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16 妹の夢と、姉の決意
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カトレアは手早く紅茶の準備をしています。カップなどは、無地の白色です。とてもシンプルで好ましいと言えますが、多くの色を付けて焼いたカップほど高級で、藍色、赤、黄色など貴族であれば最低3種類くらいは色が使われているカップを使うのが常識です。シュピリアール家のは全て特注品ですので、多彩な色が使われ、さらにシュピリアール家の家紋もカップに装飾として施しています。
アウンタール家が財政的に苦しいということであっても、お茶会を開くのであれば、多少の見栄を張って、それなりの紅茶セットを用意すべきだろうに、と私は思います。
はっきりと申せば……白い無地の紅茶のカップがお茶会で使われるということを知ったら、そのお茶会に参加しようとする貴族はいません。おそらくお茶の席に招待されていたとしても、理由をつけて断るでしょう。
ましてや、人の目も多い学園内でのお茶会。カップというのは目立つものです。白い無地のカップでお茶会をして、あれは何の貧乏貴族の集まりだ? と誰も思われたくはないので、お茶会に参加したいと思う人はいないでしょう。
「どなたかご招待されている方がいるのですか?」と私はカトレアに尋ねます。
当然、私は招待などされていません。カトレアはアウンタール子爵の令嬢ですので、招待出来るのは、子爵家の者達。ポーリアなど子爵家の、カトレアと同じ教室の学友を招待しているのでしょうか。
「略式にて招待をしたのですが……というか、声をかけたのですが、来て戴けるかはわかりません」
「誰も来ないかも知れないのに準備をしていたの?」
「あとは通りすがりの方が参加してくださらないかと思ったんです。私は子爵家で、この学園には伯爵家の方々が多くいらっしゃいます。それに侯爵家の方々もいらっしゃるので、私のお茶の席に割り込む方がいるのではないかと……」
「そうでございましたか」と私は答えながら、割り込む可能性は非常に低いと思いました。そもそも、前回ネモフィラのお茶の席に殿下と私が割り込んだのは異例です。「割り込み」と呼ばれるだけのことはあり、実は、褒められたことではございません。
この「割り込み」の本来の使われ方は、一種のサプライズと周りへのアピールのためです。
たとえば、子爵家のポーリアがお茶会を催すとします。ですが寄子であったも、侯爵家のネモフィラをポーリアは招待することはできません。だから、ネモフィラが参加する場合は、偶然を装って、「割り込み」を使ってお茶会に参加するのです。はっきりと言ってしまえば、予定調和です。親密な関係を築いているという周囲へのアピールが狙いです。
私のシュピルアール家でも、お父様がお茶会の主催者となって大々的なお茶会を催す場合は、国王夫妻が「割り込み」をされる場合があります。それも、突然にシュリルアール家の屋敷に国王夫妻が尋ねて来て、お茶会に参加する時間もあった、というような偶然があるわけありません。事前に打ち合わせておいて、国王夫妻に「割り込み」していただいているのです。そして、王家とシュピルアール家が親密な関係であることを周囲の貴族にアピールするのです。
前回、殿下の機転でネモフィラのお茶の席に、殿下とその婚約者が割り込んだ、という事例をカトレアは見たので、同じようなことが起こるということを期待しているのかも知れませんが、「割り込み」は多用されるものではありません。
だって、突然身分の高いものが、お約束も無しに紅茶を飲みに来るなんて、迷惑なことでしょう?
