も含めて書かれた読み物が。読み物が別の世界にぃ。へぇえぇ……ああ、腹が立つ」

「どうしてそんなに腹が立つというの? 人間が何をしようが魔物には関係ないんじゃなくて?」

 魔物は長い牙を見せた。

「人間の感情ばっかり食ってきた。人間と対決ばっかりしてきたんだよう。この塔に閉じ込められてねェ。だからちょっとばかし、人間臭くなったって仕方ないんだよォ」

「そうなの?」

 閉じ込められていたとは知らなかった、てっきり望んでここにいるのだとばかり。

「そんなはずァないだろっ。何代か前の修道院長に負けてさ、封印されたんだよォ。罪人に己を見つめさせる責務を負えだとよお。フンだ。私が人間の事情なんぞ知ったことかね」

「……さっき言った、カムリってなに?」

 私は彼を見つめる。彼も私を見つめる。寝台の上、少女と犬は向かい合う。

「いいだろう、教えてやるよう」

 そうして魔物は語り出す。

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