傲慢な戦士:偽

ヘイ

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第二部

第21話

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 八年前。
 アスタゴ某所。
 ある家に四人の家族が住んでいた。
 研究職の父と母は忙しく、家に帰るというのも中々出来ないが、それでも人並みの愛を、もしかすればそれ以上の愛を娘たちに注いでいた。
「あれ、お父さん、お母さん?」
 既に着替えを終え、家を出ようとした二人の背中に声がかかった。朝も早いと言うのに。
「起きたのか、ミア」
 十六歳の娘のミアは目を覚ましたのか眠気眼を擦りながら手摺りを頼りに階段を降りてくる。
「……仕事?」
「ああ。暫く帰ってこれないかもしれない。前からの仕事がいよいよって所でね」
 日が上り始めた早朝、罰の悪そうな顔をして父が告げるとミアも慣れているのか「ふーん」と興味なさげに務めた。
「ミア、お留守番宜しくね」
 母も不安を覚えているのか眉を八の字にして言い聞かせてくる。
「大丈夫だよ」
 少しばかりの鬱陶しさを覚えながら、溜息混じりに答えれば。
「そう。リビアの事も宜しくね。ご飯はちゃんと食べるのよ? それとお金はテーブルの上に置いておいたから」
「うん、わかったって」
 しつこいな、と言う様に顔を横にふいと背ければ父も母も苦笑い。
「じゃあ、行こうか」
「そうね」
 夫婦が顔を見合わせてから、同時にミアに顔を向ける。
「ミア、行ってきます」
 大きな手が優しくミアの頭を撫でて、次の瞬間にはさっと離れてしまう。この頭を撫でられるという感覚は嫌いではない。寧ろミアは好きだ。だからといって十六歳にもなってせがむ程、彼女は幼くもない。
 物寂しい様な気持ちも押し殺して。
「いってらっしゃい……」
 両親を見送り寂しげな声を掛けた。
 まだ静かな朝。
 妹は起きていない。
「大丈夫かしら……」
 薄水色の年季の入った車に乗り込んで助手席に座った茶髪の女性が茶色の目を家の扉の方へと向ける。
「相変わらずカティアは心配性だな」
 ハンドルを握り込んだ彼が失笑しながらエンジンを始動させる。
「ケイン……」
「大丈夫だって、僕たちの娘だ。他の子に負けないくらい賢いんだよ」
 彼の言葉に自信を持てたのか、カティアはクスリと笑って頬にキスをした。
「……唐突だなぁ」
 四十を過ぎた今でも間違いなくケインはカティアを愛していて、カティアもケインを愛している。
 だから。
「仕返しだ」
 と揶揄う様に言ってキスを返す、唇に。
 子供の様な優しいフレンチキスではなく、大人の濃厚な深いキスを。
 これから暫く研究所に篭りっきりになる。その分の愛の補充という物だ。
 唇を離して目を合わせる。
 カティアの茶色の目に映るのは黒髪青目のケインだけだ。
「帰ったら家族みんなでどこかに出掛けない?」
「そうだな。テーマパークとかどうかな?」
 楽しげな会話と共に車が車道に出る。
 幸せが続くことだけを考えて花を咲かせる彼らには、終わりなど考えも付かなかっただろう。





 数十年に及ぶ、長い長い戦いを生き延びた怪物。人の姿をした鋼。
 アスタゴ市民の多くは彼の名前を知らない。英雄として彼の名前がアスタゴの大陸に伝えられる事はなかった。
「……いや、だからどうしろってんだよ」
 囚われ、戦役奴隷のような扱いで戦場を駆け抜けた数十年。血を見ない日の方が珍しい、濃密な狂気の世界で生きてきた彼に平穏な日常は似合わない。
「パスポートもねぇし」
 突然に放り出された彼は御役御免と言うようなアスタゴの態度に納得の行かない点も少なくなかった。戦っただけの報酬などない。生きているのだからそれ以上何を望むのかと言いたげな態度。
「俺の戸籍もねぇだろ……」
 パスポートの作り方といってもアスタゴの金も無ければ、そもそも故郷である陽の国の住所に関する資料もない。
「眩しいな……」
 手のひらで太陽をすかして見る。
 土煙の中、血の臭いに鼻がひん曲がりそうな場所に長年生きれば、明るい世界というものに中々慣れそうもない。
「とりあえず、稼げる所探すか……」
 目的は決まった。
 さてと。
 と、足を動かし始めた。目的は金を稼ぎ陽の国へと戻ること。
「四島の野郎、くたばってねえだろうな」
 そんな簡単に死ぬタマでもないか。
 クツクツと笑って。
「このまんまだと俺のが先にくたばるか」
 ゆっくりと歩き始める。
 
 
 