「姉が試行錯誤を重ねて、やっと出荷できるような紅茶の栽培に成功したのです。どうしても皆さんに飲んで戴きたくて……。定期的に購入して戴ける顧客を見つけることができたらなぁという下心のあるお茶の席ではあるんですけれど……」とカトレアは少しだけばつが悪そうに笑いました。
アウンタール産の紅茶の売り込みのためのお茶の席ですか……。ただ、その目的を自分で言ってしまっているあたり、貴族として少しどうかと思います。そんな手の平をいきなり見せてしまって、良いことはあまりない気がするのですが……。売り込むなら、その相手に欲しいと思わせる。そして、『希少な紅茶葉ですのでお譲りするわけには……』とかなんとか言って値段をつり上げて、『分かりました。他ならぬあなたですから』と、最後は恩まで売ってしまう。買っていただく相手に頭を下げさせるのが貴族です。
それに、カトレア自身で他の方に飲んで貰おうとしている時点で、紅茶葉の品評会にまだ出していないということも分かります。まだ、商人が介在していない。普通は、信頼の置ける商人を見つけ出してから商品を売り込むものです。確かに辺境のアウンタールまで足を伸ばそうとする商人は少ないでしょうから、商人も見つけ難いのかもしれません。ですが、商人を見つけていないのであれば、「卸し」の利権も取られてしまいますよ? アウンタールで買い叩き、王都で高値で売る。紅茶を王都まで運ぶ輸送手段がなかったら、紅茶葉もただアウンタールで腐るだけですからね。このままだと、利益の9割8分は他の貴族と商人に持って行かれるでしょう。
まぁ、それはアウンタール産のこの紅茶葉がどれほどのものか、ということ次第ですが。まずい紅茶葉なら、当然、誰も飲みません。
カトレアはこんな無防備にお茶会など開いて大丈夫なのでしょうか? そもそも、誰もこの紅茶を飲まない可能性の方が大きいですが……。
いえ……そんなことはどうでも良いのです。私は……妹と話がしたいのです。
「では、私がそのお茶の席に割り込んでも良いのかしら?」
「え? ピアニー様がですか?」とカトレアは驚いたように言いました。私が割り込むということは想定していなかったのでしょうか。前回のことがあったので、私から嫌われていると思っているのかも知れません。
「も、もちろんです。光栄です」
「では、お言葉に甘えて」と私はカトレアが注いだ紅茶を飲みます。
「い、いかがですか?」
カトレアは緊張しているのでしょうか。それは私に対して緊張しているのか、紅茶の味を気にしているのか。
もし、紅茶を自分にかけたりしないかなどというようなことを心配しているならそれは無用の心配です。紅茶を相手にかけるというのは貴族としての虐げる常套手段ではありますが、私がそれをカトレアに対してやる場合は、周囲の目があるところです。今は、お昼時ということもあって、カトレアと私しかこの噴水の周りにはいません。
「良い紅茶葉ね。だけど、何かしら……紅茶葉の素材が第一流に属するものであることは疑いないわ。でも、第一流の紅茶となるのには、何処どこか……欠けるところがあるわね。香りが弱いというより、鈍いのかしら」
嘘をついても意味が無いので、正直な感想を私は述べます。シュピルアール家が用達している特級品には遠く及びません。シュピルアール家で来客用に使う紅茶としては失格ですね。ですが、日常的に飲む分には……夕食前のティー・タイムに飲むのには丁度良いかもしれません。
「そうですよね。そうなんです……。故郷で淹れるときには芳醇な香りがするのですが、どうしてか香りが上手くでなくなってしまったのです。雨や湿気に晒されないように運んだのですが……」
「アウンタールではもっと香りが良いの?」
「はい……」
「淹れ方かしら?」
「いえ……まったく同じ手順です」
「お湯の温度も?」
「はい……。水銀計でしっかりと計っています」
「あとは……水かしら?」
「水? 水ですか?」とカトレアは首を傾げます。
「えぇ、水よ。王都の水は8つの水道橋から供給されているでしょ? カテルキア山の雪解け水であったり、ハデロギアの地下水脈であったりとか。それぞれ水に違いがあって、紅茶の味が変わってきてしまうから、それぞれ紅茶葉にあった水を使うのが王都では常識ね」
「水に違いが?」
「え、えぇ。私も詳しくは分からないのだけれど、学友であるカモミール卿のお話では、ハデロギアの地下水脈を運ぶ水道橋は、石灰という物が水の中に多く溶け込んでいて、濾過装置の手入れが欠かせないそうなの。逆に、カテルキア山の雪解け水は、冬は水量が激減するし、夏は泥が多く含まれているので、貯水池で一度泥を沈殿させるようになどの季節ごとの対応が必要ということだったわ。違いがあるとすれば、アウンタールの水と、王都の水ということではないかしら? 一般的に、産地の水が、紅茶は一番美味しくなると言われているけれど」
