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サスペンダー
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遠くでお囃子の音がする。
門から順に並んだ石灯籠。
迎え火焚いて、石灯篭に火をいれる。
門から続く参道には、白い玉砂利に三波石の飛び石。
無い風に漂う、薄っすらと匂い立つ白煙と蛍の火。
彼方、何処から還る人待つ盂蘭盆会。
久しぶりに帰った実家は、先祖供養の線香の香りに包まれていた。
表通りを眺めれば、金魚浴衣の子供の手を引き、祭りに向かう人の波。
軒下からニャアと呼ばれ、屈んで縁側の下に手を差し出すと、猫が目を細めて顔を押し付けてくる。
「ミー、ただいま」
ミーは何年か前から寺に住み着いている猫だ。
白地に牛みたいな黒いまだら模様が目印。
はっきり言ってブサニャンだ。 鼻の頭と片目に掛かった黒い模様がなんとも言えない味を出してる。
時々餌をあげてるけど、ウチで飼ってる訳じゃない。
ふらりと来ては、ふらりと帰って行く。時々甘え、時々姿を消す。首輪はしてないけど、ここはミーにとっての妾宅で、本命はちゃんと他にあるんだろう。
おいで、おいで、と呼んでみたけど、途中でキッと目を見開いて踏みとどまると、素早く身を翻して逃げてしまった。
「逃げられた・・」
縁の下を覗き込んでいた俺の後ろで、砂利を踏む足音が止まった。
「猫か?」
低く厚みのある声に顔を上げる。
「もしかして、イヌが怖かったのかな?」
見上げると、すぐそこに臙脂色の帯を巻いた濃紺の浴衣姿のイヌがいる。まだ明るい夕闇を背にして、首まで伸びた髪はライオンのタテガミみたいに広がってる。
「動物は皆、俺が怖い」
そう肩を竦め、胸の前で組んでいた腕を解く。袖から覗く前腕はかなり筋肉質だ。手も大きくて指の節が太い。
その手が俺の腕を取り、縁側の前から引き上げ立たせる。
「もう始まってるな」
提灯で彩られた賑やかな通りが見える。
お祭りに行く人達の楽しそうな声が響いてた。
「イヌ、たこ焼き食べに行こう!」
「ああ。たこ焼きでも、かき氷でも買ってやる」
「イヌが?」
普段、あまり現金を持ち歩かないイヌらしからぬ発言に俺は驚いた。
こんな『普通』のことを言うイヌは珍しい。いや珍しいどころか怪奇現象に近い。
なぜなら、このイヌは『犬』と呼んではいるが、本当は犬でもなければ人でもない。
その正体はーーー、齢2000年を超える太古の生き神、蒼狼様だ。
よって、人じゃないから元々『普通の生活』なんか知らない。
ご飯だって食べなくたって死なないし、服なんか興味もない。
イヌが服を着る時は、占いの仕事をする時か、シアンの送り迎えをする時だけ。それ以外は殆ど裸か本来の狼の姿で過ごしている。
そんな蒼狼様は、この世界の常識やモラルを多少なりとも理解し、シアンに嫌われないようにするため、シアンの生活に自分の生活を合わせている。
シアンの叔父にあたる悟聖がお金を稼げるシステムを作ってくれたおかげで、イヌは結構なお金持ちだ。
そのため、イヌは都心にコンシェルジュ付きの2人で住むには広過ぎるマンションと国産の高級車を持ち、悟聖の後任で鐘が成る寺の17代目継承者、現役高校生のシアンと熱愛同棲中だ。
都会で暮らすために必要な金は稼ぐが、現金は殆ど側に置かず、使う時はもっぱらクレジットカードか電子マネーだ。何を買うにしても現金のやり取りは殆どしない。
今は、携帯端末とカードが一枚あれば何でも出来る便利な世の中なのだ。
この生活にすっかり慣れてしまったのはシアンよりもイヌの方だろう。
シアンの家系は、初代に始まり、ずっとイヌと共に生き、その側で支え、仕えてきた特別な人種だ。歴代の巫女の跡を継ぎ、シアンもその系譜に名を刻む1人となる筈だったのだがーーー、この状況では、イヌの方がせっせとシアンの世話を焼いていると言った方が正しい。
イヌ曰く、シアンはイヌに仕えた初代の生まれ代わりで、イヌがずっと会いたかった最愛の人、だと言う。
つまり、イヌはシアンにゾッコンベタ惚れで、イヌの方がシアンを下にも置かない扱いをしている。
そういう訳で、16歳にして突如指名された務め役を、始めは放棄する気満々だったシアンだが、イヌの問答無用の情熱とその性欲に負け、今では、泣くほど嫌だった獣姦に抵抗も無く、蜂蜜よりも濃くて甘い蜜月を過ごしている。
「ワタアメでもリンゴ飴でも、お面でもいいぞ」
こんな得意そうなイヌをシアンは初めて見る。イヌにとって万事は些事。長生きし過ぎているせいで大概の事に関心が無い。
そのイヌが、今日は夜店でシアンに何でも買ってくれると言う。
大丈夫だろうか。自信があり過ぎて、逆に心配になる。
自信満々で買い物して、何か失敗したりして怒り出さないだろうか?
