虐げられモブ令嬢ですが、義弟は死なせません!

重田いの

文字の大きさ
上 下
10 / 20

10

しおりを挟む

「無事でよかった」

 とクロワ侯爵は言ったが、これほど平坦で心の籠らない無事を喜ぶ言葉はこの世に二つとないだろう。エクトルは毒気が抜けたような、拍子抜けした気持ちで礼儀として頭を下げる。

「ご健勝そうで何よりです」
「心にもないことを言うな。我が娘の容態はどうか」
「峠は越したと医者は言います」
「ふん」

 と鼻を鳴らし、侯爵は安楽椅子に深々ともたれた。疲れ切ったため息は、むしろこちらがついてやりたいほどだ。

 焼け残った一階の一画に倉庫に残ったありあわせの家具類を並べ、一応の応接間とした空間。堂々とくつろぐ姿勢をとってもなお、侯爵はどこか神経質な怯えを見え隠れさせていた。

 彼は膝の上に腕を乗せ、声を低めた。

「単刀直入に言う。お前、ティレルに教わった技術の研鑽はどの程度だ?」

 まるでごく普通の父親が子供に、学校の勉強はどうだと聞くような口調である。

 エクトルは後ろに手を回し肩幅に足を開き、休め、の姿勢のまま淡々と答えた。教わった通りに。

「一通りのことは習得しました」
「人を殺したことは?」
「あります」
「ほう。誰をいつ、どんなふうに? そして何故だ?」
「……姉上の求婚者だった、成金の商人を。七百十一年の七月でした。不埒な真似に及ぼうと計画していたので」

 侯爵の顔に奇妙な微笑が浮かんだ。彼は間違いなくエクトルのその行動を称賛していたが、それは決して娘の身辺と名誉が守られたことへの喜びではなかった。まるで研いだナイフの仕上がりに満足した研ぎ師のようだった。

「いいだろう、いいだろう。――よし、よし。うん。それではお前、予定通り来年から王立魔法学園に通え」
「お断りします」

 エクトルは間髪入れず叫んだ。思わず凄む声音になったのは、無理もないことだろう。さすがに信じられない思いだった。

「育ててくれた姉が重傷だと言うのに、俺が傍を離れるなど人としてできません」
「断る権利はお前にない。もし断るというのなら、侯爵の権限において娘リュシヴィエールはどこぞの商家に嫁がせる。庭師ティレルとそれに付随する密偵どもは、そうさな、ゴッシュリックの子爵家にでもまとめて売ってしまうか。あそこは手駒を欲しがっている」

 エクトルはぐっと喉の奥で感情をこらえたが、それが外からわかってしまうほど幼い動きになっていることには気づけなかった。

「卑怯者め……」
「なんとでもいうがいい。我が血に連ならぬ厄介者のお前をここまで置いてやったのはなんのためだと? 王立魔法学園にて王太子のために働け。クロワ侯爵家は王家のお役に立つのだと、ティレル仕込みの腕で証明してみせろ」
「それで今の没落がマシになるとは思えません」
「家のことなど知らぬわ!」

 侯爵は吐き捨てる。

 貴族とは家のために生まれ、家のために生きて死ぬ、そのための歯車に過ぎない人間たちである。稀にその重圧に潰れる者が出て、周囲みんなが迷惑する。エクトルの前にいる男のように。

「家が私に何をしてくれた? ふん。私には真に愛する妻と、子供たちがいる。私の残りの人生は本当の家族のために使わせてもらう。お前たちなどどうとでもなるがよい。――が、お前の働き次第では、姉の落ち着き先を考えてやらんこともないぞ」

 血走った黄色い白目の目がエクトルを見据えた。その青い色がリュシヴィエールと同じ、貴族の空の色だと気づいて、心臓のあたりがざわざわする。

「返事は?」

 エクトルはティレルの真似をして、彼に教わった通りの一礼をした。

「謹んで拝命いたします、侯爵閣下」

 侯爵は立ち上がり、ぶつぶつと口の中で文句を呟きながら足早に部屋を、屋敷を後にした。早く汚い場所から立ち去りたがっているのは目に見えた。

 彼が立ち去るまでエクトルは下げた頭を上げず、

 (いつか殺してやる)

 と腹の底で思うにとどめた。実行にうつさなかったのは奇跡だったかもしれない。リュシヴィエールが悲しむだろうと思えばこそ、手を止めることができた。――彼女はきっと、まだ、家族というものに幻想を抱き追い求めているだろうから。

 (生かしておいたところで奴らがあなたを見ることなんてないのに、姉上。どうして)