「アウンタールから水まで持って来るのは難しいですね……」
「でも、よりアウンタールの水に近い水を探してみるのも良いのではないかしら? 飲み比べても良いだろうし、地理的なことを考えるなら、やはりカモミール卿に相談してみるのも良いかも知れませんわ」
「そうですね。試してみます」とカトレアの顔が明るくなりました。
「あのピアニー様、もし良かったら、その8つの水道橋の水、どこで汲めるか教えていただけないでしょうか? 時間を見つけて汲んでこようと思います」
「え?」
「あ、駄目ですか……」
「いえ……。ごめんなさい。いつも侍女が水は汲んでくるから……私も詳しい場所を知らないの……。ごめんなさいね。でも、市井の方は毎日水を汲みに行くと聞いたことがあるので、みんな知っているのではないかしら? もしくは、カモミール卿に聞くのが一番かしらね。カモミール卿も子爵だし、あなたも話易いのではないかしら」
まさか、自分でカトレアが汲みに行くとは思っていませんでした。少しばかり面食らってしまいました。
「あ、ありがとうございます」
「本当に熱心ね」
「はい。姉が試行錯誤を重ねて、やっと……小麦も育たない地で、産業になりそうな紅茶の栽培に成功をして……。これが上手く行けば……アウンタール領も豊かになると思います」
数年後には北方騎馬民族によって壊滅するとあの悪神は言っていたけれど。
「あなたのお姉様、ルピナスさんでしたっけ? あなたのお姉様が、アウンタールで紅茶を作る。そして、あなたが王都でその紅茶を販売する。とても良いアイデアではないかしら? お父様の判断を仰がなければならないのだけど、この紅茶が、王都の水でもっと美味しく飲めるのなら、きっと売り出せるわ。その際には、シュピルアール家が資金を出して、商店を開くこともできるかも知れないわ」
そうすれば、妹は安全な王都に滞在し続けることになる。私は悪魔かも知れない。もう既に、アウンタール領が滅びることを、きっとカトレアの姉が死ぬことを前提にして、妹を助けようとしている。
「いえ。紅茶の販売は姉の夢ですが、私は私の夢がありますので。手伝うのは学園にいる間だけです」
「あなたにはあなたの夢が? それは?」
「私は、アウンタール領という荒れ地で、人を育てようと思うんです」
「紅茶など農作物ではなくて……人を?」
「人です。具体的に言えば、学園を作りたいのです。アウンタールは小麦など農作物を作れる土地ではありません。私の祖父は、こんな酷い土地を開拓して何になるのか、と笑われ続けたそうです。何の種を蒔いても実らない土地だと。それから、胡麻の栽培が成功し、そして姉が、父の代から始めた紅茶の栽培を軌道にのせました。私は、アウンタールという荒れ地に学園を作り、人を育てます。小麦が育たなくても、人は育つ土地にアウンタールをしたいのです」
「でも……この王立学園があるし、アウンタールまで学びにくる方がいるのかしら?」
「いえ、アウンタールの学園で学ぶのは、領民です」
「平民の方が?」
カトレアは、もしかしたら、私の妹、黒部秋子の記憶があるのではないかしら? 平民が教育を受ける……。この時代ではありえない発想のような気がします。
「そうです。実は……恥ずかしながらアウンタールの領民の少なくない人数が、他の領土へと出稼ぎに行っています。主に、危険な鉱山などに出稼ぎに行っています。命を失う人も少なくないと聞いています。ですが……もし、文字が読めたり、計算が出来たりすれば、他の領地に行っても、より待遇の良い仕事に就ける可能性が高くなります」
確かに、他の領地に、伝手も無く出稼ぎに行っても、待遇の悪い仕事しかないでしょう。言われるまま、悪条件で働くしかありません。ですが、文字が読めれば、より良い求人を見つけることも可能となります。読み書きが出来て簡単な計算ができれば、もっと良い待遇の仕事を見つけることもあるかも知れません。
どうやら黒部秋子の記憶というより、具体的な問題点からカトレアが考え抜いた結論という方が自然でしょうか。
「立派なことだと思うわ」
「そう言っていただけると嬉しいです。本当は、どうして兄も、姉もこの王立学園に行っていないのに自分だけが行くのか、私だけズルいのではと考えてしまっていました。でも……私がこの王立学園で学んだことをアウンタールに持ち帰って、そしてそれをみんなに広めればいいんだと気付いたんです。だから、アウンタールに学園を作ろうと考えました。それが、今は私の夢ですね」