「あの、イヌ?祭で何かあっても、絶対怒っちゃダメだからな?祟りとかしたらダメだからな・・?」
「人を禍神みたいに言うな。だいたいあんなもんは迷信だぞ。人間の恐怖心がそういう怪物を生み出して、何かあると人々の間で噂にして・・」
「はいはい。ちゃんと信じてるって」
シアンはイヌの腕を胸に抱くように引っ張って行く。
今夜のお祭りのために、シアンも浴衣だ。明るい灰色で、帯は藍色。先日、2人でデパートに行き、生地から選んで注文した一点物だ。
その時、お揃いで買った草履は、鼻緒の色をお互いの浴衣の色と逆にした。
「イヌは俺たち人間に悪い事なんかしないもんね」
ね?と、可愛く笑顔を向けられて、イヌは『そんな約束をした覚えはない』とは言い出せなくなる。
シアンは可愛い。出会った頃、茶色に染めていた髪は今は黒く、パッチリ二重にすっきりとした鼻、小さな唇は触れるとびっくりするくらい柔らかい。
大事にしなければ壊してしまいそうで、力の加減が少し難しい。
やっと生まれ代わったシアンと出会えたこの世界で、彼をもう二度と失いたくない。
自分よりも、シアンが大事だ。
だから、イヌが約束出来るのは『シアンが嫌がる事はしない』という事だけ。
この流れでいけば、確かに、シアンが望む『人間に悪い事はしない』という思考回路に繋がるのかも知れない。
シアンが好きだ。
この小さな手が、俺の髪を梳くのが好きだ。
丸めた体を寄せて一緒に眠るのが好きだ。
俺に向けて屈託無く笑う顔が大好きだ。
自分の爪で引っ掻いて、傷なんかつけたくない。
大事にしよう。
大切にしよう。
しかし、事件は起きてしまう。
「すごいよイヌ、じゃない、蒼(アオ)っ」
さすがに人前では、イケメン野獣男子をイヌと呼ぶには語弊があるので、シアンは蒼狼様の『蒼』の部分をあだ名にして呼ぶ事にした。
そんな事はともかく、とにかく、すごいのだ。
イヌがくじを引くと、一等が出る。
射的をすれば、絶対取れない筈のゲームソフトが倒れる。
金魚を掬うポイは出目金を掬っても全く破れない。
5匹も出目金を掬って、出店のおじさんに怪訝な顔をされ、慌てて終わりにした。
「運がいい。すごいキてる・・!」
そりゃそうだろう。運がいいも何も、祭られるべき神がここにいるのだ。この程度のくじなら何度引いても一等が出る筈だ。
「ねー、蒼、次はどの店行く?」
期待に満ち満ちた目で自分を見上げるシアンに、そんな無粋な事を言う気はない。
「腹は減ってないのか?甘い物も色々あるぞ」
「そうだね~、クレープも食べたいけど・・ケバブも美味しそうだよな~」
ズラリと夜店が並んだ広い通りには、道幅いっぱいに人がごった返している。
その人波に逆らうように、シアンは道の真ん中に立ち止まり、辺りの店を検分する。
「う~ん、キャラメルポップコーンも捨て難いけど、ワッフルもある~~っ」
「全部買ってやるから、悩む必要はないぞ」
