要らないオメガは従者を望む

雪紫

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マシューの妻はもう妊娠9ヶ月に突入し、屋敷内では使用人が浮き足立っているのが分かる。
屋敷を出てからも、スライと一緒にいれると分かってから何週間か経過したが、キスをしたのはあの日が最後で、スライに何の変化もない。好きだと言った言葉がどういう意味なのかまた分からなくなりそうだ。

(別に、触れて欲しいとか思ってるわけじゃないが)

手元にある紙をペラペラめくりながら、気を紛らわせる。今見ているのは仕事の資料ではなく、家の物件だ。出産を控えているマシューの妻は、あと1ヶ月も待たず予定日を向かえる。それまでに、リオは外に行く準備をしなければならなかった。

(そばに置けと言ったスライは、同じ家に……ということでいいんだろうか。それとも近くに?)

変な自惚れをして恥をかきたくないリオは、1人用の物件を見漁る。お金がいつまでも沢山あるわけでないので、安いものでいい。伯爵家と言ってもリオは質素な生活でも十分満足できる。ある程度清潔な寝床と食べるものがあれば、あとはさほど気にならない。

値段も安く、1人で暮らしていくには広さも申し分ない物件を見ていると、後ろから声がかかった。

「安すぎますよ。これは街から随分離れています。……それと、2人で住むならもう少し広くないと」

やけに艶っぽく聞こえてしまい、リオは顔を朱に染める。自身を落ち着かせるために紅茶を飲み干してから、なんでもないように話を続ける。

「やはり2人で住むのか」
「リオ様が嫌と言うならば、諦めます」

悲しそうな表情を浮かべるスライに、リオは押し黙る。

「……嫌とは言ってないだろ」

そっぽを向きながら小さな声でそう言う。スライは「よかった」と安堵の声を漏らす。

「物件を何ヶ所か上げて下さい。あとは私がやっておきますので」
「そうか?では2、3個候補を決める」
「場所はアイリーン領内でよろしいのですか?」
「ん?あぁ、……考えてなかったな」

リオを切り捨てたアイリーンの領地へ住めるのだろうか。いや、住めないだろう。オメガという理由で息子を追い出し、アイリーン家から破門するような父だ。隠したい息子を、領内に住まわせるわけが無いだろう。

「この辺はやめておいた方が良さそうだ。スライは、どこに住みたいとかあるか?僕はここの領以外の土地に関してはさっぱりだ」
「アイリーン領以外ですと、私はアデルに住んでいましたね。少々田舎町ですが、いい街だと思います」
「スライが住んでた?」
「はい、生まれ育った故郷です。騎士になる前は地元のアデルで傭兵をしておりました」

スライはもともと平民だ。貴族の出ばかりの騎士で、名を広めた彼だが、平民だからという理由で簡単に使用人として雇われている。我が家に引き入れられなければもっと名のある騎士になっていたに違いない。

「物件はないから家が決まるまで適当に宿暮らしになるが、そこにしようか」
「承知しました」

スライが育った故郷に行けると思うと、リオの表情は勝手に綻んでいく。
新しい環境になることは怖いことだと思っていたが、スライがいるなら大丈夫だと思える上に、楽しみだとも思えるようになった。
スライはいつだってリオを前向きにさせてくれる。

「ありがとう、スライ」
「どうしました?」
「僕一人だったら、今こんな風にしてないと思って。お前がいるお陰だ」

いつもなら照れくさくて言わない言葉が、すんなりと出てきた。スライは珍しく目元を赤く染め、「役に立てているようで良かったです」と口早に言う。滅多に見れない男の顔は、可愛らしく思えた。






その日の夜、発熱したかのような倦怠感がリオにあった。

(もう、そんな時期だったか……?)

一見風邪のように感じるのは、発情期の初期段階だ。風呂上がりのため体温が上がっているようにも思えたが、それは違うともう理解できるほどに苦しい。その苦しさの中に、性的な欲求が潜んでいるのを感じた。

(不味いな、離れに移動しないといけないのに)

いつもなら、発情期が来るであろう日を予測して2日ほど前には篭っていたリオだが、この段階でまだ離れに移動していないのは初めてだった。
自分がどのくらいフェロモンを発しているのか、他者に気づかれるレベルなのか検討がつかない。部屋の外へ出て離れに向かっても大丈夫なのか、大丈夫でないのかを気にしていると、水差しを手にしたスライが部屋へ現れた。

「スライ……」
「リオ様?」

「どうされました」と心配そうに首を傾げる姿に、まだ発情フェロモンが濃くないことが分かる。スライを見ていると、発情期が早まるような気がして視界から外すが、幾分敏感になった嗅覚がすぐにアルファを捉えてしまう。

「少し我慢してください、すぐ離れへ行きましょう」
「に、おいが……まだ」
「ええ、ベータには分かりませんよ。安心してください」

軽々と横抱きをされ、離へと連れていかれる。周りに人はいないか気になったが、それよりも近くにあるアルファの匂いの方に意識がいってしまう。首もとに顔を填め、リオは子犬のようにすんすんと匂いを堪能する。
離れの一室に付いたのが分かったのはベッドへ下ろされてからだった。