そういえば……。私の妹、黒部秋子は、いつも学校から帰ってくると、私にどんなことを今日学んだのかを詳しく話していました。高校を中退した私に、妹は、帰ってくると、今日学んだことを食事中にずっと話をしてくれていました。それは、大学に行ってからも変わらなかった。大学でどんなことを勉強したのか、いつも分かりやすく話してくれていた。
てっきり、妹は学ぶことが好きなのだろうと思っていた。教師にでもなりたいのだろうかと思っていた。
もしかしたら、自分が学んだことを、私にも伝えようとしてくれていたのかもしれない。私は、妹の優しさに気付いていなかった……。
「ピアニー様? どうなされたのですか?」
「いえ、ただ……目にゴミが入ったようなの。大丈夫よ」
「あ、あの良かったらハンカチを……」
「いえ。本当に大丈夫よ。ハンカチなら私も持っているから……。ねぇ、カトレア様、あなたのその夢、とても素敵だわ。その夢は叶えたいの?」
「もちろんです!」
「そう……」
妹の夢。だけど、私は妹には生きて欲しい。これは私の自分勝手なことなのかも知れない。だけど、私は妹が学園を卒業してアウンタールに帰り、そして、死ぬなんて嫌だ。妹の夢を踏みにじってでも、私は妹に生きて欲しい……。いえ、きっとカトレアが殿下と結ばれれば、その夢もきっと実現できるでしょう。少しの間だけ辛くても、その後のあなたの未来はずっと輝いているはずです。
私は、決意をしました。もう、迷いません。私の妹、黒部秋子、そしてカトレア・アウンタール。あなたは間違い無く私の妹。愛しています。
そして、これからの私のことは忘れてください。私はこれから、最低の悪女になります。
アウンタール家が財政的に苦しいということであっても、お茶会を開くのであれば、多少の見栄を張って、それなりの紅茶セットを用意すべきだろうに、と私は思います。
はっきりと申せば……白い無地の紅茶のカップがお茶会で使われるということを知ったら、そのお茶会に参加しようとする貴族はいません。おそらくお茶の席に招待されていたとしても、理由をつけて断るでしょう。
ましてや、人の目も多い学園内でのお茶会。カップというのは目立つものです。白い無地のカップでお茶会をして、あれは何の貧乏貴族の集まりだ? と誰も思われたくはないので、お茶会に参加したいと思う人はいないでしょう。
「どなたかご招待されている方がいるのですか?」と私はカトレアに尋ねます。
当然、私は招待などされていません。カトレアはアウンタール子爵の令嬢ですので、招待出来るのは、子爵家の者達。ポーリアなど子爵家の、カトレアと同じ教室の学友を招待しているのでしょうか。
「略式にて招待をしたのですが……というか、声をかけたのですが、来て戴けるかはわかりません」
「誰も来ないかも知れないのに準備をしていたの?」
「あとは通りすがりの方が参加してくださらないかと思ったんです。私は子爵家で、この学園には伯爵家の方々が多くいらっしゃいます。それに侯爵家の方々もいらっしゃるので、私のお茶の席に割り込む方がいるのではないかと……」
「そうでございましたか」と私は答えながら、割り込む可能性は非常に低いと思いました。そもそも、前回ネモフィラのお茶の席に殿下と私が割り込んだのは異例です。「割り込み」と呼ばれるだけのことはあり、実は、褒められたことではございません。
この「割り込み」の本来の使われ方は、一種のサプライズと周りへのアピールのためです。
たとえば、子爵家のポーリアがお茶会を催すとします。ですが寄子であったも、侯爵家のネモフィラをポーリアは招待することはできません。だから、ネモフィラが参加する場合は、偶然を装って、「割り込み」を使ってお茶会に参加するのです。はっきりと言ってしまえば、予定調和です。親密な関係を築いているという周囲へのアピールが狙いです。
私のシュピルアール家でも、お父様がお茶会の主催者となって大々的なお茶会を催す場合は、国王夫妻が「割り込み」をされる場合があります。それも、突然にシュリルアール家の屋敷に国王夫妻が尋ねて来て、お茶会に参加する時間もあった、というような偶然があるわけありません。事前に打ち合わせておいて、国王夫妻に「割り込み」していただいているのです。そして、王家とシュピルアール家が親密な関係であることを周囲の貴族にアピールするのです。
前回、殿下の機転でネモフィラのお茶の席に、殿下とその婚約者が割り込んだ、という事例をカトレアは見たので、同じようなことが起こるということを期待しているのかも知れませんが、「割り込み」は多用されるものではありません。
だって、突然身分の高いものが、お約束も無しに紅茶を飲みに来るなんて、迷惑なことでしょう?