 歯がゆく、むなしく、悲しいことだった。けれどエクトルはリュシヴィエールのそういう甘ったるいどうしようもなさを含めて彼女を愛していた。

 彼はリュシヴィエールの寝かされている小屋へ向かった。医者はおらず、助手が包帯を片手に振り返った。

「姉上は?」
「眠っておられますが、そろそろ眠り魔法が切れる頃合いです」
「わかった。あとはやっておくよ。休んでて」

 と手を振る少年に、三十がらみの女の助手は困った顔をしたものの、最後には引き下がった。大人として子供の気持ちを汲んだのが目に見え、少しばかり腹がたつ。

 パタンと扉が閉まってリュシヴィエールと二人きりになると、エクトルはその枕元に座り込む。どっと疲れた気持ちだった、あるいは引っ込めていた怯えが表に出てきたような。

「姉上、俺、学園に行くんですって。ハハ、あなたを見守ることさえできないや。俺……」

 と軽口をたたき、包帯のあわいから覗くリュシヴィエールのくるりと丸い額を見つめる。……火傷あとは、残るだろうと言われていた。

 治療魔法はあくまで延命のため、致命傷を避けるため体内の損害を先に治す。そうすると表の皮膚や髪の再生は後回しになる。魔法は万能ではないのだ。

 エクトルはそうっと新しい皮膚が張り付いた姉の冷たい手をなぞった。指は焼け落ちるところだった。それが保たれたのだ。医者には感謝すべきだろう。

「あんなにお美しかったのに……」

 と嘆く声が、潰れた喉から転がり出る。――皮膚がぐじゅぐじゅに融けて赤身が剥き出しの部分が、組織液や血液でしとどに濡れた残酷なその有様が、ひとまず、治ったのだ。元通りではなかったけれど。命の危機が去り、エクトルは安心していた。それは事実だ。その安心と同じくらい大きく、失われたかもしれないリュシヴィエールの美を惜しむ。それが彼のせいであれば、なおさら。

「……後悔はして、なくてよ」

 小さな声がした。エクトルがハッとして顔を覗き込むと、リュシヴィエールの青い目が包帯の隙間からかすかに覗く。まだ定着しきっていない瞼が乾燥しているようで、上がらない手でどうにかしようとする。

 エクトルは小机を探って医者の作った点眼薬を見つけ出した。見様見真似で目に入れてやると、リュシヴィエールは気持ちよさそうに見えた。

「姉上。具合はどう?」
「痛くはないの。麻痺させられていて」
「寝ている間も苦しんでいたよ。ありったけの魔法をかけてくれと頼んだんだ。意識がなくても痛い眠りは辛いだろ?」
「まあ」

 リュシヴィエールの胸元からくぐもったコロコロとした音が聞こえ、それが今の姉の笑い声なのだった。

「後悔はしてないの。だから……おまえも後悔しなくて、いいのよ」

 夢見るように潤んだ瞳が、以前と変わらない美しさで遠くを見つめる。エクトルは焼けた睫毛ごしの姉の目を覗き込んだ。自分と同じようで少し違う、古い血族の青い目を。

「おまえが……ちゃんと。学園で。ちゃんと、できるように」

 リュシヴィエールは幸福そうに微笑んだ、顔の筋肉は動かなかったが、そのまなざしで彼には彼女の感情がわかった。

「美しい女の子と、おまえ……幸せな……花びらの舞う中で」

 ふっとリュシヴィエールの意識が途切れる。エクトルはその場から動けない。

 時間だけがむやみに過ぎていく。二人のための鳥籠のようだったクロワ侯爵領キャメリアは本格的に崩壊した。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢はモブ化した

F.conoe
ファンタジー
乙女ゲーム? なにそれ食べ物? な悪役令嬢、普通にシナリオ負けして退場しました。 しかし貴族令嬢としてダメの烙印をおされた卒業パーティーで、彼女は本当の自分を取り戻す! 領地改革にいそしむ充実した日々のその裏で、乙女ゲームは着々と進行していくのである。 「……なんなのこれは。意味がわからないわ」 乙女ゲームのシナリオはこわい。 *注*誰にも前世の記憶はありません。 ざまぁが地味だと思っていましたが、オーバーキルだという意見もあるので、優しい結末を期待してる人は読まない方が良さげ。 性格悪いけど自覚がなくて自分を優しいと思っている乙女ゲームヒロインの心理描写と因果応報がメインテーマ(番外編で登場)なので、叩かれようがざまぁ改変して救う気はない。 作者の趣味100%でダンジョンが出ました。

悪役令嬢ですが、ヒロインの恋を応援していたら婚約者に執着されています

窓辺ミナミ
ファンタジー
悪役令嬢の リディア・メイトランド に転生した私。 シナリオ通りなら、死ぬ運命。 だけど、ヒロインと騎士のストーリーが神エピソード! そのスチルを生で見たい! 騎士エンドを見学するべく、ヒロインの恋を応援します! というわけで、私、悪役やりません! 来たるその日の為に、シナリオを改変し努力を重ねる日々。 あれれ、婚約者が何故か甘く見つめてきます……! 気付けば婚約者の王太子から溺愛されて……。 悪役令嬢だったはずのリディアと、彼女を愛してやまない執着系王子クリストファーの甘い恋物語。はじまりはじまり!

転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。  しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。  冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!  わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?  それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?

乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?

シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。 ……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。

乙女ゲームの断罪イベントが終わった世界で転生したモブは何を思う

ひなクラゲ
ファンタジー
 ここは乙女ゲームの世界  悪役令嬢の断罪イベントも終わり、無事にエンディングを迎えたのだろう…  主人公と王子の幸せそうな笑顔で…  でも転生者であるモブは思う  きっとこのまま幸福なまま終わる筈がないと…

【完結】私ですか?ただの令嬢です。

凛 伊緒
恋愛
死んで転生したら、大好きな乙女ゲーの世界の悪役令嬢だった!? バッドエンドだらけの悪役令嬢。 しかし、 「悪さをしなければ、最悪な結末は回避出来るのでは!?」 そう考え、ただの令嬢として生きていくことを決意する。 運命を変えたい主人公の、バッドエンド回避の物語! ※完結済です。 ※作者がシステムに不慣れかつ創作初心者な時に書いたものなので、温かく見守っていだければ幸いです……(。_。///) ※ご感想・ご指摘につきましては、近況ボードをお読みくださいませ。 《皆様のご愛読に、心からの感謝を申し上げますm(*_ _)m》

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

処理中です...