「いや、でも、食べる順番間違えると、すぐお腹いっぱいになって色々食べれなくなっちゃうじゃん?」
真剣に悩んでいるシアンが可愛くて、つい笑ってしまった。
「それにイヌが、じゃなくて蒼が一緒に食べてくれると、嬉しいし」
「シアン・・」
そんな可愛い事を言うからつい手が出てしまう。
シアンの背後から腰に腕を回す。
イヌの手に、シアンがビクッと体を緊張させて顎を上げた。
なんて、なんて可愛いシアン。その柔肌を隈なく舐めて噛んで吸って、舌の上で転がしたくなる。
「ちょ、ダメだからな?こんなとこで・・イヌ?じゃない、蒼?」
よせよ?とイヌを睨み、身を縮こめたシアンが腰に回したイヌの腕を強く掴んだ。
だが、イヌは頓着しない。
キスしたい。キスしたいのは仕方がない。
誰も見てやしない。いや、見せない。誰の記憶にも残さない。
「ちょ、ダメッ・・・!」
シアンはイヌの腕の中から逃げようと身を翻し、イヌの胸を手で押した。
ドンッと勢いよくイヌは後ろによろけそうになった。が、本当によろけたのは、足下に転がっていたゴミを踏んだシアンの方だった。
ズルっと足が滑り、シアンの体がすぐ後ろを歩いていた人とぶつかった。
その途端、「痛ええなっ・・!」と、大げさな声が一帯に響き、ガラの悪い連中がシアンの背中を反対に押し返した。再び、シアンの体はイヌの腕の中に戻る。
「おい!どうしてくれんだよ!?」
喧騒を切り裂く怒鳴り声に、祭の賑やかな空気は一変した。
何事かと人が立ち止まり、往来の真ん中に立ち尽くしているシアン達へ注目が集まる。
男達は4人組で、二十歳そこそこ。日に焼けた体にジャージや迷彩柄のタンクトップを着て、1人は髪を金色に染め、耳にピアスを幾つもつけている。もう1人は坊主頭、あとの2人は黒い前髪を長く垂らしていた。
「お前がぶつかったせいで、服が汚れちまっただろうが!」
見ると、確かに彼が着ている金のラインの入った黒いジャージの胸にソフトクリームがベチャッとくっついている。
「弁償だな」
仲間の1人がポツリと呟き「そうだ、そうだ」と仲間が囃し立てる。
「その前に。お前、自分がした事、謝れよ」
坊主頭の男がシアンに詰め寄って来る。
それを、イヌは腕の中のシアンをサッと自分の背中側に隠した。
「悪かった。俺のせいで、シアンがお前にぶつかった。服も弁償してやる。いくらだ?」
イヌの言い方に相手は呆けた顔になり、直後「なんだコイツ」と怒り出した。
だが、元々こういう口調なだけで、イヌに悪気はない。
だって神様なんだ。俺達の常識が通じる相手じゃない。俺達の『普通』なんかイヌの前では何の意味もない。
「偉そうに言ってんじゃねえよ!この野郎!」
「何が『悪かった』だ!謝るなら土下座しろ!」
土下座?こいつらバカだ。
よりによってイヌに向かって土下座しろなんて自殺行為に近い。
やばい、イヌが怒る。
怒ったら、すごい事になる。
人間がどうにも太刀打ちできない災難が起きる。
「ダメ、ダメだ。イヌ・・!」
怒っちゃダメ・・!