「姉が試行錯誤を重ねて、やっと出荷できるような紅茶の栽培に成功したのです。どうしても皆さんに飲んで戴きたくて……。定期的に購入して戴ける顧客を見つけることができたらなぁという下心のあるお茶の席ではあるんですけれど……」とカトレアは少しだけばつが悪そうに笑いました。
アウンタール産の紅茶の売り込みのためのお茶の席ですか……。ただ、その目的を自分で言ってしまっているあたり、貴族として少しどうかと思います。そんな手の平をいきなり見せてしまって、良いことはあまりない気がするのですが……。売り込むなら、その相手に欲しいと思わせる。そして、『希少な紅茶葉ですのでお譲りするわけには……』とかなんとか言って値段をつり上げて、『分かりました。他ならぬあなたですから』と、最後は恩まで売ってしまう。買っていただく相手に頭を下げさせるのが貴族です。
それに、カトレア自身で他の方に飲んで貰おうとしている時点で、紅茶葉の品評会にまだ出していないということも分かります。まだ、商人が介在していない。普通は、信頼の置ける商人を見つけ出してから商品を売り込むものです。確かに辺境のアウンタールまで足を伸ばそうとする商人は少ないでしょうから、商人も見つけ難いのかもしれません。ですが、商人を見つけていないのであれば、「卸し」の利権も取られてしまいますよ? アウンタールで買い叩き、王都で高値で売る。紅茶を王都まで運ぶ輸送手段がなかったら、紅茶葉もただアウンタールで腐るだけですからね。このままだと、利益の9割8分は他の貴族と商人に持って行かれるでしょう。
まぁ、それはアウンタール産のこの紅茶葉がどれほどのものか、ということ次第ですが。まずい紅茶葉なら、当然、誰も飲みません。
カトレアはこんな無防備にお茶会など開いて大丈夫なのでしょうか? そもそも、誰もこの紅茶を飲まない可能性の方が大きいですが……。
いえ……そんなことはどうでも良いのです。私は……妹と話がしたいのです。
「では、私がそのお茶の席に割り込んでも良いのかしら?」
「え? ピアニー様がですか?」とカトレアは驚いたように言いました。私が割り込むということは想定していなかったのでしょうか。前回のことがあったので、私から嫌われていると思っているのかも知れません。
「も、もちろんです。光栄です」
「では、お言葉に甘えて」と私はカトレアが注いだ紅茶を飲みます。
「い、いかがですか?」
カトレアは緊張しているのでしょうか。それは私に対して緊張しているのか、紅茶の味を気にしているのか。
もし、紅茶を自分にかけたりしないかなどというようなことを心配しているならそれは無用の心配です。紅茶を相手にかけるというのは貴族としての虐げる常套手段ではありますが、私がそれをカトレアに対してやる場合は、周囲の目があるところです。今は、お昼時ということもあって、カトレアと私しかこの噴水の周りにはいません。
「良い紅茶葉ね。だけど、何かしら……紅茶葉の素材が第一流に属するものであることは疑いないわ。でも、第一流の紅茶となるのには、何処どこか……欠けるところがあるわね。香りが弱いというより、鈍いのかしら」
嘘をついても意味が無いので、正直な感想を私は述べます。シュピルアール家が用達している特級品には遠く及びません。シュピルアール家で来客用に使う紅茶としては失格ですね。ですが、日常的に飲む分には……夕食前のティー・タイムに飲むのには丁度良いかもしれません。
「そうですよね。そうなんです……。故郷で淹れるときには芳醇な香りがするのですが、どうしてか香りが上手くでなくなってしまったのです。雨や湿気に晒されないように運んだのですが……」
「アウンタールではもっと香りが良いの?」
「はい……」
「淹れ方かしら?」
