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5.二年生4月AB ②

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「懐かしくてな」

 先生はスーツの後ろポケットからハンカチを取り出して涙を拭いた。

「懐かしい?」

「あぁ、俺はこの高校の卒業生だからな。って、四月の始業式のときに、校長先生がそう言って紹介していたじゃないか。聞いてなかったのか?」

「すみません」と私は少し頭をさげた。

 校長先生の話は長い。講壇でずっと喋っている。それに、なんだか始業式や終業式の日に校長先生が話す内容は、どこかで聞いたことがあるような話ばっかりなのだ。

「そうだ。山崎、今日国語の時間、突然、朗読指名してすまなかったな」

「いえ。びっくりしましたけど」

「山崎くらいしかまだクラスの生徒のこと、分かってなくてな」

「そうですよね」
 産休を取っている間だけの臨時の先生。どことなく影があるところがいぃ、と言っているクラスの女子もいる。

 先生も、そしてクラスのみんながやっと慣れて馴染んだときに産休が明けて。小林先生とはサヨナラということになってしまうのだろう。

「さて、職員会議の時間だ。それじゃあ、頑張れよ。あっ。そうだ。これを三点透視でデッサンしてみろ。きっと勉強になる」

 小林先生は、机を机の上に裏返して載せた。机の面と面が重なり合うように。そして、三十度ほど上の机を回した。机の脚が四つのお城の塔に見えなくもない。

「井上もやってみるように」

 小林先生は美術室から出て行った。

 残された私と井上君。そして、机の上に置いた私の描いた絵。

「この机のデッサンって、意味があるのかな?」

「消失点に沿って画けているかを見直せってことじゃないかな」

「そういうことだよね」

 四角形の机の上に、少し捻られて置かれた四角形の机。少しだけ応用ということだろうか。

「さらに、ここにこれを置いてはみたらどうかな」

 井上君は、裏返された机の上に、造花の花が詰まった花瓶を置いた。

「じゃあ、これも置いてみる?」

 電池切れの目覚まし時計を、私は花瓶の横に置いてみた。

「それは……なんだかサルバトーレ・ダリの絵みたいだ」と井上君が笑った。造花のヒマワリの横に、電池切れの時計が置かれることがお可笑しようだ。

「じゃあ、カマンベール・チーズみたいにこの時計を溶かさないと」

 私は、写実主義派のミレーの絵がとても好きだ。ピカソやダリの良さは分からない。印象派のモネの絵も好きだけど。

 私と井上君は、美術室の机に置いて回った絵画を美術準備室へと戻す。美術室は直射日光を避けるために、いつでもカーテンは閉じられたままだ。太陽を沢山吸い込んでいる美術室とは違って、薄暗い。

「今度、僕も先生に絵を見て貰おうかな」

 小林君が美術室にしまってある自分の絵を見つめている。
「見てくれるんじゃないかな」

 職員会議の前の忙しい時間に、わざわざ美術室に足を運んでくださるということは、美術部の顧問としても活動してくれるのだろう。

「今度頼んでみるよ。でも、自分の絵を観てくださいって頼むのって恥ずかしいね。山崎さんは、どう頼んだの?」

 たしかに、絵を観てくださいって、自信満々なような気がして、少し恥ずかしい

「ん? 頼んだわけじゃないけど。今日、先生がたまたま言い出してくれたんだ」

「そうだったんだ。何回も観てもらっていたのかと思ってた」

「え? どうして?」

「山崎さんの絵、褒めてたから。二点透視図法を使った風景が上手だって。僕もそう思っていたけど……」

「描いている絵を見たからじゃないかな? いま、ホーエンツォレルン城の模写しているし」

「そうなの?」と井上君が首を傾げ、でもあの絵は、「三点透視で描いてるよね? 二点透視じゃない」

 先生が、『二点透視図法を使った風景画はやはり上手だな』と言っていた。

「どうして、『やはり』だったのかな?」

 私は言った。美術準備室の棚に置かれてあるギリシャ風の白い石灰の石像たちが、私を見つめている気がした。

「僕もそう思った。でも、もしかしたら、美術準備室のカギも持っているはずだし、僕等がいないときに観に来てくれたのかもね」

「それだったら、井上君も絵の感想聞きやすいね」

 井上君と私は、美術室に戻り、絵の制作を再開した。夕暮れだった。相変わらず健太はマウンドにいて、ピッチングの練習を続けていた。私は美術室の窓から健太を眺める。右手と左手の親指と一差し指でL字をつくり、そしてそれを四角形になるように重ねた。

 『練習している健太』

 今度、野球部の練習風景を絵にしてみようかな。球場での試合の風景を描くのも良いかもしれない。
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