シアンはイヌの背中に必死に縋り付いて止めた。が、軽く片手でいなされて、イヌが連中の前に一歩踏み出す。と、何か本能的な部分で恐怖心が芽生えたのか、男達はイヌを前にしてたじろいだ。イヌを怖がるのは猫だけじゃない。
イヌの目が真っ直ぐ金髪の顔に張り付く。獲物を見据えたイヌの目には、瞳孔の回りに荊のような模様が入っている。手を出したら今にも噛みつかれそうなそれは、威嚇する獣の目だ。その背中がゆっくりと前に倒れる。
イヌが道路に膝をつき、かしこまって浴衣の襟を直した。
そして。
「ごめんなさい」
と、頭を下げた。
その瞬間、シアンはイヌが深々と連中に向かって頭を下げようとするの後ろから羽交い締めにして止めた。
「ダメだッそんなの、ダメッイヌがそんな事するな!!」
祟りも災害も絶対ダメ。だけど、こんなくだらない連中相手にイヌが謝るなんて絶対にダメだ。
それが、いくら俺のためであっても全然嬉しくない。
こんなイヌの姿を誰にも見せたくない。
シアンは膝立ちになってイヌの頭を胸に抱きしめた。
門から順に並んだ石灯籠。
迎え火焚いて、石灯篭に火をいれる。
門から続く参道には、白い玉砂利に三波石の飛び石。
無い風に漂う、薄っすらと匂い立つ白煙と蛍の火。
彼方、何処から還る人待つ盂蘭盆会。
久しぶりに帰った実家は、先祖供養の線香の香りに包まれていた。
表通りを眺めれば、金魚浴衣の子供の手を引き、祭りに向かう人の波。
軒下からニャアと呼ばれ、屈んで縁側の下に手を差し出すと、猫が目を細めて顔を押し付けてくる。
「ミー、ただいま」
ミーは何年か前から寺に住み着いている猫だ。
白地に牛みたいな黒いまだら模様が目印。
はっきり言ってブサニャンだ。 鼻の頭と片目に掛かった黒い模様がなんとも言えない味を出してる。
時々餌をあげてるけど、ウチで飼ってる訳じゃない。
ふらりと来ては、ふらりと帰って行く。時々甘え、時々姿を消す。首輪はしてないけど、ここはミーにとっての妾宅で、本命はちゃんと他にあるんだろう。
おいで、おいで、と呼んでみたけど、途中でキッと目を見開いて踏みとどまると、素早く身を翻して逃げてしまった。
「逃げられた・・」
縁の下を覗き込んでいた俺の後ろで、砂利を踏む足音が止まった。
「猫か?」
低く厚みのある声に顔を上げる。
「もしかして、イヌが怖かったのかな?」
見上げると、すぐそこに臙脂色の帯を巻いた濃紺の浴衣姿のイヌがいる。まだ明るい夕闇を背にして、首まで伸びた髪はライオンのタテガミみたいに広がってる。
「動物は皆、俺が怖い」
そう肩を竦め、胸の前で組んでいた腕を解く。袖から覗く前腕はかなり筋肉質だ。手も大きくて指の節が太い。
その手が俺の腕を取り、縁側の前から引き上げ立たせる。
「もう始まってるな」
提灯で彩られた賑やかな通りが見える。
お祭りに行く人達の楽しそうな声が響いてた。
「イヌ、たこ焼き食べに行こう!」
「ああ。たこ焼きでも、かき氷でも買ってやる」
「イヌが?」
普段、あまり現金を持ち歩かないイヌらしからぬ発言に俺は驚いた。
こんな『普通』のことを言うイヌは珍しい。いや珍しいどころか怪奇現象に近い。
なぜなら、このイヌは『犬』と呼んではいるが、本当は犬でもなければ人でもない。
その正体はーーー、齢2000年を超える太古の生き神、蒼狼様だ。
よって、人じゃないから元々『普通の生活』なんか知らない。
ご飯だって食べなくたって死なないし、服なんか興味もない。
イヌが服を着る時は、占いの仕事をする時か、シアンの送り迎えをする時だけ。それ以外は殆ど裸か本来の狼の姿で過ごしている。
そんな蒼狼様は、この世界の常識やモラルを多少なりとも理解し、シアンに嫌われないようにするため、シアンの生活に自分の生活を合わせている。
シアンの叔父にあたる悟聖がお金を稼げるシステムを作ってくれたおかげで、イヌは結構なお金持ちだ。
そのため、イヌは都心にコンシェルジュ付きの2人で住むには広過ぎるマンションと国産の高級車を持ち、悟聖の後任で鐘が成る寺の17代目継承者、現役高校生のシアンと熱愛同棲中だ。
都会で暮らすために必要な金は稼ぐが、現金は殆ど側に置かず、使う時はもっぱらクレジットカードか電子マネーだ。何を買うにしても現金のやり取りは殆どしない。
今は、携帯端末とカードが一枚あれば何でも出来る便利な世の中なのだ。
この生活にすっかり慣れてしまったのはシアンよりもイヌの方だろう。
シアンの家系は、初代に始まり、ずっとイヌと共に生き、その側で支え、仕えてきた特別な人種だ。歴代の巫女の跡を継ぎ、シアンもその系譜に名を刻む1人となる筈だったのだがーーー、この状況では、イヌの方がせっせとシアンの世話を焼いていると言った方が正しい。
イヌ曰く、シアンはイヌに仕えた初代の生まれ代わりで、イヌがずっと会いたかった最愛の人、だと言う。
つまり、イヌはシアンにゾッコンベタ惚れで、イヌの方がシアンを下にも置かない扱いをしている。
そういう訳で、16歳にして突如指名された務め役を、始めは放棄する気満々だったシアンだが、イヌの問答無用の情熱とその性欲に負け、今では、泣くほど嫌だった獣姦に抵抗も無く、蜂蜜よりも濃くて甘い蜜月を過ごしている。
「ワタアメでもリンゴ飴でも、お面でもいいぞ」
こんな得意そうなイヌをシアンは初めて見る。イヌにとって万事は些事。長生きし過ぎているせいで大概の事に関心が無い。
そのイヌが、今日は夜店でシアンに何でも買ってくれると言う。
大丈夫だろうか。自信があり過ぎて、逆に心配になる。
自信満々で買い物して、何か失敗したりして怒り出さないだろうか?