「いえ……まったく同じ手順です」
「お湯の温度も?」
「はい……。水銀計でしっかりと計っています」
「あとは……水かしら?」
「水? 水ですか?」とカトレアは首を傾げます。
「えぇ、水よ。王都の水は8つの水道橋から供給されているでしょ? カテルキア山の雪解け水であったり、ハデロギアの地下水脈であったりとか。それぞれ水に違いがあって、紅茶の味が変わってきてしまうから、それぞれ紅茶葉にあった水を使うのが王都では常識ね」
「水に違いが?」
「え、えぇ。私も詳しくは分からないのだけれど、学友であるカモミール卿のお話では、ハデロギアの地下水脈を運ぶ水道橋は、石灰という物が水の中に多く溶け込んでいて、濾過装置の手入れが欠かせないそうなの。逆に、カテルキア山の雪解け水は、冬は水量が激減するし、夏は泥が多く含まれているので、貯水池で一度泥を沈殿させるようになどの季節ごとの対応が必要ということだったわ。違いがあるとすれば、アウンタールの水と、王都の水ということではないかしら? 一般的に、産地の水が、紅茶は一番美味しくなると言われているけれど」
「アウンタールから水まで持って来るのは難しいですね……」
「でも、よりアウンタールの水に近い水を探してみるのも良いのではないかしら? 飲み比べても良いだろうし、地理的なことを考えるなら、やはりカモミール卿に相談してみるのも良いかも知れませんわ」
「そうですね。試してみます」とカトレアの顔が明るくなりました。
「あのピアニー様、もし良かったら、その8つの水道橋の水、どこで汲めるか教えていただけないでしょうか? 時間を見つけて汲んでこようと思います」
「え?」
「あ、駄目ですか……」
「いえ……。ごめんなさい。いつも侍女が水は汲んでくるから……私も詳しい場所を知らないの……。ごめんなさいね。でも、市井の方は毎日水を汲みに行くと聞いたことがあるので、みんな知っているのではないかしら? もしくは、カモミール卿に聞くのが一番かしらね。カモミール卿も子爵だし、あなたも話易いのではないかしら」
まさか、自分でカトレアが汲みに行くとは思っていませんでした。少しばかり面食らってしまいました。
「あ、ありがとうございます」
「本当に熱心ね」
「はい。姉が試行錯誤を重ねて、やっと……小麦も育たない地で、産業になりそうな紅茶の栽培に成功をして……。これが上手く行けば……アウンタール領も豊かになると思います」
数年後には北方騎馬民族によって壊滅するとあの悪神は言っていたけれど。
「あなたのお姉様、ルピナスさんでしたっけ? あなたのお姉様が、アウンタールで紅茶を作る。そして、あなたが王都でその紅茶を販売する。とても良いアイデアではないかしら? お父様の判断を仰がなければならないのだけど、この紅茶が、王都の水でもっと美味しく飲めるのなら、きっと売り出せるわ。その際には、シュピルアール家が資金を出して、商店を開くこともできるかも知れないわ」
そうすれば、妹は安全な王都に滞在し続けることになる。私は悪魔かも知れない。もう既に、アウンタール領が滅びることを、きっとカトレアの姉が死ぬことを前提にして、妹を助けようとしている。
「いえ。紅茶の販売は姉の夢ですが、私は私の夢がありますので。手伝うのは学園にいる間だけです」
「あなたにはあなたの夢が? それは?」
「私は、アウンタール領という荒れ地で、人を育てようと思うんです」
「紅茶など農作物ではなくて……人を?」
「人です。具体的に言えば、学園を作りたいのです。アウンタールは小麦など農作物を作れる土地ではありません。私の祖父は、こんな酷い土地を開拓して何になるのか、と笑われ続けたそうです。何の種を蒔いても実らない土地だと。それから、胡麻の栽培が成功し、そして姉が、父の代から始めた紅茶の栽培を軌道にのせました。私は、アウンタールという荒れ地に学園を作り、人を育てます。小麦が育たなくても、人は育つ土地にアウンタールをしたいのです」