「薬を取ってきますので、少し、離れてください……」

スライにくっついていたい衝動に駆られ、首にました腕がまだ健在だ。

「いらない、から、僕のそばにいろ」
「嬉しいお言葉ですが、……今はダメだ。もうほんと、ヤバいですから……」

普段の敬語とは違う軽い言葉が出てくるのは新鮮で、リオは不思議そうにスライの顔を覗き込む。

「すぐ戻ってきますから、大人しくしておいてください、ね?」

小さな子ども相手のように話されると、幼少の記憶が蘇る。1人きりで眠る夜が寂しくて共寝をしたいと喚いた時も、確か似たようなことを言われた気がする。部屋を出ていって数分、水差しと薬をもったスライが戻ってきた。サイドテーブルにトレイを置くと、2つあるグラスに水を入れ、1つをスライが飲み込んだ。使用人が主人の前でものを口にするのは滅多にない事なので、リオは上を見上げスライを見つめた。

(薬は、スライのだったのか)

4粒ほどの白い錠剤を流し込んだスライは、次にリオにも同じような錠剤を口元に運ばれる。いつものように、念の為に飲まされる避妊薬を飲み込んだ。

「スライが飲んだのは?」
「あれはアルファ用の抑制剤ですよ」
「副作用は、ないのか?」

オメガの発情抑制剤は値段が高い上に副作用が強いものがほとんどだ。吐き気や頭痛があったり、中には消化器官にも影響を及ぼしたりする物もある。リオは初めての発情期の際1度口にしたことはあるが、激しい頭痛が何日も続く上に薬としての効果は薄かったため服用はすぐに辞めた。

「ええ。あまりないように思えます。頭痛がするくらいで」
「あるじゃないか。もう飲むな、身体にわるい」
「いけません。箍が外れて、貴方に酷いことをしてしまったらどうするんです」
「ひどい?」
「ええ。無理やり、項に噛み付くかもしれませんよ」

意地悪そうな顔をして笑い、人差し指で背骨に沿うように首の中心をなぞられる。

(……噛んでいいのに)

スライにそうされるのなら、僕は拒まない。そうリオは思う。

「そんな顔、しないでください」

リオはきっと、物欲しそうな顔をしているに違いない。
頭の後ろを支えられ、スライが顔を横に傾ける。キスだと理解したリオはぎゅっと瞼を閉じるが、今までとは違い唇の間を舌が通過していった。驚いてリオは目を見開く。

「ん……ふぅ、っ……んぁ、はっ、ぁ」

息が苦しくても、快感が勝る。スライと発情期を過ごす中、リオは口付けをしたいと密かに思っていた。リオは嬉しさが込み上げ、スライに縋り付くようにキスを求めてしまう。泣きたくもないのに瞳には涙が浮かび、身体には電流のように快感が流れた。

「言ったでしょう?目は閉じてくれないと」
「ぁ……、むり、だ……び、びっくりして、目なんか……」

股の間に違和感があり、もじもじと膝を擦り合わせる。さっきの刺激で下着の中は膨れ上がり、しとどに布を汚している。

ゆっくりとベッドに倒され、またも口を塞がれた。今度は言われた通り目を瞑るが、視覚がない分音や感覚が研ぎ澄まされる気がして、リオは戸惑う。
口を開けているだけなのにも関わらず、スライが触れる箇所が全て気持ちいい。リオの綺麗に生え揃った歯列や、上顎全てが性感帯にでもなってしまったかと思うほどだ。

「はぁっ、ん、ぅ、……ふ……んんっ!」
「ん、……キスだけで、イけましたね。気持ちよさそうで、何よりです」

下着が、精液で濡れたのがわかる。
両手で顔を包む様に触れられているため、リオは顔を逸らすこともままならない。いつも離れにいる時は、発情が酷く意識や理性を失っているのが殆どで羞恥心というものはあまり感じていなかった。

(こんな時に限って、なんで意識が……)

前開きのローブにある腰紐を解かれ、肌を露わにされる。
大きな掌が肌を撫でる。腰に触れていた手は滑らかに上がってきて、平らな肌にある一際目立つ箇所を擦った。

「ぁんっ」

五本の指が、まるで通り道だと言うように突起を掠めていく。リオは堪らず身をよじらせるが、押し倒されている体勢でそう動ける訳もなく当然手からは逃れられない。

「ス、ライ……、なんかいつもと、違うっ」

(胸なんか、……触られたことないのに)

戸惑いつつスライを見上げると、「当たり前でしょう」と熱の篭った瞳で訴えられた。

「ずっと、貴方に触れたかったんです。発情期を治めるという仕事としてでは無く、愛情を持って触れたかった……」
「スライ……」
「いつもは、我慢していたんですよ?なるべく触れないように、怖がらせないように、早く終わるようにと」

そんなことを配慮しているとは知らなかった。いつもリオのことを気遣ってくれていたと思うと、心から嬉しさと、愛しさが湧く。

「では……もう我慢することはないな。僕はお前が、好きだから、なんの問題もない。それに、僕も触れるというか、キス……したかったし……」

紺色の瞳がリオの言葉に驚いたように開かれる。
「そんな可愛らしいことを言って、後で後悔しても知りませんからね」と、優しく抱きしめられながら、スライに耳元で囁かれた。


それから、リオはスライがどれほど我慢していたのかを身をもって知ることになった。













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