「あの、イヌ?祭で何かあっても、絶対怒っちゃダメだからな?祟りとかしたらダメだからな・・?」
「人を禍神みたいに言うな。だいたいあんなもんは迷信だぞ。人間の恐怖心がそういう怪物を生み出して、何かあると人々の間で噂にして・・」
「はいはい。ちゃんと信じてるって」
シアンはイヌの腕を胸に抱くように引っ張って行く。
今夜のお祭りのために、シアンも浴衣だ。明るい灰色で、帯は藍色。先日、2人でデパートに行き、生地から選んで注文した一点物だ。
その時、お揃いで買った草履は、鼻緒の色をお互いの浴衣の色と逆にした。
「イヌは俺たち人間に悪い事なんかしないもんね」
ね?と、可愛く笑顔を向けられて、イヌは『そんな約束をした覚えはない』とは言い出せなくなる。
シアンは可愛い。出会った頃、茶色に染めていた髪は今は黒く、パッチリ二重にすっきりとした鼻、小さな唇は触れるとびっくりするくらい柔らかい。
大事にしなければ壊してしまいそうで、力の加減が少し難しい。
やっと生まれ代わったシアンと出会えたこの世界で、彼をもう二度と失いたくない。
自分よりも、シアンが大事だ。
だから、イヌが約束出来るのは『シアンが嫌がる事はしない』という事だけ。
この流れでいけば、確かに、シアンが望む『人間に悪い事はしない』という思考回路に繋がるのかも知れない。
シアンが好きだ。
この小さな手が、俺の髪を梳くのが好きだ。
丸めた体を寄せて一緒に眠るのが好きだ。
俺に向けて屈託無く笑う顔が大好きだ。
自分の爪で引っ掻いて、傷なんかつけたくない。
大事にしよう。
大切にしよう。
しかし、事件は起きてしまう。
「すごいよイヌ、じゃない、蒼(アオ)っ」
さすがに人前では、イケメン野獣男子をイヌと呼ぶには語弊があるので、シアンは蒼狼様の『蒼』の部分をあだ名にして呼ぶ事にした。
そんな事はともかく、とにかく、すごいのだ。
イヌがくじを引くと、一等が出る。
射的をすれば、絶対取れない筈のゲームソフトが倒れる。
金魚を掬うポイは出目金を掬っても全く破れない。
5匹も出目金を掬って、出店のおじさんに怪訝な顔をされ、慌てて終わりにした。
「運がいい。すごいキてる・・!」
そりゃそうだろう。運がいいも何も、祭られるべき神がここにいるのだ。この程度のくじなら何度引いても一等が出る筈だ。
「ねー、蒼、次はどの店行く?」
期待に満ち満ちた目で自分を見上げるシアンに、そんな無粋な事を言う気はない。
「腹は減ってないのか?甘い物も色々あるぞ」
「そうだね~、クレープも食べたいけど・・ケバブも美味しそうだよな~」
ズラリと夜店が並んだ広い通りには、道幅いっぱいに人がごった返している。
その人波に逆らうように、シアンは道の真ん中に立ち止まり、辺りの店を検分する。
「う~ん、キャラメルポップコーンも捨て難いけど、ワッフルもある~~っ」
「全部買ってやるから、悩む必要はないぞ」
「いや、でも、食べる順番間違えると、すぐお腹いっぱいになって色々食べれなくなっちゃうじゃん?」
真剣に悩んでいるシアンが可愛くて、つい笑ってしまった。
「それにイヌが、じゃなくて蒼が一緒に食べてくれると、嬉しいし」
「シアン・・」
そんな可愛い事を言うからつい手が出てしまう。
シアンの背後から腰に腕を回す。
イヌの手に、シアンがビクッと体を緊張させて顎を上げた。
なんて、なんて可愛いシアン。その柔肌を隈なく舐めて噛んで吸って、舌の上で転がしたくなる。
「ちょ、ダメだからな?こんなとこで・・イヌ?じゃない、蒼?」