「はあ!? 雇えないよ!」
 ベンチで項垂れる。
 これで二十件目。
 どうにも身分が保証されない、空白の数十年が余計に悪印象を与えるようだ。
「ぷー太郎かよ……」
 金髪の彼は空と同じ青色の瞳を眩しい空に向けて、睨みつける。
「…………」
 子供たちの騒ぐ声が聞こえて来た。
 陽気なものだ。気分が悪いものではない。ここは公園らしい。
「大丈夫ですか?」
「……んあ? 問題ねぇよ」
 ベンチの隣に座り込んだ黒髪の若い女にふと視線を向ける。
「あ、ども。こう見えて研究者なんです」
「こう見えても何も白衣着てんじゃねぇか」
「医者の可能性もありますけど?」
 そうかい。
 とても興味が無い様に視線を女性から外した。
「私はクロエって言います」
「俺は阿賀野……いや、ユージン・アガターだ」
 この名前はアスタゴの国で呼びにくいと言われ他の兵士たちに勝手に決められた名前だ。彼自身には特に思い入れもない。
「普段は何してるんですか?」
「普段……な」
 何もしていない。
 いや、何かをしていたとしてもきっと研究者の彼女に自慢できる様なことではないだろう。
「何にも」
「何にも?」
「ああ。だからやる事探してんだ。金が稼ぎたい。パスポートが欲しい」
 その希望が。
「えーと、陽の国に帰りたいんですか?」
「別に帰りたいとかって話でも無くてな。単純に帰んなきゃならねぇんだよ。死なねえって約束しちまったし」
「そうですか」
 見えない。
 空は太陽が照らして、希望に満ち溢れている様に見える。ただ、ユージンには前が見えない。
「なら、私のお手伝いしませんか?」
「手伝い?」
「そうです。例えばーー人命救助、とか」
 企むような顔をして人差し指を立てて、小さな声で話を始めた。
「実はですね、あまり大きい声で言えないんですが……クローン兵士の研究が進んでまして」
「クローン?」
 人間が人間を生み出す、神の真似事。ユージンも全くの無知というわけではない。
「まあ、詳しい話は貴方が私のお手伝いという仕事を引き受けるかどうかでーー」
「仕事は選ばねえよ。選んでられねえしな」
 何とも軽い返事だ。
 だとしても彼の言葉に嘘はない。
「……の前に、飯奢ってくれ」
 気の抜けるような腹の音が響いた。





 運ばれてきたものに感嘆の声を上げる。
「おお、まともな飯は久しぶりだな……」
 白色の食器とフォーク。
 白の食器の中にはパスタ。
「このカフェのシェフってマルテアで修行してきたらしいですよ」
 だからなんだと言う話で、ユージンは大した反応も見せない。
「…………悪いな奢らせて」
「一文無しに期待なんてしませんよ」
 溜息を吐きながらも、早速とトマトソースのパスタにフォークを伸ばす彼を頬杖をつきながらクロエは見つめている。
「それでお手伝いの事ですが……」
 切り出した言葉にピタとフォークを止めて皿に向けていた視線を上げて、クロエを視界に入れる。
「おう」
「クローンの事は話しましたよね?」
「ああ、聞いたな」
 クローン製造が根本的な問題として関わって来る事は理解できた。
「詳しい説明をしますと。そのクローンは霊長類最強の体細胞から作り上げた至高の存在……となってます」
「あ? 最強?」
「ミカエル・ホワイト、ご存知ですか?」
 ユージンの頭の中を占めたのは疑問だ。
 何を言っているのか。
「殺されたろ、アイツ」
 厳密に言えば殺したのは彼なのだが。
 戦場で名前を聞いた訳ではなく、全てが終わった後に耳に入った名前で、自分を手こずらせた相手の名前だから強烈に印象に残っていたのだ。
「その死体からDNA情報やゲノムなんかを抜き取ってですね……」
「ほーん。で、実際に出来たのか?」
 あまりにも現実味がない。
 そんなものがあるのならクローン兵士を量産して直ぐにでも戦争兵器として活用しているはずだ。
 研究がいつに始まったのかは定かではないが、阿賀野の駆け抜けた戦場にそう言った類の存在が居なかったことからも未だ実用段階ではないのだろう。
「出来たには出来たのですが……一つだけで」
「そうか」
 やはり、と言うべきか。
「それでですね。実はヴォーリァとの冷戦が終結に向かって動き始めてる事は知っていますか?」
「そりゃあな」
 現にユージンが戦役奴隷じみた仕事、役割から解放されたのもヴォーリァ連邦とアスタゴ合衆国との代理戦争のようなものに駆り出される必要がなくなったからだ。
「となれば、兵士クローンは必要ありませんよね? 余計な武力になりますし、そもそも国際法違反ですから」
「まあな」
 戦争が起こらないという前提の世界があれば強力な武力を有する必要性はない。
 なら、至る結論は一つだ。
「研究の凍結、クローンの処理……ってか」
 随分と自分勝手な事だ。
 命を勝手に想像して、勝手に殺すなど。
「……そういう事です。なので、貴方にはそのクローンを攫って欲しいんです」
「……クソ厄介な仕事じゃねぇか」
 文句を言いながら、彼はフォークに巻きつけたパスタを口に運ぶ。
「まあ、受けるけどよ」
「本当ですか?」
 モグモグとパスタをしっかりと咀嚼し飲み込んでから。
「ったりめぇだろ」
 肯定を示した。
「言ったろ、仕事は選べねぇ立場だって」
 何より、戦争最前線を生き続ける以上にストレスとなる仕事などありもしないだろう。いや、あれは最早ボランティアといった方が正しかっただろうか。
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