「でも……この王立学園があるし、アウンタールまで学びにくる方がいるのかしら?」
「いえ、アウンタールの学園で学ぶのは、領民です」
「平民の方が?」
カトレアは、もしかしたら、私の妹、黒部秋子の記憶があるのではないかしら? 平民が教育を受ける……。この時代ではありえない発想のような気がします。
「そうです。実は……恥ずかしながらアウンタールの領民の少なくない人数が、他の領土へと出稼ぎに行っています。主に、危険な鉱山などに出稼ぎに行っています。命を失う人も少なくないと聞いています。ですが……もし、文字が読めたり、計算が出来たりすれば、他の領地に行っても、より待遇の良い仕事に就ける可能性が高くなります」
確かに、他の領地に、伝手も無く出稼ぎに行っても、待遇の悪い仕事しかないでしょう。言われるまま、悪条件で働くしかありません。ですが、文字が読めれば、より良い求人を見つけることも可能となります。読み書きが出来て簡単な計算ができれば、もっと良い待遇の仕事を見つけることもあるかも知れません。
どうやら黒部秋子の記憶というより、具体的な問題点からカトレアが考え抜いた結論という方が自然でしょうか。
「立派なことだと思うわ」
「そう言っていただけると嬉しいです。本当は、どうして兄も、姉もこの王立学園に行っていないのに自分だけが行くのか、私だけズルいのではと考えてしまっていました。でも……私がこの王立学園で学んだことをアウンタールに持ち帰って、そしてそれをみんなに広めればいいんだと気付いたんです。だから、アウンタールに学園を作ろうと考えました。それが、今は私の夢ですね」
そういえば……。私の妹、黒部秋子は、いつも学校から帰ってくると、私にどんなことを今日学んだのかを詳しく話していました。高校を中退した私に、妹は、帰ってくると、今日学んだことを食事中にずっと話をしてくれていました。それは、大学に行ってからも変わらなかった。大学でどんなことを勉強したのか、いつも分かりやすく話してくれていた。
てっきり、妹は学ぶことが好きなのだろうと思っていた。教師にでもなりたいのだろうかと思っていた。
もしかしたら、自分が学んだことを、私にも伝えようとしてくれていたのかもしれない。私は、妹の優しさに気付いていなかった……。
「ピアニー様? どうなされたのですか?」
「いえ、ただ……目にゴミが入ったようなの。大丈夫よ」
「あ、あの良かったらハンカチを……」
「いえ。本当に大丈夫よ。ハンカチなら私も持っているから……。ねぇ、カトレア様、あなたのその夢、とても素敵だわ。その夢は叶えたいの?」
「もちろんです!」
「そう……」
妹の夢。だけど、私は妹には生きて欲しい。これは私の自分勝手なことなのかも知れない。だけど、私は妹が学園を卒業してアウンタールに帰り、そして、死ぬなんて嫌だ。妹の夢を踏みにじってでも、私は妹に生きて欲しい……。いえ、きっとカトレアが殿下と結ばれれば、その夢もきっと実現できるでしょう。少しの間だけ辛くても、その後のあなたの未来はずっと輝いているはずです。
私は、決意をしました。もう、迷いません。私の妹、黒部秋子、そしてカトレア・アウンタール。あなたは間違い無く私の妹。愛しています。
そして、これからの私のことは忘れてください。私はこれから、最低の悪女になります。
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悠木真帆
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