よせよ?とイヌを睨み、身を縮こめたシアンが腰に回したイヌの腕を強く掴んだ。
だが、イヌは頓着しない。
キスしたい。キスしたいのは仕方がない。
誰も見てやしない。いや、見せない。誰の記憶にも残さない。
「ちょ、ダメッ・・・!」
シアンはイヌの腕の中から逃げようと身を翻し、イヌの胸を手で押した。
ドンッと勢いよくイヌは後ろによろけそうになった。が、本当によろけたのは、足下に転がっていたゴミを踏んだシアンの方だった。
ズルっと足が滑り、シアンの体がすぐ後ろを歩いていた人とぶつかった。
その途端、「痛ええなっ・・!」と、大げさな声が一帯に響き、ガラの悪い連中がシアンの背中を反対に押し返した。再び、シアンの体はイヌの腕の中に戻る。
「おい!どうしてくれんだよ!?」
喧騒を切り裂く怒鳴り声に、祭の賑やかな空気は一変した。
何事かと人が立ち止まり、往来の真ん中に立ち尽くしているシアン達へ注目が集まる。
男達は4人組で、二十歳そこそこ。日に焼けた体にジャージや迷彩柄のタンクトップを着て、1人は髪を金色に染め、耳にピアスを幾つもつけている。もう1人は坊主頭、あとの2人は黒い前髪を長く垂らしていた。
「お前がぶつかったせいで、服が汚れちまっただろうが!」
見ると、確かに彼が着ている金のラインの入った黒いジャージの胸にソフトクリームがベチャッとくっついている。
「弁償だな」
仲間の1人がポツリと呟き「そうだ、そうだ」と仲間が囃し立てる。
「その前に。お前、自分がした事、謝れよ」
坊主頭の男がシアンに詰め寄って来る。
それを、イヌは腕の中のシアンをサッと自分の背中側に隠した。
「悪かった。俺のせいで、シアンがお前にぶつかった。服も弁償してやる。いくらだ?」
イヌの言い方に相手は呆けた顔になり、直後「なんだコイツ」と怒り出した。
だが、元々こういう口調なだけで、イヌに悪気はない。
だって神様なんだ。俺達の常識が通じる相手じゃない。俺達の『普通』なんかイヌの前では何の意味もない。
「偉そうに言ってんじゃねえよ!この野郎!」
「何が『悪かった』だ!謝るなら土下座しろ!」
土下座?こいつらバカだ。
よりによってイヌに向かって土下座しろなんて自殺行為に近い。
やばい、イヌが怒る。
怒ったら、すごい事になる。
人間がどうにも太刀打ちできない災難が起きる。
「ダメ、ダメだ。イヌ・・!」
怒っちゃダメ・・!
シアンはイヌの背中に必死に縋り付いて止めた。が、軽く片手でいなされて、イヌが連中の前に一歩踏み出す。と、何か本能的な部分で恐怖心が芽生えたのか、男達はイヌを前にしてたじろいだ。イヌを怖がるのは猫だけじゃない。
イヌの目が真っ直ぐ金髪の顔に張り付く。獲物を見据えたイヌの目には、瞳孔の回りに荊のような模様が入っている。手を出したら今にも噛みつかれそうなそれは、威嚇する獣の目だ。その背中がゆっくりと前に倒れる。
イヌが道路に膝をつき、かしこまって浴衣の襟を直した。
そして。
「ごめんなさい」
と、頭を下げた。
その瞬間、シアンはイヌが深々と連中に向かって頭を下げようとするの後ろから羽交い締めにして止めた。
「ダメだッそんなの、ダメッイヌがそんな事するな!!」
祟りも災害も絶対ダメ。だけど、こんなくだらない連中相手にイヌが謝るなんて絶対にダメだ。
それが、いくら俺のためであっても全然嬉しくない。
こんなイヌの姿を誰にも見せたくない。
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